幸福戦争
2、なぜ生きるのか、死ぬのか
「そこから前に進まないでほしい」
僕の一言で我に返ったのかその男は僕の方に振り返った。その顔は虚無を語るような色を消された表情ではなく絶望に満ちたある意味人間的な表情をしていた。
ケリーではなく僕に対して直接的に訳を聞いてきた。
「どうして?俺はここにいても意味がない、自分、他人にしてもだ。なら生きていても死んでいるのと同然じゃないか」
「自分勝手過ぎる」
僕はありきたりな理由に呆れるばかり溜息が零れてしまった。
「他人にしても?そんなの自分が知るわけないじゃないか。あなたも僕も誰かのために生きているって、言うのは簡単だよ。けれどそれが本当にその誰かのためになっているのか分かる?」
「自分が思えばその人もそう思うなんて考え方、それこそエゴイストなんだよ」
「なら俺はどうやって生きたらいいんだよっ!自分が生きる理由が……俺には欲しいんだ」
感情的になる僕の言葉に連なってさらに興奮させてしまう。それは作戦を遂行する観点から見れば最悪だけど今はこれしか方法が無かったのかもしれない。
傍で押し黙っているケリーを除いて。
「もうあるじゃないですか」
何を?という疑惑の面持ちでこちらを見つめてくる彼の心の内は、見えない答えを探し続けているようだった。
「あなたが誰かのために生きていて、それがその誰かのためになっているのか分からない。けどその逆を考えればいいんですよ。誰かのためにって特定の人を思い浮かべるんじゃなくて普通に今を生きる。それだけで知らないうちに誰かのためになっているんです」
「矛盾、非論理的だと否定されたっていい。可能性はゼロではないのですから」
僕の熱弁に応えたのだろうか、僕の方へと体だけでなく心までもが動いてるのが目に見えるよう。
閉じていた口が開き唇を震えさせながら話した。
「俺は生きるべきだと言うのか」
僕は再度、感情的から理性的な思考に戻し彼の投げかけてきた質問に応答する。僕の内側で感情論が暴れまわっているのを抑え込み平然を装いながら。
「そうです。あなたは生きるべきなんです」
彼は一度涙を流しかけたが感情を顕わにしないようにと包み込んだ。
そうして僕の言葉に一度頷いてから目の前の鉄柵に手を触れた瞬間だった。
唯一存在する足場から足を踏み外し、彼はその体ごと宙に乗り出してしまった。
「やっぱり俺はここにいるべきじゃないのかもな」
そう独り溢したような笑みを浮かべ彼は自由落下に身を任せる。
僕は彼を助けるとか助けないとか自問自答なんてしなかった。頭で判断する前に体が真っ先に動いていたのだ。
持っていた自衛のための小銃を投げ捨て彼のもとへ駆けた。
「死なせない」
それは僕が言ったのか、それとも心の中で呟いた言葉なのかわからなかったけれどこれだけは言える、そんな自信が僕の胸の中に生まれていた。
彼にはその言葉が通じているのだと。
屋上から地上までは40階、1フロア3mとすると計120m。ともすれば自由落下計算を行えば地上への到達時間は約7.2秒。
それだけあれば十分だ。
僕は高所からの緊急脱出用の安全装置を起動させパラシュートを開いた。
「ふう……」
重度な緊張状態から、短時間の危機的状況と次々に起こったハプニングを一つずつ対処した僕はこれまでにないほどの安堵に包まれていた。
そんな僕に対して彼は一言口にした。
「すまない、そしてありがとう」
と。
ともすればもう地上はすぐそこだ。彼からの感謝で会話は終わりを迎えてしまったのでアクセスキーなど全く聞き出せていないのは置いといて。
塔の目の前に位置するメインストリートの中央に降り立った。不思議と周囲には歩行者、自動車などはおらず誰にも気づかれていない状況だったのは不幸中の幸いだった。もし、誰かがこんな状況を見ていたら地下ならまだしも地上のこんな場所では偽ることも難しくなってしまう。
沈黙を続け話そうとしない、そんな彼を僕は同情せざるを得ない。
けれど彼はそんな沈黙を破るかのように一言だけ僕に聞いた。
「どうしてお前はこんな俺を助けようとしたんだ?この国の首謀者といえども首相のような立場の人間を殺したのは俺なんだぞ」
素直に作戦の為と言えば楽なのかもしれないが、このときだけは虚言は許されないと感じたのだろう、僕の本当の真意を打ち明けることにした。
「あなたが僕に見えたからかな」
彼はそんな僕をもう一度見直しそして、
「そうかい、そりゃありがとな」
僕のパートナーが言いそうな言い方で二回目の感謝の言葉を受け取った。その言葉は決して無駄なものなんかじゃなくていつまでも僕の心に突き刺さるのだと思う、いやそうなるのだと半ば予言的な意味も含んでいた。
同時に今はまだ彼から情報を聞き出さなくても良いような気がした。それは合理的な考えで至った結論でなければ集約的な結論でもない、僕がそうしたいという何とも傲慢な考えだ。
そう分かっていても、まだ良いと感じてしまうのはやっぱり人間故なのだからだろうか。
そう試行錯誤、頭の中で考えが暴れまわっているうちに本物のパートナーが屋上から戻ってきた。
「おつかれ、ケリー。こっちは大丈……」
僕がそう言いかけた瞬間だった。彼は僕の方へ銃口を向けて、
「伏せろっ」
そう叫んだ瞬間、周囲を乱射し始めた。その時間は優に十秒は超えていたような気がする。体感時間には狂いがよくあるとの見解もあるが僕の今の予想は当たっているだろう。
「俺たちになんのつもりだ」
ひとしきり弾を撃ち込んだ後に彼は質問を空中に投げる。
僕はその投げた先、すなわち空中に目を向けるとそこには黒色のローブを纏った人々の群れがあった。しかもそれは僕たちの周囲を囲んでいる。
おのずと彼らの一人が応え始めた。
「私たちは何も手出ししない、傍観するのみだ。ただ今回だけはな」
男かそれとも女なのか性別をあえて識別不可能にさせる機具を通して声を発しているためか判断が出来ない。
だが、一つだけ思うことがあった。
それはあの時――僕が殺されかけた忌むべき存在とは違うということ。あの時の主犯はそもそも自分の恩師、レンだと分かっているし、そもそも黒色のローブには今僕らの前に立ち尽くす彼らのような刺繍はなかったはずだ。
刺繍、ここからではよく見えないのだが肩の一部に紋様らしき形があったのだ。
「なら、ここから離れろ」
ケリーの言葉に反応した彼らは即座に姿を消した。
「平気か?怪我はないか?」
周囲に人気がないことをデバイスで再確認しひとしきり警戒した後、やっとのことで安心感を迎い入れた彼は僕の気遣いをしてくれた。
「OK。何もないよ」
僕も彼の安心に答えるとようやく作戦終了を告げたらしかった。
『作戦遂行完了を確認。重要参考人を一人保護。帰還準備を求む』
そうして長かった旅路も終え母国に帰ることとなった。
僕の一言で我に返ったのかその男は僕の方に振り返った。その顔は虚無を語るような色を消された表情ではなく絶望に満ちたある意味人間的な表情をしていた。
ケリーではなく僕に対して直接的に訳を聞いてきた。
「どうして?俺はここにいても意味がない、自分、他人にしてもだ。なら生きていても死んでいるのと同然じゃないか」
「自分勝手過ぎる」
僕はありきたりな理由に呆れるばかり溜息が零れてしまった。
「他人にしても?そんなの自分が知るわけないじゃないか。あなたも僕も誰かのために生きているって、言うのは簡単だよ。けれどそれが本当にその誰かのためになっているのか分かる?」
「自分が思えばその人もそう思うなんて考え方、それこそエゴイストなんだよ」
「なら俺はどうやって生きたらいいんだよっ!自分が生きる理由が……俺には欲しいんだ」
感情的になる僕の言葉に連なってさらに興奮させてしまう。それは作戦を遂行する観点から見れば最悪だけど今はこれしか方法が無かったのかもしれない。
傍で押し黙っているケリーを除いて。
「もうあるじゃないですか」
何を?という疑惑の面持ちでこちらを見つめてくる彼の心の内は、見えない答えを探し続けているようだった。
「あなたが誰かのために生きていて、それがその誰かのためになっているのか分からない。けどその逆を考えればいいんですよ。誰かのためにって特定の人を思い浮かべるんじゃなくて普通に今を生きる。それだけで知らないうちに誰かのためになっているんです」
「矛盾、非論理的だと否定されたっていい。可能性はゼロではないのですから」
僕の熱弁に応えたのだろうか、僕の方へと体だけでなく心までもが動いてるのが目に見えるよう。
閉じていた口が開き唇を震えさせながら話した。
「俺は生きるべきだと言うのか」
僕は再度、感情的から理性的な思考に戻し彼の投げかけてきた質問に応答する。僕の内側で感情論が暴れまわっているのを抑え込み平然を装いながら。
「そうです。あなたは生きるべきなんです」
彼は一度涙を流しかけたが感情を顕わにしないようにと包み込んだ。
そうして僕の言葉に一度頷いてから目の前の鉄柵に手を触れた瞬間だった。
唯一存在する足場から足を踏み外し、彼はその体ごと宙に乗り出してしまった。
「やっぱり俺はここにいるべきじゃないのかもな」
そう独り溢したような笑みを浮かべ彼は自由落下に身を任せる。
僕は彼を助けるとか助けないとか自問自答なんてしなかった。頭で判断する前に体が真っ先に動いていたのだ。
持っていた自衛のための小銃を投げ捨て彼のもとへ駆けた。
「死なせない」
それは僕が言ったのか、それとも心の中で呟いた言葉なのかわからなかったけれどこれだけは言える、そんな自信が僕の胸の中に生まれていた。
彼にはその言葉が通じているのだと。
屋上から地上までは40階、1フロア3mとすると計120m。ともすれば自由落下計算を行えば地上への到達時間は約7.2秒。
それだけあれば十分だ。
僕は高所からの緊急脱出用の安全装置を起動させパラシュートを開いた。
「ふう……」
重度な緊張状態から、短時間の危機的状況と次々に起こったハプニングを一つずつ対処した僕はこれまでにないほどの安堵に包まれていた。
そんな僕に対して彼は一言口にした。
「すまない、そしてありがとう」
と。
ともすればもう地上はすぐそこだ。彼からの感謝で会話は終わりを迎えてしまったのでアクセスキーなど全く聞き出せていないのは置いといて。
塔の目の前に位置するメインストリートの中央に降り立った。不思議と周囲には歩行者、自動車などはおらず誰にも気づかれていない状況だったのは不幸中の幸いだった。もし、誰かがこんな状況を見ていたら地下ならまだしも地上のこんな場所では偽ることも難しくなってしまう。
沈黙を続け話そうとしない、そんな彼を僕は同情せざるを得ない。
けれど彼はそんな沈黙を破るかのように一言だけ僕に聞いた。
「どうしてお前はこんな俺を助けようとしたんだ?この国の首謀者といえども首相のような立場の人間を殺したのは俺なんだぞ」
素直に作戦の為と言えば楽なのかもしれないが、このときだけは虚言は許されないと感じたのだろう、僕の本当の真意を打ち明けることにした。
「あなたが僕に見えたからかな」
彼はそんな僕をもう一度見直しそして、
「そうかい、そりゃありがとな」
僕のパートナーが言いそうな言い方で二回目の感謝の言葉を受け取った。その言葉は決して無駄なものなんかじゃなくていつまでも僕の心に突き刺さるのだと思う、いやそうなるのだと半ば予言的な意味も含んでいた。
同時に今はまだ彼から情報を聞き出さなくても良いような気がした。それは合理的な考えで至った結論でなければ集約的な結論でもない、僕がそうしたいという何とも傲慢な考えだ。
そう分かっていても、まだ良いと感じてしまうのはやっぱり人間故なのだからだろうか。
そう試行錯誤、頭の中で考えが暴れまわっているうちに本物のパートナーが屋上から戻ってきた。
「おつかれ、ケリー。こっちは大丈……」
僕がそう言いかけた瞬間だった。彼は僕の方へ銃口を向けて、
「伏せろっ」
そう叫んだ瞬間、周囲を乱射し始めた。その時間は優に十秒は超えていたような気がする。体感時間には狂いがよくあるとの見解もあるが僕の今の予想は当たっているだろう。
「俺たちになんのつもりだ」
ひとしきり弾を撃ち込んだ後に彼は質問を空中に投げる。
僕はその投げた先、すなわち空中に目を向けるとそこには黒色のローブを纏った人々の群れがあった。しかもそれは僕たちの周囲を囲んでいる。
おのずと彼らの一人が応え始めた。
「私たちは何も手出ししない、傍観するのみだ。ただ今回だけはな」
男かそれとも女なのか性別をあえて識別不可能にさせる機具を通して声を発しているためか判断が出来ない。
だが、一つだけ思うことがあった。
それはあの時――僕が殺されかけた忌むべき存在とは違うということ。あの時の主犯はそもそも自分の恩師、レンだと分かっているし、そもそも黒色のローブには今僕らの前に立ち尽くす彼らのような刺繍はなかったはずだ。
刺繍、ここからではよく見えないのだが肩の一部に紋様らしき形があったのだ。
「なら、ここから離れろ」
ケリーの言葉に反応した彼らは即座に姿を消した。
「平気か?怪我はないか?」
周囲に人気がないことをデバイスで再確認しひとしきり警戒した後、やっとのことで安心感を迎い入れた彼は僕の気遣いをしてくれた。
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