幸福戦争

薪槻暁

2、プロローグ

「分かっているだろうな。私たちが果たすべき民への贈与は何であるか」


「心得ております」


「私はいついかなる時も変わらず、忘れたことはございません。『幸福』の追求と祈願は私たちの真なる願いなのです」


「そうか、ならばもう気づいているか?」


「はい……誠に残念ながら異国からの刺客が僅かながらいるとの報告が……」


「お前の言うとおりだ、我が国が脅かされんとする危機的状況。どうお前は切り抜ける?」


「排除かと……」


「私からは何も言わん。お前達が是非を己に問い、そして最奥から答えを導きだせ」


「分かりました……実行して参ります」




 そう言って暗黒に包まれた大広間から退出する男は、ただ動くだけのオート化された操り人形のようではないが、自分の欲求に任せっきりで生きるような人物柄でも無い気がする。


 複雑に絡み合う状況が彼の生き様を産み出したのかもしれない。














 今日の日本国は今もなお平然と相変わらぬ日々を送り続けている。


 最先端を走る突出したテクノロジーの数々、無粋でしかない完璧合理的主義の人々によって産出されたモノが無数に蔓延るはびこる都市、東京。


 そんな国の経済や政治を司っていたのはヒト、ではなく新たに生み出された知的生命体――アンドロイドだった。需要者と供給者が別々の世界の中、ただ一方に利益をもたらすために外部から手を加えたのだ。人間というものの魂胆は欲求が主であると、そう認識を再びしたことを話す。




「そうだとも言える……私たちが下した判断を気に入らない者が居れば苦言を提したのだろうな」


「けれど誰も何も言わなかった、そうですよね。マザー」




 新たに都市部に建設された情報管轄区画。地下に造られた時と内装は全く同じだが、外見は非合理的に見せるためか国際的に有名なアーティストに専任させた建造物。


 僕はその一階の深奥部に近い、特務所長室マザーの隣部屋、第一会議室にいた。




「付け加えてしまえば蛇足だと感じさせてしまうほど君の言うとおりだよ。私からはその行いについて提言するつもりはないがな」




 僕は無言で答えるしかなかった。それは既知ではなかった時までは反論できたが、現状は違う。




 マザーと再会した時のことだった。












 僕はカフェテリアのカウンター席で独り過ごしていた。普段ならここではない相席に二人座り、同チームのケリーと話し合う。けれど、今の僕はただ独りになりたかった。二人で新たな知見を生み出すことの重要性も知ってはいたが、僕はそれよりも自分の頭の内、つまり今考えていることを整理しておきたかったのだ。


 突如、僕が内に引きこもるようになったのは理由がある。


 それは国民投票結果だ。


 僕はこの国の現状――政権が私たちの手に無いということを住民に伝え広げた。


 一時はパニックに陥ったのだが、雲散霧消のようにすぐに消失してしまった。


 そして彼らにこの国の行く末を誰に任せるか、選択させたのだ。


 抜け目があるかもしれないが融通がきく、ヒト。ただひたすら安定安寧秩序をもたらすことだけを目指す、人ならざるもの。


 どちらに舵をとらせるのか、選択の余地を与えられた彼らは、


 自分の安全地帯を確保することを望んだ。


 すなわち、後者を選んだのだ。




 僕は正直どちらでも構わなかった。一見アナーキーのように思われるかもしれないが歴とした根拠はあるつもりだ。人間性を採れば身の安全性を失うし、安全性を採ればその反対が起こる。要は釣り合いの関係が重要なんだろうと思ったのだ。


 けれど、なぜか心残りが僕にはあるようだった。


 どうしても取り除けないそれは一体何であろうか。




 僕はその整理をしたかった。




「となり良いかね」




 けれど、そんな僕の思考を遮るように彼は腰かけた。


 彼――話題の当の本人であるマザーだった。








「この国は紛い物の幸福かね?」




 目線は目の前のオーナーのままで、呟いた初手の言葉に驚かされた僕は返事を瞬時に返せなかった。




「……どうしてそれを?」




 ケリーとしか挙げなかった話題を彼は知っていたのだ。




「私達は君たち側が幸福に過ごすことを目的としている以外にも私達自身、『幸福とは何か』という議題を追求している」


「そのためには君たちからの情報は最低限かつ必要なのだ。誰がどんなときにどんなものを好むのか、それは当の本人しか知り得ないこと」


「僕たちが「幸せ」と感じている事柄を全て統計学的に示すことで「幸福」の意味を捉えることが出来ると?」




 彼は無言のままだった。それはつまり肯定しているという暗喩なのだろう。


 だからこそ、僕は反論したかった。




「しかし、それはあくまで統計学的です。全員が同じ現象を「幸福」と感じるはずがないと思うのですが」


「ならば人一人のために君は死ねるか?」




 少数か大多数、どちらかの人間の「幸福」を選ぶことしかできない。なんて理不尽な世界なのだろうか。




 今までの行いを振り返った僕にはもう何も言えなかった。




 僕の内心に気づいた彼は咳払いをして、




「話を戻そう。私たちはそのために情報を得ている」




 彼らがどんな方法を用いているのか分かってしまった僕は彼の言葉を遮るように答えた。




「この右手のデバイスのことですよね」




 彼は心底僕が気づいた訳を知りたそうな表情だったので、考えられる限り全てを告げた。




「まず僕がこのデバイスの着用を始めたのが物心がついた頃。つまり、ある感情が生まれることに根拠が出現した頃ということ。合理的に考えるためには赤子のような外見からでしか予測が不可能なデータは必要ではない」


「二つ目はあらゆるリソースが含まれているということでしょう。ある人がどんな記事、アプリケーションを好んで使用するのか、最も効率的な詮索方法と言えます」




 僕がひととおり話終えた後、彼は漸くようやく閉じていた口を開いた。




「まさにその通りだよ。効率的かつ確実な情報収集方法としては最善策だった」


「では、私達のプライバシーはどうなるのでしょうか?」




 僕は分かりきったような問いを投げ掛けてしまう。分かっていても聞かなくてはならないという衝動に駆られた。




「君は何か物を購入する時、お金を渡さずに持ち去る人だろうか?」




 僕は彼の悟られたような喩えを聞いて、




「『安全性』を得るために犠牲にしたということですね」




 と彼の意図をまとめた。




 僕たちの手で日本を動かしていないと知っていても、彼らに全て任せてしまう。




 それはつまり「安全に生きること」以外なら代償を負っても良いという承諾のようなものだったのだ。
















「では、次の作戦についてだ」




 時を戻して、情報管轄区画に呼ばれた僕とケリーは第一会議室中央の長机をマザー、その他もろもろのアンドロイドと挟むように座った。




 この国の有り様を国民投票結果とともに話終えた後が今回の本題であったのだ。




「君たち二人だけこの場に呼んだのは私達の既知が理由ではない」


「それはつまり?」
 

「君たち、で任務を遂行して欲しい」


「勿論、バックアップも君たち以外なしだ。こちらからは情報を伝達することしか出来ないだろう」




 それだけで僕は次の戦地がどこであろうか、嫌なことにすぐ分かってしまった。




「……ということは?」




「ああ、無論中華人民国だ」

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