〈感情高度文明都市〉Dear:*** from massnomadic

薪槻暁

14.The name

 ***B


 青年と呼べるほどの年に見えたからか余計に親近感が湧いた。同じ公園、年、性別、境遇と、あまりにも僕と似すぎていたし、もしかしたら僕のように現実が嫌になってここに来たのかもしれないと。そんな必要じゃない期待を胸に秘めていたのかもしれない。


「名前は、覚えてないんですよね?」


 「すみませんまったく記憶にないんです」とベンチに座りながら青年は答える。僕も隣に腰を下ろした。


「でも、それじゃ君を呼ぶのに困るよね。君、って呼んでもいいけど名前はあった方がいいと思うし」


 僕は提案する。記憶がないとはいえ名前が無いというのは生活するうえで障害となってしまう。それに呼んだ方が親近感がさらに湧くし、もしかしたら記憶を思い出させるきっかけにもなるかもしれない。


「それ、そのまんまあんたに言いたいんだけど。一応聞いておくけど私、今まであんたのことを名前呼びしたことも無いと思うけど、思い出した?」


「あ…………それって君の兄としての名前ってこと?」


「そうじゃなかったらあんたはいったい誰だって話になるんですけどーー。それとも何ですか、こことは違う別世界から来て私の兄の体を乗っ取ってるって言いたいわけーー?」


「いやいやいやそんな滅相もない!!前も言ったじゃないか僕のMBTは故障していて、記憶に問題があるって話。もう忘れたの?」


 危ない。まさか正解を口に出されるとは予想していなかった。ベンチに座っている僕に顔を近づけて「ん?ん?」と脅すように聞いてくるあたり心当たりがあるのだろうか。いやそんなことはないはずだ。いくら何でも疑惑に過ぎない。けど、あまりにも近すぎて怖いんだけど。


「すんごい僕の顔を見つめているけど、顔に何か付いているのかな?それとも…………別の理由があって見つめているの、かな?」


「はああああ?そんなことあるわけないでしょ。脅しに決まってるってどうして分からないわけ?」


「脅しってこれが?僕には可愛げな少女が目の前にいるな、としか思うところがないんだけれどーー」


 あ、火が付いた。直感的にそう感じた。まるで目に灯でも宿ったかのようで、頬はフグみたいに膨らませていた。そしてこれでもかといったほどに力いっぱい僕の肩を揺さぶってきた。


「う、うっさい‼‼消えろ、私の視界から霧散しろ!!このバカ兄貴」


「今の僕には兄としての記憶がないんだけれどなーー」


「なら、ただのお前をここで消してやる!!炭化するまで燃やし尽くしてやる!!」


 とんでもないことを言う子だ。いやはや初めて姿を目にした時は、ああなんて小さくおしとやかな少女なんだろうかと思ったのだけれど。「僕」と自分を呼称しただけで卑下するような子だったし。現実世界では兄も姉も弟も、もちろん妹だっていなかったけれど、今日ばかりはいなくてよかったと不躾ながら感じてしまった。


 今にも僕に殴りかかってくるミユの頭を押さえて、再び隣の青年に問う。


「それでっ、君は何て呼べばいい?何だっていい、君が呼ばれたい名前とかを教えてくれればそれで僕は良いんだ」


「俺は…………」


 青年は悩んでいた。言うか言うまいか、ではなく言えるか言えないかという二択で。あと少しで、ほんのわずかなところにあるというのにそこに辿り着けない。まるで迷宮の檻に閉じ込められたかのように。


「レン、そうだったような気がするし、そうじゃないような気もする。だけど、俺の名前と言われて思い出されるのはそれだけしかない」


「なら僕は君のことを『レン』って呼べばいいみたいだね。それで…………」


「俺はあなたのことを何て呼べばいいんでしょうか?聞いたところ、あなたも同じように記憶がないとか」


 うううう、と呻きながら僕に体当たりをしてくるミユを右手で抑えながら答える。


「そうなんだよね。僕も目が覚めたらここって感じでさ、以前の記憶は一切ない。けれど、このミユって子が誰も居ない代わりにいてさ、僕のことを説明してくれたんだよ。ね、そうだよね?ロケットガールちゃん?」


「ロケットじゃない!!ちくしょう、年が離れてるからっていいように弄びやがって……」


「とまあこういうわけで、僕の場合知っている人がすぐそばにいたから良かったけれど、君……じゃなくてレン君は他に誰も居なかったよね?ここに入ってくるときも」


 レンは俯き、どこかを見つめていた。物事に耽るように、真剣な眼差しで考えていた。


「はい。俺は一人でここにやってきたのは覚えているんです。ですが、どうしてここに来たのか、それ自体の行動理由がまったく掴めないんです。まるでここに来ることが運命づけられたというわけでは……ないような気がしているし」


「それはいったいどういうこと?」


 僕はかわらず突進してくる猪のようなミユを抑えながら訊く。


「ここに来ることがまるで楽しみだった、というような感情で。ただそんな名残、残滓みたいな感情が俺の胸のどこかで疼いているような感じがするんです」


「思っていること、したいこと、それそれが乖離しているってことなのかな。別に顔を見たいとか、近くにいたいってわけじゃないけど、その人に会いたいって感情が芽生える感じ?」


「そう……なんですかね。俺としてもはっきりとしていないんです」


 感情と動機は必ずしも結びつくとは限らない。だけど大抵は結びつく。会えないから悲しみに暮れる、寂しいという感情が生まれる。だから会いに行きたいという欲望、動機が生まれる、といったように。


 しかし、それとはまた別問題なのだろうか。ここに来たいという感情を発現させたのは彼、レンではなく違う人物だと。僕がミユの兄であり、そうでないように、彼もまたレンであり、そうでない人物が存在するということなのかもしれない。だが、それはそれで変だ。どうしてここに来たかった当の本人の意識はないのだろうか。


「それで…………俺はいったいあなたを何て呼べばいいんでしょうか?」


「あ」


 これは考えていなかった。相手の実態ばかり考えすぎていて、まさしく自分のことを疎かにしていたって感じだ。どうするべきなのか、ここでレンに対しては僕の前世の名前を伝えてもいいのだろうけれど、そうしたらミユが黙っているはずがない。誰よそれ、なんて指摘されるのが目に浮かぶ。


「ええーーっとね」


 それならば、答えを他に求めるほかないだろう。僕ではない僕の名前を。


「ミ……ユさーーん?聞こえてますかーー?」


 さっきまでミユの頭を押さえるために力を込めていた右手だったが、今はそんな必要も無かった。力を入れなくとも僕の方へ突進することはなくなっていたからだ。ベンチに座っている僕、地面の上に立っているミユ。身長差のせいで目線が同じ高さになっていた。


「ふふふっ。ふふふふっ」


 下を向いているせいか前髪で顔は見えないし、不気味な笑いをしているし、恐怖の塊みたいな画だった。


「もしよかったら……おしえて、くれたりしたら……なんて思ってるんだけど」


 パッと僕を見つめ直したミユの目はこれでもかといわんばかりに見開いていた。激怒しているわけじゃなさそうだし、かといってまったく怒っているわけでもなさそうな表情。だから恐らく平気だろう……


「そんな都合のいいことさせるかああ!!」


 前言撤回。鬼の如き形相で僕を追いかけてきた。ホロで簡易的に作ったらしい棍棒を右手に持ち、左手には拳銃。


「まてまてまてそんな物騒なものを持ってどうする気だよ!!ねええ!!」


 またまた12周。公園内の噴水を周回したところでミユはバテてまさしく地獄の如き鬼ごっこは終わった。


 簡易的だとはいえリアルすぎる。僕は体力が尽きたミユから棍棒と拳銃のホログラムを取り上げるとき、そう感じたのだった。

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く