〈感情高度文明都市〉Dear:*** from massnomadic

薪槻暁

5.Lie:truth

 ***B


 本当のことは結局言えなかった。


 僕が日本と言う別の世界、国で嫌になって身を投げたことも、本当の兄ではないということも、真実を語ることは出来なかった。


 いきなり僕にとって異世界転生みたいな話なんだと伝えたって、ミユ自身、自分が住んでいるこの世界の方こそが現実世界だという認識なはず。言い換えれば逆に飛ばされてきた僕は彼女にとっては異世界人のようなもの。


 これ以上、事を荒げないために事実を伝えることは憚られたのだ。


 けれど、本当は事実を伝えたくなかったことがもっともな理由だった。自分勝手な理由で言い訳に聞こえるかもしれない。たとえ異世界から来訪したとはいえ、兄ではない事実を知っている僕だからこそ伝えるべきなのかもしれない。


 でも、僕にはその勇気は無かった。こんな10歳をようやく迎えた初々しい少女に真実を伝えると言うのはあまりにも残酷すぎる。


 どうしても少女に対する情念や雑念の所為で躊躇するしかなかったのだ。


「それでこの後どうすんの?何にも覚えていないんじゃ、私がいなきゃ生きていけないような状態よ、あんた」


 ミユはソファに腰を下ろし僕に訊いた。


「そのことなんだけど、できればこの世界について少し教えてくれたら嬉しいんだよね……」


「うんまあ、そんなんだろうなって思ってたけど、実際に全部の記憶が消えているような状況だと面倒ったらありゃしないわねコレ……」




 僕はこの世界の大体のことをミユから教えてもらった。ホログラム、脳内送受信機MBTから僕らが生きているこの世界は地球のような球体で、太陽のような天体も陰ながら存在していることを。


「ってことは、僕が嬉しく思った時とか感じた時、他人にその情報を伝達することが出来るってこと?」


「大体は合ってるけど、現実、そこまで完璧に伝えることは出来ないわ。多少のズレは存在するけれどあまり伝達内容に影響は出ないから気にすることはないってぐらい。稀に変な学者が多少のズレこそ危険だ、なんて言ってるけどみんなとりとめもない話だって、いつも流してる」


「記憶共有は感覚共有よりも距離的に近づかなければ起動しないことになってるけどね」


 だからミユは自身の額を僕の額に近づけたということか、納得だ。


「でもそれってさ、結構危ない話なんじゃないの?感覚、記憶とかって頭の中でやり取りするような行為でしょ」


「周囲の人間に一方的に感覚や記憶を送信できないかって思ってるんでしょ」


 どうして僕が予想したことをまんまと当てられてしまったのか、もう驚きしかなかった。


「うぇっ、どうして分かったの?まさか他人が思い描いていることさえも分かってしまうものなの?だったらプライバシーも何もないな!!」


「そのぷらいばしーって言葉は分からないけれど、他人の考えを当てることは今のところ出来ないわ」


 一体どういうことだろうか。記憶を送ることは出来ても、探ることは出来ない。一見、矛盾しているような感じだ。


「一方通行なのよ。感覚も記憶も送ることは出来てもそれ以上のことは出来ない、そもそも私達にはそんな権限は持っていないの。だから他人の記憶に踏み入ったりすることは出来ない」


「たとえ、出来たとしても自分の記憶を無作為にばら撒くことしか私達には手段はないわ」


「それってたとえば嫌な思い出とかを他人に押し付けたり見せつけることも出来るんじゃ……」


 他人の記憶を勝手に脳の中に流し込まれたらそれこそ悪夢みたいなものじゃないか。それこそ公然わいせつ罪並みの裸体を見た時の記憶とか……


「あんた……もしかして他の人に卑猥な画像とか脳内に送れないかなーーなんて思ってるでしょ?」


「え……そんなこと、お、思ってないよ、うん思ってない想ってない」


「疑わしきは罰する!!!」


 そう言い放つとミユは僕の下腹部に鉄拳を喰らわせた。痛い……痛いよ、鉄拳だよ、鉄みたいな重量がある痛みだよ……


「そこは疑わしきは罰しないでしょうよ……どうしていきなり腹パンなんだよ」


「あんた、いや、私の兄は嘘をついた時、鼻の下を伸ばす癖があったから、まさかなーーなんてね」


 「なんてね」じゃないよ、そんな不信で、成功率10パーセントほどしかないロケットを飛ばすような行為するのか、あなたは。


「まって、僕、鼻の下なんて伸ばしてた?」


「してなかったと思うよ?」


「じゃあ何で手を下したんだよっ!!自分から言っといて理由になってないよ、君、支離滅裂なことしか言ってないよ」


「うっるさいなーー、私が思ったから勘付いたからやっただけ、やられたくなかったら勘付かれなければいいだけ、簡単な話でしょ」


「そんな理不尽な……片づけられるはずもない書類を全て自分にまかして出来なかったら全部僕の責任だ、って言っているようなもんじゃないか。しかも今回は腹パンだよ?これパワハラ案件だよ」


「さっきから何言ってるのか分かんないんですけど、腹ぱん?ぱわはら?なんのこと?」


 ちきしょーー。異世界だからかこっちの世界で通用していた言語が通用しない。それに相手はまだ年端も行かない10歳ぐらいの少女だし、もうまともに話している方が馬鹿らしくなる。


「ん?何でもない何でもない、ただの独り言だよ。話を逸らしてごめんね、僕の方から教えてって頼んで論点をずらしちゃったよ。今度はしっかり聞くからさ教えてくれないかな?この国のこととか」


 だけど、僕にはこの子しかない。この国の、世界の情勢から、機構とか政治とかを聞くにはこの少女しかいないのだ。


「んんん……まだ合点がいかないけど、わかった、そこまで言うなら教えてあげる。でも今度ばかりは二度はないからね」


 どうしてこんな異世界に飛ばされてしまったのだろうと内心悔やむ僕だった……


 ***A


 俺は感情思念センターという場で精神的に生み出された。精神的に、というのだから逆説的に辿って行けば身体的に生まれた場所はまた別ということになる。


 だが、俺の脳内にはその記憶はない。物理的に、生物学的に生まれた場所はもうすでに忘れ去った、もしくはそもそも教えてもらえなかったのかもしれない。


 人間はみな、自分がどこで誕生したのかを先天的に記憶してはいない。それは学習という名の記憶で脳内に刻まれるからだ。母親あるいは父親から自分がどこで生まれたのか、教えられた場所を覚えているだけで、自分が生まれたという自覚は一切ないのが普通なのだ。


 そして俺はその場所を知らない。俺に家族はいないし関係を持つ者もいない。この感情思念センターに属するドクターしか俺との結びつきは誰一人として存在しない。


「おかえり。昨晩の臨時報告はご苦労さん、それで何かいい結果は得られたのかね?自分の感情を押しとどめるために、いったいどんなことをしたのかな?」


「気分が高まっているようだが、俺からしたら気味が悪い道化みたいなもんだ」


「おーーおーー言ってくれるねぇ、でもそれでこそキミの役割ってことだネ。目の前の人間を殺めないように、汚さないように、潰さないように、耐える方法何とも気になるよ」


 ホテルで一泊した翌日。隣の部屋に匿っていた少女の姿が見えなかったが、代わりに一枚の紙切れが置いてあった。


「そんな話はどうでもいい、テメェらの目算なんて知ったこっちゃねえからな」


「だが、これはいったいどういうことだ?まさか俺達と関係がある話じゃねえよな?もしそうじゃなかったとしても何故外出していながらあんな状況に立たせたんだ?」


 俺は紙切れをドクターに向けて問い詰める。眼鏡の奥の方から見つめてくる眼差しは冷たさと不可解さの二つを混じらせていた。不気味な笑みを俺に向けてから、本物のピエロのような形相で答えた。


「まあまあ、いったん落ち着いてさぁ。そんな一気に質問されても詰問されても、私は一人。同時に答えるなんてことできないからねえ」


「いいから早く答えろ。こいつはいったいどういうことだ?」


 だが俺は穏やかに、焦らず待つことは出来なかった。とにかくあの少女の行方が知りたくてしょうがなかったのだ。


「その紙のことかい?そんなの紙に書いてある通りのことだよ、『ありがとね、感謝感謝52233272くんへ』ってネ」


「おい。デタラメに答えると感情の向きをテメェに傾けるぞ」


「そんなことしたら君の方が立場が危うくなるというのに、すごいこというねえキミは。でもいいよ、いつものキミの行動に免じて答えてあげましょうかな」


 そう言うとドクターは白髪の中から手のひらサイズのタブレット端末を取り出した。動作を確認してから準備を終えたらしいドクターは俺にタブレット画面を見せつけた。


「この少女の事でしょ?この子はキミと同じエモーショナーだよ?君さーー三人も腹部に刺突するとか止めてくれない?ひとりでも証拠隠蔽するの大変なのにさ、ねえ分かる?この大変さ分かる?」


 脳内の認識機構が複雑に絡み合い、あの公園、少女と遭遇した時の瞬間へと意識が飛ばされる。男三人に囲まれていた年端もいかない10歳の少女。特に関係も、助ける義理も動機も理由もないはずだったのに、救っていた。


「あいつがエモーショナー……?そんなことがあるわけがない」


「私もそう思ったさーー誰に対しても52233272を抱くキミが、まさかを救うなんてね」


 俺自身、どうしてあんな行動を取ったのか未だに分からない。自分の行動理念と真逆だったのだ、壊して治される、俺は壊す方のはずだったのだから。


「あのまま放置していたらあいつは一体どうなっていたんだ……?」


 ドクターは顔色一つ変えずに答えた。


「キミの予想通りの結末になっただろーねぇ、あ、脳内を探るんじゃなくて言葉にしたほうがいいかな?そのまま連れ去られて……」


「止めろ」


 俺は声を荒らげた。他人に考えていることが知られたからではない、知られたうえで何食わぬ顔をしている奴の気が知れなかったからだ。


「それ以上口にするな、たとえお前らでもやっていいこととそうでないことぐらい見極めろ」


「キミがそこまで言うのならお言葉に甘えてストップシンキングーー、止めておくよ」


 平然とした風貌で俺を眺めてくるこの白髪眼鏡はいつになっても恨みがましく感じる。


「それであいつはいったいどんなタイプなんだ?エモーショナー同類と呼ばれるんなら感情の一つぐらい虐げられてるんだろ」


「まった虐げられてるなんて言い方をーー。いくら成分が強いとはいえ、私黙認できないぞぃ」


「で、感情のベクトルはと……」


 ドクターは再度タブレットに目を落とすと、再び俺には理解できないような笑みを差し向けてこういった。


「キミとは真逆だネ」


「そいつはなんだ?勿体ぶるんじゃねえ、早く教えろ」


 赤の他人を目の敵にするような俺がどうして自分からその赤の他人を救おうと思ったのか。俺は少しだけ理解出来たような気がした。


ヤサシサ81313231だ」



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