俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。
117.淡い過去と甘い終夏
灼熱とまではいかないものの、直射日光を浴びながら歩いているとじわりと汗がにじんでくる。午後2時という真夏でも最熱時刻であるにも関わらず汗が染みだすだけで済むのはこの街では良い方だ。時として稀にふんわりとした優しいそよ風が頬を拭うのも心地よい。どこか木陰にでも腰を下ろし体を伸ばしたいものだ。さぞかし全身の疲れを癒してくれるだろう。
「ふん。なんで店まで来て早々門前払いされなきゃならないわけ?」
そんな俺の切望も門前払いだ、この女、水無月桜が隣にいる限り。
「仕方ないだろ?店の入り口で堂々と話し込んでたんだ。しかも大ボリュームで。そりゃあ店主も厄介払いしたくなる」
「ふん。これでも私は一応の作家よ」
「そんなの関係ないだろーーが……」
商店街に沿いながら最寄り駅がある方へ向かっている。市営図書館に訪れた時のようだ。違うのは日の位置だけ。あの時は太陽が傾き黄昏時だったが、今は頭上高く昇っている。
「そういえば、この道を通るのは図書館へ行った時以来だな」
ふらふら何処へ向かうか目的を決めるまでもなく歩き続ける。
「そうね。あの時は目的があってこうして歩いていたけれど、そういえば今日みたいにフリーで会うのは初めてかしら」
「今まで小説のことやら部活のことやらで忙しかったからな。こうして暇な時間が出来たのもいつぶりか分からないほどだ」
「入学式から文芸部の仕事が入ったものね」
夏休みであるというのに夏休みらしい休日を送ったのは今日が1日目のような気がする。もう終わってしまうのだが。
「ああ!!あの時はいきなり『新聞を作れ』なんて言われて驚いたもなにも、何を言っているのかてんで理解出来なかったよ」
後から分かったがその「新聞」を作らずに投げ出していたら、俺の小説も出版せずに打ち切りになっていたとは理事長おそるべし。
「その件は……ごめんなさい。理事長のせいで迷惑をかけてしまったわ」
さっきまでの威勢の良い姿はどこにもなく、しゅんとして気弱な表情の水無月。無論、彼女がそういったリアクションを取るーーつまり俺に対して申し訳なさを露わにする理由は知っている。
理事長が自分の母親だから。そして何よりも自分が、そのことを事前に知っていたからこそ。
だが、俺から見ればそんなこと知ったこっちゃない。
「別に気にすることはねーーよ。前も言ったろ?その話がなかったらそもそもの話、俺は作品を世に出す機会すら与えられなかったんだ。そこんところは本当に感謝してるよ」
「それに水無月が編集者、神無月が作画担当なんてそんな旨い話。そうはないだろ?」
「同級生が自分の作品に携わってくれるなんて、俺はもうこれ以上のない幸せもんだ」
「そう言ってくれるなら……私としては言うことは無いけれど……」
「しかも水無月の作品をサポートできるんだ」
そう言いながら笑みを溢しつつ、水無月の方へ目をやる。やはり表情はかたく俯いている。
「…………………」
数秒の沈黙を経た後。
「そういうところだ」
突飛的に、咄嗟に、声が出ていた。
対して水無月はというと、一体何を指摘されたのかまるで意表をつかれた表情をしていた。
「そういうところって……?」
「だーーかーーら、あんたの悪い癖のことだ」
して、俺は書店の時の二の舞にならないように、声量を落として答えた。
「自分の役目というか、やらなきゃならない責務みたいなものをやり通そうとするのは素晴らしいこった…………んだが」
「たとえそれが出来ない時があったとしても、ずっと長い間気負うことはないんだよ」
「作家である俺が『新聞』を作らなければ作家でなくなる。そんな状況にしてしまったことをいくら悔やんでも、悩んでも、終わった話を掘り返したって何も生まれやしない」
「そうだけど……」と水無月は声をあげる。
「そうだけれど、過ちを繰り返さないために何度も後悔するのは悪いことではないでしょう……?」
俺は何の躊躇も同意もせず、即答した。
「悪い」
「何度も、何度も過去の出来事に憑りつかれて、先に進もうとしないのなら、悪いことだ。そいつは過去の教訓から学んでいるんじゃなく、過ちを犯しているだけだ。何度も、何度も、同じ過ちを」
らしくない。今の水無月は脆さしかない。普段のような強靭で、傲慢で、高潔で、それでいて尊敬する姿じゃない。
そんなのは本当の水無月桜じゃない。
「たとえ間違いをしたっていい、完璧な人間なんてこの世界にはいないんだ。必ず人には抜け目があって、それを誰かが埋める。それが人間だ。だから人の間って書くんだろ?」
「そうね……後半はちょっとばかり何を言いたかったのか分からなかったけれど、あなたが言いたいことの大部分は理解したわ」
「っ!!そういうところだ。それでこそ水無月だ」
「ごめんなさい、それも理解の範疇を超えているわ。勝手にイメージを付けられても……」
「ああ、はいはい。分かりました分かりましたって。ったく調子を取り戻したと思いきや、すぐさまこれなんだからよ」
「何か言ったかしら?」
知らないうちに水無月は強張った左手を掲げている。
「言ってないからその今にも振りかざそうとする左のこぶしを戻してはくれませんかね」
「あら。意外に読みがあたったようね」
と、水無月は力をふんだんに込めている左手、左こぶしをそっと下した。まったく、面倒な性格な編集者だ。自分から悩みに触れて、それでいてこっちが宥めようとしたら形勢逆転、こちらが不利な状況に立たされるとは。
「でも。少し……いえ、読みはまったくと言っていいほど合ってないわね」
水無月は薄らげに奇妙な笑みを浮かべた。そして自身の左手を再び宙に舞い上がらせた。
まさか、武力行使にくるのか。確かに攻撃するのなら時間差でやってくるのは定石だ。俺は瞬時に拳をガードしようと同じく右腕を上げようとした時。
右腕には物理的な痛みを感じなかった。
その代わりに、ふわっとして、小柄で、覆ってしまうほどの大きさの感触が掌に感じた。
掌の感触を確かめるべく視線を自分の右手に移すと、
「感謝するわ。ありがとう」
俺の掌に握られていたのは、彼女の、水無月桜の左手だった。
「ふん。なんで店まで来て早々門前払いされなきゃならないわけ?」
そんな俺の切望も門前払いだ、この女、水無月桜が隣にいる限り。
「仕方ないだろ?店の入り口で堂々と話し込んでたんだ。しかも大ボリュームで。そりゃあ店主も厄介払いしたくなる」
「ふん。これでも私は一応の作家よ」
「そんなの関係ないだろーーが……」
商店街に沿いながら最寄り駅がある方へ向かっている。市営図書館に訪れた時のようだ。違うのは日の位置だけ。あの時は太陽が傾き黄昏時だったが、今は頭上高く昇っている。
「そういえば、この道を通るのは図書館へ行った時以来だな」
ふらふら何処へ向かうか目的を決めるまでもなく歩き続ける。
「そうね。あの時は目的があってこうして歩いていたけれど、そういえば今日みたいにフリーで会うのは初めてかしら」
「今まで小説のことやら部活のことやらで忙しかったからな。こうして暇な時間が出来たのもいつぶりか分からないほどだ」
「入学式から文芸部の仕事が入ったものね」
夏休みであるというのに夏休みらしい休日を送ったのは今日が1日目のような気がする。もう終わってしまうのだが。
「ああ!!あの時はいきなり『新聞を作れ』なんて言われて驚いたもなにも、何を言っているのかてんで理解出来なかったよ」
後から分かったがその「新聞」を作らずに投げ出していたら、俺の小説も出版せずに打ち切りになっていたとは理事長おそるべし。
「その件は……ごめんなさい。理事長のせいで迷惑をかけてしまったわ」
さっきまでの威勢の良い姿はどこにもなく、しゅんとして気弱な表情の水無月。無論、彼女がそういったリアクションを取るーーつまり俺に対して申し訳なさを露わにする理由は知っている。
理事長が自分の母親だから。そして何よりも自分が、そのことを事前に知っていたからこそ。
だが、俺から見ればそんなこと知ったこっちゃない。
「別に気にすることはねーーよ。前も言ったろ?その話がなかったらそもそもの話、俺は作品を世に出す機会すら与えられなかったんだ。そこんところは本当に感謝してるよ」
「それに水無月が編集者、神無月が作画担当なんてそんな旨い話。そうはないだろ?」
「同級生が自分の作品に携わってくれるなんて、俺はもうこれ以上のない幸せもんだ」
「そう言ってくれるなら……私としては言うことは無いけれど……」
「しかも水無月の作品をサポートできるんだ」
そう言いながら笑みを溢しつつ、水無月の方へ目をやる。やはり表情はかたく俯いている。
「…………………」
数秒の沈黙を経た後。
「そういうところだ」
突飛的に、咄嗟に、声が出ていた。
対して水無月はというと、一体何を指摘されたのかまるで意表をつかれた表情をしていた。
「そういうところって……?」
「だーーかーーら、あんたの悪い癖のことだ」
して、俺は書店の時の二の舞にならないように、声量を落として答えた。
「自分の役目というか、やらなきゃならない責務みたいなものをやり通そうとするのは素晴らしいこった…………んだが」
「たとえそれが出来ない時があったとしても、ずっと長い間気負うことはないんだよ」
「作家である俺が『新聞』を作らなければ作家でなくなる。そんな状況にしてしまったことをいくら悔やんでも、悩んでも、終わった話を掘り返したって何も生まれやしない」
「そうだけど……」と水無月は声をあげる。
「そうだけれど、過ちを繰り返さないために何度も後悔するのは悪いことではないでしょう……?」
俺は何の躊躇も同意もせず、即答した。
「悪い」
「何度も、何度も過去の出来事に憑りつかれて、先に進もうとしないのなら、悪いことだ。そいつは過去の教訓から学んでいるんじゃなく、過ちを犯しているだけだ。何度も、何度も、同じ過ちを」
らしくない。今の水無月は脆さしかない。普段のような強靭で、傲慢で、高潔で、それでいて尊敬する姿じゃない。
そんなのは本当の水無月桜じゃない。
「たとえ間違いをしたっていい、完璧な人間なんてこの世界にはいないんだ。必ず人には抜け目があって、それを誰かが埋める。それが人間だ。だから人の間って書くんだろ?」
「そうね……後半はちょっとばかり何を言いたかったのか分からなかったけれど、あなたが言いたいことの大部分は理解したわ」
「っ!!そういうところだ。それでこそ水無月だ」
「ごめんなさい、それも理解の範疇を超えているわ。勝手にイメージを付けられても……」
「ああ、はいはい。分かりました分かりましたって。ったく調子を取り戻したと思いきや、すぐさまこれなんだからよ」
「何か言ったかしら?」
知らないうちに水無月は強張った左手を掲げている。
「言ってないからその今にも振りかざそうとする左のこぶしを戻してはくれませんかね」
「あら。意外に読みがあたったようね」
と、水無月は力をふんだんに込めている左手、左こぶしをそっと下した。まったく、面倒な性格な編集者だ。自分から悩みに触れて、それでいてこっちが宥めようとしたら形勢逆転、こちらが不利な状況に立たされるとは。
「でも。少し……いえ、読みはまったくと言っていいほど合ってないわね」
水無月は薄らげに奇妙な笑みを浮かべた。そして自身の左手を再び宙に舞い上がらせた。
まさか、武力行使にくるのか。確かに攻撃するのなら時間差でやってくるのは定石だ。俺は瞬時に拳をガードしようと同じく右腕を上げようとした時。
右腕には物理的な痛みを感じなかった。
その代わりに、ふわっとして、小柄で、覆ってしまうほどの大きさの感触が掌に感じた。
掌の感触を確かめるべく視線を自分の右手に移すと、
「感謝するわ。ありがとう」
俺の掌に握られていたのは、彼女の、水無月桜の左手だった。
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