俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

111.発つ倉鼠跡を残さず~掛依真珠の真意~

 今は懐かしき図書館脇の屋外連絡通路。校舎内を通らなくても、図書館内を通らなくとも移動できる臨時手段。四階であるこの通路から覗く光景は季節に応じて変化する。今は、緑一色田園風景が広がっていた。


 俺の担当編集者が水無月だと発覚した頃は、何度もここである人物と落ち合っていた。


 面倒な揉め事の原因となった人物であり、喫茶店で俺に奢らせようとした異端の人間。教室ではまるでハムスターのような愛玩動物に化け、一人こうして通路にて耽る時は真の顔を顕わにする。




「久しぶりですね。掛依先生」




 掛依真珠ーー俺のクラス担任であり、水無月桜の前担当編集者。そして理事長、水無月雅美と近しい人物。今ではなぜ、ただのクラス担任が、普通ではないほど高校の理事長と接しているのか、よく分かる。




「その顔は、もうすでにオレの経歴もろとも全部知っているって感じだな」




 「いい顔じゃねえか」と煙草を吹かすわけでもなく、飄々ひょうひょうとした表情で独りごちる。




「だが、憐れみはよせよ。もうあの頃のことは忘れたんだ。それに、自分が受けもつ生徒からそんなことされちゃあ、オレの立場ってもんが無くなる」


「憐れむわけ、ないじゃないですか」




 俺はそう一言告げると、無慈悲に聞こえたのだろうか、一瞬だけ顔を強張らせた。




「なかなかにパンチの効いたこと言ってくれるな、抵抗はしないが」


「あなたが何をしようと俺は憐れまない、いくら同情したところで何も生まれはしませんからね……ですが、もし俺があなたの立場だったらきっとあなたのようには生きていけませんよ」


「……それってやっぱり同情なんじゃないのか?」


「そんなわけないですよ。これはif、つまり同情なんてものじゃなく、ただの仮定、仮初かりそめに過ぎない。だって今こうして先生の隣で立っていても何も感情が浮かばないんですから」




 「ひでえやつだな」と言った掛依の顔には、わずかばかりの笑みが含まれていた。それは「偽」でも「仮面」でもない顔。


 掛依真珠。水無月桜という生徒を受け持つクラス担任であり、そして彼女の編集者でもあった。秘めたる才能を持っていた水無月の担当となったことで、周囲の人間から、特に他の編集者から疎まれ、追い出された人間。


 世間上では水無月自身が断ったと報道されている。編集者としての掛依を作家自身が拒絶したとなっているが、そうではない。これ以上、ヘイトが自分の担当に集中しないようにといった、防衛策だったのだ。




「だがな。オレとしても受けて当たり前の運命だったんだろう。あの作家を受け持ったのはではなかったんだから」


「どういうことです?普通、新しい作家を担当する時は自分で探すのが普通だと思うんですけど。まさか、新人賞に受賞したんですか?水無月が?」




 俺は一度も水無月のデビューについての話を聞いたことが無かった。




「その二つとも違うな。オレが探したんじゃなく、彼女が探した人物をオレに当てたんだよ」


「何にも考えは無く、ただこの人につけって感じでな。それだけだ。おっと、これ以上は言えないぜ、何せオレはもう教員なんだしな。もう管轄外だ」




 そう言うと、再び口元から笑みを溢す。その淡くて、新鮮な顔はやはり「まこっち」と愛嬌よい彼女とは似ても似つかない。




「そういえば一つだけ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」


「ああ、担任に言ってダメなことなんて何一つないぜ?だからよ、一つとは言わずどんどん聞いてくれ。だか、さっきの話に関連することは無理だからな。これは大人の事情ってやつが入ってくるからよ」




 「まこっち」という柔和な先生の顔がありながら、今こうして語る姿には男らしい一面も兼ね備えている。




「なぜ、キャラ造りなんてしているんです?」




「率直だな!!」と掛依は一言吐くと、真剣さを装うように、緑広がる田園に視線を落とした。


 自分の過去を回想するのはあまり好きじゃない。きっと俺にとって嫌な思い出ばかりで楽しい思い出なんて全然浮かんでこないはずだからだ。


 だが、




「オレにとっては、これは一種の誓いみたいなもんなんだよ」 




 と、視線を一切変えずに言い放った。




「明るい要素なんて何一つない人生の中で、見出した分岐ルートの一つ。いつまで経っても変わらない人生を変えたかったオレの末路」


「いやあ、昔の自分を知っている人物が増えただけで、恥ずかしいったらありゃしないのによ。これで十分か?なんだかんだ言ってオレとしても嫌なことなんていくらでもあるんだぜ?」




 生徒よりも身長が低くて「可愛い娘」というマスコットキャラクターを演じている先生は、実のところ、もっと面倒な人物で、誰よりも格好良い人間。




「以上ですよ。質問に答えてくれてありがとうございました。先生」


「どういたしまして。っと、そういえば忘れてたんだが、あの時、そうだな、オレにこの学校について知っていることを聞いた時のことだ」


「新聞作りでインタビューとかしていた時期ですかね?」


「ああそんときだ。あの時、オレは確かお前に、この高校の噂があるって言ったよな」




 そんなことがあったかと、はてさて半信半疑ではあるが、そんなことを言っていたような覚えがないこともない。この高校の地図がどうたらこうたらとか(054話)……




「それ、嘘だ」


「何でいまさら……ってか、どうして嘘なんてついたんです?」




 「いやーー」と後ろ髪を右手で掻く掛依は捨て台詞を言うように、俺に背を向ける。




「ついていい嘘とついたらダメな嘘があるってことだよ」




 と、実際にリアルに具現化させながら、掛依は通路を後にしたのだった。

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