俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

100.明かされなかった真実

 なぜ俺と神無月の二人しかいないこの状況に、由井香はエントランスから現れたのか。そんな疑問だけがこの場に留まっていた。同時として、その訳というか、仕組んだ本人の意図を神無月は汲み取ったのだと瞬時に俺は分かってしまった。


 唇を噛み締め、自分の着ているブラウスの下腹部辺りをぐっと握りしめた神無月の姿から察するに、何か思い詰めていることがあるのだろう。口角が上がっているか否か、なんてことを考えるまでもなく、彼女自身がそう物語っていたのだ。悩むというよりか、苦しみに苛まれているように、俺には少なくとも見えた。




 どうしたんだ、とか、何か悩みでもあるのか、なんて学校の相談室にいるカウンセラーのように訊くことは、問うことは、俺には憚られた。というのも自分から話すべきではないという自制があったためだ。星を鑑賞したときは、俺から会話というか、率直な疑問を投げかけたーー何をそこまで思いつめているのか、と。


 だが、今というよりも、今回ばかりは違う。


 経験則であるのならば、それは失敗としての経験則であるのだが、俺はとにかく話しかけてはならないという思いが強かった。それは自分から話しかけるというコミュニケーションの向上の為などではない。


 かといって全くそうでないとは言えない。自分の想いを形にする、なんて創作者は一丁前に、あたかもプロ意識を持っている風に口にすることはよく見られるが、それもそれで虚言を吐いているわけではない。




 偉そうなことを語っていると思ってしまうかもしれない。だから、そんな態度なんか取っていないと俺自身も言えないのだ。そんな上から目線で語っているくせに書籍化だってしていないじゃないか、と責められても何も反論出来ないことは重々承知である。重々承知であるからこそだ。


 こんなにも語りやすく、整った条件はこれ以上に無いのではないかと俺はむしろ自負してしまうだろう。肩書きなんて何もないからこそ、俺は対等に神無月茜と喋ることが可能になるのだ。




 具体的には喋る、というよりも喋りだすことを待っている、との方が正しいが。




 由井先輩が立ち去って数分が経過すると、ただ一点、地面のアスファルトに焦点を合わして立ち尽くしていた神無月は一言だけ溢した。




「マガト……話があるんだけど」




 と、これまでに一度たりとも聞いたことが無かった重圧と、圧迫感に満ち満ちた声で訊いてきたのだった。










 店内は荘厳としたシャンデリアが天井から吊らされていて数本で一塊となった蝋台が至る所の壁とやらに立てかけてある。内壁は基本的にレンガのようで、それこそイタリアのフィレンツェあたりの建物の中にいるのではないかというぐらい。


 膝丈ほどの高さの丸テーブルを二つの一人用ソファが囲むような配置、まさに喫茶店の理想郷のようだ。店内に流れる曲も何となく知っているような聞き覚えのある年代モノの曲ばかりで、やけにレトロ感を促している。


 それに店の外装もまたレンガで作られていて、店外にはメニュー用の少し古くなった食品サンプルが置かれているところがさらに大衆的であるかのように魅せる。だが喫茶店がこの雑居ビルの二階であるからして、残された一階は利便性を追求した国民の所業の為か、コンビニエンスストアに成り果てていた。それが数少ない玉に瑕である要素であろう。


 と、俺が抱いた店の印象はこれぐらいで、現在、神無月と二人で訪れたこの場所は美術館から歩いて10分もかからないところにある喫茶店。どうしてこんな場所に立ち寄ったのか、というより何故話す場所をここにしたのかは選んだ、提案した神無月茜自身しか知り得ないのだが、問う必要などあるまい。


 それに喫茶店に来て話すというのは、必ず何かが起こるという予兆の表れでもあり、証拠でもあり、フラグでもあり、と何でもありのような聖地みたいなもので、どうして、なんてことを聞くのは蛇足だと思ったのだ。


『きっと神無月の異変は俺にも関係があるはずだ』


 不思議とそんな予感ばかりしていた。




 窓脇、丸テーブルを囲むように対を成すソファに俺と神無月は座ると、徐に自ら悩みを告白するように神無月は一人語りを始める。




「……本当にごめんなさい。マガトには、いえ先生には迷惑をかけるつもりなんて無かったの。けど……」




 時が、流れがそうさせたようだった。彼女の口ぶりに加え、対面する俺ではなく、そっぽを向くように窓へ送る視線を見るだけで事の状態を理解するには容易かった。目は口ほどに物を言う、まさにそれだ。


 だとして、俺が、俺なんかが励ます言葉を送ったほうが良いのか、大丈夫、心配するな俺が何とかしてやる、なんて無責任なことを言った方が神無月の為なのか。俺は彼女の次に発する言葉を頼りに決めることにした。




「…………ごめんなさい……」




 何度言おうとしても、伝えようとしても、取り残された思いに足を引っ張られるように、その一言しか神無月は口にしなかった。理由を話すことさえもまるで憚られるように、まるでそれほどの重罪を犯してしまったかのように。


 だが、そんなことは絶対にありえないと信じている俺が座りつつ、一つだけ言った。




「神無月は……謝らなくていい」


「何をしても、たとえ俺に危害があるとしても、自分だけで思いつめようとするな」




 ただ、それだけ、それっぽちの一言しか俺には目の前の今にも崩れそうになる彼女には言えなかった。


 それは無理もない話だ、なんて自分には非が無いと卑怯にも心で抱いている自分がいるのは分かっていた。だが、それを知っていて俺はその一言を神無月に押し付けたのだ。




 捌け口を失った神無月はまるで水を注ぐのを止められないかのように、コップから水を溢れさせるように言葉を吐き出した。




「でも、それでも私は先生に酷いことを、もっといえば裏切り行為を……」


「そうだよ……今の今まで一緒に、こうやって創作活動をしてきたのに、それを全てひっくり返そうとすることを……私はしたんだ」


 そう呼吸を荒らくしながら語り、今度は自身のフリルを握っている姿を見ると、事の重大性がより鮮明になってくる。さっきは神無月が俺に何をしようと「構わない」という意思で答えたわけだが、俺自身、一体何が起きたのか、知らなくてはならないはずだ。




ーー逃げてはならないーー




「それでもかまわない。俺が神無月から卑怯なことをされても、かまわない。だから何が起きたのか、それだけでも……教えてくれないか?」


 俯いていた顔を俺の催促によってひとつ上げると、再度視線を逸らし、自分のショルダーバッグからスマートフォンを取り出した。虚ろ気な表情は何一つ変えずに、人差し指でスクロールしたと思いきや、その指を止める。


 神無月は、そのまま画面から指先を離すことなく、数秒見つめると、




「これなんだ……」




 と俺の視線の先に入るようにゆっくりと回転するように画面を傾け、そして俺も神無月のスマートフォンを受け取った。




 画面に映されていたのはとあるメールだった。




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To:出雲流様


件名:弊社より貴方様への作品依頼(株式会社文徳社)


本文:


 この度突然のご連絡失礼いたします。


 株式会社文徳社ヒカリレーベル文庫編集部の水無月雅美と申します。貴方様の作品をサイトで拝見させていただきましたところ、是非弊社のお力添えになっていただけないかと思い、連絡させていただきました。詳細に申しますと、早苗月亮という方の小説にファンアートとして描かれた作品です。


 よろしければ、御一考のほどよろしくお願い致します。




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 手渡されたメールに目を通すと俺は顔を上げた。しかめっ面だろうか。いやしかめっ面だろうな。少なくとも神無月桜が、前々から水無月が編集者として在籍する、ヒカリレーベル文庫とコンタクトがあること自体、俺にはまったくもって初耳だった。


 しかも俺が通う高校の理事長水無月雅美が編集部の人間であることにもだが。まあ、当然ながら何故このことを早くから伝えてくれなかったのか、という神無月にとって些細で俺には重大な疑問が残っているのだが。


 だといってしつこく問い詰めるのも過ぎたことに油をまた差すことのようであまりしたくはない。




「それで、このメールの内容のどこが俺に対する裏切り行為なんだ?隠し事をしていることがまさか、悪いだと思って謝ったんじゃないだろ?」




 確かに、神無月茜が出雲流であり、隠れながらイラストレーターであったことは追求するまでもない。いやたとえしてしまったら、俺が小説家であることを隠していたことも謝らなくてはならない。別に謝りたくはないのではない、もうこれ以上掘り起こしたくないだけだ。


 さらに、普通に考えれば秘密事を抱えているなんて人には当たり前の話だ。自分の内に秘めた思いがある、なんてよく聞くし、逆に無い方が尊敬する。


 しかし、神無月は相も変わらず苦渋を帯びた表情をしていた。問題はまだ解決していないと思われたその時、どうやらメールはまだ続いていたらしい。不意に画面に触れていた指先が上にスクロールし、神無月が返信したものであった。




 作品依頼というのは一体何をするのか、早苗月亮が執筆した小説の為に描くのか、と。まるで意欲に満ち溢れた言葉で、子供心が溢れかえるほどの鮮やかさが少なくとも俺には、神無月が書いたメールの本文からは感じ取れた。


 というのも俺も打診が来た時の、夢心地でいた童心を思い出して、より神無月の喜びが見受けられたのだ。


 だが、俺がもっとも感嘆……ではない、驚嘆させられたのは、嬉しさ込み上げる神無月に対する無慈悲な返答だった。




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To:出雲流様


件名:弊社より貴方様への作品依頼(株式会社文徳社)


本文:


 貴重なご質問感謝申し上げます。


 さて弊社のお力添えと先ほどは申しましたが、具体的に申しますと早苗月亮という方の作品に実際にお使いいただけないかとのことです。恐縮ですが、取りまとめると、貴方様のイラストをそのまま出版物とさせていただきたいのです。よろしければ、こちらとしても作品に関わっていただけると嬉しい限りでございます。


 しかし、申し上げにくいのですが、それ以外は検討する予定ではないということです。もし、あなた様のイラストを出版させるのなら早苗月先生の作品に限るということでして……弊社の都合を押し付けるようになってしまい本当に申し訳ありませんが、どうかご理解頂けると幸いでございます。


 それでは良いお返事をお待ちしております。


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 あまりにも現実的で、変えようがない実態で、まさしく非情で。




 なんとも無責任なことこの上ない、と俺は直感でそう思ったのだった。





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