俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

097.「あざとさ」には必ず理由があり、許容しなくてはならない

 まさかと同時に良かったと心の底で感じている。


 周囲に人がいる状況で、つまりは外出中に、呼ぶことに躊躇しないあだ名を決めなくてはならないということがどんなに苦難だったか。


 まぁ、単純明快に「茜」でも良かったのだろうが、それでは距離が急に近くなって気まずいったらありゃしない。慣れている人間ならばそんなことは容易く成せる技というのだろうが、俺には不向きであることは誰よりも自分が知っている。


 しかし本当にまさか出雲で通じるとは……とそこまで驚嘆するわけでもない。


 というか出雲という名前が脳裏に浮かび上がるのは必然的であっただろう。だから聞いたのである、何故思いつかなかったのか、気付くはずだった答えに。




「最近、ネット小説は読まないのか?」


「うーーん、そうだね、ここんところは作画関係で忙しいしあまり読んでないよ」




 決まった、なるほど神無月……ではなく出雲が「出雲」という名前に引っかからないわけだ。あいつのネット上のハンドルネームが「出雲流」であるのに、自分で決めた名前だというのに、気付かないというのは、余程多忙であることの顕れなのだろう。ならば、なぜ俺と二人でこの場所に来たのか、と訊いてみるとなんと息抜きのため、だなんて返答が来て呆れたものである。


 息抜きは必要であると思うが、どうして俺と?


 しかしそんなことを考える必要性はあまりないとして、さておきここまで俺と茜の二人の行く先、つまるところ目的地へと向かっている最中なのだが。


「なぁ、ここに来たってことは美術館に行きたいってことでいいんだよな」


 人工的に作られた像や植林を傍らに歩いていく中、俺は再度確認をする。駅から徒歩5分といったあたりにある美術館。夏休みであるからだろうか、美術館付近にある動物園に行くために、無我夢中で走り回る子供やその家族連れが所々にいる。その中で、道の脇にある美術館に訪れる人々の顔触れはやはり大人びている人が多いのがよく分かる。


 そこに混ざるのか。




「そうだよ!!前から気になってたんだけどいつになっても行く機会なくてさ~~、だから今日行こうって朝決めたんだ」


「朝というか夜中だけどな」




 「えへへ……」と言葉を濁すというかはぐらかす茜。今日という日を分かりやすく位置付けるのならばやはり前後関係を明らかにした方が分かりやすいのだが、決まってもいない未来の話をしても、意義が無いというわけで。実の昨日に一体何があったのかといえば、水無月桜と二人きりで図書館に行ったことが挙げられる。おお、なるほど二日連続男女二人きりで行動することになるのか。しかも女性は別の方と。


 どこのハーレム展開だよ。


 しかもそれがどうして俺が選ばれたのだ?この冴えない、魅惑的でもない人間の俺が?どうして?


 と、悩み考えてもさらに悩みの種が生まれそうだ。ちょうど目の前に話の種が降ってきたのだし、俺はそこに注目を移すことにした。


「ここで券を購入して入館するんだな」


 そうして入場券を二枚購入してから、俺と茜はとある美術館へと足を踏み入れることにした。


 美術館、正式名称は西洋建築美術館とされていて名前の通り建築技術とやらをアートに結び付けた博物館のようである。外形は家の付近にある図書館(水無月と訪れた)とさほど変わらず、あちらの場合は縦に長い長方形で、こちらは横に伸びる長方形、と表現したらよいか。美術館があるこの場所は俺が住んでいる街から50kmほど離れーーということで電車でここまできたというわけだが、さらに言えば国の中心部とされている。


 つまりーー俺は東京都にいるわけだ。


 田園風景が広がる中、点々と存在する街に住んでいた、生きていた俺や神無月にとって都会というワードは近くにあっても身近だとは感じ難かった。ちょうど隣人と長い付き合いでいるのにそこまで距離が近くないのと同じである。


 要するに俺たちが住んでいる地域からは程遠いということで(神無月の自宅は知らないが)、知り合いに出会う可能性が少なくなる。それが安直にも素直に、有難かった。だからその辺はこの、隣でたたずんでいる神無月茜には感謝している。


「なんか今日はイベント展示してないんだってさーー残念だねマガト」


 ガラス張りのエントランスならぬ単なる自動ドアから足を踏み入れると、なんとーー美術館らしいアートが目の前に、なかった。


「ああ……そうなのか。ってそれはウェブ上にも書かれてたぞ」


 ネット上の情報を糧に想像していた美術館とは程遠く、放心状態だった。よくあるだろう、小説のカバーイラストが可愛いすぎるヒロインでそれがために中身を読まず購入してしまうようなことが。


 いやそれは少しばかり的が外れているか。


「そうだったんだーー、ま。いっか、どうせマガトが売店で何か買ってくれることだし、それでよしとしよう。うんうん」


 エントランスに踏み入れてから早速立ち止まり腕を組みながら頷く茜に俺は間髪入れずに言う。


「切り替えが速くて羨ましいことこの上ないのだが、それはさておき、なぜ俺が出雲に買わなきゃならないんだよ、何かしたか?」


 出雲ーー早急に考え出した神無月茜のあだ名、彼女自身のネット上のハンドルネーム。


 本当に言いにくい、いや名前を口にするのは、声に出すのは容易く出来るのだが、茜自身が自分の事だと自覚するまでにこう時間差があると難易度は格段に跳ね上がる。自分が何を話しているのか、言葉を発しているのか無自覚のままにするのは大層、心が痛むのだ。


 「……ん、ああっ、私か」と茜は素知らぬふりをしているかのように俺の投げかけに今更気付く。やはり止めた方がいいのだろうか。




「いーーや、ないけど。なんかマガトには買ってほしいなってさ。いや一方的に買ってもらうってことはさすがに私だってそんな図々しいことはしないよ?」


「それは俺と出雲が相互に相手の物を買うってことか?その……プレゼント交換のようなことを?」


「そうだよ?」




 「何か変なこと言った?」と疑問符を疑問符で重ねて返してきた。俺はてっきり、俺が男だから女の子に贈り物を買ってあげるのは当然の事でしょ、なんてあの編集者が言いそうなことを口にするのかと思ったのだ。ま、担任だったらそこに帰結すること間違いなしだ。




「いや、変なことは言っていないが、それは最後まで聞けばの話だ。いきなり物を買ってくれなんて言われたらまるで先輩にたかられる後輩の気分だった」


「それはそれはごめんねーー、こういう時って『言葉に語弊がありました』って言えばいいのかな」




 いきなり言葉に清廉さと律義さを含蓄させたと思いきや俺の頭の真下におろすように深く一礼をする。


「本当にごめんなさい」


 ちとオーバーすぎやしないか。


 いやなるほど、ここで俺が「いやそこまでするなって、それじゃあ俺の立場が無くなる」なんて慌てふためき、美術館内で注目の的となることをあえて狙っているとするなら。それなら。


 一度溜息をついてから落ち着きを取り戻し、




「そうかもしれないな、伝わりづらかったのは自分のせいでした、申し訳ありませんって謝罪文でも書いた方が良いんじゃないか?それが礼儀ってもんじゃないか?」


「それだけ人に何かを伝えるというのは重要的かつ肝心なことなんだ、それぐらいの罪逃れをしたらどうなんだ」と、


 まさかここまで追い打ちをかけるとは俺自身思ってもみなかった。傷口に塩を塗るどころかタバスコでも染み渡るほど強く塗りたくったかのように。


 俺は茜をこれまで以上に叩きのめしてしまった。いや勿論ここまで傷口を広げようとは微塵も思っていなかったし、それにただ「やっぱマガトって面白いね」と言わせないようにしたがためにやったことだ。


 何をそこまで俺をムキにさせたのだろうか。


「……うう……そこまで言うことないじゃんかぁ……」 


 涙腺崩壊したのは語るまでもなく、涙を瞳一杯に埋め尽くしていることに加え、口を摘まみ上げたかのようにつんのめらしている。頬は皮膚一杯に伸びるように膨らませ、うるうるとした眼差しがより子供っぽさを矜持させる。


 子供らしさが頭に浮かんだのはきっとこれだけではないだろう。何故か、それは彼女の両手がそれを示している。


「いっでででで!!」


 連続する悲鳴の声主は茜ではなく、俺である。茜の両手は俺のシャツの下部を握りしめ、そして一気に地球の中心へと引っ張ったのだ。シャツに首を通しているのでさらに上から引っ張られるように感じるし、痛みよりも、


「止めろ止めてくれ俺の服が伸びる、伸びたら元に戻らなくなる!!」


 俺は現在着用中、上半身の服装が駄目になることがもっとも危惧していた。


 この期に及んで現状況コーデを説明するならば、Tシャツに短パンなどでは絶対になく、上半身は無地白色のTシャツの上に紺色のギンガムチェックのシャツを羽織り、ボタンはせずに前を全開放、まさに羽織るだけ。さらに下半身は安定のジーパン。珍しく俺はコーデに気合を入れていたのである。


 ところで、だったらどうして水無月との夏祭りに行くときには甚平やら浴衣を着ることなく半袖短パンだったのか。何も相手を判断してこの人と行くときはラフな格好で、あの人ならフォーマルに、などと変えているわけじゃない。


 なら何がもととなり、いうならばなぜ服装をいちいち切り替えているのか、その原因とは。


ーー場所であるーー


 夏祭りならば地元に近い、この美術館なら都会チックに、つまりは周囲の人間から浮かれないようにするためだ。もし変な格好で徘徊していたら誰かに目を付けられるかもしれないし、そんな面倒事には巻き込まれたくはない。


 面倒事、もう巻き込まれているような気もするが、考え方の差異ってやつだ。俺は今ここにいる理由は取材のためだとすれば、面倒事では決してなくなる。


 いやしかし、服装を環境に合わせて変えるというのかいささか無理がある解釈であるが…………


 それに、神無月は袖なしの黒いブラウスに白いフリルスカートとラフな格好であるし……まあ、悪くないけど……


「ハイハイ、嘘だから、な。真に受けるなって冗談だよ出雲……」


 それでもぶんぶんと振り回す両腕を止めない茜、聞き入れない駄々っ子……とまではいかないが、大人っぽさがあるとは到底言えるわけがない。


 だからといってここは美術館内、このまま放っておいておけるはずがない。ので、俺は何とも単純で分かりやすく、考えが愚直にも思えてしまう、そんな一言を発した。いや、自然と発してしまったのだろう。


 「茜」と一言。今度は俺が強く肩を揺さぶりながら呼びかけた。


 なぜあだ名ではなく本名を呼べば物事が解決するのだろうとしたのか、自分で導き出した結論に赤面しそうになる。


「どうしたのマガト。そんなに顔を赤くしてさ」


 遅かった。


 というか、切り替えが速すぎないか。あんなに童気一杯でわらではなく俺にーー特にシャツに、すがっていたのにも関わらず俺が名前を呼んだら一変するとは物語でも創作物フィクションでもない限り起こらないのではないか。


 まさか現実で見られるとは、いい経験となった。


ーー完ーー


 で終わらせられるか!!


 いや確かに俺から悪戯するのは初めてだ。悪の戯れ、茜が悪になったこととなるのなら今までの戯れもただの戯れ、一興となるのだろうが、うん……悪戯だとしておこう。と、そんなことは彼女が俺にからかいをしてきたこと自体は変わらぬというもので、つまりは戸惑っている。


「赤くしてない、ただ館内が外と変わらない温度で暑いだけだ」


 困惑した俺はあからさまに落ち着きを失っていると言っているかのように、ありったけの嘘をついてしまった。逆効果ではないか、もう遅いが。


「ならいいや、今回は私の負けってことで」


 さらっと流すように俺への疑心暗鬼も掻き消した茜。って勝負だったのかこれは。


「負けってことは、今までの動きは全て演技だったのか……?」


 呆れてしまう。俺を焦燥感に駆らせるためだけに涙を溢し、両手両腕を力いっぱいにふるったのか。何というか、どこか抜けているというよりは、ずば抜けているようだ。


 だが、少しだけ前屈みをしながら顔を傾けてこちらを眺めている表情に加え、


「さあーーそれはどうかなぁーー?」 


 と微笑混じりに答える姿を見るとやはりいつものように、慣習であるかのようになったあの言葉を連想さぜるを得ない。


「このあざといやつが……」


と。



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