俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

089.ゴールへの道筋

 ほんの少し前に時雨が向かった先ーー商店街へと向かう俺と水無月。


 どうしてこうなったのでしょうかね。たった10分も作業していないですが平気なんですかね。




「全てあなたのせいよ。有らぬ、至らぬ妄想をしてばかりで捗らない作業をしていたら何も生まれないわ」


「いきなり俺の考えていることを当てないでください、エスパーですか」


「そうかもしれないわね」


「反論しない!?」




 あの現実至上主義の水無月桜様が仮想的、創造的な物事が現実でも出現すると主張するとは……これは世界が崩壊するレベルではないだろうか。というのを本気で考えてしまうと馬鹿らしいを超えてもう理性が飛びそうなくらい危険性があるため、思考中断。




「んで、これから図書館に行くってわけですか?」




 「そうよ」と頷く水無月。いうまでもなく、いや言ってしまったことではあるが、機会を得て言葉を変えて言うならば、俺に加え水無月桜は徒歩で自宅近くの市営図書館へ向かうことになった。この場合の自宅というのは水無月家のことを意味しているのだが、そもそも水無月の家と俺の家は近い部類に入るので俺の自宅から徒歩で行くことも可能であるということだ。




「密室に籠って進めても、はかどらないことがあるのよ。でも、今日みたいなケースはイレギュラーだけれど」


「ホントすいません」ってこの人が意識することが少しでもあるのだろうか。いや一ミリたりともあるような気がしない。


 玄関を出て左に数分歩くと商店街が並ぶ大通りに出る。大通りを駅とは反対側に歩いていくと図書館が右手にあるといったところだ。


 そして今まさに商店街並ぶ大通りを歩いているわけだ。




「一応確認しておくけれど、これからの手順は知っているわよね?」


「手順というのはつまり、出版までの流れか?」


 「それ以外に何があるというの?」と通りの花壇に目をやりながら訊いてきたので迷いなく俺は答えた、花壇に目をやれなくなると自信ありげに答える。


「知らんっ!!」


「なら出版は取りやめかしらね」




 通りに植わっているアサガオに視線を送り続けながらさらりと怖いことを言うのは変わらないんだな。外装服装が変わっても内装中身は変化なし、と。




「ってそれだけは勘弁なんですけど……ここまで来て出版取り消しとか、もはや笑い事じゃないから」




 今までの新聞やらアシスタントやらは一体何だったんだと言いたいところだが、そうなると他人を踏み台にして自分がのし上がったように見えて嫌気が差すのでやめよう。




「嘘よ。冗談冗談。けれど自分の小説ぐらい自分で管理しなければならないのは当たり前よ」


「それは重々承知でございます……」




 口調に抑揚と余興を合い合わせたような変化が読み取れた。




「なら仕方ないわね、神ではなく目の前にいる女神に免じて話さないでもないわよ」


「ん?どこだ。その『カミサマ』ってのは?」




 敢えて文中の言葉の意味が通じないフリ、「この人は何を言っているんだ?」とのスタイルを貫き通す……返ってくる言葉はもう分かり切ったようなものだが……


 水無月は蔑むような眼差しではなく、ぷいっと視線を俺から逸らして言った。




「あーーあ、もう言いません。チャンスは一回きりでしたーー」




 だから俺はもうありきたりな定型句を言わざるを得ないことになった。




「ホントすみませんっ、分かりました。女神様に免じて、いや信じて切願いたします。どうかどうかお話をいただけないでしょうか!!」




 水無月なる女神に両手をさすりながら願いを乞う姿を過ぎ去る人々はどう見えただろうか。どうせロクなことでもなさそうだから考えないでおくのが安全策か。いやしかし、多少の犠牲を払ったことで得られた結果は悪くないものだ。




「そこまでせがむのなら仕方ないわね」


 ほら。


「出版まで行くには前段階が幾つかあるのはさすがにあなたは知っているわよね?」




 商店街で唯一の個人経営の本屋を横目に通り過ぎ去る。




「ウェブで掲載している元データを修正するだけじゃないってことは分かっているが……」


「そう。なら結構よ。まずそれが前段階なのよ。元データを編集してからが出版への道のりの第一歩であるの。それから企画会議に通してから」


「いや待て、企画会議?俺はそんなこと聞いたことも、した覚えもないぞ」




 企画会議。小説や漫画などの創作物に限らず企業やら会社で行われる仕事の一つ。用意した自分だけのアイデアをあたかも魅力溢れるものであるかのように語り、そして相手に伝える。


 無論この場合の企画会議というのは俺の小説がいかに面白いか、どこが魅力的なのかをまとめて伝えることが重要であるのだが。




「それはそうよ。もう終わったのだから」


「はっやっ!!つーかそれは原作者である俺がやるべきことなんじゃないか?何で伝えないんだよ」


「そうね……それもその通りだったのだけれど……諸事情のせいで出来なかったの」




 一体どんな事情があったのか、と疑問は浮かんだが、逆に浮かばない方がどうかしている。結果的に俺は損していないとのことで追求することは止めた。大層複雑な状況が組み合わさった産物だと、そう考えることにした。




「その後の話なのだけれど、ここからが重要だということを覚えて欲しいの。いえ、覚えなさい」


「唐突に脅迫してくるのは心臓に悪いんですけど、ってのは聞かないことにして続きをどうぞ」




 相変わらず続いている道端に咲いているアサガオに目をやり、手持ち無沙汰に掌を前後に振りながら水無月は応える。というかこう形振りだけを見る限りはたおやかな女性にしか見えない。中身は荒々しく刺々しい薔薇だが。




「付言が気に入らないのだけれど。そうね話を進めようかしら。気に入らないことは眼中に入れなければ良い話なのだし」


「改稿を進めた後は、校正をするのよ。簡単に言えば小説の中身を変えたら文字の誤りがないかどうか確かめるっていうところね」


「それはなんだ。初め、つーか今やってる編集ってのは、誰かがどうなるかーーって内容の調整で、その次の校正ってのは言葉で表した時の『どうなるか』が言いたいことと相違ないかってことか?」


「分かりづらいったらありゃしないわね。あなたの話で言うならばジュリアスヒロインが殺されるか否か決めるのが今やっている編集よ。それと校正は……問題を出した方が速いわね」




 市営図書館が200m先という看板の文字を見た刹那、問題を出してきた。




「『カトレアはジュリアスの馬鹿げた行為に爆笑した』はい、校正しなさいな」




 俺は考えるまでもなく解答。どうもこうもなくこれは前回出題された問題、メールでやり取りをした内容に含まれるものだったのだ。答えられないわけがない。




「爆笑だろ?」




 「せーいかーい」とやる気のなさそうな空気が抜けた風船のような返事。


「一人で笑うんじゃなくて多人数で一斉に笑いあげるって意味だから、この場合あまり適さない。だから爆笑を使わないことにする」


「そう、それが校正。ほんとは小説のストーリーとか方向性が決まってからなんだけど、私の場合は同時並行にやるから」


 知ってます。だから今、赤文字を修正するのに困っているんですから。


「で、その次が挿絵とか表紙を決めるのよ。これ結構重要よ」


 それはどこを指差しているんでしょうか。人差し指で上向きってことは太陽なんですかね。


「それも終わったら再度校閲とは名ばかりの校正をして、ようやく印刷ね」


「あ、その前にゲラがあったわね。忘れてい……」




 そこで俺は話を打ち切ることにした。これといって水無月の話に聞き飽きたわけでも耳を避けたくなったわけでもない。ただ目の前がすでに目的地であったからだ。




「もう到着したんだが……」




 コホン、と調子を取り戻すように咳払いをすると「そ、そうね。なら入りましょうか」となぜだろうか、声がいつもより浮ついているのが感じられて。
 少なくとも水無月らしさが垣間見えたからなのか、俺も後を付いていく足取りが軽かった。

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