俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

053.どうしてあなたは「作品」を生み出すのか……?

「ねえ…………そろそろ離してほしいんだけどな」




 俺と神無月が密着していた時間は5秒ほどだろうか。俺が両腕を神無月の背後に回していたために彼女は離れられなかったのだ。神無月は俺とぶつかった時点でもう両手はふさがっていない。


 つまりこうだ。




「あなたモラリストに見えて変態主義者なのね」




 彼女らにとってみれば俺は黙って長時間、付き合ってもいない異性を抱きしめた変態ということだ。俺が何を言おうとこの場にいる人物は誤解してしまうのがオチだ、まるでやってもいない痴漢被害に遭うサラリーマンのように。




「ち、違う。咄嗟の出来事で瞬時に判断できなかったというか、不可抗力だよ」 


「世の悪人はいつもそう言うのよ。『私はやっていないーー。どうして犯人が自分なのか理解できない』って」


「本当のことを言っているんだよ。俺は神無月が来ることを予想してこの時間に、この場所にいたわけじゃあない。これは偶然に起こってしまった事故だ」




 俺が激しく冤罪であるという弁明をしていると、神無月は平然と、何事もなかったかのように。




「そうだよーー。私だっていきなり入ってきたこと、反省してるし。何もマガトだけ罪があるわけじゃないよ?」


「いいのよ、神無月さん。この人に弁解する余地なんて与えなくても。水を与えすぎても植物は生えないのと同じ」


「俺にはアメとムチのムチしか貰ったことがないような気がするが……」


「きっと気のせいよ」と水無月。なるほど気のせいか。いや……それでも一応聞いてみるとしよう。


「いいや気のせいじゃないだろう。あんたが一度でも俺との会話で違う態度を取ったことがあるか?」




 水無月は不敵な笑みを浮かべ、何やら悪代官の顔をしていた。つまりは俺の弱みを握られている、またはそれに近いものを持っているということを示しているのだ。




「そこまで私のことを言うのなら……いいわ。明日、この場で起こった出来事を全てさらけ出してあげる。『曲谷孔がまたまた女に手を出した。今度はなんと室内でとある生徒を抱いていた…………』なんて記事にしたら……どうなるでしょう。むしろ面白そうね、やってみようかしら」


「それはやめろ」


「それはダメ!!」




 なんて恐ろしいことを考える奴だ。って俺だけでなく神無月も必死に阻止しようとしているのか。




「まあ、そうね。今度ばかりは神無月さんも被害に遭ってしまうかもしれないから止めておこうかしら」




 これはこれで危ない状態に陥る、それを理解したからか水無月は神無月の頑なに拒否する姿を見るとすぐに考えを改めた。そうでなくても俺としては別の意味で危険すぎる、退学レベルに発展しそうであることを分かっているのか。


 恐らくそこまで考えてはいないだろう。だからこそ、本当にやりかねない水無月の行動が俺としては末恐ろしいのだ。




「ああ、実際一度やったことあるじゃないか?どこからともなく生徒が湧いて出てきて大変だったぞ」




 そう、担任である掛依真珠と俺自身が交際しているというガセを流した事件。その時の首謀者もこの水無月桜だったのだ。俺は当時野次馬に追い回され、入学して早々大変な目にあったのだ。まあ今も面倒だが。




「そういえばそんなこともあったわね、忘れていたわ」


「ついこの前の話なんだけどな」




 すると水無月はまるで全てを水に流したような表情で話し始めた。




「そう、さっきこのボンクラには言っておいたのだけど、神無月さんもね」




 ボ、ボンクラ!?日に日に水無月の俺を扱う態度が雑になるというか、蔑むレベルが上がっているのだが。何故だろうか……?




「どゆこと?」




 さっき俺が部屋に入ってきた時と同じリアクションだ。まあそうなるだろう、いきなり出会って早々、相手が自分が話したいことの意図を掴めだなんて無理にも程がある。自分が世界の中心にいるのだという誤見をどうにかして止めさせたいものだ。




「だから……今日の朝にあなたがくれた絵を採用させていただく、と言っているの」




 ピタッと立ち尽くしながら微動だにしない神無月、自分が描いた絵が実際に新聞記事で使われることに驚いているのだろう。これには相応の理由があるのだ。


 前回、彼女が描いた絵、つまりは第一回目の西洋チックな風景を水無月に見せた時のことだ。「却下」とあの編集者は言ったのだが、それからがすさまじいものだった。


 俺がアドバイスをした部分もそうだが、その10倍ほど指摘されていたのだ。筆のタッチなどの描き方から絵を描くことに対する態度、姿勢とやらまで、挙句の果てには性格さえも変えた方が良いと。


 そこまで言うことかとは俺も思ったが、実際水無月が指摘する部分を変更するとその大半が神無月にとってプラス効果になったのだ。


 それはつまりコーチングと同類。




「それはないよ、まだ使えるようなものじゃないし。そうだよね?そうなら冗談だと言ってよ」




 信じられない、そんなことはありないと、今の自分の非力な才能では到底彼女が要求する作品には達成できていないことを伝える神無月。




「…………冗談ではないわ」




 頑なに拒否する彼女をさらに拒む水無月。




「…………え、だって。あれからまだ数日しか経ってないんだよ。まだまだ未熟なのに、それでもあんなのを使うの?」




 俺はピクリと眉が動いた動いた水無月を見逃さなかった。それは水無月の顔を凝視したわけでも、予想したわけでもない。


 俺が、俺自身が聞き捨ててはならない、クリエイターとしてあまりにも必要のない言葉を神無月が、発してしまったからだ。




「それはやめなさい。神無月さん」




 俺もきっと水無月のように言っているだろう。その言葉を撤回しろと。




「未熟だからあなたは自分が描いた作品をぐしゃぐしゃに潰してゴミ箱へ捨てるの?それは私たちに対して無礼極まりない行為よ」




 俺も水無月が言いたいことが嫌でも分かってしまう。そういう人種、職業柄についている人間なのだ。だからこの後、神無月に伝えるべき言葉もきっと水無月と同じだろう。




「あなた、今まで描いてきた作品はどうしてきたの?」


「い、家にあるけれど。あまり保管はしてないよ」


「そう。なら」




 突拍子もないことを言う奴だとは思ってはいたが、まさかここまで棘のある言葉を突きつけるとは。




「絵師になるのはもう諦めなさい」


「自分が生み出しておいてそのまま何の責任も取らず作品を燃やすなら、もう作品を作る側にいなくていいわ」


「…………どうして。そこまで言うの」




 現実という酷く厳しいものを唐突に投げられた神無月は、自分の在り方を直面しているのだ。




「当たり前のことを言ったまでよ。訊きたいのだけれど、あなた作品のことをどう思っているのかしら?」




 思いつめて、手をひたすらに動かしてきた理由を考える。きっと気ままに筆を動かしていたのではないのだろう。れっきとした彼女なりの「夢」があったということ。




「作品は…………自慢するものでも、自己満足するための手段でもない……私にとってそれは『誰かのためになるもの』だと思う」




 誰かのため。作品を見て好感を得るためではなく、見て幸感を得てもらうもの。俺もそうかもしれない、読んで楽しさだったり何か学べることがあったりしたらただひたすらに嬉しい。単純に幸せだ。




「それだけ?」




 そう、水無月が主張したいことは分かる。それだけが描く理由では絵師になるには不十分というか、少しばかり不足しているのだ。




「他人が『わーーい』と喜んでくれたらそれでおしまいなのかしら。それで絵を描いているつもり?」




 この編集者は痛いほどリアル、クリエイターの存在意義を問いただしている。他の人たちからしてみれば単純な動機があっていいではないかと思ってしまう。


 でも、俺や水無月のような部類に属するものとして、これから入門しようとする神無月に言わないわけにはいかないのだ。




「そうよ。誰かが、どこかで私の絵で幸せになってくれることが目的で何が悪いの?」




 少々怒りが混じり荒々しくなる神無月。人は自分で問いを解決出来なくなった時、他人に手を貸してもらおうと乞う。それでもうまく事が進まなかった時、どうしても悲しみと怒りが混じってしまうもの。


 俺たち、小説家は勿論何を生み出す人々はそれを知っている。知らされている。


 神無月はまだそれを知らないのだ。




「あなた一つ聞きたいことがあるのだけれどいいかしら?」




 無言でうなずく神無月。これからどんな言い方か知らないが俺が考えていることと同じことを言うのだろう。




「もしあなたが紛争地にいたとして目の前に怪我人がいたとしたらどうする?」


「助ける……よ?」


「なら質問を変えるわ。もしあなたがとある建物にいて外に出たら銃弾で当たってしまうとして、そんな時外に怪我人がいたらどうするのかしら?」


「それでも助ける……と思う」


「それは自分勝手というものよ。自分が死んでもいいから必死に他人を助けようとするのは。必死に助けたことがどんな時でも美化されるものではないの」


「いい?これは私たちクリエイターも同じなの」


「勿論、誰か、自分ではない他人が求めるものに合わせて作品を作ろうとするのはダメというわけではないわ。ただそれだけなのが許せないの」


「自分はどうでもいいから他人が救われればいいと思えば、きっと他人も救えなくなるわよ?だってもしあなたが死んでしまったら、少なくともあなたと関わってきた両親はおろか、友人さえも救えられるとは言えないの」




 少しずつ、何を言いたいのか水無月の旨を理解してきたのか。感情を顕わにしていた神無月は肩の力を緩やかに抜いていった。




「それと同じ。誰かの為だけに作品を作っていたら、たぶんあなたの、あなたしかない貴重な財産も失ってしまうの。自分だけの作品が失うことが何よりもつらいのよ?」


「機械的な、誰でも真似すれば作れる作品だなんてロボットでも出来るわ」


「だから、あなたにはそれだけの理由で作品を作って欲しくないの」




 神無月はようやく「答え」に辿り着こうとしていた。自分が何を考えるべきか、これから何を思って生み出していくのか。




「分かったよ。自分の作品は大切に、もう……自分勝手な理由で描かないようにする……」




 涙声ではなく、まるで暗闇に一筋の光が差し込んだような、これまで以上に明るい声をしていた。




「うん!今、どうして絵師になりたいのか、思いついたしね!!」




 俺と水無月は彼女がどんな理由で描いていくのか、分かるはずもない。俺や水無月だってクリエイターではあるが、人それぞれ作品を創り出す理由は違う。


 どこまでも現実性のある物語を追求したり、肌や感触などといった五感を強調し生々しく表現する作家もいる。小説家だから何かを目指すというような一つの目標はない。それは全て自身で決めることなのだ。


 ゆえに彼女、神無月茜も1人のクリエイターとして自分が追い求める夢が生まれたことに俺は良かったと心からそう思った。



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