俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。

薪槻暁

049.どうして名前を呼ぶことに躊躇しなくてはならないのか

 夕刻も過ぎ太陽という日差しの本体が地上から消えうせた暗闇ーー夜の合間。俺は自室のベッドに転がりながらパソコンを眺めている。


 家の付近には田畑があるために「ジーー」ッといった虫の鳴き声が聴こえる。都内のように広告やら電車やらの人工物はこの辺にはなく、あるのは住宅街と残された自然のみなので、俺としては別段気に入っている。




「今日は災難だったな…………」




 水無月に神無月(ここでは出雲流だが)の変質ぶりを相談したわけだが、水無月本人もその被害者。


 さらに俺と水無月がネット小説家、つまり神無月が熟読している小説の作家、それを知ったら知ったで飛び降りようとしたと思ったら、ただ騙していただけだったとは。


 もう何がなんだか分からなくなってくる。


 俺が終始今日一日の流れを思い出していると「ピコンッ」と聞きなれた受信音が部屋に響いた。




「なんだなんだ?俺は何も投稿していないぞ」




 この音が本来するのはネット小説を更新した後であるはずだ、そうではなく今のように何もしていない時間帯に通知が来るのはまず珍しい。


 普段のようにパソコンを開き、通知欄を見るとやはり感想欄に新規感想という表示がされていた。




「今度はなんだよ」




 今度というのも今日はいろんなことがありすぎて何が起こるか分からない。まさか……その関係なのか?


 俺は汗で湿らした親指と人差し指を擦り合わせ、そして新規感想という文字をクリックする。




「やっぱりこいつかああああ」




 感想作成者の欄には「出雲流」という名前。だが前の俺と違うのは今、俺の頭にはこの読者の顔が浮かんでいることだ。あのポジティブな少女が書いたのが脳裏に映される。


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作成者:出雲流


題名:曲谷孔様


こんばんは。といってもさっきお会いしたばかりですね。


何を話したら良いか分からないのですが……とにかくありがとうございました。


あと、もしよかったら……お話したいです。


akane-kannadsuki@planet.jp
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「なぜだァァァァァァァァ!!」




 もう突っ込み要素がありすぎてどこから手を出したらいいのか分からなくなってくる。


 そもそもこの神無月という奴は俺と二人のチャット形式ではなく掲示板方式であり、無差別誰でもこのサイトを見ることが出来るということを知らないのか。


 いや、あの感想を過去から今までにかけてしてきたということは…………


 俺は感想文をそのまま自分のパソコン内のファイルに保存後、掲示板から削除した。そして送られたメールアドレスに返信文を送った。


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件名:名前を使うな


お前が書いた感想は俺だけじゃなく誰でも見られるんだぞ
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 その一言だけで済ますと送信完了という文字が確認出来てから数分もしないうちにメールが返ってきた。


 そこにはとある電話番号だけが書かれていたのだ。おそらく携帯電話番号だろう。


 俺は自分のスマートフォンを起動させてから電話ボタンをタップし、メールで送られた電話番号に電話をかけた。


 もし宛先の知らない人物からのメールに電話番号が書き込まれていたのなら、無視しゴミ箱行きだろう。


 しかし今回の場合は違う、俺はかかるだろう人物を予想しながらスマートフォンの音が出力する部分に耳を当てる。




「もしも……」




 相手と繋がり俺は声が聞こえているか、電話をする時の常識句を口にした時だった。




『うわあああああああああああああ』




 鼓膜が破れるかと思うほどの声の大きさ。まるで踏切に立ち止まり電車が通り過ぎる際に聞こえる音の大きさが一番適している。


 電話口のこの声の大きさからするとスマートフォンの音を録音する部分に叫んでいるのだろう。


 ひとしきり叫び声が続き、辺りの虫の鳴き声しか聞こえなくなった後に俺は訊いた。




「な、そんな叫んでどうしたんだよ」 




 おそらく、メールで伝えられないほどの気持ちを晴らしたかったのだろう。




『ど・う・し・た・も・な・に・も!!なんで今まで言ってくれなかったんですかっ』


「だって知り合いじゃなかったし、ネットで出会った人に対して言う筋合いじゃないでしょ、俺?」


『それでも言ってくれるのが人の優しさってもんじゃないですか~~、酷いですよ…………しくしく』




 「しくしく」って言わないだろ、ふつう……と心の奥で思いながらも、




「だから今こうやって言ってやったことだしな、一応アドレスが載っているさっきの感想は消しといた。俺が受信者でよかったな、もし性の悪い奴だったら悪用されていたかもしれねーーぞ」


『あ、それはありがとう』


「それもそうだが、よ。ネットと現実の区別ぐらいしろよ」




『どういうこと?』と神無月。これは頭上にはてなマークでもぽっかり浮かんでいるだろう、嫌でも想像できる。


「突っ込み要素ありすぎるんだよなーー。まず、題名に俺の実名を出すなよ、俺でさえそれはやったことないって」


『あ、ほんとだ。いやあ、今日はちょっと色々なことがあって頭の中がぐちゃぐちゃでね』




 それは一理ある。ってもやっていいこととやってはならないことがあるがな。




「あと掲示板に書くことに個人情報は持ち込むな」


『分かってるよ、アドレスとかでしょ?』


「それもそうだが、今日あった出来事とかも書くなよ」


『そんなのもダメなの?』


「当ったり前だ、どこに、どんな時間にいるだとか書くなよ。最悪高校名なんて書き込んだらストーキングされるかもしれないんだぞ」


『ええええ。怖いよ、変なこと言わないでよ』


 と言った時だった。




 冗談を投げ合いしている最中であった気がするのだが、何故にここまでシリアスに、会話が硬くならなくてはならないのか。


 神無月は「え、ええと……」と言葉を選んでいるのか、はっきりしない口調になる。俺はその理由を知っている。ま、その原因を作ったのもあいつ水無月だからな。




 相手の名前を選ぶことにどうして躊躇しなくてはならないのか。




「マガトでいい」




 自分のあだ名を自分で言うというのは新鮮なものだ。しかも自分の名前を言うことだって後退りするのだからあだ名なら猶更。




『じゃ、じゃあマガト君……』




 な、なんだこれは……そもそもこんな気まずい関係に陥らせたのはあの嫌味な編集者水無月だ。お互いの名を呼び合うことすら躊躇うことになるとは、これまた面倒だ。


 神無月が俺の名前を口にすると、どうしたものか会話が途切れてしまった。


 俺には他人に話して面白いと感じるようなネタは持ち得ていなかったので仕方なく切り出すしか他にはなかった。




「じゃあ。切るぞ」




 すると慌てたように神無月は言った。 




『ま、まって。マガトってコンタクトやってる?』




 コンタクト、ここでの意味はきっとSNSの個別式テキストチャットが可能なスマートフォンアプリのことだろう。


 よく間違える人(ちなみに高齢者が多い)がいるが目に着ける方ではない。これも一対一と、複数人のチャット形式のものがあるが、俺は後者には縁がないと言っていい。




「やってる」


『じゃあ、クラスのグループは入ってる?』




 まったく痛いところを突くのが上手なことだ。もしかしたら神無月は知っているうえで俺に訊いてくるのか、そうだとしたら水無月よりも末恐ろしい。おそらくそれはないだろうが。




「入ってない」


『ええええっ、ならID教えるから友達登録して。その方が電話よりも気楽に連絡取れるし』




 すると突然電話口から音が聞こえなくなり、ついには向こうから切られたことが分かった。


 同時にパソコンの方にメール受信がされた通知が届き、俺は書かれていたIDをスマートフォンアプリーーコンタクトに登録する。


 刹那、俺が登録した瞬間。次はスマートフォンの通知音が鳴り響き、神無月がコンタクトで話しかけてきたようだ。 




「届いてるかな?」


                   「届いてるぞ」


「良かったあ」




 そうして結局チャットが終わったきっかけも神無月から返信がこなくなったため(寝落ちしたのだ)で、やり取りが終わったのも夜中の1:00を超えたあたりだった。


 もちろん、クラスのグループなどに入るわけもなく、ただ一人会話をする人物が増えたというわけだ。




 ただ、どうして神無月は俺のあだ名を呼び始めたのかという疑問だけが、ネット上で話している最中や、終わった後でさえ心残りだった。

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