俺の小説家人生がこんなラブコメ展開だと予想できるはずがない。
034.気まずい雰囲気なのですが……?
人は驚きを隠し得ない時はどうするべきなのか。黙って起きた出来事の一部始終を思い返すのか、それとも声を荒げて思うがままにその驚きを発散した方が良いのだろうか。
まるでディックが描いたエンパシーボックスなるものを使って、感情を他人と同期するように、喜びも悲しみも誰かと共有した方が良い判断なのだろうか。
人は他人がいなければ生きていくことは不可能と、どこかの偉人が言うように。
この驚きを誰かに伝えることが最善だと、いつの間にか決めてしまっていたのだろう、自身が知らないうちに。
だから俺は叫んでいたのだ。
「な、なにィィ!!」
喫茶店の奥の二人用テーブルに座っているはずなのに店内に声が反芻してしまう。これでは温和なクラシカルなメロディーも粉砕したことと同じだ。
だが、俺は実のところそこまで考えていられなかったのだ。それほど驚いていたということの証明である。
「う・る・さ・い」
水無月は遊具を見つけては、はしゃぎ周る小学生を見下ろすかのような目つきで、「黙れ」と言いたい気持ちが「うるさい」の一言にふんだんに詰まっているようだ。
そういうこともあって俺は「あ、すみません」と姿勢を猫背にしながら応えることにした。
「確かに喜ぶのは分かるし、むしろ喜ばない方が私としても有り得ないと言い張れるほどなのだけれど」
「ここからが本番、というか本題になるわ」
出版、それは念願の小説家デビューで幸い中の幸い。もう願ったり叶ったりのものだが、そこまでの目標である以上、そう上手くいかないのがこの人生ゲームだ。
勿論ゲームのように明確なルールがあるわけでもないのだが、ハイリスクローリターンのようにある種の原理は生きている。
「お、おう」と俺は唾を呑み込みながら返事をする。どんな試練が待ち受けているのか。
「記事」
何を言っているんだ?俺は瞬時にそう思うほかなかった。だから。
「何を言っているんだ?」
そのまま脳内に浮かんだ言葉を口から印刷するかのような雑な対応を取ることにした。そもそも、これでは俺のここでの会話、一番初めに言ったことと矛盾する。
この女生徒は、確かに編集者としてこの場に来たはずだ。だから俺は確認したのだ。小説の話をするのか、と。
そもそも待ちに待った返事が二文字とは意気消沈というか、それこそ雑な対応ではないかと思うのだが。この編集者には分かっていないのか。
「何を言っている?それはこちらの台詞よ。私はここでの会話の主題を話しただけ、何も嘘はついていないし、からかってもいない。まさか、あなたは理解度が格段に低いのかしら?」
おそらく後者は冗談で言っているのだろうが(言っていなかったとしたら、それはそれで面倒だが)、これでは支離滅裂ではなかろうか。
部活動と、小説。どことどこが結びついているのかさっぱり分からない。
「嘘はついていないって、だって俺は確認したぞ?ここに来たのは、部活動の話ではなく小説、つまりプライベートの話だから俺と水無月だけだってよ。だから神無月もいないんじゃなかったのか?」
俺の言葉を嗜めるように、噛み砕くように、聞き取る水無月。長い沈黙が自分の中の悩みの種の存在を理解している、その証なのか。
数分ほど店内の雰囲気に留まったあと、久しぶりに聞いたような声の調子で語り始めた。
「この件とあちらの件は別物なのよ」
「でも繋がっている、そんな複雑な関係」
俺は曖昧な彼女の、彼女らしくない返事に問い質したくて堪らなかった。
「だってそうじゃない。いきなり部の会議に呼ばれて、全ての責任を擦り付けられ、それで今度は私のアシスタント」
それはもう彼女らしいなんて、そんな概念すら崩れ去っていた。そう、俺は分かっていたんだ。先の沈黙がその原因であるということを。
止めるべきだったのか、その時の俺には判断がつかなかった。
「そんな物語の主人公みたいな話がこの現実にあると思う?あると信じていたのならごめんなさい、その夢見がちな幻想があって嬉しいはずだものね。でも……」
「もし、そうではなかったら。この現実がそこまで理想的なものではないと感じていたのなら」
「この面倒事を引き受けて欲しい」
俺のモットーは誰にも言ったことが無い、はずなのに的を射るような言葉。俺はそれ以上、この少女に問うなんてことは出来なかったために「分かった」と一言だけを残すと、
「ありがとう」
と俺の耳にも届くか届かないかギリギリの声音で呟いた姿が脳裏に焼き付いた。
もう高校生活が何日経ったとか考えるのは止めておくことにした。別に億劫になったとか、数えることすら労力を使用するからといった問題ではない。
後ろを振り替えるのは、二度同じ間違えをしないためにも重要なことかもしれない。数学のテストで同じ箇所を間違えないように、何度もリプレイすればいいと学校で教わるように。
同じことを、何度も何度も、嫌になるまで繰り返す。自分のやっていることが正しいのか、そうでないか善悪の判断すら分からなくなるまでやった方がいいと誰かに圧力をかけられる。
俺はそんなループに嫌気が差したのだ。もう過去は振り返らない、そう決めることにした。
とまあ、なんとも硬っくるしい宣言のようなものをしたわけだが(体育館のステージで演説とかいった他人に公表はしていない、ただ胸の内でこうしようと決めただけである)、
水無月とはどうも本調子にならない。
あれ以降一度も部で話し合いをしないまま、今日までおおおそ1、2週間といったところか。
あの一件があってから俺から話しかけるのも気まずい雰囲気になってしまい、それもどうやら水無月の方も感じ取っているようだ。
授業中でも席が隣なので否が応でも話はするのだが、それも挨拶程度のみ。
要は気になって仕方がないのだ。水無月の本意もそうだが、何と言っても部の今後の活動はどうするのか。決まっているのは記事の大まかな内容だけだ。誰がどうやって記事を書くのか、全くもって検討が進んでいない。
そうやってしどろもどろに考えを巡らせていると、階段掃除の最中、俺の担任の掛依が近寄ってきた。
「何か悩んでいるのーー?」
ここで思考を自分の中だけに留めていると、こっちとしても進展しないだろうから応じることにした。
「あ、分かりました?」
俺はちょうど誰かの救いを求めていたかのような風貌に切り替える。言っておくが、これは真意ではない。
「当ったりまえよ~~。私だって先生だしね、生徒のことを気にかけるのは義務みたいなものだから」
ほう、なるほど。とは言っても……
「でも先生に頼ることでもないんですよ、なんというか些細なことでして」
そう、この人、掛依からすればこちらの揉め事は他人ごとにすぎない。
「そう?本当に?私は手伝わなくていいのかな?」
「大丈夫ですよ、これは俺の、俺自身が解決しなくては進みませんから」
「だって……」と言いながら俺は一つ、間合いを取る。
「いつでも先生に頼れるわけじゃないでしょう?」
掛依は驚いているのか、それとも笑っているのか、普段通りの表の顔でいたが、やはり俺にはこの人の裏の考えは分からなった。そうして俺は何か思い悩んでいる先生を階段に置き去りにし、部室へと向かうことにした。
まるでディックが描いたエンパシーボックスなるものを使って、感情を他人と同期するように、喜びも悲しみも誰かと共有した方が良い判断なのだろうか。
人は他人がいなければ生きていくことは不可能と、どこかの偉人が言うように。
この驚きを誰かに伝えることが最善だと、いつの間にか決めてしまっていたのだろう、自身が知らないうちに。
だから俺は叫んでいたのだ。
「な、なにィィ!!」
喫茶店の奥の二人用テーブルに座っているはずなのに店内に声が反芻してしまう。これでは温和なクラシカルなメロディーも粉砕したことと同じだ。
だが、俺は実のところそこまで考えていられなかったのだ。それほど驚いていたということの証明である。
「う・る・さ・い」
水無月は遊具を見つけては、はしゃぎ周る小学生を見下ろすかのような目つきで、「黙れ」と言いたい気持ちが「うるさい」の一言にふんだんに詰まっているようだ。
そういうこともあって俺は「あ、すみません」と姿勢を猫背にしながら応えることにした。
「確かに喜ぶのは分かるし、むしろ喜ばない方が私としても有り得ないと言い張れるほどなのだけれど」
「ここからが本番、というか本題になるわ」
出版、それは念願の小説家デビューで幸い中の幸い。もう願ったり叶ったりのものだが、そこまでの目標である以上、そう上手くいかないのがこの人生ゲームだ。
勿論ゲームのように明確なルールがあるわけでもないのだが、ハイリスクローリターンのようにある種の原理は生きている。
「お、おう」と俺は唾を呑み込みながら返事をする。どんな試練が待ち受けているのか。
「記事」
何を言っているんだ?俺は瞬時にそう思うほかなかった。だから。
「何を言っているんだ?」
そのまま脳内に浮かんだ言葉を口から印刷するかのような雑な対応を取ることにした。そもそも、これでは俺のここでの会話、一番初めに言ったことと矛盾する。
この女生徒は、確かに編集者としてこの場に来たはずだ。だから俺は確認したのだ。小説の話をするのか、と。
そもそも待ちに待った返事が二文字とは意気消沈というか、それこそ雑な対応ではないかと思うのだが。この編集者には分かっていないのか。
「何を言っている?それはこちらの台詞よ。私はここでの会話の主題を話しただけ、何も嘘はついていないし、からかってもいない。まさか、あなたは理解度が格段に低いのかしら?」
おそらく後者は冗談で言っているのだろうが(言っていなかったとしたら、それはそれで面倒だが)、これでは支離滅裂ではなかろうか。
部活動と、小説。どことどこが結びついているのかさっぱり分からない。
「嘘はついていないって、だって俺は確認したぞ?ここに来たのは、部活動の話ではなく小説、つまりプライベートの話だから俺と水無月だけだってよ。だから神無月もいないんじゃなかったのか?」
俺の言葉を嗜めるように、噛み砕くように、聞き取る水無月。長い沈黙が自分の中の悩みの種の存在を理解している、その証なのか。
数分ほど店内の雰囲気に留まったあと、久しぶりに聞いたような声の調子で語り始めた。
「この件とあちらの件は別物なのよ」
「でも繋がっている、そんな複雑な関係」
俺は曖昧な彼女の、彼女らしくない返事に問い質したくて堪らなかった。
「だってそうじゃない。いきなり部の会議に呼ばれて、全ての責任を擦り付けられ、それで今度は私のアシスタント」
それはもう彼女らしいなんて、そんな概念すら崩れ去っていた。そう、俺は分かっていたんだ。先の沈黙がその原因であるということを。
止めるべきだったのか、その時の俺には判断がつかなかった。
「そんな物語の主人公みたいな話がこの現実にあると思う?あると信じていたのならごめんなさい、その夢見がちな幻想があって嬉しいはずだものね。でも……」
「もし、そうではなかったら。この現実がそこまで理想的なものではないと感じていたのなら」
「この面倒事を引き受けて欲しい」
俺のモットーは誰にも言ったことが無い、はずなのに的を射るような言葉。俺はそれ以上、この少女に問うなんてことは出来なかったために「分かった」と一言だけを残すと、
「ありがとう」
と俺の耳にも届くか届かないかギリギリの声音で呟いた姿が脳裏に焼き付いた。
もう高校生活が何日経ったとか考えるのは止めておくことにした。別に億劫になったとか、数えることすら労力を使用するからといった問題ではない。
後ろを振り替えるのは、二度同じ間違えをしないためにも重要なことかもしれない。数学のテストで同じ箇所を間違えないように、何度もリプレイすればいいと学校で教わるように。
同じことを、何度も何度も、嫌になるまで繰り返す。自分のやっていることが正しいのか、そうでないか善悪の判断すら分からなくなるまでやった方がいいと誰かに圧力をかけられる。
俺はそんなループに嫌気が差したのだ。もう過去は振り返らない、そう決めることにした。
とまあ、なんとも硬っくるしい宣言のようなものをしたわけだが(体育館のステージで演説とかいった他人に公表はしていない、ただ胸の内でこうしようと決めただけである)、
水無月とはどうも本調子にならない。
あれ以降一度も部で話し合いをしないまま、今日までおおおそ1、2週間といったところか。
あの一件があってから俺から話しかけるのも気まずい雰囲気になってしまい、それもどうやら水無月の方も感じ取っているようだ。
授業中でも席が隣なので否が応でも話はするのだが、それも挨拶程度のみ。
要は気になって仕方がないのだ。水無月の本意もそうだが、何と言っても部の今後の活動はどうするのか。決まっているのは記事の大まかな内容だけだ。誰がどうやって記事を書くのか、全くもって検討が進んでいない。
そうやってしどろもどろに考えを巡らせていると、階段掃除の最中、俺の担任の掛依が近寄ってきた。
「何か悩んでいるのーー?」
ここで思考を自分の中だけに留めていると、こっちとしても進展しないだろうから応じることにした。
「あ、分かりました?」
俺はちょうど誰かの救いを求めていたかのような風貌に切り替える。言っておくが、これは真意ではない。
「当ったりまえよ~~。私だって先生だしね、生徒のことを気にかけるのは義務みたいなものだから」
ほう、なるほど。とは言っても……
「でも先生に頼ることでもないんですよ、なんというか些細なことでして」
そう、この人、掛依からすればこちらの揉め事は他人ごとにすぎない。
「そう?本当に?私は手伝わなくていいのかな?」
「大丈夫ですよ、これは俺の、俺自身が解決しなくては進みませんから」
「だって……」と言いながら俺は一つ、間合いを取る。
「いつでも先生に頼れるわけじゃないでしょう?」
掛依は驚いているのか、それとも笑っているのか、普段通りの表の顔でいたが、やはり俺にはこの人の裏の考えは分からなった。そうして俺は何か思い悩んでいる先生を階段に置き去りにし、部室へと向かうことにした。
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