俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

3rd AID 俺の味方は

『……嘘つき』

 虚言癖と呼ばれるのを何より嫌がっていた俺だが、それはある意味で因果応報だったのかもしれない。それが最初で最後の嘘であると聖人ぶるつもりはないが、進行形で吐いている嘘と同じくらいそれは罪深い。

『アンタの言葉を信じた私が……馬鹿だった。何でそんな嘘吐いたの? ……嘘なんてついて欲しくなかった。最低。大っ嫌い。アンタの顔なんか二度と見たくない! 嘘つき! 人殺しぃ!』

 どんな人間に嫌われても良い。けれど彼女にだけは…………

「綾子…………ごめん…………ごめん……!」

 謝っても許してくれる様な事柄ではない。人殺しと言われても仕方なかった。俺にとって究極の決断、その果てに俺は選んだのだ。

「…………何も出来なかった俺を許してくれ…………俺だって助けたかった……助けたかったんだ…………」

 向坂柳馬は偽善者だ。両方を突き付けられて片方しか選べない。どっちも救うという選択肢を選べない。出来るか出来ないかではなく、やろうとしない。やらない善よりやる偽善。そして何よりいけないのはやらない偽善だ。

 偽善なんて大嫌いだ。大嫌い…………大嫌い。














「うわ…………」

 起床した時は大抵夢の事なんて忘れてしまうのだが、今回はばっちり覚えている。よりにもよって記憶したくない夢を。果たしてそれがどれだけ嫌だったのかは俺の身体から出る汗が全てを物語っている。寝汗というレベルではない。何か大変な病気に罹っていると疑っても良いだろう。

 時刻は深夜の三時半。真夜中という意見もあれば既に朝だという人も居るだろう。なんと中途半端な時間帯に起きてしまったのか。もう少し明らかに深夜と言える時間帯なら二度寝という手段も取れたのだが、ここでもう一度寝ると取り返しのつかない事が起きる気がする。

 具体的には遅刻する。


 ―――あれ?


 雫さんが来てからというもの俺は彼女の谷間に埋もれて眠っているのだが、何処に行ってしまったのだろう。この時間帯だから部屋の外に出ても家族とは遭遇しないのだが、それにしてもどうして外へ出たのだろう。

 恐る恐る部屋の外へ。階段を下りてリビングを見遣ると、豆電球一つ点けた状態で雫が机に突っ伏していた。物音にとても敏感な彼女にしては随分と鈍い。俺が下りてきた事にも気づかぬ様子で溜息をついている。

「……雫?」

 声を掛けると、常時は大らかな彼女にしては随分と機敏で怯えた反応が返ってきた。犯人が俺とと分かるや安心したように胸をなでおろし、隣に座れと言わんばかりに傍らの椅子を引いた。家族全員が寝床に入った後のリビングは何処か寂しく、体重を傾けた椅子も冷たく思えてならなかった。

「君がこんな時間に起きるなんて珍しいね。どうかしたの?」

「……ちょっと、酷い夢を。雫はどうしたんですか?」

「……何てことはないさ。この前の事を……考えてた」

「この前…………」

 トータルで苦い思い出となってしまった俺達の初デート。薬子の策略により操り人形と化した相倉美鶴に粘着され、最終的には雫によって―――今度は言い訳のしようもなく人を殺してしまった。正当防衛なんて口が裂けても言えない。

 雫は殺す為に力を使って、俺は見殺しにした。

 あれ以降、俺の心には雫に対する不信感の芽が生えてしまったが、その程度で関係が変化する程脆弱な仲でもない。共犯関係は未だ存続中である。

「気にしてたんですか?」

「何故気にしないと思ったんだ。私は心なんてさっぱり読めないがね。君が私に対して不信感を持ってるくらいは察せるよ。普通の人間なら自然な事だからね」

「…………」

 否定できない。

 無理はないと言われたが、本人に知られていると何だかこちらも申し訳なくなってくる。

「私はね、君に信用されたいんだ。今の所、君だけが私の味方だからね」

「…………その、すみません。なんか」

「ンフフ。謝る必要なんてないよ。そもそも土台からしておかしな話だ。死刑囚を信じるなんて……映画なら死亡フラグって所だよ」

 自虐的に微笑む雫の表情は乾いていた。散々泣いて、涙が出涸らしとなってから更に泣こうとしたらきっとこんな風になる。泣き虫だった俺にはそれが分かった。己を許せない気持ちが手に取る様にはっきりと。

「―――私はね、誰に信じてもらえなくたっていいんだ。君にさえ信じて貰えれば、君だけは裏切りたくないんだ」

「……俺が気まぐれで裏切るかもしれないのに、何でそこまで入れ込むんですか?」

「…………今は言えない」


「へ?」


 推理小説のお決まりみたいな台詞を履かれて存外俺は困惑する。雫はそっぽを向きながらぽつりともしもを零した。

「……全てが終わったら、言う。今言ったら何もかも嘘になってしまいそうで、私は出鱈目なんて言いたくない。特に……自分自身に対しては」

 その覚悟が意味を持つのは言葉通り『全てが終わってから』なのだろう。奇病も斯くやと思われる大量の汗もいつの間にか冷えて、何だか無性に人肌恋しくなってしまった。主に雫の。

「……雫。寝ますか?」

「ああ、そうだねえ。でも君の場合は学校があるから……そうだ。君は寝ると良い。私はずっと起きているから。悪い夢なんて見ない様に守ってあげる」

 これが好きなんでしょとばかりに彼女は胸を腕に押し付けてくる。そうだ、確かに俺は雫の胸が好きだ。触れているだけで安心する。俺の醜い部分―――人に見せられない箇所までひっくるめて包み込まれているみたいで、心の底から気を許してしまう。

 こんな優しい死刑囚に不信感を抱くなんて俺はとんだ馬鹿野郎だ。あちらがその気ならこちらもその気になるべきで、つまり。

 俺の味方。

 俺が信じて良いのは。


 カノジョだけ。






 ………………なのだろうか。

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