俺の彼女は死刑囚
幸福は不幸の切っ掛け
偶然。そんなものが連続して起きるならそれは最早必然だ。そして必然に偶然はなく、そこにはなんらかの原因がある。
さて、女の子に好かれる時期を通称モテ期と呼び、それは一生に一度誰にでも訪れると言われているが、正直俺はその存在を信じていない。モテ期そのものを否定する気はないのだが、なんだろう。この状況で発生するとは考えられないのだ。
「……お茶、ですか」
「はい! 是非あの時のお礼をさせてください!」
怪しいなどと言うつもりはないが、考えられない。因果の流れを読む力は俺に備わっていないものの、こんな目に遭う道理はない。そもそもあれっぽっちの親切でここまで感謝されるなんてどう考えてもおかしい。
これが、例えば火事の現場から俺が救出したとかなら話は分かる。だがお金をーーーそれをあれっぽっちの金額の負担。一体何を感謝するというのか。あれが払えなければ外国に売りとばされていたとかならまだしも、この法治国家でそうはならないだろう。
ーーー釈然としないんだよな。
アイツらの立ち回りが上手かったというのもあるが、向坂柳馬には致命的に好かれる才能がない。明確に俺を好いている人間と言われれば……誰だろう。雫はそうだと信じたいが、隠れ蓑にしたいが為にそう振る舞っていると言われても俺は反論出来ない。感情的に味方は出来ても、彼女が死刑囚だという事実までは擁護出来ないのだから。
薬子は雫曰く手段を選ばないので、彼女もまた俺に取り入ろうとしているのかもしれない。そう考えたらあの時照れたのが随分馬鹿馬鹿しくなってきた。
「えっと、すみません。今、俺はデート中なので」
「デート!? え、誰とですか?」
「あの人です」
俺が指をさしたのは、勿論変装した雫。凄まじい身体能力を大衆に晒した事により、主に子供達に群がられていた。顔には一切変装を施していないのだが、果たして無垢な子供が死刑囚の存在を認知しているのか。また、認知していたとしてあの死刑囚だと誰が思うのか。
雫は子供の身長に合わせて屈み、何やらわいわいと盛り上がっていた。
「そういう訳なので、お茶はまた今度の機会にお願いします」
多分そんな機会は二度と訪れないだろう。あれっぽっちの親切など普通の人は忘れるし、そもそも俺が忘れる。
「……ちょっとだけなら大丈夫じゃないですか?」
「大丈夫じゃないですよ。浮気とか嫌ですから」
「女子高生の頼みを断るんですかっ?」
「JKは別にステータスじゃないというか、俺も高校生ですし。嫌なものは嫌ですよ」
現役高校生がなんぼのものじゃ、俺の恋人は現役死刑囚なのだ。しかも脱走中、仮に女子高生がレアなステータスとして価値を持つのなら現役死刑囚なんて価値をつけられないレベルでレアなのではないかと。
「そこをなんとかお願いします! お礼をしたいんです!」
「お礼とか別にいいですから帰ってください。何度も言いますけど、浮気なんてしたくないですよ」
「彼女さんがそんなに怖いんですか!」
怖いだろう。
この世で一番怖い気がする。どんな特殊能力を持ってるか分かったものじゃない……というか、現在判明している能力だけでもその気になれば一日中俺を監視出来る訳で。怖くない筈がない。
「怖いです。という訳で俺はこれで」
それに偶然にしても出来すぎている。幾らこの公園が愛されているからといって俺が来たタイミングで彼女も足を運ぶなんて考えづらい。被害妄想と言われても構わないが、ストーカー疑惑が生じている。
わざわざお礼を言いに来るあたり悪い人間ではないのだろうが……
「おーい、雫!」
美鶴の声を全力で無視しながら最愛の恋人に駆け寄る。あんなエキセントリックな動きさえしなければ俺だってイカダの上には乗れるのだ。距離が近づくにつれて、子供達との会話が聞こえてきた。
『君、お名前は何て言うの?』
『さとうそうすけ!』
『そうすけ君か。今の動きはね、練習しないと真似出来ないんだよ? だから教えてと言われても教えられないんだ、ごめんねえ』
『どうしたらそこまでかわいくなれますかっ』
『恋をすればかわいくなれると思うよお。現に私も……』
雫が一旦言葉を止める。接近してくる俺に気がついたようだ。
「ああ、君か。見てくれ、どうやら私は子供に好かれてしまうらしい」
「雫の並々ならぬ母性がそうさせるんでしょう。ただ、それはそうと名前を聞くのはやめませんか?」
「どうして?」
「いやだって……」
雫に名前を明かすという行為は、ある種服従するという意思表示だ。知らなければどうしようもないのだが、一体彼女は年端も行かぬ少年を服従させて何をするつもりなのだろう。
「名前を聞かなきゃコミュニケーションが取れないじゃないか」
「俺にそれを言いますか?」
つまり雫は俺とコミュニケーションをとる気がない……? 否、流石にそれはネガティブに話を広げすぎである。名前を利用した支配は彼女にしか出来ないので、あくまで特定を避ける為にそう言っているのだろう。
そもそもそんな力が使える事自体誰が知っているのか、という問題はあるが。
「君も一緒に遊ぼうよ。どうやら子供達も付き合ってくれるみたいだからさ」
口々に騒ぎ、雫に絡もうとしていた子供達はその発言を契機にまるで軍隊の様に整列した。
「あそびたーい!」
無邪気な笑顔を浮かべる子供達。俺は彼等が手遅れであると悟ったのだった。
薬子以外の人間がこの光景を見たら、きっと子供に好かれる女性という印象を抱くのではないだろうか。そうでなくては困る。雫の狙いとはそこにあるだろうから。
支配とは言ってもなんの罪もない子供に無茶を強いる事はなく、基本的には普通の子供だった。両親に帰ってくる様命じられたら素直に応じているし、子供の相手に疲れた親は完全に遊び相手を彼女に任せている。
「私の真似はしちゃダメだよ。怪我するからね」
「誰もやらないと思いますよ」
「いやいや、子供というものは理屈のない自信に溢れているものさ。相手が出来るから自分も出来る。そう思う人間がゼロとは言い切れないだろう?」
だから仕方ないと雫は微笑む。名前を聞いて支配したのはその為だったのかと感心しそうになったが、俺という人間はそこまで無邪気ではない。それは飽くまで表向きではないかと、今も疑っている。
雫は身軽な動きで雲梯の上に座ると、侍らせていた子供達を散らす。支配から解放されたとは思えないが、彼等は己の個性を主張するかの様に各々好きな遊びを始めた。
「それにしても、薬子がいないのは幸運だったね」
「居ると思ってたんですか?」
「まあ、アイツの好きそうな場所ではあるよ。つくづく趣味が合うね。まあもし居ても私は逃げるだけだが」
あれだけの運動能力があれば薬子からも逃げられる……そうは思えない。雫が凄いのはもう分かったが、薬子は明らかにその上をいっているのだから。
「……あのう、雫の持ってる力ってまだ何かあったりしますか?」
「藪から棒にどうしたの。私の事が信じられないなら、ちょっと悲しいねえ」
言葉とは時に発言者の意にそぐわぬ解釈をされる事がある。俺は両手を開きながら慌てて補足した。
「ああ違います違います。そんなつもりは全くなくて。ただ……雫の事をもっと知りたい、というか」
「本当? それならいいんだけれど、しかし私も教えられる事なんて昔の事くらいしか無いなあ。それで良ければ話してあげるけど」
死刑囚の昔話。俺でなくても興味が生まれる。俺の子供じみた好奇心を察知した雫は雲梯からひょいと降りると、俺の後頭部を抱き寄せて谷間の中で囁いた。
「じゃあ君だけに教えてあげるよ。ンフフ、私達は恋人だもんね。しかし一口に過去と言っても色々あるからねえ。君が知りたい事にだけ答えるとしようか」
幾ら恋人だからって大衆の前でこんな真似はしないだろう。普通に恥ずかしいので突き放そうとしたが、雫の足腰が強靭すぎて胸を鷲掴みする結果に終わった。名実共に俺が変態になった瞬間である。普通の女性なら同じ羞恥を感じて離れるだろうが、普通じゃないから彼女は死刑囚な訳で。
諦めた俺はハグに移行する事で変態行為を誤魔化した。
「……じゃあ薬子との関係を教えてください」
「ああ、アイツとの関係か。そういえば言ってなかったねえ。君を手籠めにされてしまうのも嫌だし、これはいずれにしても話した方が良いよね。と言っても特別な関係ではないよ。アイツとは幼馴染でね……」
雫は近くのタイヤに腰を下ろして、過去を想起した。
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