俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

ラブコールは突然に




「「ごちそうさまでした」」


 奇しくも俺達の食事は同時に終わった。極力綺麗に食べたつもりだが雫の皿はそれよりも遥かに綺麗で、皿を舐め回しでもしない限り無くならないソースなどを除けば完璧に食べ終えていた。十分ばかり他愛もない事を談笑していたが、話のタネが尽きた所で俺達は立ち上がった。

「そろそろ次の場所へ行きましょうか」

「そうだねえ」

 万が一にも雫の正体に気が疲れてはまずいので会計は俺がする。一足先に彼女を外へ逃がし、手早く支払いを済ませようと俺が受付に行こうとした瞬間、一人の女子高生が己の財布を前に悪戦苦闘していた。

「あれー? あ、ちょっと待って下さいね。おかしいな……お金が」

 コンビニなんかでたまにみる光景だ。大概の場合は金額の端数を揃えたくて(お釣りが楽になる)小銭を探しているケースが殆どだが、本当にお金が足りないケースは初めて見た。五分ほど待てば受付から立ち去ってくれるかもしれないが、雫とのデート時間がそんな下らないものに消費されるなど俺には我慢出来なかった。

 助ける義理など無かったが、自分の為に俺は声を掛けた。

「幾ら足りないんですか?」

「え?」

 予想外の救世主に女子高生は驚きを隠せない様子だ。制服が違うので他校の人間か。年は俺よりも一歳下と見た。見ず知らずの他人に声を掛けられた少女は最初こそ警戒心を剥き出しにしていたが、お金が足りないものはどうしようもなく、消え入りそうな声で不足分の金額を告げた。

「…………八百円、です」

 俺は無言で八百円を取り出すと、既にある程度の金額が置いてある受け取り皿に八百円を足した。まさか本当に助けてくれるとは思わず少女は暫く呆けていたが、お金さえ足りているなら何でもいい店員はそのまま会計を終わらせてしまった。

「…………あ、ありがとう、ございます」

「別に気にしないでください。あ、すみません、こっちの会計お願いします」

 恥ずかしそうに店を飛び出してしまった少女の背中を見届けると、俺は改めて自らの会計を済ませた。他人に助け舟を出した人間がまさかお金を用意していないという茶番は存在せず、至って普通に俺は店を出る事が出来た。

「気前が良いねえ」

 店の外では雫が弄りたそうに微笑んでいた。

「お金を他人の為に差し出す人間なんて初めて見たよ」

「言い過ぎですよ。もっと居ますって。でなきゃ募金活動なんか絶対成立しないじゃないですか」

 それにあれは金額が小さかったのも大きい。もし二万とか三万なら流石に俺も手を貸さなかった。理屈としては一口一万円の募金は嫌だが、十円の募金なら何となく出してしまうのと同じだ。しかも不特定多数が対象故に効果の実感しにくい募金と違って今回は明確に人を救った。善行をするととても気分が良くなる。

 ……なんて死刑囚を匿っている人間が言っていい発言ではないが。

「さあ、次の場所に案内してくれたまえ。鈍った身体を叩き起こすのに丁度いいかもしれないからね」


















 木ヶ丘公園。昨今は遊具の取っ払われる公園も多くなってきたが、この公園に設置された遊具は生半可なものではない。ここは自然環境に対して障害物を置く事で自然と一体化した遊具を作り上げる事に成功した、いわばフィールドアスレチックと呼ばれる場所だ。

 己の命よりも子供の怪我が怖くてたまらない親でもなければまず足を運ぶ場所であり、木辰市ではちょっとした有名スポットである。多いのは勿論家族連れだが、中学生や高校生がここに来ないかと言われると決してそういう事はなく、近頃は薬子の影響もあってパルクールもどきをし始める人間も居る。

 町中のパルクールは薬子並に極めていないと危ないが、ここならば自由だ。飽くまで俺の周りにおける共通点だと前置いた上で言わせてもらうと、運動神経が高い奴は全員ここの公園で良く遊んでいた。

「へえ~。こんな場所があったんだねえ。知らなかったよ」

「ここなら思う存分身体を動かせますよ。ほら見てください」

 アスレチックの中には何人かの学生が見受けられる。その周りにはキャッチボールをする親子二人組やのんびり昼寝をする男性、SNSに写真を投稿する中年の女性。老若男女を問わずこの公園は愛されている。わざわざ全ての人間の素性を探ろうという人間は居ないだろうし、ここなら雫にも満足してもらえる。

「ふむ。確かにそうだね。しかしここはパルクールの練習にはもってこいだ。薬子に出会ってしまいそうなのが私としてはネックかな」

「幾らアイツの感覚が優れていると言ってもパッと見なら誰も雫には気付かないでしょうし、それよりかは俺に絡んでくるんじゃないんですかね」

 丸太で建造された高台から飛び降りようとしている男性を見ながら呟く。友達と思わしき連れから

「行けよ」と言わんばかりに背中を押されているが一向に飛ぼうとしない。真下にはイカダが浮かんでいるとはいえ、やはり怖い物は怖いだろう。気持ちは分かる。

 自由自在に町中を飛び回ると言えば聞こえは良い。映画のスーパーヒーローなんか常にそれをやっているだろう。だから憧れを抱く気持ちは大いに理解出来るのだが、言うは易し行うは難し。超人的な身体能力が無ければあんな真似は出来ないし、理屈に基づいたとしても例えば着地の理屈を知っていなければ怪我をしてしまう。

 そして電柱を蹴って人混みを飛び越える彼女は明らかに超人的なので、真似してはいけない。真似出来ないとは思うが。

「もしかしてあまり気が進まなかったりしますか? まさか七凪雫ともあろうお方が怖気づきましたか?」

「煽るねえ。私にそんな煽りは通用しないけれども……まあ君に馬鹿にされたままなのは癪だから、どれ。少しだけ動いてみようか」

 ちょろい。

 本当に煽り耐性が高い奴は適当に流してしまうだろう。雫のそれは耐性があるのではなく『効いてないアピール』をしているだけだ。とはいえ断らなかった事自体は少し意外だった。スカートを理屈にやんわりと拒否してくるものかと。

 雫が厚底サンダルを脱いだ。

「え? 裸足ですか? 流石に痛いと思いますけど」

「私が収容されていた場所は床に剃刀がばら撒かれていたんだ。これくらい何でもないよ」

 どういう刑務所だ、それは。

 罪人にも最低限の人権はあるだろうに、床中に剃刀など歩行の自由を奪っているに等しい。意外な刑務所の真実に俺が気分を害している内に彼女が走り出した。

「…………すっげ」

 イカダに爪先が乗った瞬間、大きく跳躍。水面が凪いだままなので一切の力が発生していないのは明白だが、物理法則に抗う様に雫は高台の壁に着地。バック転で床に降りた後は傍らの滑り台に乗り込んで悠々と滑り出した。

 しかしここは貸し切りではない。前方で子供がつっかえている事に彼女が気付いたのは半ばまで滑った時だった。ただ滑るだけならまだしも乗り込んだ時の速度が大人げなく、勢いを完全に殺さなければ背中から子供を蹴っ飛ばしてしまう程だった。俺なら滑り台の縁を掴んで無理やり止めるが、雫はというとその場で身体を捻りつつ宙へと放り出し、滑り台を支える組み木部分に片手をひっかけた。足元には水が張っていて、怪我がないにしてもびしょぬれだ。替えの着替えなど存在しない彼女にとって服が濡れるのは己の命に代えても避けなければならない問題だったのだろう。


 ……本当に?


 真偽はさておき、宙ぶらりんのままではいつか重力に落とされてしまうだろう。彼女の動きに圧倒された人間が見守る中、雫は雲梯を掴むみたいに組み木を移動していき、ある程度まで逆行した所で身体を振り子みたいに揺らして飛んだ。着地地点は別のイカダであり、着地した時の衝撃がどれだけ凄まじかったのかは水面に広がる波紋を見れば素人でも理解出来る。


 ―――絶対何か不思議な力使ってんじゃん。


 気のせいなら気のせいで構わないのだが、何だろう。薬子の動きと比較すると何処かフワフワしているというか、体重が存在しないみたいな……





「あの~、あの~、あの~」

 雫の動きに魅了されていたせいで、背後から呪詛みたいに囁かれる声に気が付くのに時間が掛かってしまった。気づいて振り返った時には、その女性は涙目になっていた。

「あ。済みません、何ですか?」

 逆ナンはファンタジーなのであり得ない。さしづめ雫の動きを見て彼女が何者か知りたくなった人間その一といった所か。恋人と家族には偽っているが、赤の他人にまで同じ偽装を施す必要はないだろうし、かといって他人というのも気がひける―――



「さ、さっきは有難うございましたッ」




 ―――さっき?

 さっき、さっき、さっき。

 鉄星の料理が美味しかった事しか記憶にない。流石にそこまで馬鹿ではないから語弊の無い様に言い直すと、雫とのデートに集中しているのでその他の出来事は心底どうでもいい情報として脳内で処理されている。だからさっきと言われても思い出すには多少の時間を要するのだ。

「あ、あれっ! 人違いでしたか……? え、でも絶対そう! 八百円を肩代わりしてくれた人ですよね!」

「―――ああー、あの時の」





「私、相倉美鶴って言います! こんな所でお会い出来るなんて偶然ですね! 良かったら近くのカフェでお茶でもどうですかッ?」

  

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