俺の彼女は死刑囚
生に滾る
エアホッケーで死闘という言葉を使ったのは初めてかもしれない。相手が自分より強ければ蹂躙、弱ければ逆。同じくらいの実力差というものは中々存在せず、それ故にホッケーはお遊びだった。
しかしながら雫の実力は全くの同等。手に取る様に彼女の動きが読める反面、彼女もまた俺の動きを完璧に把握していた。勝負がつかない。点が入ったかと思えば次の瞬間取り返される。十点先取で始まった勝負を分けたのは、ふとした気の緩みが原因だった。
……とここまで書くと、まるで手に汗握る名勝負であったかの様だが。
いや、手に汗握ったのは事実だ。問題だったのは気の緩み方。スマッシュの瞬間に零れた無邪気な笑顔に見惚れてしまったのだ。
「やったッ」
両手を握り込んで喜びを露わにする雫。こうしてデートしていると本当に普通の女の子みたいだ。とても動物に名前を付けて自由自在に操ったり岬川夕音の骨を直接へし折ったりした人間には見えない。
でも死刑囚だ。残念ながら、どうしようもなく。
「中々楽しかったよ。ありがとね」
「なんか、いや自分で言うのもなんですけど。本当に普通のデートですね」
「そう? いつ素性がバレるとも分からないスリルはあると思うけど。それとも君は、普通のデートじゃ満足出来ないタイプなの?」
「違います違います! 普通なのは良い事なんですよッ。ただその……雫の女の子っぽい部分が見られて良いなっていう……」
世の中の人間の殆どは色眼鏡をかけている。男だから○○の筈、女だから○○の筈、果ては年よりだから○○の筈、子供だから○○の筈と。その偏りは留まるところを知らない。○○なんてフィクション、○○は現実ではあり得ないというのも種類は違えど色眼鏡だ。それは事実は小説より奇なりという言葉が全てを表している。
現実は俺達の想像以上に可能性に満ちているのに、その限界を勝手に決めて、あり得ないと否定する。それが色眼鏡―――偏った見方でなくて何だというのだろうか。正直に言って俺は雫を色眼鏡で見ていた。やはり死刑囚という肩書がそうさせてしまう。わざと道を踏み外した俺でもこればかりはどうしようもない。元が一般人なのだから。
死刑囚は異常。
価値観から性格から行動から全てが異常。理解し合える事など何一つないと。同居しておいて何を今更と言われても構わない。雫の事は好きだが、彼女はまだ俺に本心を隠している様な気がするのだ。薬子の発言でバイアスが掛かった可能性は否めないが、どうにもその笑顔には裏があるのではと思わない日は無かった。
しかし、今回のエアホッケーを経てハッキリした。七凪雫は異常ではない。躊躇なく人を殺せ、起源不明の特殊能力が使えるだけでその感性は紛れも無く人だ。なら俺は愛せる。良い所も悪い所も含めて、まとめて愛したい。
雫は照れ臭そうに頬を掻いた。
「…………改めてそんな事を言われると、少し恥ずかしいかな。でも……凄く嬉しいよ」
「え?」
ホッケー台から離れた俺達は、全体を見回しながら当ても無く歩き出した。俺がリードしても良いのだが、興味津々であるのならそれに従った方が楽しんでもらえるだろう。俺は雫が楽しそうならさっきみたいに対戦しようが見物しようが楽しいので損はない。
「私が捕まってた頃は、誰もそんな風に私を見てくれなかった。そもそも人間を見てたのかなあ、あの目は」
「ゴミを見る様な目って事ですか?」
「ゴミというより鬼だね。私が居た村でもそうだった。誰も私をそんな風には見てくれなかった。普通の女の子なんて言われたのは……生まれて初めてだよ」
中々どうして雫もレアな人間だ。こんな美人を相手に女性扱いしないとは一体どんな村だったのだろう、天玖村とは。刑務所はまあ……仕方ないとしても。
「ねえ、君―――」
振り返った俺を雫は軽く突き飛ばし、壁へ追いやった。逃げ道を塞ぐかの様に片腕を突いて、グイと顔を近づける。
「私が普通の女の子だとしたら。普通の幸せを求めてもいいのかな」
「……普通の、幸せって?」
「普通は普通だよ。好きな物を食べて、好きな物を飲んで、好きなだけ時間を使えて。好きな人と結婚して、好きな人と子供を作って。それが私にとっての普通。誰も許してくれないと思ってたけど―――」
心臓が高鳴る。
何をされるのだろう。分からないのに恐れている?
違う。分からないからこそ恐れている。ここはゲームセンターだ。人目もある。部屋の隅で、それもクレーンゲームが壁になっているとはいえ見ようと思えば誰でも見られる位置だ。こんな場所で何をする気なのだろう。誰かに……例えば小中学生に見られた日には、どう言い訳するのだろう。
……俺は期待してるのか?
「もし、薬子からも警察からも逃げられたなら。その時はさ……ねえ君。私に普通を頂戴? ずっと、ずっと欲しかったんだ、それが」
俺が答えようとした瞬間、彼女の人差し指がそっと俺の唇を閉ざした。
「答えはまだ、いいよ。んふふ、判断を焦らせるなんて詐欺師みたいな真似はしないさ。さ、気を取り直してデートの続きだ。やりたいゲームは沢山あるんだから」
、
ひとしきりゲームを遊ぶと雫は満足してくれたので、俺達はゲームセンターを背に再び出発した。勿論、手を繫ぐのは忘れていない。そこが一番重要なのだ。
「じゃあ次は何処へ行こうかッ」
時刻は十二時を少し回った頃。三時間以上も遊んでいたのか。自分でも信じられないくらい滞在していた。体感では一時間も経ったかどうかさえ曖昧なので、実に三倍以上の時間を錯覚していた事になる。体力も全然疲れを覚えていない。疲労という概念さえ忘れてしまったみたいだ。
「ちょっと昼食に行きませんか? お金なら俺持ってますんで」
虚言癖と呼ばれる前に貰っていたお小遣いには何のいわれも無い。お金は嘘を吐かないとは言ったものだ。
「ああ、いいね。何処で食べようか」
「近くに美味しいレストランがあります。そこで食べましょう」
デートをした事もない俺がどうして僅かに詳しいのかと言われると時々輝則に付き合わされるからだ。何でもそこのウェイトレスに一目ぼれしてしまったらしく、顔を覚えてもらう為に通い詰めているそうな。で、あまりにも一人で行くと何かを勘繰られてしまいそうだから(原文ママ)俺が時々連れて行かれる。
単純に同行者が欲しいだけなのでそこには虚言も糞もない。すっかり誇張されてしまったが、イジメさえなければ交友関係はそこそこ上手く行っている方なのだ、俺は。
「思えば家では君にご飯を食べさせてもらうばかりで、外食は初めてだね」
「晩飯の残りとか、俺が適当に作った料理ばっかり出して済みません」
「ううん。私は全く構わなかったよ。でもこれはこれで新鮮だね。席は向かい合った方がいいかな?」
「え、何でですか?」
「君はどうも私の身体に興味があるみたいだからね。会話もしやすいし、その方が君としても大歓迎なんじゃない?」
俺が好意を開示してるのを良い事に、雫はこんな時にも誘惑もとい弄りを仕掛けてくる。見透かされているみたいで恥ずかしいのだが、事実そうなので言い返せない。何よりそこで嫌悪感を抱かれているのではなくむしろ歓迎されているので、たとえ見透かされているとしても俺には『乗る』以外の選択肢は無かった。
「……お願いします」
「素直だねえ。素直なのは良い事だよ、うん。これだから君を弄るのはやめられない」
ニヒヒと嫌味ったらしく微笑む雫。彼女が死刑囚で、俺に何か隠しているのだとしても。この笑顔だけは嘘ではないと信じたい。
いや、信じている。
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