俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

嘘吐き兄貴と壊れかけの妹

 私の名前は向坂瑠羽。虚言癖を持ったお兄を上に持つ可哀想な妹……なのかな。お兄は多分、私を反抗期の妹か何かだと思ってるんだろうし、多分両親もそう思ってる。でも違う。私に反抗期なんてない。お兄の言葉が誰にも信じられない様に、私は誰も信じてくれないような病気に罹っている。


 記憶崩壊症。


 そんな病気は無い。ネットにも無い。どんな凄腕の病院に行っても絶対に解明されない病気。でも確実に、私はそれに罹っている。妄想なんかじゃない。だから私はお兄の味方をしていると言っても過言じゃない。

 記憶崩壊症は加齢とともに進行する。そして私の記憶を破壊し、出鱈目に繋げていく。それはコンクリートやブロック塀を破壊する様なもので、記憶の破片だけが蓄積されていく。私にはもう両親に関する記憶が殆どない。

 ……語弊があった。両親の記憶はちゃんとある。その記憶が全く脈絡のない記憶と繋がってごちゃごちゃになってるだけ。例えるなら……ええと、『修学旅行で友達と写真を撮った』後に『家族と外食をした』みたいな感じ。普通に考えたらあり得ないなんて自覚してる。でも記憶の中ではそうなってるから仕方ない。

 私にとっては『運動会で一位を取った』ら『授業参観に親が来た』し、『ランドセルを初めて買ってもらった』ら『お父さんに怒られた』。出鱈目に繋がる記憶と記憶。思い出は繋がらなければ価値が無い。私は何よりもそれを知っている。


 でもお兄に関する記憶だけは、どういう訳か壊れない。


 記憶が壊れているのにどうして精神に支障を来さないのか、それはお兄のお蔭。お兄の存在だけが私の中できちんと成立しているからこそ、私は常人として生活出来ている。虚言癖と言われようと何だろうと、お兄は私にとって只一つの真実なの。


 ―――今日のお兄、なんか急いでたな。


 お兄の事は良く観察してるからそれなりに分かる。今日は只ならぬ様子だった。様子を見に行きたいけど、ブラコン扱いされるのが物凄く嫌だから行きたくない。私はブラコンじゃない。只、お兄だけ家族として正常に認識出来る(記憶が壊れていくせいで実は両親にその実感がない)から気にかけているだけ。

 それを世間ではブラコンって言う? 知ってる。だから行きたくない。



「行きましょう!」



 普段声がこっちまで聞こえてくる事はない。ここまでハイテンションなお兄の声は初めて聴いた。無関心を装っていたけれど、装っていただけなのでつい部屋の方向を見てしまう。

「何だアイツ、やけにハイテンションだな」

「彼女とデートの約束でもしたんじゃない?」

「居もしない彼女との妄想か……我が息子ながら空しいというか悲しいというか憐れというか愚かというか間抜けというか―――」

「そこまでは言い過ぎだと思うけど」

「いいや、お父さんが言ってるんだから間違いない! 何年アイツの親やってると思ってるんだ? 前も言ったが虚言癖を持った奴は嘘のリアリティを高める為にやがて自分自身にも嘘を吐く様になる。何重に、あらゆる方向から、あらゆる種類の嘘を固める。するとそもそも何を隠そうとしていたのかサッパリ分からなくなってしまう、これが虚言癖だ。瑠羽、お前のお兄ちゃんでもあるんだから理解はしないと駄目だぞ!」

「私もアナタも嘘つきじゃなかったんだけどねえ。ホント、私達の子供とは思えないわ」

 私にとってはお兄だけが本当の家族。お兄の存在を疑うなら私は二人の存在を疑いたい。本当に私の両親なの?

 私は気怠そうに席を立った。

「心配だから見に行く」

「やめとけやめとけ。どうせ俺達の気を引きたいだけだ。オオカミ少年みたいなもんで……まああれだな。病気だな」

「別にする事もないし。私も部屋に戻るから、そのついで」

 お兄が嘘つきなのと心配するかしないかはまた別の問題だと思うけど、そんな事言ったら喧嘩になりそうだからやーめた。階段を上って、部屋の扉を叩く。

「お兄? やけにハイテンションだね。どったの」


『んー? ああ何でもないよ何でもない」    


「やっぱりお兄恋人出来たってマジなんだ。今電話で話してる感じ?」


『ええ、信じてなかったのかよ……。まあそうか。嘘つきだもんな。そうだよ、電話で話してる』


「ちょっと会話に混ざってもいい? 私が混ざれたらお兄が嘘ついてないって証明になるよ」


『良い訳ないだろっ! 可愛い妹の頼みとはいえそれは……非常に重大な危険がお前に迫ると思うから!」


 危険?

 お兄の発言が全て事実だったとして、恋人について突っ込む事の何処に危険が孕んでいるのだろう。少し考えてみたけれど、全く無いと思う。でもこれを嘘と呼ぶにはお兄の声に鬼気迫るものを感じる。扉越しだから信憑性はあまりないけど、伊達に妹をやってきた訳じゃない。他人にはすすめられないけど、私自身はその勘を信じる事にした。

「ねえお兄、その恋人の話が本当だったらって前提で話を進めるけど、デートとか行かないの? 恋人ならデート行くでしょ、普通。それとも私が彼氏居ないからそれを普通と思ってるだけで、世の恋人って意外とドライなの?」


『んな訳ねえだろっ。実は中々予定が合わなくてな、でもついさっきデートする事に決まったんだよ! 今週末だ、今からワクワクが止まらなくて朝も起きれなさそうだ!』


「起きなきゃデート出来ないんですけど。じゃあハイテンションの理由それなんだね。何で隠したの?」


『家族に週末デート行きます! なんて言わないだろ。主観だけだと嘘扱いされそうだから出来るだけ周知の事実だけで言わせてもらうが、俺達ってあんま円満な家族じゃないからな」


 デートについて語る時の喜びを隠せない声と言ったら露骨すぎて、こっちも嬉しくなってくる。言葉の端々に感情が乗っているって言うんだろうか。虚言癖とは思えないくらい分かりやすい。視覚情報のないコミュニケーションは誤解を生じやすいとは言われるけど、お兄の感情に限っては手に取る様に分かった。

「……今週末って事は、明後日か。何処に行くの?」


『決めてねえよ』


「何処で待ち合わせするの?」


『知らん』


「……ごめん。聞き方が悪いね。何が決めてあるの?」


 お兄は堂々と、声高らかに言った。


『デートをするという事だ!』


















 扉の奥から声は聞こえなくなった。足音が遠ざかったのを聞くに瑠羽は呆れてしまったのだろうか。その理由に心当たりはある。というか心当たりしかない。

 まず一に何もかも決まっていないプラン。

 場所も決まってない上に待ち合わせ場所も決まってない。そこまで未定だとデートというより外で偶然会うだけに等しい。しかしちょっと待て、これは言い訳させてほしい。場所が決まってないのは自由にデートしたいからで、待ち合わせ場所が無いのは必要ないからだ。何故なら俺の恋人―――死刑囚こと七凪雫はこの場に居るのだから。

 その次に、プランが不安定にも拘らず馬鹿みたいに浮かれている俺。

 説明不要。詳細の知らされていないデートに想いを馳せるなど『奇跡的な幸運で推していたアイドルと知り合いになる』類の妄想にも劣る。瑠羽はこう思った筈だ。嘘かどうかはさておき、本当だとしたら弄ばれていると。

 虚言癖で女運も無く頼りにもならない兄貴。呆れて物が言えなくとも無理はない。俺が瑠羽だったら絶縁してる。

「……気持ちは分かるけれど、ちょーっと今のも迂闊じゃない?」

「弁解の余地もありません。次からは気を付けます」

 雫が口を尖らせるのもやはり無理はないが、彼女はそれ程怒っていなかった。薬子に目を付けられた際と比べて、飽くまで相対的な評価だが。油断大敵とも言うが、今さっきの俺は油断してはならない状況で油断してしまった。穴があったら入りたいので、彼女に導かれる様に俺は布団の中へもぐりこんだ。

 暫し、見つめ合う。

「……ンフフ。今更だけど、こんな部屋では君とエッチな事出来ないねえ」

「え?」

「私、感じやすいからさ……防音設備も整ってない様な部屋で始めちゃったら確実に気付かれちゃう。残念だよ、ある意味」

「そもそもしないからそういう心配は不要ですッ。杞憂って奴ですッ」

「本当ぉ? 私が寝てる間とかにこっそり胸を揉んでたりしない?」

「大体俺が先に寝てるじゃないですかッ。こっそりなんてそんな……お、おかしな話じゃないですか! 幾らでも揉んでいいって言われてるのにこっそりするなんてッ」

 スリルを興奮に変えていると言われたらそれまでだ。バレるかもしれないしバレないかもしれない、その境界線に身を置いて背徳的な行為をする事にこそ意味があるのだと……いっそ力説すれば疑いも晴れるだろうか。しかし只でさえ死刑囚を匿うという背徳行為をしているのだ、これ以上稼ぎたいとは思わない。

 いかがわしい事などせずとも、既にこの状況が究極のスリルだ。一度捕まればどうなるか分かったもんじゃない。

「それもそうだけど、実際君はまだ自発的に触ろうとしてないよね、だから疑われたって仕方ないよ。どうしても疑われたくないなら、今ここで揉んでみる?」

 雫が艶やかな笑みを浮かべる。

「はッ……? え、なしてそげん話になったと?」

「行ってもない地方の訛りなんて不自然だよお。こっそりやってないって言うなら堂々と出来るよね? 今、君の身体は布団に隠れて誰からも見えない。君が胸を揉んでる事に気付けるのは揉まれている私だけだ。怖がる事は……無いんだよ?」

「…………いや。いやいや。さっき自分で言ってたじゃないですか、感じやすいって。自殺行為ですよ」

「じゃあ声も上げられないくらい濃厚なキスをしよう。刃物も必要かな? この服もそろそろ邪魔だし、何より君と肌を重ねようという時に衣類なんて邪魔なだけだ―――」

「勝手に話を進めないでくださいッ。ていうか色仕掛けしてるの雫じゃないですか」

「私はしても良いんだよ。だって奴隷だからね。ご主人サマを満足させるのが仕事だ。週末のデートと君は浮かれているけれど、アイツが何もしてこない訳が無い。今後あんな事が起きない為にも対策を打っているだけさ。アイツに胸は無いが、私にはある。今の内に君に揉ませておけば、いざ色仕掛けをされてもアイツでは知り得ない快楽が君を守ってくれるだろう。どうだい、中々名案じゃないか」

 名案というか。

 ただ単に自分が触って欲しいだけではないのか、と。

 七凪雫にビッチのイメージは無かったが、ここまで押されると否が応でもそんなイメージがついてしまう。本人曰く処女らしいが、嘘を吐いてない保証は何処にもない。大体処女がここまで肉食系な訳が無い。

 それとも俺がチキるのを見越した上で挑発しているのか。

「強制はしないよ。ご主人サマは君だからね。さてどうする―――?」

 彼女がどこまで考えているのかは分からない。

 話の路線がエロにぶっ飛んでしまったが、あそこまで興味津々な辺り瑠羽は確実に俺を尾行するつもりだった。彼女からすれば単純に恋人の真偽を見極めたいだけだろうが、こっちはそれ処じゃない。恋人とは七凪雫だ。彼女は俺に手は出さないと言ったが、家族にまで手を出さないとは言っていない。殺人に欠片の躊躇も無い彼女の事だ、知り過ぎれば瑠羽は死ぬだろう。

 まさかそれを見落とす雫ではないだろう。直近の危険は明らかに先のやり取りにあるのに、まだ薬子への対策ばかり考えている。一体、何がそこまで警戒させるのだろう。身体能力は凄いがそれだけだ。雫みたいな特殊能力とは訳が違う。操れないとは言っていたが、それだけが理由なのだろうか。

「………………」

 魚心あれば何とやら。俺が彼女を信じなくてはいずれ彼女も俺を信頼しなくなるだろう。つまりここは―――決して色仕掛けに乗ったとかそういう気はなく。飽くまで信頼関係維持の一環として。










「―――んッ♪」



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