俺の彼女は死刑囚

氷雨ユータ

2nd EID超人少女


 七凪雫には味方が居る事を世間は知らない。
 彼女を匿う人間がこの世に存在するなどまともな人間は思わないだろう。

 代金と引き換えに幾つかの商品を袋に入れてもらい、俺はコンビニを後にした。

 匿っているとはいえ、俺という人間は捜査に対する知識がない完全な素人だ。提供しているのは飽くまで隠れ場所。彼女は自力で証拠隠滅を図っている。例えば岬川夕音を殺した時は俺に繋がる痕跡を全て鼠に食べさせておいたらしい。つまりあの死体を調べても、出てくるのは七凪雫が彼女を殺したという事実だけ。俺には決して迷惑が掛からないという算段だ。 
 実際、あの死体が見つかった時は学校がまた騒然としたが、俺に繋がる証拠が無かったので疑われる事は無かった。ただ、少し不思議なのは圭介達を殺した時の痕跡を雫が消していないという事。彼等の死体を調べるなりすれば俺が虐められていた事実には気付きそうなものだが、何故か一度も警察が訪問してこない。

 ―――有難いんだけどさ。

 この国の警察は優秀だ。ここまで露骨に無能を晒してくるとなると流石に何か策を弄している気がしてならない。そう、例えば――――


「ひったくりだー!」


 背中に叩きつけられた声に振り返ると、マスク姿の男が高級そうな鞄を片手にこちらへ向かって来ていた。その更に奥には男の方へ手を向けた女性がしきりに叫んでおり、声の主はあの女性だと分かった。
 その悲痛な叫びに多くの人間が反応したが、正義漢で捕まえようとする人間はそう多くない。ひったくりが傍にいると分かった上で手を出そうとしなかった。巻き込まれたくないという恐怖から、脇道に避ける人間も居た。
 実際にやらかした俺が言えた義理ではないが、助けを求める時は見捨てたら大変な事になる状況を作らなければいけない。好んで大変な事態に首を突っ込みたがる人間は現代にそう居ない。相手が刃物を持っていようが持っていまいがそれは変わらない。
 正義の味方を気取るつもりは無いが、少しでも自分が善人であると信じたくて男の前に飛び出した。
「どけッ!」
 時間稼ぎにもならない。俺は瞬く間に突き飛ばされ、男は雑踏の中に紛れ込んでしまった。幾ら女性の声が大きいと言っても真反対の方向からやってくる人間にまで事情が伝わる訳ではない。男がぶつかってきたとしても何か急いでいる様子としか思えないだろう。
「ああ! 私のバッグ…………!」
 落胆する女性。立ち上がろうとしないのは足をすりむいてしまったのか、それとも気分が落ち込んでしまったからか。大して役にも立たなかった俺が今するべきなのは、あの見ず知らずの女性を慰める事ではないだろうか。
「……ん?」
 果たして行動に映ろうとした時、一足早く女性に駆け寄っていった人間が居た。見覚えのある女性―――否、スタイルだ。あのスレンダーで健康的な身体は確か妹が憧れていた……
「バッグを? 盗まれた? 犯人はあっちへ? 色は―――そうですか。ご安心ください。今すぐ私が捕まえますから」
「で、でももう人混みの方へ……」
 女性の諦観も聞かずに彼女―――凛原薬子は走り出した。向かう先は何の変哲もない電信柱。助走も十分に飛び上がると、電信柱をバネに薬子は人混みの向こう側まで跳んで行ってしまった。
「は!?」
 パルクールの次元ではない。三メートル以上もある雑踏を軽々と飛び越えたのだ。スカートなのによくもまああんな真似が出来る。たった今彼女に飛び越えられた人間は真上を向けばパンツが見えただろうに、もったいない。路側帯に飛び出すという裏技で以て俺は薬子を追跡する。
 雑踏に紛れ込んだまではひったくり犯も良かったが、彼もまたその密度に苦戦していた様だ。薬子が着地するのと男が人混みを抜けたのはほぼ同時だった。事前に女性からバッグの特徴を聞いていた彼女は直ぐにそれが盗品だと気付いた。
 男の腕を掴む。
「えッーーー」
「それは貴方のバッグではありませんね。返してください」
「離せ!」
 半ば反射気味に男が殴りかかるも、男は彼女の方を見ずに殴ろうとした。プロならまだしも素人がそんな攻撃をした所で当たる道理はない。拳は頭部の横をすり抜けた。薬子は伸びきった所を掴むと、半身を脇下から割り込ませて男の顎を掬い上げる。同時に足を蹴って軸を刈り、その場で男を制圧した。
「カ…………あ……」
「徒歩でひったくりとは余程御自分の足に自信があるようですが、残念でしたね。次はオートバイにでも乗ってみたらどうでしょうか……とは言いつつ、命拾いしましたね」
「……あ?」
「乗物に乗っていたら良くて重傷、大抵の場合死亡は免れなかったでしょう。もうじき警察が来てくれます。どういう理由で行ったのかは知りませんが、悔い改めなさい」














 いつの間に通報したのか、確かに警察が来た。犯人は引き渡され、バッグは無事本来の持ち主へと返された。ひったくりは現行犯逮捕が難しいらしいので、事件として直ぐに終結したのは誰にとっても喜ばしい話はないだろうか。
 薬子曰く『乗物に乗っていたら死んでいた』そうだが、あれはどういう意味なのだろうか。再犯防止の為のプラフという可能性も無くはない。因みにコンクリートに身体を押し付けられた男は抑え付けられた痛みを除けば目立った外傷もなく、彼女の方が暴行罪に問われる可能性は極めて低いだろう。
 どうやら逮捕事由の聞き取りの為、薬子も同行するらしい。
「……向坂君」
「え?」
 それは俺の名前。名字で呼ばれたのは久しぶりだが、つい反応してしまった。どうして彼女が俺の名前を知っているのだろうか。薬子は両ポケットに手を突っ込むと、俺にペコリとお辞儀をした。
「逮捕のご協力、どうも有難うございました」
「きょ、協力? 俺は突き飛ばされただけなんですけど」
「では、そういう事にしておきましょう。私の名前は―――っと、その顔はもう知っている様子ですね。今日の所はこれで失礼いたします。またお会いしましょう」
「あ、ちょっと待って! 何で俺の名前を知ってるんですか?」
 三度瞬きを挟んで、凛原薬子は身を翻しながら言った。
「知っていて当然でしょう」



「明日から宜しくお願いしますね?」













「凛原薬子に出会ったね?」
「えッ」
 俺がコンビニへ足を運んだのはそもそも雫にアイスを渡す為なのだが、部屋に戻るや否や、開口一番そう尋ねられてしまった。やましい事など何も無いのだが、現場を見ていたかの様な尋問は俺を硬直させた。雫の瞳に侮蔑や敵意の色は見えない。
「は、はい」
「だろうねえ。直ぐに分かったよ。目を付けられたんだね?」
「ああいや、別にそういう訳じゃ……ちょっとした事件が起きて、たまたまその場に居合わせただけの話ですよ」
 甘い物を久しぶりに食べた気がする。特別な理由は何も無い。嫌いではないが買うまでの労力を割く理由もなかった。それだけの話だ。しかしこれからは多大な労力を要してでもきっと購入するだろう。たかがカップアイスをウキウキで食べる雫が可愛くて仕方がないから。
「それが目を付けられたって言ってるんだよ。薬子は私を追い回す事に関してはプロフェッショナルだ。第六感でも第七感でも何でも良いけど、何か私に繋がるものを君から感じ取ったに違いない。あれはそういう奴だ」
「……あの。名前知ってるなら、操ればいいんじゃ?」
 彼女は名前を知った生物を意のままに操る事が出来る。彼女が俺の名前を決して呼ばないのは知らないから、そして絶対に操らないという誠意の表れだ。凛原薬子なんてメディア出演も果たすくらい有名な名前なのだから操れないなんて事は無いだろう。
 雫がテレビを付けると、そのチャンネルでは知識人が芸能人の浮気に対して無責任なモノ申しをしている最中だった。どうやら生放送らしい。暫く二人で眺めていると、不意にご意見番として呼ばれた人間の一人が立ち上がり、踊り出した。

『あスッピラスッピラチョコンノチョン! ホイ! サア! サア! ホイ! サア! サア! あっぺらぽっちょ』
『わ、脇方さんッ? どうしたんですか急に』
『こんな番組は糞だ! 何でこんなものに俺を呼んだ? ふざけやがって、だからテレビはつまらねえんだよ! 俺が本物の面白さって奴を見せてやるぜえええええ!』

 脇方と呼ばれる男が不意にズボンを脱いで局部を露出した所で映像が『しばらくお待ちください』という看板の静止画に変わってしまった。
 雫はつまらなそうにテレビを消した。
「あれは偽名だからねえ。私は彼女の本名を知っているが、その上で断言しよう。操れない、と」
「何か例外があるんですか?」
「いや。操る事は出来るが、やっちゃいけないんだよ。極端な話だが、確実に自滅するからね」
 要領を得ない。考え込んでいる内にアイスを食べ終えてしまった。するとどうだ、木製スプーンに一口を乗せて、雫が差し出してきたではないか。唐突な事で困惑していると、彼女がにこっと笑った。
「ご主人サマに仕えるのは奴隷の役目だろう? それに私は、君の笑顔が大好きなんだ。どうかその笑顔、私にだけ見せて欲しいな」
「…………し、雫にだけですか」
「君には言っていなかったけれど、私はとても独占欲が強い女なんだ? 幻滅した?」
「いや、幻滅なんて! そういう女性大好きです!」
「そう。じゃあはい、あーん」

 あーん!

 彼女から貰ったアイスは格別に美味しかった。
「薬子が何を狙っているかは分からないけれど、気を付けてね。もし色仕掛けをしてくる様な事があったらすぐに言うんだよ? 私が世界で一番君を好きなんだって思い知らせてあげるから……ンフフ♪ はい、あーん?」

 あーん! 

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