傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

束縛 3

「ふーん……。一晩中あの人と二人っきりだったんだ。俺のことは忘れちゃうくらいあの人に夢中だったの?」
「そんないい方しないでよ……。ホントに看病してただけなのに……。40度以上も熱がある人をほっとけないでしょ?」
「電話しても繋がらなかったけど?そんなに俺に邪魔されたくなかった?」
「違うよ、前の日に充電し忘れてたからバッテリーが切れちゃってたみたいで……」
「そんな見え見えの嘘つくなよ……」

正直に話したのに光は信じてくれない。
光との約束を無視して門倉と浮気したと頭から決めつけて私を責める。
ひどい。
私は浮気なんかしたことない。
浮気したのは光の方だ。
それなのに光は自分のことを棚に上げて、私の浮気を疑っている。
ちっとも信用されていないんだと思うと悲しかった。

「私は嘘なんかひとつも言ってないよ!!昨日は慌ててたから連絡できなかったけど、今朝目が覚めてすぐにここに来たの!光に心配かけて悪いことしたと思ったから!」
「罪悪感に耐えられなくなったから謝ろうと思ってここに来たの?それとも一晩待たせてかわいそうなことしたって同情した?」

光は冷たい自嘲の笑みを浮かべていた。
私のこと、そんな風に思ってるんだ。

「何それ……ひどい……」
「瑞希の人の好さにつけこんで、どうにかしようって思ってたのかな。あの人が瑞希に気があることくらいわかってる。大人の男なんだし、ホントは瑞希の手なんか借りなくたって大丈夫だったんじゃないのか」

門倉は本当につらそうだったし、一人で歩くこともままならなかったのに。
それに門倉は私を無理やりどうにかしてやろうなんて思ってないし、いつだって私の気持ちを大事にしてくれて、私がいやがるようなことは絶対にしない。
門倉のことまで悪く言われて余計に腹が立った。
それと同時に、ずっと胸にわだかまっていたものが一気に込み上げた。

「なんで信じてくれないの?私は門倉とも誰とも浮気なんかしたことない!浮気したのは光でしょ?!光は目の前で熱出して倒れてる私をほったらかしにして藤乃と出てったんだよ?!あの時私がどんなに悲しくてみじめな気持ちだったかわかる?!」

言ってしまった。
憎み合いたくはないから、きっと光に直接ぶつけることはないと思っていたのに。
拳を握りしめ、奥歯を噛みしめながらその言葉を聞いていた光が、私の肩を強く掴んだ。

「だったらなんであの時何も言わなかったんだよ!瑞希は怒りも泣きもしなかっただろ!俺だって好きで浮気なんかしたんじゃない!!ホントは瑞希にもっと愛して欲しかったよ!!仕事より何より、俺だけを大事にして欲しかった!!だけど瑞希は、離婚しようって言っても俺を引き留めもしなかったじゃん!!瑞希が俺を要らないものにしたんだろ?!」

お互い感情が昂り、あの頃言えなかった本音を声を張り上げてぶつけた。
それは時間が経った分だけ重くて、錆びた刃物みたいに胸をえぐって痛めつける。
今更こんなことして何になるんだろう?
お互いに更に深く傷付け合うだけなのに。
悲しくて、胸が痛くて、息をすることさえ苦しくて、こんな形でしか本音を言い合うことができない自分たちの未熟さが悔しくて、涙が溢れた。

「全部私のせい……?それが光の本音なんだね」
「ごめん、違うんだ」

光は慌てて弁解しようとした。
一度口から出た言葉はもう戻らないのに。
『覆水盆に帰らず』だ。
過ぎた過去だってやり直せない。

「光が好きなのは、まだ就職する前の昔の私でしょ……?やっぱり今の私は、光の気持ちに応えることなんかできない……」
「待って瑞希、話を聞いて」
「昔の失敗をくりかえさないように、今度こそ光のこと大事にしようって思ってたけど……ずっとお互いの顔色ばっかり見て、昔の傷に触れないようにして……。いくら一緒にいたって昔には戻れないもん、やっぱり無理だよ……」


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