傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

依存 3

土曜の昼にいつも訪れる喫茶店でサンドイッチを食べながら、早川さんの言葉を思い出していた。

『なんでこの人と結婚しようと思ったんだろうって考えるようになって』

最初はおそらく、彼のことがとても好きだったから結婚しようと思ったんだと思う。
だけど仕事とか家に嫁ぐという考え方とか相容れない部分があって、お互いに一歩も譲れなかったんだろう。
愛し合って結婚を決めたはずなのに、結婚を具体的に考えたせいでいがみ合って別れてしまうなんて悲しい話だ。

私と光はお互いに好きだったから結婚したものの、失敗に終わった。
それなのに私たちはまた一緒にいる。
光は私を好きだと言ってくれるけど、私は?
本当に私は光の気持ちに応えられているだろうか?
会えなくて寂しいとか、一緒にいる時くらいはもっとくっついていたいとか、以前の光はほとんど言わなかった。
それが原因で気持ちが離れてしまったから、今度は素直に伝えようと思っているのかな。
前みたいに光に寂しい思いをさせないように、私もできるだけ会う時間を作ろうと思う。


サンドイッチを食べ終わり、コーヒーを飲みながら光にメールをした。

【明日は休めるように今日中に仕事片付けるつもりだから、今夜は帰りが遅くなると思う】

すぐに光からの返信があった。

【明日休みなら仕事終わったら俺の部屋においでよ】

これは泊まれと言うことか。
泊まったらまた今夜もゆっくり休ませてはもらえそうにない。
本当は最近少し寝不足で疲れているから、帰ってぐっすり寝たいんだけど。
……仕方ない。
わかった、仕事が終わったら連絡すると返信してスマホを置いた。

コーヒーを飲み終えて少し目を閉じると、急激に眠くなってきた。
ここで寝るわけにはいかない。
うっかり眠ってしまっても、ここに来て起こしてくれる人なんか、今はいないんだから。
少し早いけどオフィスに戻ることにしよう。


午後はオフィスの引っ越し準備のせいで滞っていた仕事を片っ端から片付けた。
部下たちから新しい企画の相談を受けながらなので、思うようにはかどらない。
今日は仕事を持ち帰ることはできないから、全部済ませて帰りたいんだけど。
かなり遅くなることを覚悟しておいた方が良さそうだ。


部下たちは8時過ぎに全員退社した。
一課のオフィスも人はほとんどいないらしい。

「門倉課長、お先に失礼します」
「お疲れ様」

パーテーションの向こうから、一課の人と門倉の声が聞こえた。
門倉、まだ残ってるんだ。
なんとなく声がだるそうに聞こえたけど……週末だし疲れているのかも知れない。

それからまた企画書に目を通したり、パソコンに向かって書類の作成をしたりして、なんとか仕事を片付けて時計を見上げると、時刻はもう9時半になろうとしていた。
門倉が帰った様子はなかったけど、まだ残ってるのかな?
少し気になって、帰り支度をしながらパーテーションの隙間から一課のオフィスを覗いてみると、門倉がデスクに突っ伏しているのが見えた。
え?寝てるの?
そっと一課の入り口に近付いて中を見てみると、残っているのは門倉一人だけ。

突っ伏していた門倉が体を起こした。
ノロノロと鞄を手にして椅子から立ち上がろうとしたけれど、足元がふらついてまたドサリと椅子に倒れ込んだ。
なんだか様子がおかしい。
もしかして具合が悪いのかも?
どうしようかと思ったけれど、放っておくわけにもいかない。
もし何かあったら大変だ。
とりあえず大丈夫なのかだけでも確認しないと。
思いきって一課のオフィスに足を踏み入れた。
門倉は椅子に座ったまま手で目元を覆っている。

「……門倉、大丈夫?」

声を掛けると、門倉は何も言わず鞄を手に椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩きだした。
やはりその歩様がおぼつかない。


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