傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

密室 4

「人を使い捨てカイロみたいに……」
「おまえを使い捨てたりしねぇよ、俺はな」

俺はな、って……何が言いたいの?
まるで私が誰かに使い捨てられたことがあるみたいじゃないか。
もしかして門倉は私のこと、光に使い捨てられた惨めな女だとか思ってるわけ?

「篠宮……結局あれからさ……あいつと付き合ってんの?」

門倉は少し低い声でためらいがちに尋ねた。
居酒屋で禊をした後からずっと一言も会話していなかったから、門倉が何も知らないのは当たり前だ。

「まだちゃんと返事してないけど……時々会って食事したりとか……あっ!!」

そうだった、このあと光と会う約束をしていたんだ!
仕事が終わったら連絡してって言われてたのにまだ連絡していないし、このまま2時間くらい身動きが取れないのなら、知らせておかないと心配するかも。

「なんだ急に」
「いや……このあと光と会う約束してて……。当分動けそうにないって連絡しとかないと心配かけるかも……」

抱きしめられながらごそごそポケットを探りスマホを出そうとすると、門倉は私の腕を強い力で掴んでそれを止めた。

「門倉……?」
「ホントにあいつが好きか?」

真っ暗な中でも表情が目に浮かぶような真剣な声で尋ねられ、私は自然と正直な気持ちを話そうと思えた。

「好きなのかって聞かれたら、正直まだわからないけど……光があんなに想ってくれてるんだから、その気持ちに応えたいとは思ってる」
「じゃあ……もしあいつ以外にも、おまえのことが好きだって男が現れたらどうする?」

なんで急にもしもの話?
離婚してからの5年間、私を本気で好きだって言ってくれる人なんかいなかったけど。

「私は別にモテないし、そんなの考えたことないからわからないよ」
「だったら今考えろ。別の男から、あいつよりずっとおまえのことが好きだって言われたら、どっちを選ぶんだ?」

急にそんなこと聞かれても。
どちらも私を本気で好きだと言ってくれるなら、そりゃもちろん私が好きな方を選ぶに決まってる。

「私自身が好きな方……?」
「……だからそれがどっちなのかって聞いてんだろ……」

門倉のボソボソ呟く声が耳元で聞こえたけれど、うまく聞き取れない。

「ん?なに?」
「いや……こんな真っ暗な密室で二人きりじゃ、俺が変な気起こしてもおかしくねぇな」
「……え?」

門倉はいつもより少し低い声でそう言って、私の頬を指先でスルリと撫でた。

「門倉……?」
「あいつに言えないようなことしようか」
「えっ?!」

光に言えないようなことって……つまりそれは……。
こんな門倉、私は知らない。
門倉は何を考えているのか。
暗闇のせいで表情もまったくわからなくて、知らない男と密室に閉じ込められているような錯覚に陥る。
困惑していると、二つの大きな手が私の頬を包み込んだ。

「こんな時に冗談やめてよ……」
「本気ならしていいか?」

その言葉が耳元で響いたあと、ゆっくりと顔が近付く気配がした。

「バカッ、そういう問題じゃない……!」

なんとか逃げ出そうと焦る私の額に、門倉の額がそっと触れたのがわかった。

「ホントにバカだな、俺は。おまえが禊終わるの待とうなんてカッコつけないで、もっと早くこうしときゃ良かった。おまえのこと一番わかってやれるのは俺だと思うし、俺のこと一番わかってくれんのもおまえだって思ってたけど……おまえ、全然わかってねぇもんな」
「門倉……?さっきから何言って……」
「いい加減気付けよ、バカ……」

額が離れて、頬に柔らかいものが微かに触れた。
えっ……今の、もしかして……。
場所を確認するように触れた門倉の親指が、私の唇をゆっくりなぞる。

「ねぇ、ちょっと待ってよ……」
「もうじゅうぶん待った。それなのにおまえはあいつを忘れようとしない。だったらもう待つのはやめる」

グイッと頭を引き寄せられ、もう逃れられないと観念してギュッと目を閉じた。
閉じたまぶたの向こう側に微かに光を感じた時、門倉の手が私の体からゆっくり離れた。
エレベーターは微かに軋んだ音をたてた後、静かに動き出した。
おそるおそる目を開けると、門倉は私に背を向けていた。

「……時間切れだな」

門倉は静かにそう呟いて、私の頭をポンポンと軽く叩いた。
エレベーターが1階に到着して扉が開いた。
門倉は何も言わずにさっさと降りて歩いていく。
私は門倉を追い掛けることもできず、黙ってその後ろ姿を見送った。



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