傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

密室 1

月曜日の昼休み。
私は社員食堂の隅の席に座り、一人で日替わり定食を食べている。
今日は日替わり定食のおかずが、ボリュームのある事で人気の甘辛チキンだったせいか、いつもに増して男性の利用者が多いように感じる。
私の隣には営業部の雨宮部長が座っていたけれど、雨宮部長がさっさと食べ終わって席を立ってからは空席のままだ。

『禊はこれで終わりだな』という言葉通り、あれから門倉が私を誘うことはなくなった。
仕事の後だけでなく、昼休みに社員食堂で会っても仕事の合間に喫煙室で会っても、門倉が私の隣に座ることはない。
最近門倉はいつも一課の同僚と一緒にいて、私とは話そうとも目を合わせようともしない。
あんなに一緒に笑って過ごしていたのに、今では知らない人になってしまったみたいだ。

門倉が急にあんなに怒って私を突き放したのはなぜだろう?
光と会うことを勧めたのも、早く禊を終わらせろと言ったのも門倉だ。
また同じ失敗をくりかえすかも知れないから辞めとけと言われたのに、私が光をかばったのが気に入らなかったのかな?

禊が終わっても仲間だろって言ったのは門倉なのに。
門倉と一緒に笑うことはもうできないのかな。
そう思うと無性に寂しい。
ビールで乾杯して一緒に美味しい焼肉を食べようって約束は、果たされないかも知れない。


オリオン社のイベント開催日が近付いて来るにつれてオフィスは慌ただしくなった。
予定を変更したり現場に出向いたり、私も部下たちも残業で帰りが遅くなる日が増え、終電間際に慌てて会社を出る日も珍しくない。
平日は帰りが遅くなる上に、休日も出勤して遅くまで仕事をするので、光と会う時間は取れず、食事をしながら簡単なメールを送るだけで精一杯。
そんな日が半月ほど続いた。

オリオン社のイベントが始まってから1週間が経ち、オフィスがようやく落ち着きを取り戻した時、光と離婚してから5年が過ぎていることに気付いた。
離婚してから、結婚期間と同じ5年。
二人で選んだ結婚指輪を外して離婚届を提出した、5年前のあの日のことを思い出すと今も胸が痛む。
私がどんな思いで離婚届を提出したとか、それからずっとあの日の胸の痛みを忘れられないなんて、光は知らない。
もしもこの先光と笑って一緒にいられたら、この胸の痛みも『決定的瞬間』に遭遇した日の悲しみも、何もかも忘れられるだろうか。


水曜日の午後。
つい先日まで忙しくて休憩もろくに取れなかったけれど、今は仕事も一段落して仕事の合間に一息つく余裕もできた。
仕事の合間にコーヒーでも飲もうと自販機に向かっていると、その角の向こうから人の話し声が聞こえてきた。
若い女性と男性の声だ。
女性が何やら楽しそうにおしゃべりしているのを、相手の男性が相槌を打って聞いているという感じ。
今は休憩時間じゃないし、働き者のうちの課の部下ではないと思うんだけど。

廊下の角を曲がると、自販機の前で話している男女の姿が見えた。
飲み物の入ったカップを持って甘ったるい声で話しているのは、若い男性社員に人気の、営業部で事務をしている女子社員だ。
小悪魔を装っているのか、自分を最大限に可愛く見せるメイクが得意な、今時のオシャレ女子って感じ。
彼女はお得意の上目遣いと甘えた口調で、自販機の飲み物を補充しに来た光に話し掛けている。

「勝山さん、自販機に新しい飲み物入れてもらえますぅ?」
「何かご希望があるんですか?」
「キャラメルマキアートとか、ありますかぁ?」
「ああ、ありますよ。次の補充の時に入れておきますね。他にも何か要望があったらお聞きしますけど」
「じゃあ、勝山さんの携帯の番号教えて」

仕事中に若い女子にナンパされてるよ……。
若い子はやることが大胆だな。

「えっ……それはちょっと……」

若い子の押しの強さに引いてるな。

「勝山さんってぇ、独身ですよねぇ?彼女いるんですかぁ?」

独身だけどバツイチだよ、その人。

「えーっと……いや……」

彼女はいないけどバツイチだって、ハッキリ言えばいいのに。



コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品