傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

動揺 5

「嫉妬かよ……。後輩相手に大人げないやつらだな」
「仕事のミスをなすりつけられたりしたことも何度かあって、極めつけは大きな取引先との契約の手続きの日に手直しの済んだ書類を手直し前のものと差し替えられて、先方を怒らせたらしいのね。それで契約自体が流れちゃったとかで、職場の人たちの目の前で上司に罵倒されて全員から白い目で見られたらしい」

いわゆるパワハラってやつだ。
光がどんなに頑張っても認められず、覚えのないミスを大勢の人の前で罵られたのだから本当につらかったと思う。

「それにしても変な話だな。入社して1年とか2年とか、早くに結婚するやつなんてうちの会社にだっているだろう?そんな目の敵にされるようなことか?」
「うん……それもそうだね。少なくとも営業職に就くまでは普通に会社に行って仕事してたはずだから、会社に行けなくなったのは営業部の上司と先輩にされたことが原因なんだと思う」

もし結婚していなければ上司や先輩に虐められることもなく、そんな事態は避けられただろうか?
『うまくいかないのを全部瑞希のせいにしてた』と光は言っていたから、もしかしたら私との結婚を後悔していたのかも知れない。

「なんか話がそれたけど……それから他に何言われたんだっけ?女のことだったか?」

運ばれてきた焼そばを取り皿に取って差し出すと、門倉はそれを受け取り口に運びながら話の続きを促した。

「あんまり話したくないんだけど」
「黙って飲み込んだって篠宮がしんどくなるだけだろ。だったら愚痴でもなんでも聞いてやるから、洗いざらい全部話せ」

門倉は私の頭をポンポン叩きながら真剣な顔をしてそう言った。
言われたこともされたことも想定外だった上に、その手があまりに優しかったから無性に照れくさくなって、私は慌てて門倉の大きな手を払い除けた。

「やめてよもう……子供じゃないんだからね」
「俺はこんな素直じゃない子供は要らん。だけど今おまえの気持ちを一番わかってやれんのは俺だからな」

もしかして門倉って天然タラシ?
それとも計算して言ってる?
無意識なのかわざとなのか、もしかするとその言葉に全然意味なんかないのかも知れないけれど、門倉もこういうこと言えるんだ。
どうせならさっきの受付嬢みたいな若くて可愛い女子をたらし込めばいいのに。

「また勝手に決めつけて……。門倉よりもっとわかってくれる人がいるかも知れないのに」

私が照れているのを面白がっているのか、門倉は更にワシャワシャと私の頭を撫で回した。

「それはないな。もしそんな稀有なやつがいるなら連れて来いっての。昔はともかく、この2年間一番近くで篠宮を見てきたのは俺だろ?」

悪かったな、どうせ私は仕事が恋人の32歳バツイチ独身女だよ!

「たいした自信ですこと」
「まぁな。俺が篠宮を一番近くで見てたってことは、俺を一番近くで見てたのも篠宮ってことだ」

確かにそうだけど……そんなこと言われると丸裸にされたみたいで恥ずかしいわ!!
それに今、『門倉を一番知ってるのも私』みたいなことをさらっと言ったよね?
いやいや……そんな風に言えるほどは知らないよ、門倉のことなんて。
しれっとした顔でそんな恥ずかしいことが言えるってことは、門倉ってやっぱり天然タラシなのかも知れない。

「それはともかく。篠宮のこんな話聞いてやれんの、俺しかいないだろ?」
「なんかムカつくんだけど……」
「いいからほら、話してみ」

ちょっとムカつくけど、私は光が付き合っていた女の人の話や、光に言われたことと私が言ったことを事細かに話した。
光があの人と付き合い始めた経緯や、浮気のつもりが本気になってしまったことと別れに至った理由。
お互いに向き合おうとしなかったことや相手に寄り添う気持ちを持てなかったことを、光も私と同じようにずっと後悔していたこと。

『ずっと一緒にいようって約束したのに、俺は……!』

光のその言葉の先は聞くのが怖くて逃げてしまったと言うと、門倉は顎に手を当てて何かを考えるそぶりを見せて、ライターの蓋をカチャカチャと開け閉めし始めた。
しばらく黙ってその金属音を聞いていたけれど門倉は何も言わないし、だんだんそれが耳障りになってイラッとしてきた。
いい加減カチャカチャうるさい。

「あのさ……それ、やめてくれる?うるさいんだけど」
「あ……悪い」

門倉はライターの蓋を閉めてテーブルの上に置いた。
やっと静かになった。
私はため息をついてジョッキのビールを飲み干した。
門倉は険しい顔をしてジョッキを傾ける。


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