傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

動揺 3

定時になって残業前の休憩時間、自販機でコーヒーを買って喫煙室に向かった。
喫煙室でぼんやりとタバコを吸いながら思い出したのは、光とデートの待ち合わせをした時のことだ。

付き合い始めて半年ほどが経った頃、前から行こうと言っていたテーマパークに行く約束をした。
待ち合わせは駅前の時計台で10時半。
朝早く起きて慣れない手付きで一生懸命作ったお弁当をトートバッグに詰めて、ウキウキしながら待ち合わせ場所へ足を運んだ。
少し早めに着いて待っていたけど、光はなかなか現れなかった。

待ち合わせ時間から30分が過ぎた頃、心配になって電話をしてみると、光は眠そうな声で電話に出た。
寝過ごして約束の時間を過ぎていることに気付いた光は、慌てた様子で『ああっ!!』と大きな声をあげた。
私は早起きして一生懸命お弁当を作って楽しみに待っていたというのに、光は前の夜に友達と遅くまで飲み過ぎて約束のことをすっかり忘れていたらしい。

『ごめん、すぐ行くから待ってて』と言われても、私は光に忘れられていたことが悲しくて無性に腹が立って、『待たない。もう帰る』と言って電話を切った。
お弁当の入った重いトートバッグを肩に掛けて家に戻り、ベッドにうつ伏せに寝転んで枕に顔を突っ伏した。
あんなに楽しみにしていたのにひどい、光のバカ!
泣きながらそんな風に何度も心の中で光を責めた。

1時間近く経った頃、誰かが部屋のドアをノックした。
嬉しそうに出掛けたはずなのに泣きながら帰ってきた娘を心配して母親が様子を見に来たのかと思い、私は返事をしなかった。

もう一度ノックする音がしてドアが開いた。
部屋に入ってきたのは光だった。

『瑞希、ホントにごめんな』

光は申し訳なさそうにそう言って、ベッドのそばにしゃがんで私の頭を撫でた。
枕に突っ伏してその手を振り払うと、光は『ごめん』と何度も謝った。

『朝早くから一生懸命お弁当作ってくれたんだって、お母さんに聞いた。ホントにごめん』

その言葉を聞いて、落ち着きかけていたのにまた涙が溢れた。

『光のバカ。楽しみにしてたのに忘れちゃうなんてひどいよ』

光はベッドの縁に腰掛けて、子供みたいに泣きじゃくる私を抱きしめながらまた何度も『ごめん』と呟いた。

光があまりにも申し訳なさそうに何度も謝るので、テーマパークにはまた別の日に行くことにして、その日は家の近くの大きな池のある公園で一緒にお弁当を食べた。
手を繋いで池の周りを散歩してボートに乗った。

本当はどこかへ行っても行かなくても、光と一緒にいられたらそれだけで良かった。
ただ忘れられたのが悲しかっただけで、いつも光にとって一番特別な存在でいられたら、それだけで良かったんだ。

そういえば喧嘩をしてもいつも先に謝るのは光だった。
謝らなきゃいけないのは私だったとしても、なかなか素直に謝れない私の性格をわかっているからか、光が先に謝ってくれた。

『ホントにごめん。好きだよ、瑞希』

喧嘩をしても最後にはその一言で仲直り。

離婚する時、光は一度も謝らなかった。
もう好きじゃない私とは仲直りする必要がなかったからなのかも知れない。




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