傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣

葛藤 4

「篠宮がいなくなった後、少し話した」
「えっ……何を?!」
「話したってほどでもないか。知り合いかって聞かれたから隣の課の同期だって答えたら、名刺渡してくれって頼まれた。会って話したいことがあるから連絡くれってさ」
「会って話したいこと?」

離婚についてはすべて話はついてるはずだけど。
それにもう5年も前のことだし、今更話すことなんてあったっけ?
ビールを飲みながら考えたけれど、私には思い当たる節が見当たらない。

「なんで急にそんなこと……」
「さぁな。俺もそこまでは聞いてない」

光が何を話したいのかはまったく見当がつかないけれど、話をするために会いたいとは思えない。

「話だけなら電話でもいいかな。会うのはやっぱりちょっと……」
「なんで?会えばいいじゃん」

門倉は事も無げにそう言うけれど、私は光と会うつもりはない。

「だって……。昼間のあれを見てたならわかるでしょ?」
「俺は篠宮が禊を終わらせるいい機会だと思うけどな」
「……どういう意味?」
「俺の予想では、今のままだと篠宮の禊は一生終わらないと思う。離婚するにはそれだけの理由があったはずなのに時間が経つにつれて篠宮は元旦那にどんどん縛られていってる気がするんだ」

そう言われると確かにそうなのかも知れない。
離婚してすぐの頃は心の中で、妻の留守中に浮気相手を連れ込んだ光をこれでもかと言うほど責めたし、ノコノコ上がり込んだ浮気相手のことも散々なじった。
だけど門倉と禊をするようになってからは、仕事に夢中で光を気遣えなかった自分ばかりを責めている気がする。
そして光と過ごした幸せだった頃のことを思い出しては泣いた。

もしかして私は光との間に起こったイヤな部分をなかったことにするために、本当に好きだったことや幸せだった頃のことばかりを思い出して、光を美化しようとしてるんじゃないか。
確かに光のことは本当に好きだった。
けれどもう過去のことだ。
いい加減光へのいろいろな想いは断ち切らないといけないのかも知れない。

「確かに門倉の言う通りかもね。私ちょっと美化してたかも」
「篠宮は元旦那に対して今も罪悪感があるからな。そんな風に思い出して引きずられてるとさ、自分はまだ相手を好きなのかもとか錯覚することってあるだろ?」

……あるのかな?
私にはよくわからないけど、もしかしたら門倉にもそんなことがあったから言うのかも知れない。

「門倉にもそんなことあった?」
「ほんの少しはな。離婚してからの1年間くらいはあったと思う。復縁したいと思ったこともあるし」

門倉にもそんな頃があったんだ。
私は逆に、離婚してすぐの頃は光を許せなかった。

「でも本社に戻って一課に配属されて、篠宮と禊やるようになってからかな。心の中に溜め込んでたもの吐き出してくうちに、だんだん離婚を現実として受け止められるようになった気がする」
「良かった。私の離婚経験もちょっとは役に立ったんだ」
「役に立つ離婚ってなんだよ」

門倉がおかしそうに笑うから、私もつられて笑った。
私も門倉みたいに心を浄化できれば良かったんだけど、話すほど不完全燃焼で発生した一酸化炭素みたいに私の心に光との思い出が充満してしまう。 

「会った方がいいのかな」
「そうしてみれば?元旦那も気持ちに区切りつけたいのかも知れないしな」

この5年で私が光の好みとは真逆の女に変わったように、光にも私の知らない5年間があるはずだ。
離婚する時はとても話せる状態じゃなかったから、お互いに大事なことは何も話さなかった。
ほんの少し大人になった今なら、お互い笑ってお別れと感謝の言葉を言えるだろうか?



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