アイのいる生活 ~~独身男性オタクの家に突然美少女JK毒舌メイドロボがやってきた!?~~

皆尾雪猫

第8話 返事

急に周囲が騒然となった。

若い女子高生くらいの子がベンチをへし折りつつ
意識を失って倒れたのだから無理もなかった。

私は慌ててアイを開発した友人に電話をかけた。
周囲では救急車という叫びも聞こえたが、
私が「大丈夫です、今呼んでます」と嘘を言って制した。

「おお、シバタじゃん、急にどうした」
「今、急にアイちゃんが動かなくなって倒れたんだけど! 
どうしたら良い?」
私は泣きそうになりながら、
アイの様子を見ながら電話に向かって大声で叫んだ。

「おいおい、ちょっと待て、今どこにいるんだ。
今からすぐにタクシーで向かうから」

 私は今いる場所を伝えた。

「お、おい。アイちゃんは大丈夫なのかよ。急に動かなくなって……」
アイはぴくりとも動かず、へし折ったベンチの真ん中で倒れ込んでいる。

「大丈夫かは何とも……、色々見てみないと。
ちょっとアイの眼球を見れるか? 
虹彩の一番内側に何か文字とか出てないか?」
友人の指示の通りに、アイの切れ長のまぶたを無理やり開き、綺麗な黒い虹彩に顔を近づけた。

「ん……、これはなんか赤い文字が出ているな。
エマージェンシーエラー303って書いてあるみたい」

「あー、なるほど。
内部動作エラーで緊急停止したみたいだね。
確かにもう時期メンテナンスの頃合いだけど、
そんなすぐに303が出るもんかなぁ。
一応聞くが最近何か無理なことさせてたりしたか?」

私は悪い想像を振り払うように頭を左右に振って何とか気持ちを落ち着かせた。
アイを救えるのは友人しかいないのだ。
最近のアイとの生活を、焦る頭で思い出しつつ、友人の問いに答えた。

「そうだな……そう言えば最近のアイは二十四時を回っても起きていることが多かったな。
本人は遅くなった分だけ、朝に起きる時間を遅らせているから
問題無いって言っていたけど……」

「確かに機械の保全上、二十四時前に寝た方がいいけど……ってちょっと待て。
朝の家事はマスターが起きる前にほぼ毎日同じ内容をこなしているはずで、
そこから逆算して起きる時間を設定するようにプログラムしている。
つまりお前が起きる時間を変えていなければ、
メイボットが朝起きる時間を遅らせることは無いはずだが……」

「そうなのか? 
ということは、それによってアイの充電休息時間が短くなって、
アイに不都合が起きたってことか?」
私は焦る気持ちを抑えられず友人に早口で尋ねた。

「まぁ確かに、原因の1つとは考えられる。
ただ、それだけでは無いと思うんだが……。」
と友人は言った後で、あることに気付いた。

「あれ、波の音が聞こえるんだけど、
もしかして今、アイと一緒に海沿いに居るのか? 
そう言えばさっき現在位置として教えてもらった場所も海に近いよな」

「ああ、そうだが、何か……?」
私は不安から語尾が震えて消えていった。

「ああー、きっとそれが原因だよ。
だからメンテナンスまで持たなかったんだな。
そう言えばお前んちって海に近かったよな」

「ああ」
「それだよそれ」友人は確証を持った声で言った。
「メイボットは精密機械の集合体だから、塩分の多い空気に触れ続けると、
どうしても腐食して故障しやすいんだよ。

どうしても動かすには隙間を多くする必要があって、
そこから腐食が始まりがちなんだよ、特に海沿いでは。
それで完全に故障する前に、緊急停止スイッチが入ったんだろうな。

普段から海にそれなりに近いお前んちで塩分を吸収し続けて、
さらに海沿いに来たことで一気に調子が悪くなって止まっちゃったんだよ。
お前、添付していた簡易説明書には塩分に弱いってデカデカと書いてあったんだが、
さては読んでないな?」

確かに説明書はさっさと読まずに捨ててしまった。
友人の指摘はごもっともであり、反論の余地が無かった。
私は何も言えなかった。

「まぁ、とにかく、そこにもうすぐ着くから、
アイのデータ回収のために研究所まで持って帰らせてもらうからな。

しかしなぁ、やっぱり塩による腐食はどうにかして正式販売までには防がないとなぁ。
まぁ試用期間も残りだいぶ少なくなったし、
貴重な海沿いで暮らすデータが取れたから良かったよ。
それで、お前のとこの試用期間はこれで終わりで、
そのまま回収ってことで良いでしょ。協力ありがとうな」

と言って、友人はすぐに電話を切ってしまった。

その五分後に友人は到着し、
そのままアイを二人でどうにかタクシーの後部座席に乗せて走り去ってしまった。

アイの返事を聞くことができないまま、
アイの真意を聞くことができないまま、
私はタクシーの後ろ姿をいつまでも追っていた。

遠い海上にさしていた太陽光も、
いつの間にかダークグレーのぶ厚い雲が隠してしまっていた。
 
 ***
 
それから私はアイの来る前の生活に戻ってしまった。
つまりはなんてことは無い、元どおりの暮らしである。

しかし一旦アイのいる生活を過ごし、アイのいる状況に慣れてしまうと、
様々な場面である種の『欠落』を感じてしまう。

朝起きた瞬間に目に入るアイの無表情で見下ろした目元。
私がご飯を食べる様子を、テーブルの向こうから眺めてながら会話をする、
なんてことのないゆったりとした雰囲気の朝ごはん。

たまにアイから発せられるキツい言葉も今では愛情の裏返しだったと理解できる。
そして常に整理整頓されて綺麗にされている自室。
遅く帰ってくると充電プラグを首筋に刺して気持ち良さそうに寝ているアイの横顔。
早く帰ってくると、ご飯を温めるためにさっと立ち上がりキッチンに立つアイの後ろ姿。
私の生活の全てがアイの記憶に結びついてしまっていた。

アイを思い出す暇が無いため、仕事中はまだ良かった。
特に今は夏季講習中でお休みが少ないから、なおさら気が紛れ好都合であった。
しかし、ふとした暇な時間、例えば風呂のときや就寝前など、
アイのことを考えてしまっている自分にしばしば気付く。
そのせいで最近は寝つきが悪く、寝不足気味で頭がフラフラしてしまう。

さらに夏季講習期間の間の休日になると、一日中自宅で過ごすだけで、
次々とアイとの思い出が蘇ってきてしまう。

ふとした瞬間にアイがいないことを思い出し「うう……」と感情が昂ってしまう。
アイに会いたいと、素直に思う自分がいた。

そんな夏季講習の間の最後の休日に、私の携帯が鳴った。
発信者はメイボット開発者の友人であった。

私は気持ちを落ち着けるために、
なるべく時間をかけて何度もコール音を鳴り響かせた後で電話にでた。

「よおシバタ、久しぶり」
「なんだどうした。試用期間は無事に終わって、
アイが回収されたテスターは用無しってことじゃ無いのかよ。」
私は多少の口惜しさと怒りを込めて友人に言った。

「まぁまぁそう怒るな。
アイちゃんのデータを見たらとても興味深くてな。
海岸に近い場所での腐食に関するデータも貴重だけど、
AI機能、特に感情面のデータもとても面白かったんだよ。

それで、その貴重なデータに免じて、これから良い物がそっちに届くはずなんだからな。
期待しておいてよ」
メイボット開発者の友人は言った。

私はすぐに友人の言葉は理解できなかった。
なんだよそれ、と思っていると、唐突に玄関のチャイムが鳴った。
友人はこの玄関のチャイムを聞くと
「お、タイミングが良すぎるな」
という発言を残して電話を切ってきた。

インターホンに出ると宅配便とのことだった。
私は急いで玄関に向かうと、配達のお兄さんが、段ボールを台車に載せて立っていた。
その段ボールは通常の物より大きく、ちょうど小柄の子が入りそうなサイズだった。

私は思わず息を呑んだ。
すぐには動き出せなかった。

震える手で伝票にハンコを押すと、
荷物の差出人欄にメイボット開発者たる友人の名前が書かれていることに気づいた。
荷物の中身を書く欄には『アイ』と汚い字で書かれていた。

配達のお兄さんには、玄関先でその段ボールを下ろしてもらった。
「やっぱり愛ってのは重いんですねー」
と冗談めかして話しかけられたが、私は何も答えられなかった。

下ろした段ボールに私の靴が挟まれたが気にしてはいられない。
早速段ボールの正面を破いて開くと、

一人のメイド服の少女が体育座りをしていた。

きっちりと体型に合わせて仕立てられたメイド服に、
黒髪のショートヘアー、切れ長でクールな目元、
小ぶりながらも確かに存在する胸元の膨らみ、すらりと伸びた手足。
全てが記憶の中のアイのままだった。

私は立っていられなくなり、アイの前で跪き、
そのまま両手を前に、アイへと差し出した。
涙で目の前が滲んできた。

すると、おもむろにアイは動き出し、
差し出された両手を当然のように無視して段ボールから外に出た。
そして、違和感のある機械的な音声でこう言った。

「初期設定をします。名前を教えてください」

重い沈黙が続いた。
私は何も言えなかった。
言い出せなかった。
周囲から音がすっぽりと消えたかのようだった。

言いようの無い喪失感に全身が包まれ、両手から力が抜け、
ガックリと膝立ちのまま両手を地面について項垂れることになった。

「名前を教えてください」

アイは再び機械的な音声で言った。
私が名前を言わなければ、
何度でも、
何十回でも、
何百回でも聞いてきそうな無機質な喋り方だった。

私は感情の矛先が見えず、
拳を床に何度も何度も叩きつけることしかできなかった。

「名前を教えてください。
もしや忘れてしまったんですか。
ご主人様が好きと言った相手の名前を」
相変わらず機械的な音声だったが、私は内容に耳を疑った。

「え……」
私はその場で顔を上げた。

「私、アイって名前嫌いなんですが、
アイで良いですか? 
良いですよね、だってご主人様はAIからアイと名付ける非常に単純な人間ですもんね」
アイは淡々と毒を吐く。

それすらも私は聞いて懐かしく、胸が熱くなるものを感じた。
鼓動が早まり、呼吸が徐々に浅くなっていった。
感情の昂りで涙がどんどん溢れてきた。

「でもそんなご主人様のこと、アイも嫌いではないですよ」

私は思わず目を見開き、アイのクールな顔を見つめながら立ち上がった。
私は何も言えなかった。

両目から涙がこぼれ落ちた。
口からは小さな嗚咽が漏れた。
あまりの感情の振れ幅に思考が整理出来ず、
自分の感情を何一つとして言葉に出来なかった。

その代わりに私はアイを抱きしめた。
アイの存在を確認して、もう二度と逃さないために強く。
自分の愛情の大きさが誤解なくアイに伝わるように強く。

アイは急に抱き寄せられて、体を一瞬びくりとさせて驚いていたようだったが、
きっちりと受け止めてくれた。

私はアイの右肩を涙で濡らしながら、アイの言葉を聞いていた。

「全く急に抱きつくだなんてセクハラもいいところでしょう。
しかも力が強すぎて、腰や背中が砕けそうです。
全く本当にご主人様は気持ち悪いですね」

その言葉とは裏腹にアイは腕を伸ばして頭を撫でてくれた。

綺麗な笑顔を浮かべているんだろうと私は思った。

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