猪口才な男

西本雄治

猪口才な男 #完


 長介はお千代を連れて、両国広小路のすぐ近く、米沢町にある《まる屋》という居酒屋に向かった。
 それほど大きな店ではないのだが、二階建てで、その二階部分が狭いながらに個室になっている。部屋はいくつかあるのだが、そのうちの一つの障子戸を開けると、三畳ほどの部屋で与之吉が待っていた。
「待たせたね」
 言いながら部屋に入り、与之吉と向かい合って座る。初対面のお千代は、戸惑ったような顔をして、長介に寄り添うようにして座った。
「初めましてだね、お千代さん。俺は与之吉ってもんだ」
「は、はぁ」
「はは、大丈夫だよ。この男はおらの友達だ。今回、いろいろと世話になったお人だよ」
「さようでございました。これは失礼いたしました。お千代と申します」
 長介の言葉に安心したのか、お千代が姿勢よく座り直して、頭を下げた。その様子を、与之吉が目を細めて見ていた。
「なるほど。長介さんが放っておけなかったのも、わかる気がするなぁ。よくできたお人のようだ」
「はは、そうかい?」
 言いながら、懐から十両を取り出した。そのうち五両をお千代の前に置いて、
「まず、借りていた五両は返しておくよ」
「そんな……私は貸したつもりはありません」
「おらは借りたつもりだったよ。まぁ、受け取ってくれ。それから四両は与之吉さんに」
「いいのかい? 長介さんには一両しか残らねぇが……」
「かまわねぇよ。与之吉さんがいなかったら、手に入らなかった金だ」
 与之吉は一つうなずくと、それ以上の遠慮はせず、四両を懐に入れた。裏の社会で生きていた人間なだけあって、無用な遠慮というものを承知している。
 だが、その様子をお千代が不思議そうに見ていた。
「あの、与之吉さんがいなければ……というのはどういうことなのでしょう?」
「知りたいかい? あまり気分のいい話ではないかもしれないよ」
「教えてください。私のことです」
 長介はちらりと与之吉を見て、彼がうなずくのを確認してから、お千代へ目を向けた。
「実はね、さっきの博打はいかさまだ」
「いかさま……?」
 先ほどの賭場が、いかさま博打をしているところで、お千代の父親もいかさまで借財を作らされたのだと話して聞かせた。
「大丈夫かい」
 真実を知り、顔を伏せて気落ちしたような様子を見せたお千代だったが、長介が声をかけると、顔を上げて小さく笑った。
「はい。心配をおかけして、申し訳ありません」
「いや、謝ることでもないが……」
「それで、どうして勝てたのでしょうか。いかさまで、負けるのならばわかりますが」
「うん。いかさまを使ったのがおらのほうだからな」
「どうやって……」
「俺だよ」
 眉根を寄せるお千代に、与之吉が笑って言った。
「床下にいたのは俺なんだ。仙蔵の子分は、縛り上げられて寝ていたよ」
「まぁ」
 自慢げに話す与之吉を、お千代は目をぱちくりとさせて見つめた。
「あまり褒められたことじゃないが、今回は仕方ねぇ。なぁに、元はいかさまで作った借財。いかさまで返しても罰は当たるまいよ」
「私のために、ありがとうございました」
 お千代が頭を下げた。それ見て、長介はふふんと鼻を鳴らして笑った。
「それで長介さん。これからどうするつもりだ? いかさまに気がついたら、あいつらは血眼になって長介さんたちを探すだろうよ」
「うん。おらは今夜のうちに江戸を出るよ。国に帰ろうと思う」
 支度は済ませてある。秋田屋での人足も、そろそろ辞めなければと思っていただけに、ちょうどい機会だと迷いはなかった。
「そうか。寂しくなるなぁ。お千代さんはどうするか決めてんのかい?」
「私は……」
 お千代は困ったように視線を落とした。
「どこか、江戸以外に身寄りはないのかい?」
「はい……」
「そいつは困ったなぁ……」
 長介も一緒になって目を伏せた。長介にも、お千代を任せられるような知り合いはいない。
 と、
「何も困りはしねぇだろ? 長介さんが国に連れて帰ればいい話じゃないか」
 与之吉が、さも当然とばかりに言う。晴れやかな顔をしていた。そんな与之吉を、長介は目を丸くして見る。
「ば、馬鹿言っちゃだめだよ。嫁でもねぇ女を、国に連れて帰るなんて」
「気にすることかい? お千代さんは嫌かね?」
「私は、別に……」
 お千代が目を伏せて言う。膝の上で両手をもじもじとさせて、頬を赤くしていた。その横顔に長介の心ノ臓は弾けそうになる。
「お千代さんはいいようだよ。あとは長介さんが決心すればいいだけだ」
「決心と言われても……」
「それともなんだい? まさか長介さんは、お千代さんを放って帰る気なのか?」
 そんなことを言われては、選択の余地はない。
 長介は緊張に表情を強張らせ、恥ずかしそうにするお千代を横目に見た。治兵衛や仙蔵相手にだって、こんなに緊張しなかった。
「その、お千代さん。おら一緒に来るかね? 山ばかりのなんにもねぇところだが……」
「はぁい……」
 決して大きな声ではなかったが、お千代の返事はしっかりと長介の耳に届いた。どことなく甘い声に、長介の心ノ臓は激しくなる。
 長介は夢心地で、お千代のことをしばらく見つめていた。

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