猪口才な男

西本雄治

猪口才な男 #4


――何やらいい匂いがするなぁ……。
 翌朝。長介は鼻をひくひくとさせながら、目を覚ました。
 昨晩はどうにも寝付けず、難儀しただけに、もう少し寝ていたかったが、腹の虫を刺激する匂いには抗いがたい。仕方なく、重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。
「う~ん……」
 猫のように丸くなって寝ていた体を伸ばし、部屋の中央に置かれた長火鉢の反対側へ目をやる。九尺二間(約二・七メートルと約三・六メートル)の狭い部屋。個室なんてものはないので、お千代とは長火鉢を衝立代わりにして寝たのだが、そこにお千代の姿はなかった。
「おはよう。昨晩は寝られたかい」
 土間へ目をやり、そこで着物に襷がけをして立っている、お千代へ声をかけた。
「おはようございます。おかげさまで、ゆっくりと休むことができました」
 お千代が振り返り、にっこりと笑って言う。顔色もいいようであった。
「今、朝餉の支度ができますので、ゆっくりしていてください」
「そいつはありがてぇ。けど、味噌なんてどこにあった?」
 鼻をひくひくさせる。味噌汁を作っているようだが、味噌の備えなんてなかったはずだ。
「お隣の方が分けてくださいました」
「あぁ、そうか」
 口うるさいが面倒見のいい隣人を思い浮かべ、うなずく。
「勝手なことを、申し訳ありません」
「別にいいよ。おらもよく世話になっているからね。あとでおらからも礼を言っておこう」
「よろしくお願いします」
 言って、お千代は朝餉の支度に戻った。
 その姿を、長介をぼんやりと眺める。かまどの熱のせいか、頬を赤くしながら、伏し目で味噌汁の加減を見るお千代の横顔を見ていると、何とも言えぬ心地持ちになった。
――嫁をもらったら、毎日、こんな姿が見られるんだろうか……。
 あまり考えたことはなかったが、誰かと一緒に暮らすというのも、よいものなのかもしれない。一人身も気楽で悪くないのだが、きっと、それとはまた違った楽しみがあることだろう。
――ま、相手がいねぇんだけどな……。
 そのことに苦笑した長介だったが、ふと、
――お千代さんには、いい人がいるんだろうか……?
 と考えた。
 そして、すぐに我に返って恥ずかしくなり、お千代から視線を逸らす。
――何を考えてんだ? おらには関係ないことじゃないか。
 そう思うものの、落ち着かない気持ちになる。
 それが考えた恥ずかしさのせいなのか、お千代のいい人が気になっているからなのか。それはわからない。
 長介はなんとも妙な気持で、朝を過ごした。

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