猪口才な男

西本雄治

猪口才な男 #2


 長介はひとっ走りして、手紙を届けた。
 それ自体は四半刻しはんとき(約三十分)ほどで終わったのだが、その帰り道、この日、二度目の厄介ごとを目撃してしまった。
――何ごとだ?
 小梅村を発ってすぐ、業平橋の東側のたもとに差し掛かった時、橋の中央で三人の浪人に取り囲まれている女が目に入った。
 たそがれの空の下、長屋への道を急いでいた長介だったが、これを放っておくわけにはいかない。まずは状況を探ろうと、そっと浪人たちの後ろへ歩み寄った。
「そう邪険にしなさんな。あんたにとってもよい話だと思うんだがねぇ」
 と、これを言ったのは、女の前に立つ町人の男だ。浪人たちの影に隠れて見えていなかったが、どうやら浪人は、この男が連れているらしい。背中しか見えないので人相はわからないが、しゃがれた声が気持ち悪かった。
「よい話? どこがですか……!? 岡場所なんて……!」
 女が声を絞り出すようにして言い返す。こちらは顔が見える。年の頃は二十歳といった感じの、丸顔が愛らしい女だった。特別、美しいというわけではないが、岡場所にいれば、気に入る男も現れることだろう。
「それじゃ、どうやって親父さんの金を返すつもりだ? 証文だって、こうやってあるんだ」
 女に証文らしい紙をひらひら振って見せる。
「それは……」
「こちとら、取って食おうってわけじゃねぇんだ。借りた分働いてくれたら、辞めてもらってかまわないんだよ」
「そんなこと言われても……岡場所なんて……」
「ちょいとごめんよ」
 長介が背後から声をかけると、驚いたように男と浪人たちが振り返った。女と話をしていたのは、団子鼻と、その鼻の頭に付いた大きなほくろが特徴的な、四十がらみの男であった。まっとうな商いをしているようには見えない。
「なんだ? 今、取り込み中なんだがねぇ」
 団子鼻の男は、目を細め、いぶかしむような眼差しで長介を見た。それを愛想のよい笑顔で受け止める。
「はいはい。それは十分に承知しておりますがね。口を挟ませていただきますよ」
「何?」
「無理強いは、しないほうがよろしいかと思いましてね」
「なんの関係もない、あんたが首を突っ込むことじゃない。痛い目に遭いたいかね」
 男が隣の浪人をちらりと見る。浪人が腰の刀に軽く触れ、睨むように長介を見た。
「いやいや、勘弁願います。……ですが、そこの女の顔を見てくださいな」
 言いながら男の横をすり抜け、女の隣に立つ。
「この不安そうな顔。こんな顔をされては、客も萎えるってもんで」
「ふん。知ったような口を利くな。そういう女を抱くのが好きという男もいるのだ」
「ほぉーさようで。旦那はそうでござんすか? そういう女を好みで?」
 右手に立っていた浪人に歩み寄り、顔を覗くようにして尋ねる。まじまじ見つめると、浪人は僅かに眉根を寄せ、困ったように顔をそむけた。
 その瞬間、長介は動いた。
「何しやがる!」
「うるせぇ! 後ろに下がりやがれ!」
 怒鳴る長介の手には、刀が握られている。顔をそむけた隙を狙って、浪人の腰から盗んだものだ。
 でたらめに振り回し、団子鼻の男と浪人たちとの距離を取ながら女に叫ぶ。
「走れ!」
「……!」
 初めは驚いた顔をした女だったが、すぐに理解し、刀を振り回す長介の背後を通って逃げ出した。長介もそれを追って駆け出す。
「待ちやがれ!」
「誰が待つもんか!」
 橋を渡り切ったところで振り返ると、刀を抜いて追ってくる浪人たちに、くすねた刀を投げつけた。くるくると回転しながら飛んでくる刀に、浪人たちが慌てる。
 その隙に、長介は女を追って逃げ出した。

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