猪口才な男

西本雄治

猪口才な男 #1


 どうにも黙っていられぬ性分なのである。
『損な性格だねぇ』
 などと言われることもあるが、こればかりはどうしようもない。
 そんなわけで、この日も黙ってはいられなかった。

――また旦那が勘違いしておられる。
 夕刻、一日の仕事を終えて帰ろうとしていた長介ちょうすけは、店の前で人足を叱る、秋田屋治兵衛あきたやじへえの姿を見て足を止めた。治兵衛は、深川木場で材木問屋を営んでいる、五十がらみの男で、長介は半年ほど前から、彼のもとで人足として働いていた。
 そして、その治兵衛に、
「あんたが私の煙管きせるを盗んだのはわかっているんだよ!」
 と、とんでもない疑いを向けられている若い人足が、与之吉よのきちである。年が近いということもあって、一番仲がよいのが与之吉なのだが、他の人足たちは、あまり彼と関わろうとしない。それというのも、
「入れ墨者なんて雇うんじゃなかったよ!」
 治兵衛が怒鳴る。
 そう。与之吉は入れ墨者なのだ。つまり、かつて罪を犯したことのある人間なのである。だから、仲良くなろうという者はいないし、何かあると、すぐに疑いの目が向けられていた。
 それ自体は因果応報であり、ある程度は仕方のないことだと思う。与之吉も承知しているようで、不平や不満を聞いたことがない。今も下を向いて、治兵衛の言葉に耐えている。もとから小柄だが、より一層小さく見えた。
――これはいけねぇな。
 むしろ、耐えられないのは長介のほうだ。大股で歩み寄ると、首を突き出すようにして二人の間に割って入った。
「旦那、それはいけねぇよ」
「なんだ長介。またお前か」
 治兵衛がなんとも嫌そうな顔をした。しかし構わず、長介は続ける。
「人の通りもありますんで、あまり大きな声を出すのはお控えなさったほうが」
「けど、入れ墨者なのは本当じゃないか!」
 通りを行きかう人々が『入れ墨』という言葉に反応して、こちらを見ていた。
「ですがね。入れ墨者の人足がいるというのは、店の評判にも関わるってもんで」
「むむ……」
「誰の得にもならねぇことは、しないほうがいいってもんだ」
「生意気なことを……」
 治兵衛は憎々しげに長介を見るも、それ以上の反論はなかった。
「それに、旦那の煙管を盗んだのが与之吉さんだっていう証があるんで?」
「ないよ。けど、他に誰がいるんだ」
「それはわかりませんがね。……与之吉さんはどうなんだ? 盗んだのか?」
「まさか。俺は盗んじゃいないよ」
 不安げな顔をして、首を横に振る。
「こう言っておりますし、信じてはもらえねぇもんかね」
「信じられるものか! 現に、私の煙管がないではないか」
「どこかに置き忘れたということも」
 治兵衛は先日もかわやに煙草入れを忘れ、それを与之吉が盗んだと騒いでいた。
「厠も床の間も探したよ。けど、なかった。これはもう与之吉が盗んだとしか……」
 と、そこまで言った時だった。
「旦那様! 旦那様! ありましたよ! 旦那様の煙管!」
 店から女中が飛び出してきた。手には治兵衛がいつも使っている煙管が握られている。
「なっ!」
「庭の井戸のところに置いてありましたよ」
「どうしてそんなところに……あっ」
 何かを思い出したらしく、治兵衛はきまりが悪そうに顔を伏せた。
 それを眺め、長介はにこにこと笑う。
「見つかってようございましたなぁ。これで一件落着ですな」
「む、そうだな。手間を取らせてすまなかったね。もう帰っていいよ」
 そう言って店に入ろうとするのを、長介は許さなかった。
「そいつはよくねぇよ、旦那」
「何?」
「与之吉さんに、疑ったことを謝らねぇと」
「長介さん!? 俺はいいんだ。気にしないでくれ」
「いやいや、よくねぇ。こういったことはしっかりしておかねぇと。大丈夫だ。旦那は立派なお方だ。謝る度量をお持ちだよ。ねぇ」
 慌てる与之吉を横目に、長介は笑顔で治兵衛に迫る。それに気圧されたか、治兵衛は頬をひくひくとさせながらも、怒鳴ることなく、与之吉への謝罪を口にした。
「与之吉、すまなかったね。疑って悪かった」
「へ、へぇ……」
 謝られた与之吉が困ったように返事をする。
「さすが旦那! ご立派です!」
 おだてる長介を、治兵衛は睨むように見て、それからそっぽを向いて店に戻った。
「ありがとう、長介さん。助かったよ」
「別に、おらは何もしてねぇよ。旦那が勝手に置き忘れていただけだ」
「それでもさ。……けど、あまり無茶はするもんじゃないよ。毎度、助けてくれるのは感謝しているけどね」
「ふふん」
 鼻を鳴らし、なんでもないような素振りを見せた長介だったが、最近、居心地の悪さは感じていた。治兵衛には煙たがられているし、周りの人足たちも、あまり好ましく思っていなように感じていた。
――そろそろ潮時かもしれねぇなぁ。
 ここで働き続けるのは、無理かもしれない。
「追い出されたら、その時だ。国に帰って畑仕事でもするさ。それより、ちょいと腹が減ったな。何か食って……?」
 と、そこまで言った時、秋田屋の木材置場で座り込む老婆が目に入った。積み重ねた木材に腰おろし、丸くなっている。濃い紫色の着物が目を引いた。
「どうしたね。婆さん」
 歩み寄って声をかけると、老婆が顔を上げた。夕焼けに染まって顔色はよくわからないが、疲れた表情をしているのは見て取れる。
「はいはい。ちょいと休憩をさせていただいております……」
「そいつはいいがよ。こんな時間にどこに行きなさる」
「はいはい。向島の小梅村まで……。文を届けに……」
「小梅村? まだ距離があるなぁ」
 与之吉が眉根を寄せて言う。確かに、今の老婆の様子では厳しい距離に思えた。
「わかった。おらが代わりに届けてやるよ」
「えぇ……そいつは悪いよぉ」
「気にするな」
「そうだな。俺もついていくよ」
「いや、おら一人で大丈夫だ。一人で走った方が早いからな。与之吉さんは帰ってくれていいよ」
 申し出を断り、老婆の前にしゃがむ。
「さぁ、遠慮せず。届け先を詳しく教えておくれ」
「本当にいいのかえ? 悪いねぇ」
「困ったときはお互い様だ」
「いい男だねぇ。あんたのようないい男のもとには、いい嫁さんが来ることだろうよ」
「はは。一人身なことがばれてらぁ」
 文を受け取りながら、長吉は声を出して笑った。

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