予備心装士の復讐譚 ~我が行くは修羅と恩讐の彼方なりて~

平御塩

第2章11話「その心は日輪のように」



わたしが生まれたのは、帝都・奥多摩の壁外都市だ。


父が所属する自警団が怪魔たちから守っている壁外都市出身で、そこそこ裕福な家だった。


父は元山伏で母はごく普通の一般人。父が魔術師であったおかげで、わたしは魔術の才能を持って生まれた。これが特別というわけではなかったけれど、今思うとすごくラッキーなものだったかもしれない。


随分と遠い日だったけど、わたしはかつて怪魔に襲われたことがあった。


その日は、父に連れられて、怪魔を倒す所を見学するというものだった。この頃には父から受け継いだ才能である、修験道・六神通を未熟ながらもある程度使うことが出来るようになっていたので、わたしは父に無理やり懇願して連れて行ってもらった。


……今思うと、わたしは怖いもの知らずという愚か者だったと言うべきことをしていた。


怪魔は危険だし、普通の人間ではとても太刀打ちできない。心装士でなければ怪魔を打倒することは出来ないし、そうでない魔術師でもプネウマ因子を十分に持っていなければまともに戦うことなんて出来ない。


当時、まだ9歳だったわたしには当然ながらプネウマ因子もほとんどなかったし、魔力だって全然ない。あくまで「魔術を使うことが出来る程度」の才能であって、魔力生成量とかまでは受け継がれなかった。


つまり、生まれながらの凡人。ないよりはマシといったぐらいのものだった。


この時、ちょうど春の真っ只中で動きやすい時期になっていた頃で、わたしは父と共に山に来ていた。壁外都市の外は、当然ながらロゴスウォールはないから、野性の怪魔などに襲われる可能性は十分にあった


しかし、まだ怪魔の危険性を十分に理解していなかったため、好奇心から父の近くを離れてしまった。そのせいで迷子になってしまった。


当然山の中だから、わずか9歳の子供ではまともに道を覚えているわけもなく、同行者である父を見失ってしまっては簡単に見つけられるわけがない。怖くて何度も泣いていたのを、未だに覚えている。恥ずかしいほどに。


父を探して山の中を探していると、狼の姿をした怪魔に襲われた。


野性の狼とかを上回る、車と同じぐらいの大きさで人間を容易く食い千切ることが出来るほどの牙を有していた。血管のような筋で全体を覆われている、灰色の怪魔だった。


わたしは初めて見る怪魔の姿に、恐怖で腰を抜かしてしまった。その場で動くことも出来ず、尻餅をついたまま、食われてしまうのを待つだけだった。この時は、死にたくないという気持ちばかりで、助けてと叫ぶほどの精神的余裕もなくなってしまっていた。この時ほどの恐怖は、今までの人生で一番怖かった。


怪魔の牙が、わたしを捕食しようとした時、目の前で怪魔が斬り捨てられた。


何があったのか、わからなかった。何故わたしを食い殺そうとした巨大な狼の怪魔が、突然真っ二つになってなったのか。普通ならショッキングな瞬間なのに、そんなことを考えていた。


『大丈夫か、嬢ちゃん?』


気が付くと、わたしの目の前には、父ではない知らない男の人がいた。


刀を持ち、あの恐ろしい怪魔を前にしても怖気づくこともなく、余裕のある妖しい笑みを浮かべた人だった。


『はい……、ありがとうございます……』


その姿があまりにも勇ましくて、とてもかっこよくて。


『気にするな。そこに嬢ちゃんがいたからな。助けるのは、当たり前だって事さ』


自分の命をかけて、見ず知らずの誰かを救うというその姿が、とても眩しくて。


『か、かっこいい……!』


それが、わたしの夢になった。


いつか、わたしを助けてくれた剣士の人のようになれるように。


いつか、顔の知らない誰かを助けてられる人になれるように。


そのためにもっと強くなって。誰にも負けないぐらいの心と気持ちを持って。


誰にでも胸を張れるような、立派な剣士になる。父より強くなって、わたしを助けてくれた剣士の背中に追い付くために、どんな努力だって惜しまない。


八重垣日那わたしの人生は、ここから始まったのだ。










◇◆◇










「あ……、が……」


胃の中のものが逆流して、呼吸すらまともに出来ない感覚に襲われながらも、八重垣は意識を失うまいと息を吸う。しかし衝撃で足が立たず、腕も石突で突かれた腹を抑えるのに必死で体を支えることも出来ない。


――――――――――急に、昔の事を思い出していたような気がするけど、そんな事を言っていられない。


走馬燈と呼んでいいのか何だか。急に過去の記憶を思い出していたが、死にかけてはいると言ってもいいほどに、彼女の体は悲鳴を上げている。


「無様だな」


そんな彼女の前に、工藤が歩み寄ってきた。


「はぁ……、はぁ……」


八重垣は首だけを持ち上げ、工藤の顔を見上げる。


その工藤のその目は、完全に八重垣を見下す目そのものでまるで虫を見るかのようだった。


「どうだ、降参するがいい。もう貴様は負けだ。あの男の魔術支援の効果も切れているだろう?」


「――――――ゲホ」


口から血を吐きながら、彼女は自分の体をチェックする。


「そう……ですね……。確かに、もう切れている……みたい……」


彼の言う通り、柊也の魔術支援の効果がもう切れていた。


「崇村柊也に秘策か何かを仕込んでもらって霊装体に変身出来ていたのだろうが、劣等種とは所詮そんなものだろう。自分の力で己を高めようとせず、我らに媚びて力をつけようとする。実に愚かしい」


蔑むように、工藤は言った。


「ゴホゴホ!確かに、わたしは崇村さんに……、お願いしましたね……。言うまでもなく、貴方に勝つために……」


「ではなぜだ?」


何とか立てるようになった八重垣は、刀を杖代わりに立ち上がった。


体はボロボロで彼女のショートヘアの髪もボロボロで、顔も先ほどの戦闘で傷がついていた。最早満身創痍と言っていいほどに。


原科の提案で、柊也の強化付与の呪詛を、八重垣の体内に仕込んだのだ。彼女がまだ霊装体に目覚めていなかったことを見抜いていた原科は、決闘の時に勝つための秘策として、彼女に呪詛を仕込むことを提案した。


霊装体に変身できる条件。それは、自らに確固たる精神力と心を持つことである。


心装が魂をカタチに武装する力なら、霊装体こと顕現霊装は心をカタチに鎧として身にまとう力だ。そしてその力を使うには、確固たる心を持つことである。


「必ずやり遂げる」「絶対に曲げない」。


そう言った、「信念」や「決意」をカタチにしたものが顕現霊装なのだ。


「でも――――――――――、わたしが霊装体に変身できるきっかけをくれたのは、他でもなく崇村さんだったのです」


「……何?」


八重垣の返答に、工藤は首を傾げた。


工藤からすれば、全く理解できない話だろう。8年もの恨み続けてきた彼が、既に死んでいたと思っていた柊也が、彼女に対して何かしらの手助けをしているというイメージがつかないからだ。


「わたしは、この学園に来た時は霊装体に変身できませんでした。更に言えば、心装をまともに使うことなんて出来ませんでした」


心装士が心装たる所以。それは、心装を使うことが出来ることである。


修験道・六神通を使うことが出来るだけの魔術師であり、実技試験の時は父からもらった刀で何とか乗り切っただけで心装を使ったことはない。使うことが出来なかったのだから、当然である。


心装士を育成するこの学園において、心装を使うことが出来ないということはかなり重いハンデと言える。そんな彼女が合格出来たのは奇跡的とも言える。


「いつか強い剣士になるという夢を抱いていたけど、本当にその夢を叶えることが出来るかどうか、とても不安でしょうがなかった。そんなわたしに、心装を使うことが出来るなんて思わなかった」


心装は心の力。霊装体こと顕現霊装は魂の力だ。


プネウマ因子と魔力を結び付けることでカタチを成し、武装したものが心装だ。術者の精神性と相性の良いものがそのまま武器となったものである。


心装を使うことが出来るようになるには、それなりに修行が必要だが、そこで最も重要なのは「確固たる精神の確率」である。


心がブレてしまえば心装にならない。自ら定めた「信念」「願望」「意思」などと言った心的要素。これらがなければ心装はカタチにならず、心装士になることも出来ない。それでも、見込みあれば入学して在学中に心装を使うことが出来るようになる。


……夢を叶えられるかどうかなんという確信は、誰にもない。


夢とは未来を見る心から生まれるものだ。故に、夢までの道を、誰もが不安に思うし、誰にでも成功することもあれば失敗して挫折なんてしてしまうことだってある。それは如何に天才であろうと、確定した未来なんてものは見えないもの。


夢を信じても、それが叶うとは限らない。だからこそ、「その夢を叶える」という「願望」はあっても「不安」があったから、心装を使えなかったのだ。


「だけど、そんなわたしを、初めて心から応援してくれたのが、崇村さんだった」


ふっと。


そういう八重垣の表情は、先程の苦痛に満ちたものではなく、柔らかい笑顔だった。


「ずっと不安だった。どうしたらいいのかわからなかった。自分なりに考え続けたけど、この学園における現実に打ちひしがれて、叶えられないんじゃないのかって思っていたけど。崇村さんは、わたしにこう言ってくれた。―――――――――出来るとか出来ないとかそういう問題じゃなくて、何も出来なくなってから諦めろって」


それは、時裂マリの工房兼販売店でのこと。


原科から策を提案されてまとまって段取りを済ませた後のこと。


何の前触れもなく始まった、何気ない雑談での事だった。


牛嶋から始まって自分の将来をお互いに話していた。牛嶋が終わって、八重垣が自分の夢について話をしていた。


その時に、自分の将来に対して不安を抱えていることを吐露した。本当に自分は、自分が目指している心装士になることが出来るのかと。


そう言った時に、柊也から言われたのだ。


『出来るとか出来ないとかじゃなくて、何も出来なくなってから諦めろ。そうじゃないと、こんな世界でやっていけないだろう。君のような人は』


と。


「そう言われたから、わたしは自分の夢に不安を感じなくなりました。そして、わたしは、自分が本当にやりたいことを自覚したのです」


杖替わりにしていた刀を持ち直す。


「初めから迷う必要なんてなかった。自分の気持ちに、もっと素直になればよかった。だから、わたしは諦めることをやめました」


例えそれが、小さなものであろうとも。何気ない会話の中から生まれた決意であろうとも。


「だって、わたしが心に抱いた夢は絶対に、間違ってなんかいない!」


そう叫び、再び工藤に切りかかる。


やけくそにも見えるその姿勢ではあったが、その行動は八重垣日那という心装士の「絶対に諦めない」という意思そのものだった


「絶対に諦めない!何度叩き潰されたって、何度ねじ伏せられたって、何度だって立ち上がってやるんだから――――――――――!!」


自分を無理やり奮い立たせるように、震えたたせるように、彼女は叫んだ。


いつか自分の夢に到達するように。名前も知らない誰かを守ることが出来る剣士になるように。


それは、どこまでも眩しく、正しい心を持った――――――――――日輪のような心を持つ少女の叫びであった。


「下らん!」


「あっ……!」


必死の抵抗も虚しく工藤の槍は、八重垣の心装である刀を弾き飛ばし、八重垣は再び突き飛ばされる。


「夢だと?そんなもの、劣等種が自分の弱さを誤魔化すための言い訳にしか過ぎない!」


八重垣の叫びを切り捨てるように工藤は言った。


「現実から目を背け、弱さを自覚せずに夢だけを語る。そんなものはこの世界では通用しない。夢だけで生きていけるほど、この世界は甘くないんだよ!!」


八重垣に対するように、工藤の口から出たのも心からの叫びであった。


しかしそれは、八重垣とは異なって、侮蔑と怒りから来るものであり、重みが違った。


「強くなければ死ぬだけだ。弱いヤツだけが死んでいくだけだ。力がなかったら、人間であろうが怪魔だろうが食われるだけ。ここはそういう世界なんだよ。使命も誇りもない、貴様ら劣等種がいくら夢を語ろうと無意味だ。所詮、貴様も俺たちのような強者たちに食われるだけだ」


……工藤の言っていることは、現実である。


彼個人の感情だけで言えば、彼の言う「劣等種」、いわば「弱者」と言った者たちは完全実力主義である学園の中では、下の立場と言える。それは卒業するまで変わることのないヒエラルキーとして存在し、いずれ怪魔と戦うことになったとしても死ぬのが定め。


未だに人類を攻撃し続ける怪魔たちと戦う使命と責務を負う十二師家の関係者である彼にとって、劣等種とはお荷物、もしくは余分でしかなく、邪魔でしかない。


故に、夢や理想論などと言ったものに対する拒否感を抱くのだ。彼にとって、どうしようもないエゴイズムと相まって。


「――――――――――俺たちをナメたツケだ、劣等種が。精々、楽にしてくれる」


「……!!」


尻餅をついて後ずさる八重垣に、工藤は槍を向ける。


その様子に、闘技場の見学人たちの間に緊張が走る。槍が下りれば、八重垣がどうなるのかは、火を見るよりも明らかだ。


そして槍は、彼女の胸元に向かって突き下ろされた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品