Saori's Umwelt (加藤沙織の環世界)

オミィ・ランバード

第38話 Tatsuya Yamanaka (山中達也)

 と、突如、三メートルほどの高さの場所で、空間にヒビが入る。

 空間が割れた。

 普通、空間が割れて何かが落ちてくるなんていうことは、そうあることでは無い。現に、沙織の十五歳までの人生では一度もなかった。だが不思議なことに、沙織はデジャビュを感じていた。

 細めで筋肉質の男性。

ーーああ。そうだ。

 銀次郎が、音楽室のガラス窓をぶち割って、沙織たちを助けに来てくれた時と、全く同じだったのだ。違うのは、落ちてきたのが青年ではなく、四十歳くらいの俳優のような男だということくらいだ。
 髪はアッシュグレーに染めている。
 冬だというのに半袖シャツ一枚。
 黒いピタッとした革パンツ。
 腰にはジャケットを巻きつけている。
 だが、古めかしいロックファッションも年齢も関係ない。一つだけ言えるのは、彼はとてつもなく魅力的だということだ。
 さすがは、当代一有名な冒険家である。

「山中達也。俺の師匠だ」

 銀次郎が、隣でそっと教えてくれる。沙織は山中のファンなので、もちろん知っている。ただうなづいた。
 銀次郎が飛び込んできた時と違って、山中はスマートだ。まるで歩き慣れた家に入るように余計な力を感じさせず、華麗に地面に降り立った。両手ともポケットに手を入れている。

「よお。お前が沙織か? カーカッカッカッカッカ」

 男にしては少し高い声で話しながら、山中は大股で沙織に近づいてくる。普通、初めて会う人間に対しては警戒心があるものだ。だが、全くない。沙織が子供なので舐めているのだろうか。そして、間合いを詰めるのもうまい。気が付いた時には、沙織は山中に頭を撫でられていた。

「大きくなったな」

 尊敬しているとはいえ、舐められるのは嫌だ。沙織は頭を振って、撫でられることに反抗した。

「ははっ。ヒヨコみてーだ」

 全く避けられる気配がない。山中は、さらに一層、沙織の頭をガシガシと撫でてきたので、沙織は抵抗をやめた。
 山中は、沙織の持っている黒棒に目をやった。

「やってんじゃん。どうだった? お前もファンタジスタだったか? その腕輪から、雅弘のだけじゃなくグスタフ(ダビデ王)のオーラも感じるな。やるね。さすが沙織だ。俺のこと覚えてるか? 覚えてねーか。あの時の事故はひどかったもんな」

「知ってるんですか?」

「俺が見たのは事故の跡だけどな。焼け焦げたすっげー大きな穴が空いてて、大惨事だっただろうことはすぐにわかるような有様だったぞ」

「何があったんです?」

「雅弘がS3DFを使用中に誰かに襲われ、暴発させてしまったんだ。その中心にいた雅弘は行方不明になった」

「パパは爆発の中心にいたんですか?」

「ああ」

「だったら行方不明ではなく、爆死したということではないのですか?」

 山中は、沙織の「希望的観測ではなく真実が知りたい」というストレートな物言いに驚いたが、すぐに答えを返した。

「そう思うだろう? 俺もそう思った。だが沙織。お前が問題なんだ」

「アタピが?」

「そう。お前だ。同じく爆心地にいたお前が、なぜか今、ここにこうして生きている。ということは」

ーーえっ? アタピ、その現場にいたの? それなのに生きてたってことは……。

 沙織がわかったことを、愛染は口に出した。

「雅弘もどこかで生きているかもしれない、と」

「そういうことだ」

 山中は、立ち上がって愛染の方を向き、話を続けた。

「なんせ、爆心地には、雅弘が死んだという、肉片を含めたあらゆる証拠が全くないんだからな。しかし愛染、お前も頭がいいな」

「も?」

 山中は軽く笑った。

「おいおい。お前が言うまでもなく、沙織もその意味がわかっていたぞ。しかもお前よりも早く、な。しかしお前……」

 山中は、棒を持っている愛染の左手をつかんで、愛染と目を合わせた。

「やっぱりな。お前のオーラ、俺なら今すぐ通してやれるぞ」

「どうやってですか?」

「俺のオーラとお前のオーラは似ている。俺のオーラをお前に流すことによって、強制的にお前のオーラの穴を開けてやることができる。どうだ? 俺をお前の初めての男に選ぶっていうのは」

「お願いします」

 愛染は、四十男の痛い下ネタにひるむことなくお願いした。

「ふ。少し痛いぞ」

 山中は嬉しそうだ。愛染は、覚悟の目を山中に返した。山中は決意を感じて、両手で愛染の左手を包み込む。

 と同時に、二人は巨大なオーラに包まれた。バチバチと派手な放電をしているようで、色もはっきりと光って見える。
 光は徐々に密度濃く輝き続け、ついには見ることもできないほど眩しい金色になった。
 金色の光は徐々に収縮され、愛染の左手に収まっていく。絞られ、ぶちまけられた大量のオレンジジュースが、元のオレンジに逆再生されるようだ。
 愛染はかなり苦しんでいる。

ーーあの、いつも涼しく、自信満々の表情を崩さない愛ちゃんが、まさかこんな顔をするだなんて……。

 通常ではない痛みだということは容易に想像がつく。最後に金色は、全て愛染の左手に吸い込まれ。
 そして。
 いきなり……。

 ドンッ!

 何かが膨張して爆発したような音が、爆風とともに耳を侵した。

 愛染の左手に握られていた黒棒は、ただの壁としか思えない巨大な黒色の山として、沙織の目の前に立ちふさがっている。

ーー戻れ。

 愛染が念じると、その巨大な黒塊は、何事もなかったかのように、手のひらにすっぽりと収まる棒に戻った。

「これでオーラの使い方、わかったろ?」

「はい……。ありがとうございます!」

 茶目っ気のある顔で笑う山中に、愛染は心からの笑顔で返した。いつも元気な愛染にしてもさらに元気な声。自分をコントロールしているようないつもの元気ではなく、自分自身でもこんな大きな声が出たことに驚いているくらいに元気な声だった。

「これで愛染はひとまずオーケー、だな」

 山中はダビデ王を見た。

「ああ。そうじゃな。あとは師匠を決めて、その者が受かると保証すれば試験を受けてもらおう。それでは早速、この中で師匠になりたいものがいるか聞こうか?」

「いや」

 山中は否定して続けた。

「俺がなる。そして、修行し次第、すぐに試験を受けさせる。どうだ?」

 愛染もすぐに言葉を返す。

「はい。考えるまでもありません。よろしくお願いします」

「おう」

 山中は、自分より高い背丈の愛染の肩を抱いた。

ーーこんなにもすぐに決まっちゃうほど愛ちゃんは実力があるの? そして、アタピはどうなんだろ? ここでもまた遅れをとっちゃうのかなぁ。

 沙織は焦りを感じた。

「それじゃ、時が来たら愛染には試験を受けさせるとして」

 山中は、沙織の方を向いて目を合わせた。やはり山中は沙織のことを見捨てていなかった。それはそうだ。親友の娘で、実際、昔に会っていたこともあって、先程は愛染に「沙織も同じくらい頭がいいぞ」とフォローを入れてくれていたくらいだ。
 しかし、山中の言葉は、沙織の思っていた言葉とは少し違っていた。

「沙織は、どうしようか、な」

 沙織は、先程愛染にやったオーラドバー、というのをやってもらいたかった。痛いかどうかなんてどうでもいい。オーラを習得しにきて、オーラのコントロール方法を学べるのなら、何でもやるに決まっている。沙織は、犬が餌をくれと哀願しているような瞳で山中を見た。

「うーん」

 先ほどまであれほど歯切れの良かった山中が悩んでいる。

ーーこれはもしかして……、山中に対して、礼儀が足りないという催促なのだろうか?

 沙織は推測して、慣れない丁寧語で山中に頼むことにした。

「山中さん。アタピにもあの、ドバーッてやつ、お願いします」

 がんばって丁寧語で頼んだが、山中はまだ迷っている。

「うーん」

「もしかして、オーラの都合で一日一回しかできないとか?」

 下を向いて考えていた山中は、ハッとした顔で沙織を見て大きく笑った。

「ああ? カーッカッカ。いやいや。そういうことじゃねーんだ」

 山中は、沙織をじっと見た後で続けた。

「そうじゃなくて、お前のオーラが俺と合わねーから、さっきのをやっても無理なんじゃねーかなってこと」

 オーラにも種類があるということを知らなかった沙織は、だが可能性があるのならという顔で山中を見つめ続けた。

「可能性があるのなら迷わずに、か。冒険者として良い適性を持っているな。雅弘みてーだ。よし。俺も元来迷わねー性格だ。いっちょやってやっか。ただし、すげー痛てーぞ」

 沙織は大きくうなづいた。山中は、沙織の棒を持っている右手を握った。

「沙織。手の中に膨らし粉を注入しているような痛みだよ」

 愛染は沙織に、悪戯っぽい顔で自分の左手を見せた。確かにいつもより愛染の顔が疲れているように見える。だが、やめろとは言わない。ただ頑張れというだけ。信頼しているのだ。
 沙織はうなづいた。

「それじゃ、いくぞ」

 山中が言うと同時に、沙織の右手に大きな力が注ぎ込まれていく。バチバチと光りながら、白から虹色、黄色、オレンジ、紫、赤、そして金色。右腕が取れても構わないという覚悟で挑んでいた沙織は、思ったよりも痛みがないなと思った。手の皮の表面だけがチリチリとする。せいぜいピーチーズが全員で、自分の右手をペチペチと叩いているような。そんな痛みがしばらく続いた。
 金色の光は徐々に沙織の右手に収縮して……、そして弾けた。金色は、キラキラと星のかけらのように、空気中に浮遊している。

「やはりダメだったな」

 意識を集中していた山中は、集中を解いて沙織を見た。

「沙織のオーラは何か特殊なんだ。雅弘と同じものを感じる。そういうオーラは強い場合が多いが、扱いにくい」

ーー特殊で強い?

 沙織は、山中が自分に対して大きな評価をしていることに満足していた。だが、現実問題としては、愛染のように簡単にオーラを扱えるようにはならない、ということがわかって迷いを持った。

「そこでどうだろう? 雅弘と同じ師匠を頼ってみては?」

「モフフローゼンか?」

 ダビデ王が、慌てた声で尋ねた。

「ええ」

 山中は自信ありげな声で答える。

「しかし、あいつはあの事件以来、姿を消し、現在は世の中を避けるようにして隠居生活をしているらしいぞ」

「あの事件は、確かにモフフローゼンに不信感を植え付ける事件だったでしょう。ただ、沙織は雅弘の娘です。雅弘の娘ならばモフフローゼンも心を開くかもしれません」

「しかし、あいつの場所はワタシにもわからん」

「大丈夫。俺は先日、彼の居所を知ることができました。彼はここ、リアルカディアにおります」

「なんと!」

「灯台下暗しですね」

「では」

「はい。ダビデ王。あなたは紹介文を書いてください。明日、沙織を連れてモフフローゼンに会いに行きましょう」

「しかしお前は……」

「そうですね。確かに俺は嫌われているので、一緒についていくことは難しいでしょう。そこで我が弟子、銀次郎を沙織につけていかせましょう」

「わかりました」

 銀次郎は、自分の胸に手を当てて了承した。

「私も行こう」

 愛染が言ったが、それについては山中が首を振った。

「いや、お前はダメだ。これからしばらくは毎日俺と修行しねーと、お前のオーラは身につかない」

「しかし……」

 山中は愛染をにらんだ。

「なんだ? お前は師匠と、自分の兄弟子と、親友のことが信じられねーのか?」

「いえ、そんなことは。はい……わかりました」

 愛染も、自分でも知ってか知らずか、兄弟子同様、自分の胸に手を当てて了承した。

「うん。愛染。お前は沙織の心配をしすぎる。それでは沙織の成長を妨げるし、お前のためにもならない。成長しろよ」

「は、はいっ」

 珍しく愛染が動揺している。山中と師弟関係になって間もないというのに、もう何十年も師弟関係を結んでいるかのようだ。

「おう。素直な弟子で嬉しいぞ。それじゃあお前ら二人、明日学校が終わったらまたメゾニックセンターに来い。そしてダビデ王。あなたはモフフローゼンに紹介状を一筆、書いておいてください」

 沙織と愛染は「はいっ」と返事をし、ダビデ王は「わかった」とうなづいた。


「今日の議題は、これで全て解決したな」

 円卓に座っている、西洋風の鎧を身にまとった一人の男が場を仕切った。手も足も頭も三組ずつついている。KOQ(女王陛下の騎士団)副団長、ホームアローンというクリーチャーだ。

「うむ。それでは今日の円卓会議はこれまでだ。解散」

 ダビデ王の一言で全クリーチャーが一斉に騒ぎ出し、同時に動き出す。

 円卓にいたクリーチャーたちは、次々とやってくる目のない巨大魚に食べられて、あるものは上へ、あるものは下へと消えていった。

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