Saori's Umwelt (加藤沙織の環世界)
第32話 Yama is Yummy (雙王)
扉を入って直線に暗い空間を歩く。
暗闇なのに何故か歩くことに不便を覚えない。
遠くに光が見える。
おそらく開けた空間があるのだろう。
たくさんの話し声も聞こえてきた。
ーー古代ローマのコロシアムで戦う剣闘士は、おそらくこんな気分だったんだろな。
先はわからないが進むしかない。
沙織は、高揚と恐怖と緊張感を小さな胸いっぱいに抱きながら、無表情で、光差す彼方(かなた)へと歩いていった。
光の先は巨大な部屋。
まるで裁判所のようだ。
百人を超す観衆が、沙織と愛染の二人を取り囲むようにして座っている。
目の前には大きな机がある。驚くのは、そこに座っているのが、五メートルを超えるほど大きな、赤い顔をした男だということだ。
離れていても熱量がすごい。昔の中国の官僚のような格好をしており、口からは牙がはみ出ている。
ーーでっかー。
男は、左右に三メートルを超える屈強そうな鬼を従えている。
彼らは頭に角があり、金棒を持っているのだから、もはや鬼と断定してしまっても差し支えないだろう。
周りにいる観衆は、鬼らしくもあり、そうでないものもいる。ただ総じて言えるのは、何となく小汚い服を着ているということだ。
ーーここは……鬼の王国? まあそりゃ、クマオみたいなクリーチャンが住むぬいぐるみ王国があるくらいなんだから、鬼の王国があってもおかしくはないか。
沙織は、慌てていないふりをしながら辺りを見回した。
自分の常識がゆっくりと塗り直されていくのがわかる。なんだか気持ちが良い。
「加藤沙織。藤原愛染。前へ」
破れ鐘のような声で鬼ががなる。
愛染は、沙織と顔を合わせることすらせずに前へ進む。沙織も、丸まった背筋を堂々と伸ばし、小さな歩幅でついていった。
「加藤沙織、藤原愛染の両名で間違い無いな」
中央の大鬼が聞く。
「はい」
二人はうなづいた。
「我は冥界と転回の王、ヤマである。このリアルカディアの入国審査官だ」
「閻魔大王ですか?」
間髪入れずに愛染が尋ねる。
ヤマという名前は、地獄の王様である閻魔大王の異名でもある。大鬼は、ただでさえ見開いている目をさらに大きくさせた後、大きな声で笑った。
風が巻き起こる。
空気が轟(とどろ)く。
髪が乱れる。
ーー鬼は、これだから髪の毛がみんな縮れてるんじゃないかしらん?
沙織は、自分の前髪を押さえながらヤマを見た。
「よくわかったな」
「その出で立ち。さらに冥界にヤマ、という単語が出たら、閻魔大王以外考えられないじゃないですか?」
ヤマは満足そうにうなづいた。
「お前は……藤原愛染の方か。頭がいい。しかも我に一切の恐れる様子もなく、気軽に話しかけるとは。気に入った。実に気に入ったぞ」
「一目で私の才能を見抜くなんて、さすがは閻魔大王ですね。私も気に入りました」
愛染も笑顔で返した。本当に恐れていないように見える。
「ガーッハッハ。おい! 司禄(しろく)!」
閻魔大王は足元に話しかけた。机の下に誰かがいる。
「はい。記録しておきますですぅ」
キリギリスのようなか細い声で、下にいる小鬼が答える。書記のようだ。
「次に、加藤沙織!」
沙織は顔の横に右手をつけて、掌(てのひら)を見せながら軽く首を曲げた。沙織が可愛いと思っているポーズだ。
「お前はカトゥーの子供だと聞いたぞ」
沙織は顔をくしゃくしゃにして、上半身が半分曲がるくらいの勢いでうなづいた。
「お前は喋れないのか?」
ヤマは訝(いぶか)しんだが、沙織にとっては通常運転だ。質問がある時以外はこの程度しか普段から喋らない。大げさに、手を振って否定した。
「なんだ? 我が怖いのか?」
ーーなんかこうなるとアタピ、断固として喋りたくなくなってきた。
沙織は自分でもわからない。なぜだか依怙地(いこじ)になり、今度は両手を軽く持ち上げて、肩をすくめてみせた。
ヤマはますます不思議な気持ちになっている。だが、大鬼らしく堂々と根気よく、沙織に理由を聞いた。
「ならば、なぜ喋らない?」
ーーヤマさんは怒らずに、アタピに再度質問してくれた。
これ以上喋らないのは流儀ではなく、ただの不躾(ぶしつけ)だ。
沙織は、今度はすぐに返答した。
「意地はってた」
一度言葉を吐き出したら、言葉自体は素直だ。
ヤマは何の意地だかわからなかったが、沙織が言葉を発したことにホッとしたようだ。改めて質問を開始した。
「では沙織よ。お前はなぜ、リアルカディアに入りたいのだ」
ーーなぜと言われても……。
沙織は、これからどこに行くのかすら知らなかった。
ーーなんだろう? リアルカディアって。
沙織はKOKの入団試験を受けるために、銀次郎に言われるがままついてきただけだ。ただ、こういう時は簡潔な説明が求められるということは分かる。
結局、沙織の口から出てきたのは、こんな言葉だった。
「行きたいからです」
「……なるほど」
簡潔はいいが、説明がまるでない。
ヤマは苦虫を噛み潰したような顔をして、まともだと思われる愛染と話をすることにした。
「では愛染。お前はなぜリアルカディアに行きたいのだ?」
「私は、KOKが世界のバランスを取る組織だ、というところに興味を持っております。もし私が世界の平和に貢献できるのならば、是非ともKOKに入団したいのです」
「愛染はKOKに入団したいがためにリアルカディアへ行くのだな。沙織は? 観光気分か?」
ヤマはからかうつもりで沙織に言ったのだが、沙織は全く気にしていなかった。それどころかヤマの言葉にも一理あると思った。もちろん用事はあるが、興味本位で行くこともまた確かだからだ。
けれども、これは入国審査だという。それだけでは入国したい理由として不十分な気がしたので、左手を突き出して、今思い出したもう一つの理由を言った。
「あと、クルリン扱えるようにしたい」
「クルリンとは、おお、その腕輪か。S3DF(エスキューブ・ドープ・ファンタジー)だな。我がお前をカトゥーの子供だと確信したのは、その腕輪から漏れ出るオーラからだ。なんだ? お前はカトゥーのオーラを止めることができないのか? 我がやってやろうか」
沙織は首を振って答えた。
「形見だから。アタピが自分で止められるようになりたい」
「形見?」
「パパの」
「なるほど。だがリアルでそんなにブンブンお宝の気配を出し続けていたら、それが欲しい者たちがどんどん集まってきてしまうな。沙織の近くにいる敏感な一般人達も、なぜかわからないが気分が落ち着かなくなるかもしれん。確かに沙織。お前もリアルカディアに行かねばならない理由がある。司禄」
「はいっ。書きとめましてございますぅ」
沙織と愛染を見下ろしていたヤマは、一度目線を離し、楽な体勢で座り直した。
「よし。二人とも。お前達がリアルカディアに入りたい理由、まずはわかった。認めてやろう」
沙織はポーカーフェイスを崩さなかったが、愛染は顔が明るくなろうとした。
寸前。
すぐにヤマは言葉を続けた。
「ただ一点。リアルカディアへの入国を許可するには、リアルカディアの法律を守ってもらわなければならない。いいか?」
沙織は、特に引っかからずに話を聞き流していたが、愛染はすぐに割り込んだ。
「リアルカディアの法律とはどのような法律ですか? あまりに無理な話をされますと、私たちも破ってしまうかもしれません。なんせ、あなたは閻魔様なのですから」
ヤマは笑顔になった。
「うむ。お前たちが守ると無条件に返事をしていたら、無茶な話をして帰そうと思っていた。愛染、やるな」
愛染は軽くお辞儀をした。ヤマは満足そうに続けた。
「それではリアルカディアの法律を伝えよう。まずひとつ。アルカディアに関連する全ては、知らない人にはなるべく口外しないこと。ただし、生命に関わるなどの緊急の事態には、その限りでは無い。あくまで悪意や、自分の意志によって口外した場合に限る。特に文章にしてはいけない」
愛染は意外そうな顔をして質問をした。
「なるべくでいいのですか?」
ヤマは、愛染よりも意外そうな顔をした。
「お前たちは人間。ということは動物だろう? 動物の意志なぞ、それ以上期待できん。いつも思うが、人間たちは人間のことを過信しすぎている。欲望の詰まった、薄い理性袋に過ぎないというのに。これでも結構、難しいと思うぞ」
沙織は、ヤマの腹の底に響くような声を聞きながら、クマオや銀次郎が自分に何も話してくれないのは、この法律のせいだったのだと理解した。
ヤマの説明は続く。
「次に、リアルカディア内での一切の物理的な喧嘩を禁ずる」
これは当然だ。沙織と愛染は深くうなづいた。
「最後に、KOKの判断を無断で破らないこと」
「KOKの判断、ですか?」
「うむ。この世界は、お前たちの住む現実世界リアルと、我々の住む幻想世界アルカディアによって出来ている。このバランスをとっているのがダビデ王の騎士団、通称KOK(ナイツ・オブ・キングダビデ)だ。KOKの判断通りにおこなわなければ世界が崩壊してしまうかもしれないのだ」
「しかし、その判断があまりにも横暴だった時にはどうすればいいのですか?」
「KOKに入団できれば、何か重要なことがあった時には誰でも円卓会議に参加できる。そこで心ゆくまで話し合ってお互いが納得し合う。それしかないな」
愛染は、話し合いさえできれば自分の意見が負けることはないと思っているので、この法律にも合点がいった。
「なるほど。わかりました」
ーー他には?
「以上だ」
ヤマは、リアルカディアでの法律を全て言い終わり、すっきりとした顔をした。
ーーたった三つ?
沙織は驚いたが、また「人間だからな」と偉そうな顔をされるのは腹がたつので、黙っていることにした。
「この三点に違反した場合、リアルカディア首長、ジョセフ・シュガーマンの名において、クリスタルと、ミラー・イン・ザ・ウォーターの使用を禁ずる。いいな」
「クリスタルと、ミラー・イン・ザ・ウォーターとはなんですか?」
ヤマは呆れた顔をした。
「知らんのか。まあそれはそうか。銀次郎やクマオが他言していないという証拠だな。ふむ。ではリアルで他言しないと約束するのならば教えよう」
さっそく法律だ。沙織と愛染は食い気味に深くうなづいた。
「クリスタルとは、イコン(窓)を介して世界を移動する際に使用するウイッシュだ。お前たちも、銀次郎がクリスタルを使用してここに来ている。ミラー・イン・ザ・ウォーターは、結界を張れるウイッシュだ」
「イコンてなんですか?」
「イコンは、F、ファンタジーの一種だ。お前たちが来た東京メソニックセンターだと、確か六芒星の形をしたステンドグラスだったかな」
沙織はこの際だから、曖昧な単語についても全て聞いておこうと考えた。
「ファンタジーて?」
「ファンタジーも知らんのか?」
ヤマは少し呆れながら答えた。
「ファンタジーとは、沙織が持っている腕輪みたいな宝具のことだ。リアルでは『F』と略すことが多い。それぞれ効果が違っている。イコンは『水晶と水鏡の王』にして大錬金術師、ジョセフ・シュガーマンが作る、Bランクのホープ・ファンタジーだ。通常はBHF(Bランク・ホープ・ファンタジー)と省略する」
「ホープ・ファンタジー?」
ヤマはもう、自分にとって当たり前すぎる質問にもいちいち驚きはしない。
「ファンタジーには、ホープとドープがある。ホープは誰でも使用できるファンタジーで、ドープは特定の者しか使用できないファンタジーだ。つまり、沙織の持つクルクルクラウンはSSSランクだから、S3DF(エスキューブド・ドープ・ファンタジー)ということだ」
「アタピしか使えないの?」
「お前だけでは無いかもしれないが、使えるものは少ない。ちなみに、この空間で使えるものは誰もいない」
「それはどうしてわかるの?」
「我の持っているドープファンタジーでわかるのだ」
「なるほど。ヤマさんの持っているドープファンタジーは、私にも使えますか?」
「愛染にはその素質が無いようだな」
愛染が質問をしている間、沙織は、誰も使えないファンタジーを自分だけが使用できることが嬉しかった。心が軽くなったような気がした。
ーー愛ちゃんにも使用できないファンタジーを自分だけが使用できる。絶対にちゃんと使えるようになろう。
沙織は、心に固く決意した。
「それでは、ウイッシュとはなんですか?」
「ウイッシュとは、アルカディアンの中でも力のある王たちと契約することで使用できる特殊能力だ。アルキメストになる素質さえあれば、いずれお前たちも使うことになるであろう。質問は以上かな?」
ヤマは、足元で誰かに急かされながら言った。早めに切り上げなければいけない理由がありそうだ。沙織は、もうすっかり満足していた。だが、愛染にはまだ質問がある。この機会に聞けるコトは全て聞いておこう、という気持ちだ。
「リアルカディアとはなんですか? KOKの本部ですか?」
質問を聞いて、沙織は初めてハッとした。そういえば聞いておかなければならないことだ。満足している場合では無い。
「リアルカディアとは、現実世界リアルと、幻想世界アルカディアの間にある第三の世界のことだ。リアリストとアルカディアンは基本的にお互いの世界に行くことはできないが、リアルカディアだけはお互いに行き来することができる。KOKの本部もリアルカディアにあるのだ」
「では、ファンタジーは、アルカディアからアルカディアンが持ってきて、リアルカディアで手に入れられるということですか?」
「いや。アルカディアから持ち込んだものをリアルに持って帰ることはできん。ファンタジーは、なぜかリアルに最初から存在していた物もあるが、基本的にはアルキメストが作る」
「アルキメストってなんですか?」
「日本語で言うと錬金術師だな」
「そのアルキメストには、どうやったら会えるのですか?」
「アルキメストならリアルカディアにはゴロゴロいるぞ。むしろアルカディアへ行くリアリストで、アルキメストでないのは沙織と愛染くらいだ」
「イノギンさんも?」
「当然そうだ。まあ、アルキメストだからといって、全ての者がF(ファンタジー)を作れるわけではないのだがな」
愛染がなおも質問をしようとしたところで、司禄ではない小鬼がヤマに声をかける。
「ヤマ様」
小鬼がヤマに何か言うと、ヤマは、おお、そうだった、という顔をした。
「時間が来たようだ。ついつい話し過ぎてしまったが、二人が今したような質問は、クマオや銀次郎でも答えられる簡単な質問だ。これからは、聞いても答えてくれるだろう。彼らから聞きなさい」
沙織は、「後で聞いてくれ」という一言で、クマオや銀次郎、ミハエルは、先にリアルカディアで待っているのだということがわかってホッとした。
ーーこれ以上は何も答えてはくれないだろう。
愛染は空気を読むのもうまい。
「質問に答えてくださって、ありがとうございました」
愛染が清々しい顔でヤマにお礼を言ったので、沙織も慌てて首を傾け、片手と口角を少し上げ、自分なりのお礼の姿勢をとった。
「うむ。それでは両人とも前へ。司命(しめい)。O.O.を」
司命、と呼ばれた先程の小鬼が前に出てきて、沙織と愛染の首に、不釣り合いな太さの縄をネックレスのようにかけた。
ーーこれは斬新なファッション。パリコレなんかに出られそう。
沙織が内心笑っている間、愛染も特に抵抗をせずに縄をかけられた。
「O.O.は、『お嬢さん、お入んなさい』というF(ファンタジー)だ。縄の形とOをかけてもいる。ゲストの証である。正式にリアルカディアに入国する許可が下りた時に、この縄は外れることだろう」
ーーバカげたネーミングっ。
沙織が思っている時にも、愛染は真面目な顔で質問を続ける。
「許可が下りなかった場合はどうなるのですか?」
「その場合は、リアルに戻る時に、O.O.の力で全てのことを忘れて帰る。もちろん法律を破った時も同様だが、再びここに来られた時は、O.O.をつければ前のことを思い出せるようになる」
「別付けハードディスク、って感じね」
愛染はひとりごとを言って、自分の首にかかっている太い縄を触った。
「取ったらその場でリアルに戻ってしまうから注意しろよ」
沙織も触ろうと思ったが、慌てて手を引っ込めた。
最後に沙織の慌てた様子が見られて、ヤマは満足した顔をした。
暗闇なのに何故か歩くことに不便を覚えない。
遠くに光が見える。
おそらく開けた空間があるのだろう。
たくさんの話し声も聞こえてきた。
ーー古代ローマのコロシアムで戦う剣闘士は、おそらくこんな気分だったんだろな。
先はわからないが進むしかない。
沙織は、高揚と恐怖と緊張感を小さな胸いっぱいに抱きながら、無表情で、光差す彼方(かなた)へと歩いていった。
光の先は巨大な部屋。
まるで裁判所のようだ。
百人を超す観衆が、沙織と愛染の二人を取り囲むようにして座っている。
目の前には大きな机がある。驚くのは、そこに座っているのが、五メートルを超えるほど大きな、赤い顔をした男だということだ。
離れていても熱量がすごい。昔の中国の官僚のような格好をしており、口からは牙がはみ出ている。
ーーでっかー。
男は、左右に三メートルを超える屈強そうな鬼を従えている。
彼らは頭に角があり、金棒を持っているのだから、もはや鬼と断定してしまっても差し支えないだろう。
周りにいる観衆は、鬼らしくもあり、そうでないものもいる。ただ総じて言えるのは、何となく小汚い服を着ているということだ。
ーーここは……鬼の王国? まあそりゃ、クマオみたいなクリーチャンが住むぬいぐるみ王国があるくらいなんだから、鬼の王国があってもおかしくはないか。
沙織は、慌てていないふりをしながら辺りを見回した。
自分の常識がゆっくりと塗り直されていくのがわかる。なんだか気持ちが良い。
「加藤沙織。藤原愛染。前へ」
破れ鐘のような声で鬼ががなる。
愛染は、沙織と顔を合わせることすらせずに前へ進む。沙織も、丸まった背筋を堂々と伸ばし、小さな歩幅でついていった。
「加藤沙織、藤原愛染の両名で間違い無いな」
中央の大鬼が聞く。
「はい」
二人はうなづいた。
「我は冥界と転回の王、ヤマである。このリアルカディアの入国審査官だ」
「閻魔大王ですか?」
間髪入れずに愛染が尋ねる。
ヤマという名前は、地獄の王様である閻魔大王の異名でもある。大鬼は、ただでさえ見開いている目をさらに大きくさせた後、大きな声で笑った。
風が巻き起こる。
空気が轟(とどろ)く。
髪が乱れる。
ーー鬼は、これだから髪の毛がみんな縮れてるんじゃないかしらん?
沙織は、自分の前髪を押さえながらヤマを見た。
「よくわかったな」
「その出で立ち。さらに冥界にヤマ、という単語が出たら、閻魔大王以外考えられないじゃないですか?」
ヤマは満足そうにうなづいた。
「お前は……藤原愛染の方か。頭がいい。しかも我に一切の恐れる様子もなく、気軽に話しかけるとは。気に入った。実に気に入ったぞ」
「一目で私の才能を見抜くなんて、さすがは閻魔大王ですね。私も気に入りました」
愛染も笑顔で返した。本当に恐れていないように見える。
「ガーッハッハ。おい! 司禄(しろく)!」
閻魔大王は足元に話しかけた。机の下に誰かがいる。
「はい。記録しておきますですぅ」
キリギリスのようなか細い声で、下にいる小鬼が答える。書記のようだ。
「次に、加藤沙織!」
沙織は顔の横に右手をつけて、掌(てのひら)を見せながら軽く首を曲げた。沙織が可愛いと思っているポーズだ。
「お前はカトゥーの子供だと聞いたぞ」
沙織は顔をくしゃくしゃにして、上半身が半分曲がるくらいの勢いでうなづいた。
「お前は喋れないのか?」
ヤマは訝(いぶか)しんだが、沙織にとっては通常運転だ。質問がある時以外はこの程度しか普段から喋らない。大げさに、手を振って否定した。
「なんだ? 我が怖いのか?」
ーーなんかこうなるとアタピ、断固として喋りたくなくなってきた。
沙織は自分でもわからない。なぜだか依怙地(いこじ)になり、今度は両手を軽く持ち上げて、肩をすくめてみせた。
ヤマはますます不思議な気持ちになっている。だが、大鬼らしく堂々と根気よく、沙織に理由を聞いた。
「ならば、なぜ喋らない?」
ーーヤマさんは怒らずに、アタピに再度質問してくれた。
これ以上喋らないのは流儀ではなく、ただの不躾(ぶしつけ)だ。
沙織は、今度はすぐに返答した。
「意地はってた」
一度言葉を吐き出したら、言葉自体は素直だ。
ヤマは何の意地だかわからなかったが、沙織が言葉を発したことにホッとしたようだ。改めて質問を開始した。
「では沙織よ。お前はなぜ、リアルカディアに入りたいのだ」
ーーなぜと言われても……。
沙織は、これからどこに行くのかすら知らなかった。
ーーなんだろう? リアルカディアって。
沙織はKOKの入団試験を受けるために、銀次郎に言われるがままついてきただけだ。ただ、こういう時は簡潔な説明が求められるということは分かる。
結局、沙織の口から出てきたのは、こんな言葉だった。
「行きたいからです」
「……なるほど」
簡潔はいいが、説明がまるでない。
ヤマは苦虫を噛み潰したような顔をして、まともだと思われる愛染と話をすることにした。
「では愛染。お前はなぜリアルカディアに行きたいのだ?」
「私は、KOKが世界のバランスを取る組織だ、というところに興味を持っております。もし私が世界の平和に貢献できるのならば、是非ともKOKに入団したいのです」
「愛染はKOKに入団したいがためにリアルカディアへ行くのだな。沙織は? 観光気分か?」
ヤマはからかうつもりで沙織に言ったのだが、沙織は全く気にしていなかった。それどころかヤマの言葉にも一理あると思った。もちろん用事はあるが、興味本位で行くこともまた確かだからだ。
けれども、これは入国審査だという。それだけでは入国したい理由として不十分な気がしたので、左手を突き出して、今思い出したもう一つの理由を言った。
「あと、クルリン扱えるようにしたい」
「クルリンとは、おお、その腕輪か。S3DF(エスキューブ・ドープ・ファンタジー)だな。我がお前をカトゥーの子供だと確信したのは、その腕輪から漏れ出るオーラからだ。なんだ? お前はカトゥーのオーラを止めることができないのか? 我がやってやろうか」
沙織は首を振って答えた。
「形見だから。アタピが自分で止められるようになりたい」
「形見?」
「パパの」
「なるほど。だがリアルでそんなにブンブンお宝の気配を出し続けていたら、それが欲しい者たちがどんどん集まってきてしまうな。沙織の近くにいる敏感な一般人達も、なぜかわからないが気分が落ち着かなくなるかもしれん。確かに沙織。お前もリアルカディアに行かねばならない理由がある。司禄」
「はいっ。書きとめましてございますぅ」
沙織と愛染を見下ろしていたヤマは、一度目線を離し、楽な体勢で座り直した。
「よし。二人とも。お前達がリアルカディアに入りたい理由、まずはわかった。認めてやろう」
沙織はポーカーフェイスを崩さなかったが、愛染は顔が明るくなろうとした。
寸前。
すぐにヤマは言葉を続けた。
「ただ一点。リアルカディアへの入国を許可するには、リアルカディアの法律を守ってもらわなければならない。いいか?」
沙織は、特に引っかからずに話を聞き流していたが、愛染はすぐに割り込んだ。
「リアルカディアの法律とはどのような法律ですか? あまりに無理な話をされますと、私たちも破ってしまうかもしれません。なんせ、あなたは閻魔様なのですから」
ヤマは笑顔になった。
「うむ。お前たちが守ると無条件に返事をしていたら、無茶な話をして帰そうと思っていた。愛染、やるな」
愛染は軽くお辞儀をした。ヤマは満足そうに続けた。
「それではリアルカディアの法律を伝えよう。まずひとつ。アルカディアに関連する全ては、知らない人にはなるべく口外しないこと。ただし、生命に関わるなどの緊急の事態には、その限りでは無い。あくまで悪意や、自分の意志によって口外した場合に限る。特に文章にしてはいけない」
愛染は意外そうな顔をして質問をした。
「なるべくでいいのですか?」
ヤマは、愛染よりも意外そうな顔をした。
「お前たちは人間。ということは動物だろう? 動物の意志なぞ、それ以上期待できん。いつも思うが、人間たちは人間のことを過信しすぎている。欲望の詰まった、薄い理性袋に過ぎないというのに。これでも結構、難しいと思うぞ」
沙織は、ヤマの腹の底に響くような声を聞きながら、クマオや銀次郎が自分に何も話してくれないのは、この法律のせいだったのだと理解した。
ヤマの説明は続く。
「次に、リアルカディア内での一切の物理的な喧嘩を禁ずる」
これは当然だ。沙織と愛染は深くうなづいた。
「最後に、KOKの判断を無断で破らないこと」
「KOKの判断、ですか?」
「うむ。この世界は、お前たちの住む現実世界リアルと、我々の住む幻想世界アルカディアによって出来ている。このバランスをとっているのがダビデ王の騎士団、通称KOK(ナイツ・オブ・キングダビデ)だ。KOKの判断通りにおこなわなければ世界が崩壊してしまうかもしれないのだ」
「しかし、その判断があまりにも横暴だった時にはどうすればいいのですか?」
「KOKに入団できれば、何か重要なことがあった時には誰でも円卓会議に参加できる。そこで心ゆくまで話し合ってお互いが納得し合う。それしかないな」
愛染は、話し合いさえできれば自分の意見が負けることはないと思っているので、この法律にも合点がいった。
「なるほど。わかりました」
ーー他には?
「以上だ」
ヤマは、リアルカディアでの法律を全て言い終わり、すっきりとした顔をした。
ーーたった三つ?
沙織は驚いたが、また「人間だからな」と偉そうな顔をされるのは腹がたつので、黙っていることにした。
「この三点に違反した場合、リアルカディア首長、ジョセフ・シュガーマンの名において、クリスタルと、ミラー・イン・ザ・ウォーターの使用を禁ずる。いいな」
「クリスタルと、ミラー・イン・ザ・ウォーターとはなんですか?」
ヤマは呆れた顔をした。
「知らんのか。まあそれはそうか。銀次郎やクマオが他言していないという証拠だな。ふむ。ではリアルで他言しないと約束するのならば教えよう」
さっそく法律だ。沙織と愛染は食い気味に深くうなづいた。
「クリスタルとは、イコン(窓)を介して世界を移動する際に使用するウイッシュだ。お前たちも、銀次郎がクリスタルを使用してここに来ている。ミラー・イン・ザ・ウォーターは、結界を張れるウイッシュだ」
「イコンてなんですか?」
「イコンは、F、ファンタジーの一種だ。お前たちが来た東京メソニックセンターだと、確か六芒星の形をしたステンドグラスだったかな」
沙織はこの際だから、曖昧な単語についても全て聞いておこうと考えた。
「ファンタジーて?」
「ファンタジーも知らんのか?」
ヤマは少し呆れながら答えた。
「ファンタジーとは、沙織が持っている腕輪みたいな宝具のことだ。リアルでは『F』と略すことが多い。それぞれ効果が違っている。イコンは『水晶と水鏡の王』にして大錬金術師、ジョセフ・シュガーマンが作る、Bランクのホープ・ファンタジーだ。通常はBHF(Bランク・ホープ・ファンタジー)と省略する」
「ホープ・ファンタジー?」
ヤマはもう、自分にとって当たり前すぎる質問にもいちいち驚きはしない。
「ファンタジーには、ホープとドープがある。ホープは誰でも使用できるファンタジーで、ドープは特定の者しか使用できないファンタジーだ。つまり、沙織の持つクルクルクラウンはSSSランクだから、S3DF(エスキューブド・ドープ・ファンタジー)ということだ」
「アタピしか使えないの?」
「お前だけでは無いかもしれないが、使えるものは少ない。ちなみに、この空間で使えるものは誰もいない」
「それはどうしてわかるの?」
「我の持っているドープファンタジーでわかるのだ」
「なるほど。ヤマさんの持っているドープファンタジーは、私にも使えますか?」
「愛染にはその素質が無いようだな」
愛染が質問をしている間、沙織は、誰も使えないファンタジーを自分だけが使用できることが嬉しかった。心が軽くなったような気がした。
ーー愛ちゃんにも使用できないファンタジーを自分だけが使用できる。絶対にちゃんと使えるようになろう。
沙織は、心に固く決意した。
「それでは、ウイッシュとはなんですか?」
「ウイッシュとは、アルカディアンの中でも力のある王たちと契約することで使用できる特殊能力だ。アルキメストになる素質さえあれば、いずれお前たちも使うことになるであろう。質問は以上かな?」
ヤマは、足元で誰かに急かされながら言った。早めに切り上げなければいけない理由がありそうだ。沙織は、もうすっかり満足していた。だが、愛染にはまだ質問がある。この機会に聞けるコトは全て聞いておこう、という気持ちだ。
「リアルカディアとはなんですか? KOKの本部ですか?」
質問を聞いて、沙織は初めてハッとした。そういえば聞いておかなければならないことだ。満足している場合では無い。
「リアルカディアとは、現実世界リアルと、幻想世界アルカディアの間にある第三の世界のことだ。リアリストとアルカディアンは基本的にお互いの世界に行くことはできないが、リアルカディアだけはお互いに行き来することができる。KOKの本部もリアルカディアにあるのだ」
「では、ファンタジーは、アルカディアからアルカディアンが持ってきて、リアルカディアで手に入れられるということですか?」
「いや。アルカディアから持ち込んだものをリアルに持って帰ることはできん。ファンタジーは、なぜかリアルに最初から存在していた物もあるが、基本的にはアルキメストが作る」
「アルキメストってなんですか?」
「日本語で言うと錬金術師だな」
「そのアルキメストには、どうやったら会えるのですか?」
「アルキメストならリアルカディアにはゴロゴロいるぞ。むしろアルカディアへ行くリアリストで、アルキメストでないのは沙織と愛染くらいだ」
「イノギンさんも?」
「当然そうだ。まあ、アルキメストだからといって、全ての者がF(ファンタジー)を作れるわけではないのだがな」
愛染がなおも質問をしようとしたところで、司禄ではない小鬼がヤマに声をかける。
「ヤマ様」
小鬼がヤマに何か言うと、ヤマは、おお、そうだった、という顔をした。
「時間が来たようだ。ついつい話し過ぎてしまったが、二人が今したような質問は、クマオや銀次郎でも答えられる簡単な質問だ。これからは、聞いても答えてくれるだろう。彼らから聞きなさい」
沙織は、「後で聞いてくれ」という一言で、クマオや銀次郎、ミハエルは、先にリアルカディアで待っているのだということがわかってホッとした。
ーーこれ以上は何も答えてはくれないだろう。
愛染は空気を読むのもうまい。
「質問に答えてくださって、ありがとうございました」
愛染が清々しい顔でヤマにお礼を言ったので、沙織も慌てて首を傾け、片手と口角を少し上げ、自分なりのお礼の姿勢をとった。
「うむ。それでは両人とも前へ。司命(しめい)。O.O.を」
司命、と呼ばれた先程の小鬼が前に出てきて、沙織と愛染の首に、不釣り合いな太さの縄をネックレスのようにかけた。
ーーこれは斬新なファッション。パリコレなんかに出られそう。
沙織が内心笑っている間、愛染も特に抵抗をせずに縄をかけられた。
「O.O.は、『お嬢さん、お入んなさい』というF(ファンタジー)だ。縄の形とOをかけてもいる。ゲストの証である。正式にリアルカディアに入国する許可が下りた時に、この縄は外れることだろう」
ーーバカげたネーミングっ。
沙織が思っている時にも、愛染は真面目な顔で質問を続ける。
「許可が下りなかった場合はどうなるのですか?」
「その場合は、リアルに戻る時に、O.O.の力で全てのことを忘れて帰る。もちろん法律を破った時も同様だが、再びここに来られた時は、O.O.をつければ前のことを思い出せるようになる」
「別付けハードディスク、って感じね」
愛染はひとりごとを言って、自分の首にかかっている太い縄を触った。
「取ったらその場でリアルに戻ってしまうから注意しろよ」
沙織も触ろうと思ったが、慌てて手を引っ込めた。
最後に沙織の慌てた様子が見られて、ヤマは満足した顔をした。
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