Saori's Umwelt (加藤沙織の環世界)

オミィ・ランバード

第30話 Freemasonry (フリーメイソンリー)

 三台のベンツが、巨大な芋虫のように重厚な軌跡を描き、ゆっくりと夜の東京に轍を刻む。目の先には、世界の侘び寂びを、ゆっくりと、水飴のように縦に伸ばして出来上がったかのようなオレンジ色の光の塔が、闇にぼんやりと浮かんでいる。
 東京タワーだ。

「もうすぐです」

 無口な運転手が、初めて言葉を発した。
 沙織は、愛染、ミハエルと共に、二台目のベンツに乗っていた。前の車にはモーゼ、後ろの車にはイノギンが乗っている。
 まだクルクルクラウンが発動し続けているので、もし敵が現れた時のために前後で警備を固めてくれているのだ。

 沙織は後部座席で、愛染とミハエルに挟まれて座る。クマオはコートの中だ。沙織には、これから起こる急激な変化に対する最後の日常を与えてくれているように感じた。
 ミハエルの左手は沙織の両腿の上に乗せられ、まるで小皿に乗った分厚いステーキのようにはみ出している。愛染の右手は付け合せのインゲンのようだ。
 緊張が解けたのだろう。沙織は、その温もりとクマオの柔らかさをお供に、眠りの世界に入り込んでいた。
 沙織は、雅弘にずっと抱きしめられながら、ただただ落下し続ける夢を見ていた。何か話をしていたのだが、その内容は全く覚えていない。

 長い坂を登っていくと、ベンツはゆっくりと速度を緩める。巨大なビルが立ち並ぶ都心のどどど真ん中に、低めの建物が目に入る。一階は神殿のように太い何本もの柱。二階には全面ガラス張りの平べったい長方体が、のっぺりと乗せられている。
 まるで、黒い宝石のような建物だ。

「あっ。ここって」

 愛染の手に力がこもった。愛染は建物を見回し、『メソニック38MT』という標識を見つけて確信した。

「やっぱり。ここ、フリーメイソンリーの日本グランド・ロッジ、東京メソニックセンターだ。ネットで見たことある」

 愛染の独り言を、沙織はなんとなく夢見心地で聞いていた。

 フリーメイソンリー。

 自由・平等・博愛・寛容・人道の精神を持つ秘密結社。現在の会員数は全世界で約140万人。かつてはフランス革命やアメリカの南北戦争に深い関わりを持ち、幾多のアメリカ大統領がフリーメイソンであることから、世界を裏で動かしていると都市伝説で囁かれている組織だ。
 ただ最近では、フリーメイソンリーはただの友愛結社・ボランティア団体で、闇に暗躍する秘密結社ではないと世間的にも認知され始めている。儀式だけが秘密で、活動内容やメンバーに関してはテレビに出演して話している人もいるくらいだ。

 けれども、これから向かう先が東京メソニックセンターであるのならば、フリーメイソンリーが裏で世界のバランスをとっているという都市伝説は、あながち外れてはいないのかもしれない。
 『火の無い所に煙は立たない』という諺が今回の話に当てはまるのかどうか。

 沙織は愛染の言葉を聞いて、頭を働かせようとした。だが働かない。


 それでも、いくら眠くても、考えがまとまっていなくても、いつでも世界の時間は止まらない。

 ベンツは、建物のロータリーへと入っていき、大きなガラス扉の前で反動なく静かに止まった。

「着きましたよ」

 運転手が囁く。


 コンパス。定規。Gのマークを象(かたど)った怪しい雰囲気のフリーメイソンリーのマーク。そして、大きく緑色に掲げられた「警察官立寄所」の看板。
 謎と健全。
 二つのシンボルマークの対比は、現実から沙織を乖離(かいり)させていく。

 ガラス扉は、取っ手の部分にも、これみよがしにフリーメイソンリーのマークが彫られている。あちこちにフリーメイソンリーを示すシンボルマークだらけ。秘密結社といわれている組織に入会する人たちで形成されている組織なのだから、ここにいる人間は秘密を持つ記号が大好きなのだろう。他人との差別化も図(はか)れるし、アイデンティティの確立も出来る。

 黒服が、沙織たちの元に集まってきた。黒服の一人が、インターフォンで何かを話している。 違う黒服が扉を開ける。秘密結社なのに、扉は簡単に、女子高生に対して口を開いた。沙織たちはモーゼを先頭に、黒服に囲まれて中に入った。

 メソニックセンターの中は、学校の音楽室くらいの大きさのホールが広がっている。
 右手の壁には、「老天使に頭を撫でられる女性」の巨大なレリーフ。レリーフの左右にはステンドグラスが飾られている。左のステンドグラスには、フリーメイソンの有名なシンボルマークであるGや、プロビデンスの目。それに、太陽や、月や、聖書らしきものが散りばめられている。右のステンドグラスには、バラの花を中心に、三角形や、十字架や、六芒星など、フリーメイソンと関係なさそうな、中世の家紋らしきものが並んでいる。他の壁には細かいローマ字で、ずらりと人名が彫ってある。過去の有名なフリーメイソンが書いてあるらしい。知っている人はいるかと一通り見回すと、何人かの昔の大物政治家の名前が見られた。
 これなら愛染が、「KOKで政治家になってもいいのか」と聞いた時、即答で「大丈夫」と返ってくるわけだ。

ーーということは、あの時点で愛ちゃんは、KOKのことを「昔のフリーメイソンのような秘密組織である可能性が高い」と予想していたのかな。

 振り返ると、愛染はすでに黒服たちと仲良くなっている。相変わらず適応能力が高い。
 沙織は、さらに部屋の中を見回した。新奇探索欲求があるのならばキョロキョロとしてしまうのは当然だ。愛染も、黒服に教えてもらいながら部屋の中を見回している。
 だがミハエルだけは、ステンドグラスを見つめ、眉間にしわを寄せていた。

「じゃあ、皆さん」

「そうだな。よし。みんな、奥の部屋に来い」

 イノギンにせつかれたモーゼの言葉で、黒服たちは全員奥の扉に消えていった。
 玄関ホールに残ったのは、沙織、クマオ、愛染、イノギン、ミハエルの、四人と一匹だけだ。

「プットー。結界を。これでクリスタルパレスに向かう準備が整いました。みなさん、用意はいいですか?」

ーー向かう準備?

 ここがKOK本部だと思っていたが、どうやら違うようだ。沙織は不安だった。
 だが、同様に何も知らないはずの愛染が、当然のような顔をして動揺の欠片(かけら)も見せていない。

ーー負けない。

 沙織は覚悟を決め、怖いという思考を停止させた。まぁ、クマオを握る手には力がこもったものの。

「それではみなさん。まずはオーラを出してください」

 イノギンの周りの空気が少し揺れたような気がした。

ーーえっ? オーラ? なにそれ? 出し方わかんない。

 沙織は、不安な顔でそっとミハエルを見上げた。ミハエルはそうなることがわかっていたようだ。目も合わせずに、集中した顔で沙織の無言の問いかけに答える。

「沙織。オーラとは気のことだ。気を練れ。仙丹錬成呼吸法だ」

 ーー気のこと? 

 言われて沙織は全てを理解した。愛染はそのことに早くも気がついていたようで、すでに呼吸を開始している。沙織もさっそく仙丹錬成呼吸法を開始した。

 仙丹錬成呼吸法というのは、体内に仙丹と呼ばれるエネルギーの塊を作り出す呼吸法で、仙術の基本だ。まず、意識を落ち着けて腹式呼吸をおこない、ヘソの下にある『丹田』と呼ばれるツボに意識を集中させる。徐々に丹田が熱くなってくる。これが仙丹と呼ばれる気の塊だ。この仙丹を、ゆっくりと体内を通しておでこに上げていき、背中を通して肛門に下げて、一周させて丹田に戻す。こうして体内に仙丹を循環させながら気の量を増やしていく。
 沙織も愛染も、幼少の頃から毎日欠かさずおこなっているのでお手のものだ。三十秒もすると体が熱くなってくる。

「ミハエルさんはさすが、もう十分な量が溜まってますね。俺より凄い。愛染と沙織さんは……もう少し……、うん、それだけあれば足りるかな。それではみなさん、そのままオーラをとどめておいてください。それで俺の体のどこかに触れて。そうです」

 ミハエルと愛染は、イノギンの肩に手を置いた。沙織は、男に触る免疫がミハエル以外に対して無い。少し躊躇したが、クマオを持っていない方の手でイノギンのスーツの裾を掴んだ。

「初めてだと移動酔いをするかもしれないから、目を瞑っていたほうがいいよ。それでは行きますね」

 イノギンの一言で、部屋の空気が変わった。さらに、自分の仙丹にガソリンで火をつけられた気がする。イノギンのオーラが混じっているのだろうか? 沙織は、酸素カプセルに入った時の高揚感を思い出した。

「プットー」

 イノギンは、ステンドグラスに描かれた六芒星のマークに手をかざした。

「ダビデ王の騎士団、井上銀次郎の名において命ずる。我がオーラに包まれている全ての者に、リアルカディアへ入る許可を与えたまえ。ダイバーダウン」

 言い終わると、部屋全体が折り畳まれて一回転する。

 もちろん沙織は、移動酔いがどうとか言われても好奇心が上回っているので目を開けていたが、まるでこの世の終わりかとでもいうような気持ちになった。なにか、掃除機にでも吸い込まれたかのような、自分が部屋ごと雑巾のように絞られて裏返ってしまったかのような、そんな感覚だ。

ーーうわっ。

 沙織は、結局、眼を瞑った。

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