Saori's Umwelt (加藤沙織の環世界)

オミィ・ランバード

第7話 Boy's voices (少年たちの声)

 ヒタ。

 ヒタ。

 ヒタ。

 ここまで集中して考えていた沙織は、ふいに、現実に意識を戻した。
 微(かす)かだが、廊下に足音が聞こえたからだ。
 沙織は唾を飲み、じっと耳をすませた。
 自分の鼓動がうるさい。

ーー誰?

 三人ではない。
 女子高生ほど重い体重でもない。
 どうやら、ピーチーズではなさそうだ。
 だが、何かを探しているような動きをしている。

 沙織は、仙術『さざれ石の巌』を使った。じっと動かず、一つの岩のように気配を殺す技だ。

 足音は歩幅細かく、沙織のいる調理室まで、一直線に進入してきた。
 沙織は、謎の人物に、意識を集中させた。

 ヒタ。

 ヒタ。

 ヒタ。

 さらに耳を凝らす。

ーーん?

 この足音。

 人間にしては異常だ。
 体重がとても軽い。
 いや。軽すぎる。
 三キロもなさそうだ。
 生まれてすぐの赤ん坊が三キロくらいだが、人間は生まれてすぐに歩くことはできない。
 軽身功を使っても、ここまで体重を軽く見せることは、できないだろう。

 沙織は、人間ではない、と予測した。

 さらに耳をすます。
 どうやら四本足だ。
 沙織は、自分の間違いに気がついた。

ーーあ。これはニャー(猫ちゃん)かバウ(犬ちゃん)のような気がする。アタピの匂いを嗅ぎつけて、餌でももらえると思ったんかな?

 沙織は、自分の体臭を、それとなく嗅いだ。

 沙織は、動物が大好きだ。
 緊張が緩んで、心が休まる。
 この状況においては、うってつけの獲物だ。鴨がネギ背負って、鍋に火をかけて、お箸を持って入ってくれるようなものだ。

 沙織は嬉しくなって、撫でるために、隠れていた場所から出て行こうとした。

「まったく……」

 その時、猫か犬だと思っていた動物が、日本語を話した。
 
 沙織は、驚いて動きが止まった。

 声はまったく聞き覚えのない男の、いや、男の子の声だった。

 ヒタ。

 ヒタ。

 ヒタ。

 四本足の男の子の歩幅は、時計の針のように一定だ。
 沙織のいる場所がわかっているかのように、まっすぐ向かってくる。
 整然と並んだ調理机を、突き当たりまで歩いて折れ曲がる。
 先ほどまで、沙織が隠れていた机だ。同じ場所にいたら見つかっていた。

 沙織は、声が聞こえた瞬間に、真夜中の黒猫歩法で、謎の生物から見えない位置に移動していたのだ。

「この辺のハズだけど」

「ワイにもわかんでー」

 もう一人いる。
 快活で早口な、関西弁の男の子の声だ。

 沙織は疑問に思った。
 足音は、四本足の生物一匹分、しか聞こえない。

ーー二人いるてことは、どちらかの足音は聞こえないてこと?
 でも、アタピが、この近距離で、足音を聞き逃すってことがある?

 沙織は、自分の聴力に自信を持っていたので、聞き逃しているという選択肢は、除外した。

ーーうーん。二本足の生物が二匹、体操の選手みたいにシンクロして歩幅を合わせてるのかしらん?

 沙織は、我ながらおかしなことを考えている、と思った。

ーーこんなにも常識を無視して考えるんだとしたら、頭が二つある赤ん坊という線も考えられちゃう。可能性なんて無限に存在しちゃう。

 もはや、混乱し過ぎて、物事を考えることが困難だ。

ーーこういう時には、発想を転換させよう。

 沙織は、思い切って、今、ここにある情報だけを、現実だと思うことにした。

「おーい。沙織ー。どこやーっ」

 自分の前世よりも記憶がない声。誰が発しているのか予想もつかない声が、親しげに自分の名前を呼ぶ恐怖。
 ただ、先ほどのピーチーズと違って、唸り声を上げているわけではない。
 しっかりと言語を話しているので、おそらくは正常な人間なのだろう。

 まぁ、正常な人間というには、あまりにも体重が軽すぎるし、歩幅が狭すぎるものの。

 沙織は再度、想像ではなく、今ある情報で考えてみた。

 誰だかという見当はまったくつかない。
 ただ、声の調子と出所の低さから、かなり小さな男子二人だ、という予測は立てられた。

 沙織は、自分の考えをまとめることに成功した。

ーーそうだ。何かわからないのはちょと怖い。
 けど、この体重の生物なら、たとえどんな生物だとしても、アタピなら絶対に勝てる。危険だけど覗いてみよう。
 どんな生物だかわかれば、逃げられるし、闘える。
 最悪バレてもいい。確認しよう。

 そうと決まれば話は早かった。

 沙織は、自分のスマートフォンを取り出し、赤い光がつかないカメラアプリを使用して、調理机の陰から、こっそりと声の出所をのぞいた。

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