Saori's Umwelt (加藤沙織の環世界)
第1話 Sa0 ch. (沙織ちゃん、寝る)
冬。
週末。
放課後。
屋上庭園へと続く階段の踊り場。
女子高生が眠っている。
セーラー服に、緑のダッフルコート。
身長は、低い。
襟には、自作の白い小人ワッペン。
華奢な手首には、ゴツい金の腕輪が鈍く光る。
まるで、持ち主の悩みを表しているかのようだ。
ーーアタピって、何のために生きてるんだろう。
加藤沙織。
大きな目からこぼれ落ちた涙の冷たさで、彼女は目を覚ました。
沙織は、見ていた夢を思い出そうとした。
『夢は、脳内整理のために見る。そのため、ほとんどの夢には、見る理由がある。夢を思い出すことは、自分の内面と会話をするようなものだ』
沙織が幼い時から修行し続けている、仙術の教えのひとつだ。
ーー確かアタピは、夢ではすっごくちっちゃかった。5歳くらいかな?
ーーそれから、背が高い、長髪の青年に、片手で持ち上げられてたな。
ーー目の前では、パパや、ミハエルや、知らない少年が倒されてた……。
ーーアタピは、なんとかしたくて、手足バタつかせて抵抗したけど、どうにもなんなかった……。
ーー大事な人たちが傷ついていく姿を、ただ見ることしかできなかった……。
ーー襲いかかる怒号と、逃げ惑う悲鳴の中、見える景色は、ひたすらな残虐で、何も出来ない自分の弱さが悔しかった……。
ーーあとは……、覚えてること……。んー。なんだろ?
沙織は、自分の涙をぬぐおうともせず、冬の乾燥に任せて考えを続けた。
自分の無力さを感じる夢。
こういう時には、現実でも無力さを感じる出来事があったはずだ。
沙織はよく考えて、知らず知らずのうちに、思い出さないようにしていた出来事に気がついた。
ーーきっと、愛ちゃんのことだ。
親友の成功を祝いながらも、引き離されていく不安や、成功にたいする嫉妬など、カッコ悪い感情が、胸の中で渦を巻いていたのだ。
ーーアタピ、醜いな。
頬で固まりつつあった涙の筋には、再び水分が補充された。
愛ちゃん。
藤原愛染(ふじわらのあいぜん)。
沙織の幼なじみにして、1番の親友である。沙織と同じ学校で、2歳年上の高校3年生。高身長で、モデルのような美しさにもかかわらず、明るく優しいみんなの人気者。3年間生徒会長を勤め上げ、先日、東京大学にも合格。
そして昨日、全国剣道選手権大会でも史上最年少優勝。
いわゆる、Sクラス中のSクラス。追いかけても捕まえられない、沙織砂漠に浮かぶ蜃気楼(しんきろう)のオアシス(憧憬)だ。
『友達というのは対等で、比較するものではない』
そんなことは知っている。学校で習った。でも、比較してしまう。
愛染にたいしてだけは、どうしても嫉妬心を抱いてしまう。
沙織は、床に突っ伏しながら、自分が本当に生きているかを確かめるため、軽く声帯を震わせながらつぶやいた。
「かといって、こーんなはずじゃなかったんだけど」
ーーしかし実際、加藤沙織って、いったい何者なんだろ? なーんか、この世界から浮いてしまっている感じ。シマッチャウオジサン(「ぼのぼの」の登場キャラ)にでも閉じ込められてるんじゃないかしらん。
喉の震えを確認した沙織は、次に、指先から一本一本、自分の体が、本当に自分の自由に動くのかどうかを確かめた。
今日は、沙織の誕生日。だからこそ、自分の生きる理由を考えたい、と思っているのかもしれない。
誰もいない校舎の屋上に好んで来たのは、加藤沙織を演じることに疲れたからなのかもしれない。
そして、沙織は、疲れていたからこそ、いつのまにか眠っていたのだろう。
ーー誕生日には、誰もいないところで一休みしたいという気持ち。誰かわかってくれる人はいるかな?
『人は人。自分は自分』
仙術の師匠であるミハエルから言われている。
けれども沙織の本心は、自分の存在は正しいんだよ、と、世間から認められたいようだ。
そのためのひとつとして、よく遊ぶ3人の同級生とともに『ピーチーズ』を名乗り、SNSに、動画を投稿したりもしていた。沙織以外の他の3人も、それなりに可愛いので、フォロワー数や再生数は、まあまあ伸びている。
ただ、数字が増えていく一方、心のどこかでは、これが本当にいいものなのかどうかを測りかねていた。やりたいことではないような気がして、何が理由かはわからないが、とにかく疲れるのだ。
『とかくに人の世は住みにくい』
作家、夏目漱石(なつめそうせき)の一文だ。
ーーこんなことして一体何になるんだろ?
かといって、「やらないよ」と声高らかに宣言することは、さらに恥ずかしい。意地を張ってる『かまってちゃん』のような気がしてしまう。
それに、誰かはわからないが、多数の人間から肯定(こうてい)されるのは、悪い気分ではない。
ーーでもこの人生。先が読めちゃって、泥地蔵(つまらない)なんだよなー。だってアタピだよ? 加藤の沙織ちゃんだよ? なのに平凡。
「人生なんてそんなもんだよ」と大人のような顔をして誰かに言われても、どうしても、ぐうの音どころか、パーもチョキも出したくなっちゃうほど納得できないよ。
でも現実は、シタリガオトナ(したり顔+大人)の言う通り。だって、一番輝くべきはずの誕生日だってのに、この後の展開が、ぜーんぶ読めちゃうくらい平凡なんだから。
まず、カメ(亀谷綾菜)からメール来て、教室戻るでしょ。
そしたら、クラッカー鳴らしたり、ケーキくれたりするでしょ。
で、アタピが「ありがと」てお礼言うでしょ。
それから可愛い流行りのプレゼントもらって、SNSにあげる動画や写真をみんなで撮んの。
で帰ったら、朝から溜まってるお祝いメールやSNSにも返信さん。
で、仙術の修行と学校の宿題して、また明日からは普通の日々。
そーんな感じ。
沙織は今、ピーチーズが誕生日サプライズをしてくれる、というので、その準備が終わるまで待っている最中だ。
スマートフォンを見たが、まだメールは来ていない。時間が余っているので、沙織はそのまま考えを続けた。
ーーそうそう。もう、自分の一生だってわかっちゃう。後2年、こんな感じで高校行って、大学に4年間行って、適当に誰かと付き合って、どこかの会社に入って、結婚して、子供作って、60歳くらいまで働いて、最後は老いて、老人ホームでお陀仏チーン。
こんな未来。このぬるくて平和な世界も嫌いではないけど、こんなの全然ロマンチじゃない。人間てさぁ、なんかこう、もっと、ロマンチな日々を過ごすもんじゃないの? 夢の中は怖かったけど、なんていうか、生きているって充実感を感じたなー。
沙織は、突然、虚無感(きょむかん)に襲われた。
ーーアタピ、ホントにどうしたいんだろ? なんかロマンチなこと起きないかなー。
そこまで考えた時、沙織の、床に張り付いた、お餅のように柔らかい頬に、かすかな振動が伝わった。
誰かが階段を上がってくる音だ。
沙織は、小さな耳をじっとそばだてた。
週末。
放課後。
屋上庭園へと続く階段の踊り場。
女子高生が眠っている。
セーラー服に、緑のダッフルコート。
身長は、低い。
襟には、自作の白い小人ワッペン。
華奢な手首には、ゴツい金の腕輪が鈍く光る。
まるで、持ち主の悩みを表しているかのようだ。
ーーアタピって、何のために生きてるんだろう。
加藤沙織。
大きな目からこぼれ落ちた涙の冷たさで、彼女は目を覚ました。
沙織は、見ていた夢を思い出そうとした。
『夢は、脳内整理のために見る。そのため、ほとんどの夢には、見る理由がある。夢を思い出すことは、自分の内面と会話をするようなものだ』
沙織が幼い時から修行し続けている、仙術の教えのひとつだ。
ーー確かアタピは、夢ではすっごくちっちゃかった。5歳くらいかな?
ーーそれから、背が高い、長髪の青年に、片手で持ち上げられてたな。
ーー目の前では、パパや、ミハエルや、知らない少年が倒されてた……。
ーーアタピは、なんとかしたくて、手足バタつかせて抵抗したけど、どうにもなんなかった……。
ーー大事な人たちが傷ついていく姿を、ただ見ることしかできなかった……。
ーー襲いかかる怒号と、逃げ惑う悲鳴の中、見える景色は、ひたすらな残虐で、何も出来ない自分の弱さが悔しかった……。
ーーあとは……、覚えてること……。んー。なんだろ?
沙織は、自分の涙をぬぐおうともせず、冬の乾燥に任せて考えを続けた。
自分の無力さを感じる夢。
こういう時には、現実でも無力さを感じる出来事があったはずだ。
沙織はよく考えて、知らず知らずのうちに、思い出さないようにしていた出来事に気がついた。
ーーきっと、愛ちゃんのことだ。
親友の成功を祝いながらも、引き離されていく不安や、成功にたいする嫉妬など、カッコ悪い感情が、胸の中で渦を巻いていたのだ。
ーーアタピ、醜いな。
頬で固まりつつあった涙の筋には、再び水分が補充された。
愛ちゃん。
藤原愛染(ふじわらのあいぜん)。
沙織の幼なじみにして、1番の親友である。沙織と同じ学校で、2歳年上の高校3年生。高身長で、モデルのような美しさにもかかわらず、明るく優しいみんなの人気者。3年間生徒会長を勤め上げ、先日、東京大学にも合格。
そして昨日、全国剣道選手権大会でも史上最年少優勝。
いわゆる、Sクラス中のSクラス。追いかけても捕まえられない、沙織砂漠に浮かぶ蜃気楼(しんきろう)のオアシス(憧憬)だ。
『友達というのは対等で、比較するものではない』
そんなことは知っている。学校で習った。でも、比較してしまう。
愛染にたいしてだけは、どうしても嫉妬心を抱いてしまう。
沙織は、床に突っ伏しながら、自分が本当に生きているかを確かめるため、軽く声帯を震わせながらつぶやいた。
「かといって、こーんなはずじゃなかったんだけど」
ーーしかし実際、加藤沙織って、いったい何者なんだろ? なーんか、この世界から浮いてしまっている感じ。シマッチャウオジサン(「ぼのぼの」の登場キャラ)にでも閉じ込められてるんじゃないかしらん。
喉の震えを確認した沙織は、次に、指先から一本一本、自分の体が、本当に自分の自由に動くのかどうかを確かめた。
今日は、沙織の誕生日。だからこそ、自分の生きる理由を考えたい、と思っているのかもしれない。
誰もいない校舎の屋上に好んで来たのは、加藤沙織を演じることに疲れたからなのかもしれない。
そして、沙織は、疲れていたからこそ、いつのまにか眠っていたのだろう。
ーー誕生日には、誰もいないところで一休みしたいという気持ち。誰かわかってくれる人はいるかな?
『人は人。自分は自分』
仙術の師匠であるミハエルから言われている。
けれども沙織の本心は、自分の存在は正しいんだよ、と、世間から認められたいようだ。
そのためのひとつとして、よく遊ぶ3人の同級生とともに『ピーチーズ』を名乗り、SNSに、動画を投稿したりもしていた。沙織以外の他の3人も、それなりに可愛いので、フォロワー数や再生数は、まあまあ伸びている。
ただ、数字が増えていく一方、心のどこかでは、これが本当にいいものなのかどうかを測りかねていた。やりたいことではないような気がして、何が理由かはわからないが、とにかく疲れるのだ。
『とかくに人の世は住みにくい』
作家、夏目漱石(なつめそうせき)の一文だ。
ーーこんなことして一体何になるんだろ?
かといって、「やらないよ」と声高らかに宣言することは、さらに恥ずかしい。意地を張ってる『かまってちゃん』のような気がしてしまう。
それに、誰かはわからないが、多数の人間から肯定(こうてい)されるのは、悪い気分ではない。
ーーでもこの人生。先が読めちゃって、泥地蔵(つまらない)なんだよなー。だってアタピだよ? 加藤の沙織ちゃんだよ? なのに平凡。
「人生なんてそんなもんだよ」と大人のような顔をして誰かに言われても、どうしても、ぐうの音どころか、パーもチョキも出したくなっちゃうほど納得できないよ。
でも現実は、シタリガオトナ(したり顔+大人)の言う通り。だって、一番輝くべきはずの誕生日だってのに、この後の展開が、ぜーんぶ読めちゃうくらい平凡なんだから。
まず、カメ(亀谷綾菜)からメール来て、教室戻るでしょ。
そしたら、クラッカー鳴らしたり、ケーキくれたりするでしょ。
で、アタピが「ありがと」てお礼言うでしょ。
それから可愛い流行りのプレゼントもらって、SNSにあげる動画や写真をみんなで撮んの。
で帰ったら、朝から溜まってるお祝いメールやSNSにも返信さん。
で、仙術の修行と学校の宿題して、また明日からは普通の日々。
そーんな感じ。
沙織は今、ピーチーズが誕生日サプライズをしてくれる、というので、その準備が終わるまで待っている最中だ。
スマートフォンを見たが、まだメールは来ていない。時間が余っているので、沙織はそのまま考えを続けた。
ーーそうそう。もう、自分の一生だってわかっちゃう。後2年、こんな感じで高校行って、大学に4年間行って、適当に誰かと付き合って、どこかの会社に入って、結婚して、子供作って、60歳くらいまで働いて、最後は老いて、老人ホームでお陀仏チーン。
こんな未来。このぬるくて平和な世界も嫌いではないけど、こんなの全然ロマンチじゃない。人間てさぁ、なんかこう、もっと、ロマンチな日々を過ごすもんじゃないの? 夢の中は怖かったけど、なんていうか、生きているって充実感を感じたなー。
沙織は、突然、虚無感(きょむかん)に襲われた。
ーーアタピ、ホントにどうしたいんだろ? なんかロマンチなこと起きないかなー。
そこまで考えた時、沙織の、床に張り付いた、お餅のように柔らかい頬に、かすかな振動が伝わった。
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