星乙女の天秤~夫に浮気されたので調停を申し立てた人妻が幸せになるお話~

ゆきづき花

15. 100日あとで


 店のドアを開けて視界に飛び込んできたのは前夫・俊彰の姿だった。会社帰りらしくくたびれたスーツで、隣には妻の早苗ではなく……見たこともない女と親密な様子で一緒にいた。

「俊彰……あなた、早苗さんは?妊娠中の奥さんを放ったらかしなの?」

怒りで酔いも完全に醒めた。あんなに気持ち良く酔ってたのに。

「……梓?そんな格好だから一瞬わからなかった。痩せた?」
誰のせいで食事が喉を通らなくなったと思ってるんだ、この馬鹿。
私と桐木先生が一緒にいるのに気づくと、下卑た目で舐めるように見てきた。

「なんだ、弁護士センセイとデキてたのかお前」

桐木先生の腕が、電気が走ったようにびくっと動いた。
「殴っちゃだめです、先生!」
瞬時に引っ張ってとめる。
「私は気にしませんから」
私が話してるのもお構い無しに俊彰が喋る。だいぶ酒も入ってるようだ。

「股開いて、そいつとグルになって俺らから金ぶんどったのかよ。そんでその金でチャラチャラ遊んでるのか?いいご身分だな」

酷い物言いに、私は血が沸いて、声が震えた。

「先生を侮辱しないで……」

「お前、どうせ石女だから避妊もしてないんだろう。生でやりたい放題だな」

私が俊彰を殴るのが一番早かった。人生で最も敏速に動いた瞬間だと思う。
桐木先生もマスターも手が出てたけど、俊彰の一番近くにいた私が、全身の体重をかけて手の平で俊彰の顔面を張り倒したのだった。

桐木先生も経歴に傷がつくし、マスターだって店内で暴力沙汰だなんて、きっとクビになる。
そもそも私の問題なのだし。
私の手で終らせたかった。

鼻血をおさえながら、床に這いつくばった俊彰を見て(百万年の恋もさめるわ)と思っていた。

「二度と私の前に現れないでね」

成り行きを見ていた外野から、やるじゃん、姐ちゃん!等と喝采がわいた。満場で恥をかかされた俊彰が遠吠えしている。

「おまえ、ふざけんな。これ傷害だろ、警察呼ぶぞ」
「呼べばいい。俺が彼女を全力で弁護する」
桐木先生が凄むと極道です。
本当に以下略。

俊彰が逃げるように店から出ていった。女は追わなかった。白けたような顔をして、マスターに謝っている。

「あー……私、出禁ですか?」

やっちゃったな。後悔はないけど。お気に入りのお店だったのに。

するとマスターが「ここの出資者オーナーは桐木先生なので、出入り禁止になるかどうかは先生に聞いてください」と言った。

「え?オーナー?」
「言ってなかったか?」

聞いてない聞いてないと首をぶんぶん横に振った。
自分の事務所の近くにいい店がなかったから自分で開いた、軽食が食べられて遅くまで開いてるのは単なる自分の都合だ、と。

「あそこ、事務室だし。本棚にあるの帳簿」
個室を指差して言う。
そうだ……カードキー式だった。照明も店内より明るいし。

「今更ですけど桐木先生、何者?まさか油田……」
「いや、さすがに油田は持ってない」

私のバカな質問は遮って先生はマスターに飲み物を頼んでいた。

 奥の個室もとい事務室へ行き、中に入るとすぐに、先生が「手を見せて」と言った。
私の右手は真赤だった。桐木先生がそのまま持ち上げて私の手にキスするから、胸の奥がきゅっとなった。
そのまま包むように抱きすくめられた。
気持ちいい。先生は体が大きいから、私は全身がすっぽりと腕の中に収まってしまう。安心する。

「私、桐木先生にずっと側にいてほしいです」

私がそう言うと、先生がぎゅっと力をこめて抱き締めてきた。返事を待ったけど無言だったので、私はゆっくり顔をあげた。

桐木先生の綺麗な顔がすぐそこにあった。

「俺も、梓にずっと側にいてほしい」

長い長いキスをして、私たちは約束をした。

100日経ったこのあとで、これからも私は先生とたくさん話をするだろうと思う。





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