わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)

ゆきづき花

幕間 橘常務の奥様_2


 隣の男性社員が席を空けてくれたので、私の返事を聞く前に彼女は御礼を言ってそこに座った。所作も可憐だ。あの乳臭い小娘とは全然違った大人の魅力。見た記憶があるなと名札に視線をやると所属先が総務課だったので、受付にいる女性だと思い出した。

「先日、杉岡さんにアポイントをとって来社された清川さんという方についてなんですが……」

 俺は箸を置いて話を聞くことにした。あの小娘のせいで俺は妻の弁当が食えない。本当に忌々しい。彼女は俺にしか聞こえない位の小さな声で言った。

「あの方のお名前は桜さんですよね? エントランスで橘部長が呼んでいたのは、清川さんの名前ですか?」

 訪問者は受付にフルネームで記録されるから、彼女は気づいたんだろう。誤魔化しようがなかったので、俺ははっきり返事せずに頷くことにした。おそらく彼女は噂を広げるタイプじゃないだろう。……美人だからとひいき目で見ているわけではない。

「彼女の顔色が悪かったから気になってたんですけど、あのあと大丈夫だったかご存知ですか?」

 あんな小娘のことを気にかけて俺に声を掛けてきたのか。なんて優しいんだ。思わず笑って答えた。

「……彼女は内定者で、私の知り合いでもあり、ちょっと相談事があって来社したんです。もう解決しましたから。ご心配ありがとう」
「解決したならよかったです」

 彼女が笑った。可憐だ。だが、そのあと小さな声で「内定者なら、採用担当の林くんに聞いたらいいかしら……」と言ったので、俺は美人だからと口を滑らせたことを後悔した。内定者であることは言わなくてもよかったかもしれない。

 数日後、「女優と内定者の大学生と二股かけているらしい」との噂が一瞬流れたが、そもそも「女優と付き合っていた」「結婚秒読み」の噂のインパクトが強すぎて、清川桜の噂が広がることはなかった。あとで知ったことだが、採用担当の林が「清川さんと橘部長は出身大学が同じというだけで何の関係もない」とわざわざ否定したそう。林は何か気づいてるのかもしれない。秘書部に引き抜きたい。

 何を言われても橘部長本人は否定していたし、噂の女優も記者の質問に「現在交際中の男性はいませんよ」と答えたせいで、一ヶ月も経つと噂する者も次第に減っていった。


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