わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)

ゆきづき花

35. 言葉


 元々は住み込みの使用人さんのために建てられた一軒家だそうで、水回りは充実していた。使用人さんも減って、使われなくなっていたのを、橘部長にあてがったらしい。
 シャワーを浴びて、浴室を出たら浴衣が置いてあった。部屋に戻って橘部長に聞いてみたら、お母様が準備して持って来てくれたそう。何か恥ずかしい。

 橘部長がお風呂に行ってる間に、薄化粧をした。チープコスメしか使ってないし、あんまり上手じゃないから、また、なっちゃん様にご教授いただかなくては……。



 橘部長の足音がしたから、部屋の入口を振り返った。
 浴衣を着ている橘部長に鼻血が出るかと思った。
 反則のおろした前髪。そして浴衣が似合ってる。濃藍こいあいに黄土色の帯がめっちゃ似合う……。「すみません、写真撮っていいですか?」と思わず聞きそうになったが、ストーカー相手に藪蛇になりそうだったのでやめておいた。


 橘部長が無言で厚いカーテンを引く音が、やけに甲高く聞こえる。この離れには二人きりなんだなと考えると、緊張してきた。
 さっき、お母様は「宮燈さんたら、やらし」と言ってたから、もう周囲にはバレバレなわけで……。でもいわゆる新婚さんだから、別に変な事ではないし……。それに忙しい中、週末に時間を作っていたせいで少しタスクがたまっているらしく、来週からはしばらく会えないと言われているし………………うわあああ!これから五時間ずっとえっちとか、えっち!!!
 お、落ち着こう。
 ……私、鼻息荒くないかな?


 私も橘部長も黙ってるから、微かな雨音しか聞こえない。衣擦れと、お互いの息遣いさえ聞こえる。静かすぎて怖くなってきた。きっと心臓の音も聞こえてる。橘部長が、相変わらずの無表情で私を見下ろして言った。

「桜、私は君がとても好きだ」

「え……?」

 言葉の意味が理解できないのは初めてだった。

 たいていの事は一度聞けば理解したし、一度読んだり聞いたりしたら記憶するのも得意だった。
 でも今は理解出来ない。私はひどく混乱している。

 言われるはずのない言葉。言われなくてもいいと思っていた言葉。
 --でも、口にして、言って欲しかった言葉。
 びっくりし過ぎて勝手に涙が出てきた。

「そういう、告白を……するときは……微笑んで、ください……」

 それだけ言って両手で口を覆ったけど、嗚咽がとまらなくなった。うれしくて泣くなんて初めてで、どうやってとめればいいのか分からない。

 ずっと言って欲しかった。好きって言って欲しかった。

 自分の中にこんな激情があるなんて知らなかった。誰かに何かを言われて、こんなに感情を揺さぶられる事があるなんて知らなかった。
 橘部長が私の髪を撫でて、もう一度言った。
 今度は微笑んで。

「好きだ」

 そんなに優しく笑わないで。

「泣いても綺麗だ」

 そんなに優しく囁かないで。
 切なくて息が出来ない。橘部長の腕につかまって、頑張って私も答えた。

「私も好きです、橘部長……」
「肝心な時に役職で呼ぶな」
「あ、そうでした! 宮燈さん、大好きです」

 私が泣きながら笑うと、抱き締めてくれた。私も力いっぱい抱き締めた。
 ゆっくりキスしてもらったら、胸が苦しいくらいに幸せになった。



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