わかりました、結婚しましょう!(原題:橘部長を観察したい!)

ゆきづき花

小話 清川桜を観察している_1


 父が副社長に任命された後、父に請われて私は長年勤めていた銀行を退職し、双葉本店の財務部グループ資金管理課長になった。
当時31歳になったばかり、しかも余所者で若年の私が課長として着任した事で、周囲からの風当たりは強かった。だが、気にしていても仕方ないので淡々と仕事をこなしていった。
 前任者があまり仕事熱心ではなかったらしく、業務を改善していただけだったが、相対的に評価され、入社から二年で秘書部長に昇進した。「金融業界にいたのだから、財務管理が出来て当たり前だろう」と、古参の社員からは相変わらず反感を買っていたらしいが、どうでもいい。ああいう連中は、どうせ何をやっても文句を言うに違いない。



 秘書部秘書課庶務係は圧倒的に女性社員が多い。この部署が苦手だったが、同じフロアにいるのだから毎日社員と顔を合わせることになる。昔から女に言い寄られることは多かった。だが、秘書部長になってからは殊更に酷くなってうんざりした。自分でも冷淡だなと思う程の態度で接していたのだが、何故か近づいてくる女は後を絶たない。人事部へ異動が決まった時には、本当に安堵した。

 これまで、それなりに女性と付き合うこともあったが、「どうして笑ってくれないの?」「私の事、本当に好きなの?」と言われても困るだけだった。自分なりに好きだから付き合っていたつもりだったが、結局は「あなたには人の心が無いのね」と言い残して去っていく。何度も繰り返されて、きっと私には何かが足りないのだろうと思うようになった。

 出来るだけ女とは関わらないようにしよう。そう思って仕事を積み重ねてきたのに、予想外の場で巡り合ってしまった。


 束ねた髪が元気よくクルクルと跳ねている。役員専用エレベーターに満面の笑みで颯爽と乗り込んできて、杉岡の制止も聞かず文句を言う彼女を、面白いと思った。
一体どんな人間なんだろうと興味が湧いて、杉岡には退いてもらったが踵を返された。もうエレベーターが12階についてしまう。
 どうせ後で会うのはわかっていたが、離れがたい。そう思っていたら、彼女の髪の毛が、私のスーツのボタンに引っ掛かった。

 杉岡がとろうとしてくれたが、何故か絡まってとれない。私は心の中で(杉岡さん、マジでありがとうございます)と呟いていた。
 杉岡は、私が役員になった昨年から付いた秘書で、とても真面目。「社内では必ず『杉岡』と呼び捨ててください。敬語も使わないでください」と念を押されている。派閥に属さない彼は、数少ない私の味方でもあった。


 「すみません……」と小声で謝っている彼女が可愛い。桜の薫りがする。
 髪を切ってしまったので、詫びを言ったが、彼女は気もそぞろな様子だった。四次面接に遅れそうなのが気になるんだろう。焦っている顔も可愛い。



 彼女がフロアから出ていってから、予め採用担当から預かっていた資料一式をキャビネットから出す。これから面接を行う学生の履歴書等が揃えてあるのだが、それを杉岡が見せるよう促したので、全部まとめて渡した。おそらく先ほど出会ったあの学生の資料をみたいのだろう。

「あいつ、どこの大学だ……」

 バサバサと紙をめくっていた杉岡の手がとまる。
 苦虫を噛み潰したような顔。まさに、苦虫だったのだと思う。

「……あの小娘……京大……」

 京都大学に落ちて神戸大学に行った杉岡にとって、京大は鬼門。
彼女があのエレベーターの中で大学名を口にしていたら、おそらく杉岡は、もっと屈辱的な気分になっていたと思う。
 面談場所の前室で杉岡が言った。

「部長の後輩でしたね、あの清川とかいう小娘」
「……そうだな」

 京都の大学だったのは好都合だ。コネクションを使えば、成績表やその他いろいろな情報も手に入るだろう。



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