家庭訪問は恋のはじまり【完】

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第34話 相談

この後は学級懇談会だ。

下校する子、懇談が終わるまで図書室で待機する子、それぞれに分かれて、ランドセルを背負って移動する。

嘉人くんは、おばあちゃん家に帰るらしい。

私は、保護者の学級委員さんと机をコの字に並べて、懇談の準備をする。

今日のテーマは、子供の家庭学習の仕方。

懇談に残ってくれた保護者は学級委員さんを含めて10名。

上の子のクラスに行く人もいるが、授業だけ見て帰ってしまう人もいる。

今は、お母さん達も忙しいし、仕方ないのかな。


私は、学校での子供達の様子を話す。

チャイムが鳴る前に席に着く子が増えたこと。
「静かにして」と呼びかけてくれる子が増えたこと。
トイレのスリッパを揃えて脱げる子が増えたこと。

だけど、入学時にはあらゆる持ち物に記名されていたのに、2学期に入り、名前のない鉛筆や消しゴムの落し物が増えていること。

基本的に、懇談に参加されるお母さんは、問題がないことが多い。

しっかり子供の宿題も見てくれているし、忘れ物も少ない。

どちらかというと、懇談に来ないお母さんの子供ほど、宿題や教科書などの忘れ物が多い。

子供の教育に対する熱量の違いなのか、子供にかけられる時間の違いなのか。

私からの話が終わると、学級委員さんの司会で、家庭でどのように宿題をやっているかなどを話し合っていく。

帰ってすぐやる子、学童保育で宿題を終えてくる子、言ってもなかなかやらなくて困ってるお母さん、いろいろだ。

端のお母さんから順に発表していき、最後に瀬崎さんの番になった。

私は興味深く聞く。

「瀬崎嘉人の父です。 
 嘉人は、学校が終わると、一旦祖父母の家に帰るので、聞き分けのいい日は、そこで宿題をします。
 でも、祖父母の手に負えない時は、私と帰宅してから、眠い目を擦りながらやります。
 でも、食事と風呂を済ませると寝てしまうこともあるので、そういう時は朝、叩き起こしてやらせます」

そう言って、瀬崎さんはにっこりと笑った。

何人かのお母さんが見惚れている。

瀬崎さん、かっこ良すぎだよ。

お母さん達に愛想振りまかないでよ。

懇談が終わると、相談があるお母さんが次々と私の所へやってくる。

ノートの升目の大きさや、学年通信でお願いした図工と算数で使う箱についてなど、学校に来たついでに聞いておきたい事を次々に質問される。

話題が尽きないお母さん方から一歩下がった所で、瀬崎さんが待っている。

私は、お母さん達と話しながらも、ちょっと落ち着かない。

しばらくして、お母さん達の話が終わると、瀬崎さんが寄ってきた。

「瀬崎です。
 嘉人の通級の事で相談があるんですが」

それって、今?

毎日、電話で話してるのに?

私は怪訝に思いながらも、「はい」と返事をする。

「できれば、他の人に聞かれない場所で相談したいんですが」

「ああ、そうですね。
 じゃあ、相談室に行きましょうか。
 ちょっと待っててくださいね」

私は学級委員さんの仕事が終わるのを待つ。


学級委員さん達は、議事録のファイルを手にして、立ち上がると、
「ありがとうございました」
と教室を出て行った。

もう誰もいないから、教室でもいいかなと少し思ったけど、隣の2組さんは懇談中だから、いつ1組の前を人が通るか分からないので、やっぱり相談室に行く事にした。

相談室の引き戸を開け、
「どうぞ」
と瀬崎さんを中に促すと、私は入り口に掛けられたプレートを使用中に変えて、中に入った。

4人掛けの丸テーブルに瀬崎さんに座っていただき、私もその90度隣に腰を下ろした。

「嘉人くんの通級の事で、何かありましたか?」

私から切り出した。

「ごめん、嘘」

「えっ?」

「そう言えば、2人で会えると思って」

瀬崎さんは、テーブルの上に置いた私の手を握った。

私は慌てて手を引くが、しっかりと握られていて、離してはくれない。

「ダメです、瀬崎さん。
 ここは、学校なんです。
 使用中の札が掛けてあっても、人が入ってくる事はあるんです」

私は、声が外に漏れないように、小さな声で囁く。

「じゃあ、週末、会いに行っていい?」

瀬崎さんが真っ直ぐに私の目を見て言う。

「その間、嘉人くんはどうするんですか?」

「実家に預けるよ」

「寂しがりませんか?」

私も会いたい。

だけど、嘉人くんを犠牲にするのは、違うと思う。

「大丈夫。
 嘉人は祖父母にもよく懐いてるから、喜んで行くよ。
 夕凪は、料理の家庭教師を呼ぶくらいのつもりでいればいい」

「料理の家庭教師?」

「出張料理教室。
 27歳独身の女性が料理を習うだけ。
 世間一般から見ても、常識の範囲内だろ?」

確かに。

「今後、万が一、誰かに見咎められるような事があっても、そう答えればいい。
 だから、時々、夕凪の家に行かせてくれないか。
 夕凪に会えなくて、会いたくて、気が狂いそうなんだ」

瀬崎さんの真剣な視線が痛くて、私は思わず目を伏せた。

「あの…
 嘉人くんを犠牲にしたりしないなら… 」

私は小さな声でポツリと言う。

すると、瀬崎さんは握った手に力を込めた。

「もちろんだよ。
 夕凪、ありがとう」

瀬崎さんが低い声で耳元で囁く。

どうしよう。

お礼を言われただけなのに、胸がキュンキュンして、落ち着かない。

握られた手を振りほどかなきゃいけないのに、そのまま触れていて欲しいと思う私がいる。

仕事中にこんな事を思うなんて初めてで、自分でもどうしていいか分からなくて戸惑う。

ほんとにどうしよう。

「じゃあ、ついでに嘉人の事も話しておこうかな。
 これで終わると、誰かに何か聞かれた時、正直者の夕凪が困るだろ?」

瀬崎さんはそう言うと、私の頭を撫でる。

もうダメ。

ドキドキが止まらない。

「夕凪は、嘉人が通級に通い始めて、変わったと思う?
 通級は、授業を受けるより、嘉人にとって有益だと思う?」

話題が嘉人くんの事になり、私は必死に、どこかへ隠れていた教師の顔を引っ張り出す。

「瀬崎さんは、今日、初めて授業を参観されてどう思いました?」

「楽しそうに頑張ってたと思うよ」

「以前の嘉人くんなら、自分の出番は頑張っても、お友達の出番の間は、手遊びをしたり、立ち歩いたり、お喋りをしたりと落ち着きませんでした。
 でも、今日は、お友達の発表をちゃんと聞けました。
 授業に集中する事ができるようになってきてると思います」

「それは、嘉人にとって、有益だと考えていいんだよね?」

「はい。
 ADHDそのものには、学習障害はありません。ただ、授業に集中できなくて、授業についていけなくなる子がいるのも事実です。
 嘉人くんは、元々は頭のいい子です。学力に遅れはありません。
 今後の課題は、いかに授業に集中させるかという事と、いかにやりたくない宿題をちゃんとやって学力を定着させるかだと考えてます」

「じゃあ、通級はこのままでいいと思う?
 それとも、週2時間に増やした方がいいと思う?」

「通級の先生とも相談してみないと、ちゃんとしたお返事はできませんが、私個人としては、このままでいいと思います。現状で成果が出てますから」

「分かった。
 ありがとう、夕凪」

瀬崎さんは、握った私の手を持ち上げて、そっと唇に触れさせる。

っ!!
ここ、学校!!

私は言いたい言葉が口から出てこなくて、そのまま固まってしまった。

「くくっ
 先生の夕凪もかわいいけど、そうやって頬を染めた女の子の夕凪はもっとかわいい」

瀬崎さんは、私の手を握ったまま、指を親指で撫でながら、言った。

私は、何も言えなくて、赤い顔を見られるのも恥ずかしくて、思わず顔を伏せた。

「もっとこうしてたいけど、あまり長く一緒にいて、夕凪に迷惑が掛かるといけないから、先に行くよ。
 夕凪は、もう少しここで休んで、落ち着いてから出ておいで」

そう言って、瀬崎さんは、私の手を離して立ち上がった。

「あ… 」

手が離れたのが寂しくて、思わず、口から声が漏れてしまった。

それを聞き逃さなかった瀬崎さんは、私の肩を抱いて、額にひとつ温もりを落とす。
そして、
「夕凪、愛してる」
と耳元で囁いて、部屋を出て行った。

さらに顔に熱を持たせた私は、その後10分以上、相談室から出られなかった。


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