家庭訪問は恋のはじまり【完】

くっきぃ♪コミカライズ配信中

第29話 思いがあふれそうで……

私たちは、散策を終えると、再び車に乗り込み、家路につく。

初めは、トンネルの数を元気よく数えていた嘉人くんだったけど、途中から、声が聞こえなくなった。

「嘉人、寝た?」

瀬崎さんに言われて振り返ると、後部座席でスヤスヤと寝息を立てるかわいい姿があった。

「はい。疲れたんでしょうね」

「こいつは、いつも全力で遊ぶから、突然、電池が切れたみたいに寝るんだ。
 宿題中でも寝るから、困るんだよ」

瀬崎さんが苦笑する。

「そういう時は、どうするんですか?」

「朝、叩き起こしてやらせるよ。
 嘉人がたとえ発達障害だとしても、将来、こいつが背負うべき責任を放棄していい理由にはならないから。
 やらなきゃいけない事は、どんなに嫌でもやる癖を今のうちにつけさせてやりたいんだ」

瀬崎さんはそう言うと、ルームミラーで後ろで寝息を立てる嘉人くんを見て、微笑む。

「夕凪、今日は、ごめんな」

瀬崎さんは、チラリとこちらに視線を向けて謝る。

「大人気ないけど、あいつと2人にしたくなかったんだ。
 夕凪に手を出すんじゃないかと思ったら、どうしても我慢できなくて… 」

「いえ。
 嬉しかったです」

全部、私を思ってしてくれた事。

赤信号で静かに停止すると、瀬崎さんの手が伸びて、膝の上にある私の手を握った。

「夕凪、好きだよ。
 この歳になると1年1年があっという間に過ぎてくのに、たかが春までがこんなに長いと思わなかった」

うん。ほんとに。

信号が青になると、瀬崎さんは私の手を離して前を向く。

残された私の手が膝の上で寂しいと言っていた。



アパートの駐車場に着いた。

私が、降りようとシートベルトを外すと、隣からまた瀬崎さんの手が伸びて、私の手を握った。

「夕凪、今日はありがとう。
 俺と嘉人のわがままに付き合ってくれて」

「いえ」

私は、目を伏せる。

すると目に入る私の手と一回り大きな瀬崎さんの手。

「また、電話する」

「はい」

これで今日はさよならだと思うのに、瀬崎さんの手がなかなか離れない。

どうして?

ドキドキする胸に戸惑いながら、私は瀬崎さんの手を見つめる。

しばらくして、瀬崎さんは握った私の手を引き寄せた。

そのまま私の手を持ち上げて…

手の甲に柔らかな感触が温もりを落とした。

「このまま、連れて帰りたい」

瀬崎さんが苦しそうに呟く。

「……」

私も一緒にいたい。

だけど、私は嘉人くんの担任。

感情に流される訳にはいかない。

「ごめん。ただの独り言。
 忘れて」

瀬崎さんは私の手を離して、車を降り、助手席のドアを開けてくれた。

「送っていただいて、
 ありがとうございました」

私はお礼を言って頭を下げる。

「部屋まで送るよ」

そう言って、瀬崎さんは、私の手を取った。

部屋まで…と言っても、ほんの10mちょっとの距離。

それすら離れがたいと思ってくれるその気持ちが嬉しかった。

私が部屋の鍵を開けると、

「ちょっとだけ、いい?」

そう言って、瀬崎さんは私の部屋のドアを開け、一緒に玄関に入る。

ドアが閉まるや否や、瀬崎さんの逞しい腕に抱きしめられた。

「夕凪、愛してる」

そう囁いた瀬崎さんは、腕を緩めて唇を重ねた。

私は背中を壁に押し当てられ、少し屈んだ瀬崎さんに唇を啄ばまれる。

そのまま深くなるくちづけ。

私は、瀬崎さんの背中にしがみつくように腕を回した。

好き。

私も瀬崎さんが好き。

口にできない想いが、胸いっぱいになり、思わず口からこぼれそうになる。

私は、ほんのかけらほど残った理性を総動員して、想いが溢れないように心に蓋をする。

でも…
このまま流されてしまえたら…

己の揺れ動く想いに翻弄されながら、瀬崎さんのくちづけを受け入れる。

今、この瞬間が幸せだと思う。


やがて、瀬崎さんの温もりが離れていく。

「名残り惜しいけど、嘉人が待ってるから帰るよ。
 また、機会を見つけて、必ず会いに来るから、待ってて」

私はこくんと頷く。

「じゃ、また」

そう言って、瀬崎さんは帰っていった。



瀬崎さん…

今、見送った彼に会いたいと思うなんて、私は変だ。

だけど、会いたい。

お風呂に入っても、お布団に入っても、頭に浮かぶのは、瀬崎さんの事ばかり。


武先生の告白に断りの返事をしていない事に気付いたのは、週が明けた月曜日の事だった。

「家庭訪問は恋のはじまり【完】」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く