お久しぶりです。俺と偽装婚約してもらいます。~年下ワケあり生真面目弁護士と湯けむり婚前旅行~

天海うかぶ

27. いい夫婦だな

「……というわけだ。今まで騙しててすまなかった」
「申し訳ありませんでした……」

 食堂の個室の大きな窓に、快晴の空と美しい竹林の庭が広がっている。
 爽やかな朝の空気の中、朔也と葉月は目の前の膳に手もつけずに頭を下げていた。

「…………」

 向かいに座ったすみれと静馬も、箸さえ取れないまま朔也たちを見ている。
 朔也が席につくなり、これまでのいきさつを──偽装婚約を企んだことや、昨日本当に葉月と婚約したことを白状し始めたからだ。

「朔也、あんた偽装婚約って……葉月巻き込んで何してんの」
「わかってる。一生かけて償うつもりだ」
「そ、そんな、納得してたし私は大丈夫。すみれと静馬さんを騙してたのは償わないといけないけど……」
「いや葉月、それは別にいいよ」
「いいの!?」
「ああ、まったく構わん。二人が幸せになったならめでたいめでたい」

 つい先ほどまで驚いていたにもかかわらず、すみれと静馬はあっさりと許してくれた。
 静馬に至っては、湯飲みを手に楽しげに笑っている。

 ──白状しようって決めたのは、静馬さんの残り時間がなくなる前に仲直りしたかったからだ。
 ──静馬さんが許してくれたなら、それでいいのかな。まだ悪い気がするけど……。

「騙していたのは私たちも同じだしな。こちらこそすまなかった」
「えっ!?」

 さらりと明かされた事実に、思わず葉月と朔也の声が揃った。

「ジイさん、それってどういう……」
「お前と葉月ちゃんが許嫁というのは嘘、ということだ」
「はっ……!? いや、あんたがいきなり誓約書送りつけてきたんだろ。ちゃんと葉月さんのお祖父さんのサインも入ってて」
「ああ、それか。昔、彼が私に借金したんでな。そのときの返済誓約書をちょちょいっと」
「ちょちょいで文書偽造するな! ……何だよ、それが嘘のはずだったのに……」
「何か言ったか?」
「何でもない!」
「あと、お前は私がもうすぐ死ぬと思っているかもしれんがそんなことはない」
「はあ!?」

 さらに驚く朔也に、静馬がにやりと唇の片端を上げる。

「昨日、葉月ちゃんとケンカしてただろう。だから私なりに応援と言うか、テコ入れをだな……まあ老い先短いのは事実だから、これは騙しとらん」

 ──た、確かに「残り時間が短い」としか言ってなかったけど……!

 絶句している朔也の隣で、葉月も呆然とした。

「……クソジジイ……」
「はっはっは、修行が足りんな。お前は真面目すぎて視野が狭い」
「あー……朔也、葉月、ごめんね? 実はそうだったんだ。朔也たちが許嫁だって言ったら全部うまくいくかも、ってあたしたちで作戦立てたの」

 横から申し訳なさそうにすみれが入ってきて、静馬は頷いた。

「ああ、四、五ヶ月前だったか。朔也がきな臭い弁護士とそのご令嬢に近づいている、と古い友人から聞いてな。それでピンと来た。このまま進めばまずいことになると」
「その時点で気づかれてたのかよ……」

 飄々と語る静馬を、うなだれた朔也が見やる。

「あたしはそれよりちょい前に偶然葉月と会ってさ。朔也のこと、葉月がずっと好きでいてくれてたってわかって」
「すみれ、やっぱり知ってたんだ」
「うん、まあね。朔也について話すとき、葉月って乙女の顔するから。朔也もあれだけ葉月が好きだったし、絶対忘れてないはず……もし二人が再会したらお互いいい感じになれるんじゃないかな、って思いついたんだ」
「許嫁の条件付きで遺産を渡す、だなんて意地悪をな。私は旅行の初日に白状するつもりだったんだが、朔也たちも演じていたようだし黙ってたんだよ」
「え、おじいちゃん気づいてたの!? あたし、普通にくっついたのかと思ってたよ。ぎこちなかったけど、二人ならそういう感じかもって。あーんするかも? って」
「そ、それは忘れて……!」

 恥ずかしいことをほじくり返され、葉月は慌てて話を遮った。
 朔也は騙したはずの相手が自分より数枚上手だったのが悔しいのか、眉間に深い皺を寄せている。
 静馬はそんな朔也を見て微笑んでいたが、ふと真面目な表情になった。

「嘘ばかりですまなかったな。だが……本当のこともある。昔、足を洗ったいきさつは事実だよ。朔也に直接伝えて謝りたかった。私の勝手だが」

 先ほどとは違う沈んだ声に、朔也がはっと顔を上げる。

「それと、二人への祝福もだ。おめでとう。私は全力で朔也と葉月ちゃんの幸せを応援するよ」
「ありがとうございます……!」
「……ああ。ジイさん、ありがとう」

 笑顔で答える葉月の隣で、朔也もためらいながら礼を言う。
 静馬は目を丸くし、すみれはそれを知っていたかのようににっこりと笑った。

「姉さんもありがとう。いろいろ準備してくれて」
「あはは、お礼なんていいって。勝手にやったことだし、そもそも……罪滅ぼしって言うかさ。昔、あたしだけ父さんのところに残っちゃって、姉なのに朔也を全然守れなかったし?」

 すみれは顔の前で手を振り、苦笑してみせた。
 明るくおどけているようだが、長年の後悔と自責が透けて見える。
 思うところありげに姉を見つめる朔也を振り切るように、すみれは葉月に向き直った。

「それに、友達の葉月に幸せになってほしかったから! それもすっごく大きいよ」
「え……わ、私も?」
「当たり前じゃん。葉月って優しくて純粋で、彼と別れたって言ったときもあたしのこと一番に気遣ってくれて。でも、いつもちょっと悲しそうで……そういうとこ、放っとけなくてさ」
「すみれ……! ありがとう……」
「これからは義理の姉妹としてもよろしくね」

 感激する葉月に、すみれが照れ笑いする。

「……二人とも、今までごめん」

 そこへ、朔也が突然謝った。
 葉月が驚いて隣を見ると、彼は真剣な眼差しで祖父と姉を見据えている。

「俺はずっと二人に──父さんにも、怒ってた。見捨てられたって思ってた。そうじゃない、って本当はわかってたのに。あのとき助けてもらえなかったのは、誰にもどうにもできなかったからだ。でも、父さんたちが悪いせいだって無理矢理納得しようとした」

 ぽつぽつと語る声のテンポはいつもよりも遅く、朔也が深く考えながら話しているのがわかった。

「何年も拗ね続けて、まともに話もしないで……本当に、ごめん」

 潔く頭を下げる朔也の姿に、葉月の胸が打たれる。
 彼は昨日約束した通り、問題から逃げることをやめ、向き合おうとしているのだ。
 そう思うと、目頭が熱くなった。

「謝るな、朔也。お前は悪くない。私たちが、いや、私が悪いんだ。誠一にだって、私は……」
「父さんはジイさんに感謝してたよ」
「え?」
「死ぬ前に手紙をくれたんだ。返事はできなかったけど」
「……あいつ、そんなことを……」
「俺、ずっと墓参りもできてなかった。今度連れてってくれ。家族みんなで行きたい」
「……ああ。ああ、もちろんだ」
「うん。父さんの好きだった花、持ってこうね。そのあとは、母さんのお墓にも……」

 静馬とすみれがさまざまな感情をたたえた微笑みを浮かべ、深く頷く。

「葉月さん、あなたも一緒に……って、どうして泣いてるんですか」

 隣の葉月を見て、朔也は驚いたあと幸せそうに笑った。
 彼のハンカチが葉月の目元と頬をそっと拭う。

「ごめん、横から勝手に……」
「何です、『勝手に』って。もう葉月さんも家族になるんだから他人事じゃないでしょ」
「……そっか。そうだよね」
「はい」

 その言葉で葉月はさらに涙が溢れてしまった。
 顔を上げると、静馬とすみれも嬉しそうに笑っている。

「ありがとう、葉月ちゃん。君のおかげだ」
「いえっ、そんな」
「朔也、葉月これ以上泣かせたら承知しないからね。幸せにしてよ」
「当たり前だ」
「も、もう、朔也くんまで……」
「ははっ、いい夫婦だな」
「ほんとほんと」

 祝福されて嬉しいが、少し恥ずかしい。
 朔也もさすがに照れたらしく眼鏡を直しかけたが、その前で手を止めて「いい夫になれるよう頑張る」と宣言してみせた。

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