お久しぶりです。俺と偽装婚約してもらいます。~年下ワケあり生真面目弁護士と湯けむり婚前旅行~
19. 忘れてるみたいだからもう一度教えてあげます(1)
話を切り出せないまま夕飯を食べて、風呂に入り、あとは寝るだけの時間。
葉月は勇気を振り絞り、書斎の扉の前に立っていた。
朔也に彼の抱えている問題を尋ね、一緒に解決策を探すために。
「ごめん、朔也くん。お邪魔してもいいかな」
「……はい。どうぞ」
扉が開き、前髪を下ろした浴衣姿の朔也に中へ促される。
初めて入った書斎は、意外とこぢんまりした和室だった。
部屋の奥、庭に面した大きな窓のそばに、文机と一脚の座卓がある。
和紙のランプシェード越しの淡い橙色の光をかき消すように、机の上でノートパソコンの画面が白く光っていた。
寝る準備をしてから改めて仕事をしていたのか、畳には布団が敷かれている。
他には隅に置かれた黒革のボストンバッグくらいしか生活の痕跡がなく、それがなんだか朔也らしかった。
「こちらへ」
「わ、ありがとう」
朔也が持ってきてくれた座椅子に葉月が座ると、彼も隣に腰を下ろす。
「昼間、うちの姉に何か言われました? 俺、代わりに文句言いますよ」
いきなり物騒に尋ねられ、慌てて葉月は首を横に振った。
「な、何も言われてないけど。どうしたの?」
「帰ってきてからなんか空元気っぽかったので。姉さん、無神経なとこあるし」
「そんなことないよ、むしろ元気もらってばっかりで……!」
「そう、ですか」
朔也が顔にかかった長い前髪を掻き上げ、思うところありげに目を伏せる。
「……葉月さん。やっぱり友達を騙すのは嫌ですか」
「えっ?」
「昨日は二人で騙したけど、今日は一人だったでしょう。だから、余計につらくなったんじゃないかと思って」
表情は乏しく、声色は平坦だ。
それでも伝わってくる朔也の深い思いやりに、そんな場合ではないのに胸が高鳴ってしまった。
「正直……それも、あったけど。でも自分で決めたことだから」
「葉月さんが決めたんじゃないでしょう? 借金があるって俺が言ったからです」
今度はやや突き放すような口調になったが、それは悪役を演じようとしているからなのだろう。
朔也自身を責めているようにも聞こえてしまい、どうにも放っておけなくなる。
「……朔也くんは、すごく優しいね」
「どうしたんです、いきなり。皮肉……じゃないですね。葉月さんそういうの言えないし」
朔也は怪訝そうに目を細めた。
「そもそも葉月さんのほうが優しいでしょ。急に巻き込まれたのに頑張ってついてきて。どうしてそこまでしてくれるのか理解できません」
「理解できません、って」
「でも、そういう人なんですよね。昔からお人好しだった。俺は、そんなあなたを……」
一度言葉が切れる。
ためらったような沈黙のあと、朔也はもう一度口を開いた。
「あなたを見てると、自分が嫌になる」
ぽつり、と抑えきれなかったものを吐き出すように呟き、自身の浴衣の胸元をすがるように掴む。
レンズの奥の目は伏せられ、表情はないのにはっきりとした悲しみが浮かんでいた。
──朔也くん……!
突然あらわになった彼の弱さに、心臓が大きく震える。
葉月はいてもたってもいられなくなり、考えるより先に朔也の手を取った。
「い、嫌になる必要なんてないよ」
「……やめてください」
「だって朔也くんは優しくて正義漢でかっこよくて、可愛いところもあって。私は朔也くんのいいところいっぱい知ってる」
朔也が離れようとしても手を握ったまま、懸命に励ます。
続けて顔を覗き込もうとしたが、朔也は下を向いて視線を合わせなかった。
拒絶されているとわかるものの、そうされればされるほど深入りしたくなってしまう。
「俺を綺麗なもの扱いしないでください。あなたを脅した張本人ですよ」
「何か理由があったんでしょ?」
間髪入れずに尋ねたら、朔也は小さく息を呑んだ。
まだこちらを見てはくれない。ますます彼の心を開かせたい気持ちが掻き立てられて、葉月はすぐにもう一度話しかけた。
「お金が欲しいからだって言ってたけど、でも、それだけじゃなくて何かどうしようもない理由があるんだよね? 昔からの悩みとか」
「……違います、俺は……」
「そんなことない」
必死になるあまり、葉月はつい朔也を遮った。
デリケートなことだから丁寧に聞かなくては。
書斎に入る前はそう思えていたはずなのに、早く彼を助けたい焦燥感が勝って止められない。
「朔也くんは困ってる人を助けて守ってくれるヒーローだから。自分勝手な理由で人を傷つけたりしない。そんなの朔也くんじゃないよ」
最後の言葉を告げた瞬間、びくっと朔也の肩が跳ねる。
葉月が一方的に握っている手が──以前は葉月の手を包んでくれた大きなそれが、なぜかかすかに震え出した。
「……俺じゃ、ない?」
朔也がゆっくりと顔を上げる。
そこからは表情が抜け落ちて、据わった目だけがいびつな光を放っていた。
──あ……。
ぞっと背筋が冷たくなる。
こちらを睨む瞳が恐ろしいからではない。
言ってはいけないことを言ってしまった、と悟ったからだ。
「ご、ごめん、私……!」
「そう、でしたね。もう昔の俺じゃない。あなたと一緒にいて昔のことを思い出しても……もう戻れない」
朔也が低く、自分に言い聞かせるように呟いた。
「大丈夫だよ、まだやり直せる! 一緒に解決策を考えよう。私、それを言うためにここに来て──きゃっ!?」
必死で呼びかけるが、途中でいきなり強く腕を引かれて畳へ押し倒される。
「……葉月さん、忘れてるみたいだからもう一度教えてあげます」
覆い被さってくる朔也は、別人のように冷酷な顔をしていた。
「俺が自分勝手な理由で人を傷つける奴だ、ってこと」
彼の手が強引に葉月の浴衣の合わせを開く。
葉月は頭が真っ白になり、声も出せなかった。
朔也との情事を夢見たことがないわけではない。温泉で裸を見てしまったあと、悶々として眠れなかったくらいだ。
だが、彼がこんなことをするなんて。
「……んぅっ!?」
どうにかしなければと焦っていると、噛みつくように唇を奪われる。
抵抗しようとしても、より口づけが深くなるばかりでどうにもできなかった。
「──っ! ん、く……っ」
強引に口をこじ開ける指。こんなときなのに柔らかい唇。
しつこく絡んでくる舌と、熱い吐息。
濃厚すぎる感触に翻弄されているうちに、頭の芯が甘く痺れていく。
「……はは、可愛いですね。こんなことされてるのに噛もうとすら思わないなんて」
息が上がっている葉月とは真逆に、朔也は冷たい微笑みを浮かべていた。
見たことのない雄の表情に、葉月の腰の奥がゾクッと震える。
──うそ……私、どうして……!
襲われているのに、嫌じゃない。
体はそう告げていた。
「さ、朔也くん……」
呆然とした葉月を見下ろし、朔也が痛みを堪えるように顔を歪める。
「これに懲りたら、二度と俺を信じないでください。あなたはいつも俺に優しくしてくれるけど、俺にそうしてもらえる資格はないんです」
絞り出すようなかすれた声。
揺らぎながらも、時折すがるように葉月を見つめる瞳。
本当はこんなことしたくない、と朔也が戸惑い、苦悩しているのが痛いほど伝わってくる。
──……私がここまで、朔也くんを追い詰めたんだ。
これから犯されるのに、葉月の胸に湧き上がったのは後悔と罪悪感だけだった。
朔也に謝ろうとするが、その前にまた唇で口を塞がれる。
「ん、ぁ……っ」
大きな手が浴衣の裾に入り込み、裸の太腿に触れる。
甘い感覚が走った驚きに、葉月はびくっと体を跳ねさせた。
──だ、だめ、気持ちよくなってる場合じゃない。
──こんなの止めなきゃ。こんなことしたら朔也くん、絶対もっと傷ついちゃうよ……!
本気で焦っているのに、快感に流されて全身から力が抜ける。
──やだ、私、止めなきゃいけないのになんで……!
心と体がどんどん食い違う。
葉月の心臓は恐怖ではなく、愛しい男に抱かれる悦びに震えていた。
葉月は勇気を振り絞り、書斎の扉の前に立っていた。
朔也に彼の抱えている問題を尋ね、一緒に解決策を探すために。
「ごめん、朔也くん。お邪魔してもいいかな」
「……はい。どうぞ」
扉が開き、前髪を下ろした浴衣姿の朔也に中へ促される。
初めて入った書斎は、意外とこぢんまりした和室だった。
部屋の奥、庭に面した大きな窓のそばに、文机と一脚の座卓がある。
和紙のランプシェード越しの淡い橙色の光をかき消すように、机の上でノートパソコンの画面が白く光っていた。
寝る準備をしてから改めて仕事をしていたのか、畳には布団が敷かれている。
他には隅に置かれた黒革のボストンバッグくらいしか生活の痕跡がなく、それがなんだか朔也らしかった。
「こちらへ」
「わ、ありがとう」
朔也が持ってきてくれた座椅子に葉月が座ると、彼も隣に腰を下ろす。
「昼間、うちの姉に何か言われました? 俺、代わりに文句言いますよ」
いきなり物騒に尋ねられ、慌てて葉月は首を横に振った。
「な、何も言われてないけど。どうしたの?」
「帰ってきてからなんか空元気っぽかったので。姉さん、無神経なとこあるし」
「そんなことないよ、むしろ元気もらってばっかりで……!」
「そう、ですか」
朔也が顔にかかった長い前髪を掻き上げ、思うところありげに目を伏せる。
「……葉月さん。やっぱり友達を騙すのは嫌ですか」
「えっ?」
「昨日は二人で騙したけど、今日は一人だったでしょう。だから、余計につらくなったんじゃないかと思って」
表情は乏しく、声色は平坦だ。
それでも伝わってくる朔也の深い思いやりに、そんな場合ではないのに胸が高鳴ってしまった。
「正直……それも、あったけど。でも自分で決めたことだから」
「葉月さんが決めたんじゃないでしょう? 借金があるって俺が言ったからです」
今度はやや突き放すような口調になったが、それは悪役を演じようとしているからなのだろう。
朔也自身を責めているようにも聞こえてしまい、どうにも放っておけなくなる。
「……朔也くんは、すごく優しいね」
「どうしたんです、いきなり。皮肉……じゃないですね。葉月さんそういうの言えないし」
朔也は怪訝そうに目を細めた。
「そもそも葉月さんのほうが優しいでしょ。急に巻き込まれたのに頑張ってついてきて。どうしてそこまでしてくれるのか理解できません」
「理解できません、って」
「でも、そういう人なんですよね。昔からお人好しだった。俺は、そんなあなたを……」
一度言葉が切れる。
ためらったような沈黙のあと、朔也はもう一度口を開いた。
「あなたを見てると、自分が嫌になる」
ぽつり、と抑えきれなかったものを吐き出すように呟き、自身の浴衣の胸元をすがるように掴む。
レンズの奥の目は伏せられ、表情はないのにはっきりとした悲しみが浮かんでいた。
──朔也くん……!
突然あらわになった彼の弱さに、心臓が大きく震える。
葉月はいてもたってもいられなくなり、考えるより先に朔也の手を取った。
「い、嫌になる必要なんてないよ」
「……やめてください」
「だって朔也くんは優しくて正義漢でかっこよくて、可愛いところもあって。私は朔也くんのいいところいっぱい知ってる」
朔也が離れようとしても手を握ったまま、懸命に励ます。
続けて顔を覗き込もうとしたが、朔也は下を向いて視線を合わせなかった。
拒絶されているとわかるものの、そうされればされるほど深入りしたくなってしまう。
「俺を綺麗なもの扱いしないでください。あなたを脅した張本人ですよ」
「何か理由があったんでしょ?」
間髪入れずに尋ねたら、朔也は小さく息を呑んだ。
まだこちらを見てはくれない。ますます彼の心を開かせたい気持ちが掻き立てられて、葉月はすぐにもう一度話しかけた。
「お金が欲しいからだって言ってたけど、でも、それだけじゃなくて何かどうしようもない理由があるんだよね? 昔からの悩みとか」
「……違います、俺は……」
「そんなことない」
必死になるあまり、葉月はつい朔也を遮った。
デリケートなことだから丁寧に聞かなくては。
書斎に入る前はそう思えていたはずなのに、早く彼を助けたい焦燥感が勝って止められない。
「朔也くんは困ってる人を助けて守ってくれるヒーローだから。自分勝手な理由で人を傷つけたりしない。そんなの朔也くんじゃないよ」
最後の言葉を告げた瞬間、びくっと朔也の肩が跳ねる。
葉月が一方的に握っている手が──以前は葉月の手を包んでくれた大きなそれが、なぜかかすかに震え出した。
「……俺じゃ、ない?」
朔也がゆっくりと顔を上げる。
そこからは表情が抜け落ちて、据わった目だけがいびつな光を放っていた。
──あ……。
ぞっと背筋が冷たくなる。
こちらを睨む瞳が恐ろしいからではない。
言ってはいけないことを言ってしまった、と悟ったからだ。
「ご、ごめん、私……!」
「そう、でしたね。もう昔の俺じゃない。あなたと一緒にいて昔のことを思い出しても……もう戻れない」
朔也が低く、自分に言い聞かせるように呟いた。
「大丈夫だよ、まだやり直せる! 一緒に解決策を考えよう。私、それを言うためにここに来て──きゃっ!?」
必死で呼びかけるが、途中でいきなり強く腕を引かれて畳へ押し倒される。
「……葉月さん、忘れてるみたいだからもう一度教えてあげます」
覆い被さってくる朔也は、別人のように冷酷な顔をしていた。
「俺が自分勝手な理由で人を傷つける奴だ、ってこと」
彼の手が強引に葉月の浴衣の合わせを開く。
葉月は頭が真っ白になり、声も出せなかった。
朔也との情事を夢見たことがないわけではない。温泉で裸を見てしまったあと、悶々として眠れなかったくらいだ。
だが、彼がこんなことをするなんて。
「……んぅっ!?」
どうにかしなければと焦っていると、噛みつくように唇を奪われる。
抵抗しようとしても、より口づけが深くなるばかりでどうにもできなかった。
「──っ! ん、く……っ」
強引に口をこじ開ける指。こんなときなのに柔らかい唇。
しつこく絡んでくる舌と、熱い吐息。
濃厚すぎる感触に翻弄されているうちに、頭の芯が甘く痺れていく。
「……はは、可愛いですね。こんなことされてるのに噛もうとすら思わないなんて」
息が上がっている葉月とは真逆に、朔也は冷たい微笑みを浮かべていた。
見たことのない雄の表情に、葉月の腰の奥がゾクッと震える。
──うそ……私、どうして……!
襲われているのに、嫌じゃない。
体はそう告げていた。
「さ、朔也くん……」
呆然とした葉月を見下ろし、朔也が痛みを堪えるように顔を歪める。
「これに懲りたら、二度と俺を信じないでください。あなたはいつも俺に優しくしてくれるけど、俺にそうしてもらえる資格はないんです」
絞り出すようなかすれた声。
揺らぎながらも、時折すがるように葉月を見つめる瞳。
本当はこんなことしたくない、と朔也が戸惑い、苦悩しているのが痛いほど伝わってくる。
──……私がここまで、朔也くんを追い詰めたんだ。
これから犯されるのに、葉月の胸に湧き上がったのは後悔と罪悪感だけだった。
朔也に謝ろうとするが、その前にまた唇で口を塞がれる。
「ん、ぁ……っ」
大きな手が浴衣の裾に入り込み、裸の太腿に触れる。
甘い感覚が走った驚きに、葉月はびくっと体を跳ねさせた。
──だ、だめ、気持ちよくなってる場合じゃない。
──こんなの止めなきゃ。こんなことしたら朔也くん、絶対もっと傷ついちゃうよ……!
本気で焦っているのに、快感に流されて全身から力が抜ける。
──やだ、私、止めなきゃいけないのになんで……!
心と体がどんどん食い違う。
葉月の心臓は恐怖ではなく、愛しい男に抱かれる悦びに震えていた。
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