お久しぶりです。俺と偽装婚約してもらいます。~年下ワケあり生真面目弁護士と湯けむり婚前旅行~
1. そしたら、オレと結婚してください
桜並木が目立つ地方都市郊外の町に、夕日が沈んでいく。
十二歳の春、竹本葉月は丘の上からそれを見つめて泣いていた。
明日ここを去り、大好きだったこの景色とも別れてしまうからだ。
握りしめたキーホルダーを見下ろすと、新しい涙が溢れる。
これを「彼」の家まで渡しに行くつもりだったが、こんな顔をしていたら心配をかけてしまう。
だから落ち着くまでここにいようと思ったのに、いつまで経っても悲しみが消えてくれない。
──キーホルダーは手紙と一緒にポストに入れよう。
──今夜、書く時間あるかな。さっき家から抜け出しちゃったし、お母さんピリピリしてたから監視されるかも。でも……。
葉月はスカートのポケットにキーホルダーをしまい、涙を拭って辺りを見回した。
森林公園のはずれから降りられる、人気のない丘。
一面に咲いたシロツメクサの上に置かれた、二組の古い木製椅子と、高さの合わないローテーブル。
華やかではないが大切なこの場所を、少しでも鮮明に覚えておきたい。
ここは初恋の彼──雨宮朔也と二人きりで過ごした、思い出の秘密基地だから。
「……嫌だな、引っ越し」
切なさに思わず本音が漏れる。
家族から愛されず、同級生からもいじめられていた葉月を助けてくれた、優しい朔也。
心の支えだった彼と離れてしまうことを考えたら胸が苦しくなって、喉の奥までぐっと締め付けられる。
堪えきれず肩が震えてしまったところで誰かが枝を踏んだ音がして、葉月は弾かれたように振り向いた。
「葉月さん」
すると、こちらへ歩いてくる怜悧な美貌の少年と目が合う。
十一歳とは思えないほど静かで鋭い眼差し。声変わり前の高い声。
ぶかぶかの黒いTシャツと半ズボンから伸びた白く細い手足や乏しい表情は、まるでビスクドールのようだった。
「朔也くん……どうして……」
「家に行ってもいなかったから、ここだと思って」
迎えに来てくれた嬉しさや戸惑いに言葉を失う葉月の隣に、朔也が並び立つ。
彼の口調は淡々として、いつも通りの背伸びした敬語だった。
だが、葉月をじっと見つめる黒い瞳はよく見れば熱を帯びている。
「そ、そっか……ごめんね、無駄足にさせちゃって。今日が最後だから、もう一度秘密基地に来ておきたかったんだ」
朔也を不安にさせたくなくて、葉月は作り笑いで嘘をついた。
「本当に引っ越しちゃうんですね」
「うん。仕方ないよ、あの子の入院先が決まったからね」
葉月たちがこの地方に来たのは、綺麗な空気の中で病気がちな妹を過ごさせるためだ。
家族は妹中心で動いているから、葉月は口を挟めない。
どんなにここにいたくても、どうしようもなかった。
「今度は手術もできるかもって。よかったよね、お母さんもお父さんも喜んでた──」
明るく取り繕っている途中で、するっと伸びてきた指が葉月の頬に触れた。
びっくりして顔を上げたら、朔也が神妙な表情をしている。
「さ、朔也くん……?」
「まだ濡れてたから」
涙の跡を拭われたのだと気づき、葉月は息を呑んだ。
「オレの前では嘘ついて笑わなくていい、って言ったでしょ。葉月さんが一人で泣いてるのは嫌です」
「……ありがとう。でも、私は大丈夫……」
「大丈夫じゃない」
朔也がぐっと美しい顔を近づけてくる。
その眉がひそめられ、表情にはっきりと悲しみと怒りが浮かんだ。
らしくない朔也の姿に、葉月の心臓が大きく跳ねる。
「……少なくとも、オレは大丈夫じゃない。葉月さんと離れるのは嫌です。あなたがいないとすごく寂しい」
初めて聞く必死な声をぶつけられ、さらに心が揺さぶられた。
家庭でも学校でも仲間はずれな葉月をこんなに想ってくれる人は、朔也以外にいない。
それでも離れなければいけないのだと思うと、心配をかけたくないのに熱いものがこみ上げた。
「私も……嫌だよ。朔也くんのそばにいたい……」
本音と一緒に涙がこぼれて、止まらなくなる。
朔也は切なげに「ありがとうございます」と呟き、取り出したハンカチでまた涙を拭ってくれた。
「葉月さん。オレ、あなたに渡したいものがあるんです。手を出して」
「う、うん」
わけもわからず差し出した掌の上に、小さな銀の輪がそっと乗せられる。
それは透明なプラスチックのダイヤモンドが並べられた、安っぽいけれど確かに輝くおもちゃの指輪だった。
「──っ、これ……」
「オレを思い出せるもの、持っててほしくて。その……指輪じゃなくてもいいかもしれないけど」
朔也が少し頬を強張らせ、長い睫毛を伏せる。
彼の緊張を悟り、葉月の胸の奥がきゅんと甘く震えた。
宝物ができた嬉しさや別れの悲しさまでもがないまぜになって感情が高ぶり、また目が潤む。
「ありがとう、すごく嬉しいよ。ずっと大切にするね」
「……はい」
葉月は優しく指輪を握りしめ、心から笑った。
朔也が平静を装おうとしつつも、明らかにほっとした顔で小さく息を漏らす。
そんなささやかな仕草すら、愛おしくてたまらなかった。
「私も朔也くんに渡したいものがあるんだ」
スカートのポケットからキーホルダーを取り出す。
銀のボールチェーンにぶら下がった、小さな戦隊ヒーロー。
可愛らしくデフォルメされた三等身のフィギュアだが、赤いヘルメットには勇ましい龍の翼が描かれている。
「ドラゴンレッド……」
「ふふ、ようやく当たったよ。駄菓子屋のくじ、引きまくっちゃった」
目を丸くした朔也に、葉月はキーホルダーを手渡した。
子どもっぽいからと葉月にしか明かさなかったが、朔也はこのヒーローがお気に入りなのだ。
「ありがとう。葉月さん」
静かに、だが喜びを噛みしめるように、朔也が微笑む。
彼の笑顔が嬉しくて、葉月も笑い返した。
「朔也くんは私のヒーローだから、どうしてもプレゼントしたかったんだ。たくさん助けてくれてありがとう。私、朔也くんと会えて本当に……」
言葉の途中で涙がこみ上げてきてしまって、何も言えなくなる。
朔也は眉を寄せ、葉月の手を掴んできた。
そのまま引き寄せられ、葉月の視界いっぱいに朔也の真剣な顔が広がる。
そして、唇に温かくて柔らかいものが一瞬だけ重なった。
「えっ……?」
「オレ、葉月さんが好きです」
今のはと尋ねる前に、朔也が固い声で告げる。
続けてまだ細い腕で抱きしめられて、葉月の心臓が大きく震えた。
「離れてしまっても、あなたはオレの一番大切な人です」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になる。
「わ、私も……!」
嬉しさや切なさが一気に押し寄せ、考えるより先に口から声が溢れた。
「私も、朔也くんが大好きで大切だよ……!」
抱きしめ返すと、朔也が珍しく素直に「よかった」と笑う。
「ずっと大事にします、このキーホルダー」
「うん……」
「今はまだ無理だけど、大人になったら必ず葉月さんを迎えに行くから」
体を離した朔也が、葉月の左手の薬指におもちゃの指輪をはめる。
「そしたら、オレと結婚してください」
思いがけない申し出に、葉月は目を大きく見開いた。
「……私で、いいの……?」
「葉月さん以外は嫌です」
声を震わせて尋ねる葉月に、朔也が安心させるように笑いかける。
また感情が溢れて、葉月はぼろぼろと涙をこぼした。
「絶対幸せにします」
「……ありがとう。待ってるね」
葉月が泣きながら微笑むと、朔也が頷く。
二人ともそれ以上は何も言えず、互いを見つめることしかできなかった。
十二歳の春、竹本葉月は丘の上からそれを見つめて泣いていた。
明日ここを去り、大好きだったこの景色とも別れてしまうからだ。
握りしめたキーホルダーを見下ろすと、新しい涙が溢れる。
これを「彼」の家まで渡しに行くつもりだったが、こんな顔をしていたら心配をかけてしまう。
だから落ち着くまでここにいようと思ったのに、いつまで経っても悲しみが消えてくれない。
──キーホルダーは手紙と一緒にポストに入れよう。
──今夜、書く時間あるかな。さっき家から抜け出しちゃったし、お母さんピリピリしてたから監視されるかも。でも……。
葉月はスカートのポケットにキーホルダーをしまい、涙を拭って辺りを見回した。
森林公園のはずれから降りられる、人気のない丘。
一面に咲いたシロツメクサの上に置かれた、二組の古い木製椅子と、高さの合わないローテーブル。
華やかではないが大切なこの場所を、少しでも鮮明に覚えておきたい。
ここは初恋の彼──雨宮朔也と二人きりで過ごした、思い出の秘密基地だから。
「……嫌だな、引っ越し」
切なさに思わず本音が漏れる。
家族から愛されず、同級生からもいじめられていた葉月を助けてくれた、優しい朔也。
心の支えだった彼と離れてしまうことを考えたら胸が苦しくなって、喉の奥までぐっと締め付けられる。
堪えきれず肩が震えてしまったところで誰かが枝を踏んだ音がして、葉月は弾かれたように振り向いた。
「葉月さん」
すると、こちらへ歩いてくる怜悧な美貌の少年と目が合う。
十一歳とは思えないほど静かで鋭い眼差し。声変わり前の高い声。
ぶかぶかの黒いTシャツと半ズボンから伸びた白く細い手足や乏しい表情は、まるでビスクドールのようだった。
「朔也くん……どうして……」
「家に行ってもいなかったから、ここだと思って」
迎えに来てくれた嬉しさや戸惑いに言葉を失う葉月の隣に、朔也が並び立つ。
彼の口調は淡々として、いつも通りの背伸びした敬語だった。
だが、葉月をじっと見つめる黒い瞳はよく見れば熱を帯びている。
「そ、そっか……ごめんね、無駄足にさせちゃって。今日が最後だから、もう一度秘密基地に来ておきたかったんだ」
朔也を不安にさせたくなくて、葉月は作り笑いで嘘をついた。
「本当に引っ越しちゃうんですね」
「うん。仕方ないよ、あの子の入院先が決まったからね」
葉月たちがこの地方に来たのは、綺麗な空気の中で病気がちな妹を過ごさせるためだ。
家族は妹中心で動いているから、葉月は口を挟めない。
どんなにここにいたくても、どうしようもなかった。
「今度は手術もできるかもって。よかったよね、お母さんもお父さんも喜んでた──」
明るく取り繕っている途中で、するっと伸びてきた指が葉月の頬に触れた。
びっくりして顔を上げたら、朔也が神妙な表情をしている。
「さ、朔也くん……?」
「まだ濡れてたから」
涙の跡を拭われたのだと気づき、葉月は息を呑んだ。
「オレの前では嘘ついて笑わなくていい、って言ったでしょ。葉月さんが一人で泣いてるのは嫌です」
「……ありがとう。でも、私は大丈夫……」
「大丈夫じゃない」
朔也がぐっと美しい顔を近づけてくる。
その眉がひそめられ、表情にはっきりと悲しみと怒りが浮かんだ。
らしくない朔也の姿に、葉月の心臓が大きく跳ねる。
「……少なくとも、オレは大丈夫じゃない。葉月さんと離れるのは嫌です。あなたがいないとすごく寂しい」
初めて聞く必死な声をぶつけられ、さらに心が揺さぶられた。
家庭でも学校でも仲間はずれな葉月をこんなに想ってくれる人は、朔也以外にいない。
それでも離れなければいけないのだと思うと、心配をかけたくないのに熱いものがこみ上げた。
「私も……嫌だよ。朔也くんのそばにいたい……」
本音と一緒に涙がこぼれて、止まらなくなる。
朔也は切なげに「ありがとうございます」と呟き、取り出したハンカチでまた涙を拭ってくれた。
「葉月さん。オレ、あなたに渡したいものがあるんです。手を出して」
「う、うん」
わけもわからず差し出した掌の上に、小さな銀の輪がそっと乗せられる。
それは透明なプラスチックのダイヤモンドが並べられた、安っぽいけれど確かに輝くおもちゃの指輪だった。
「──っ、これ……」
「オレを思い出せるもの、持っててほしくて。その……指輪じゃなくてもいいかもしれないけど」
朔也が少し頬を強張らせ、長い睫毛を伏せる。
彼の緊張を悟り、葉月の胸の奥がきゅんと甘く震えた。
宝物ができた嬉しさや別れの悲しさまでもがないまぜになって感情が高ぶり、また目が潤む。
「ありがとう、すごく嬉しいよ。ずっと大切にするね」
「……はい」
葉月は優しく指輪を握りしめ、心から笑った。
朔也が平静を装おうとしつつも、明らかにほっとした顔で小さく息を漏らす。
そんなささやかな仕草すら、愛おしくてたまらなかった。
「私も朔也くんに渡したいものがあるんだ」
スカートのポケットからキーホルダーを取り出す。
銀のボールチェーンにぶら下がった、小さな戦隊ヒーロー。
可愛らしくデフォルメされた三等身のフィギュアだが、赤いヘルメットには勇ましい龍の翼が描かれている。
「ドラゴンレッド……」
「ふふ、ようやく当たったよ。駄菓子屋のくじ、引きまくっちゃった」
目を丸くした朔也に、葉月はキーホルダーを手渡した。
子どもっぽいからと葉月にしか明かさなかったが、朔也はこのヒーローがお気に入りなのだ。
「ありがとう。葉月さん」
静かに、だが喜びを噛みしめるように、朔也が微笑む。
彼の笑顔が嬉しくて、葉月も笑い返した。
「朔也くんは私のヒーローだから、どうしてもプレゼントしたかったんだ。たくさん助けてくれてありがとう。私、朔也くんと会えて本当に……」
言葉の途中で涙がこみ上げてきてしまって、何も言えなくなる。
朔也は眉を寄せ、葉月の手を掴んできた。
そのまま引き寄せられ、葉月の視界いっぱいに朔也の真剣な顔が広がる。
そして、唇に温かくて柔らかいものが一瞬だけ重なった。
「えっ……?」
「オレ、葉月さんが好きです」
今のはと尋ねる前に、朔也が固い声で告げる。
続けてまだ細い腕で抱きしめられて、葉月の心臓が大きく震えた。
「離れてしまっても、あなたはオレの一番大切な人です」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になる。
「わ、私も……!」
嬉しさや切なさが一気に押し寄せ、考えるより先に口から声が溢れた。
「私も、朔也くんが大好きで大切だよ……!」
抱きしめ返すと、朔也が珍しく素直に「よかった」と笑う。
「ずっと大事にします、このキーホルダー」
「うん……」
「今はまだ無理だけど、大人になったら必ず葉月さんを迎えに行くから」
体を離した朔也が、葉月の左手の薬指におもちゃの指輪をはめる。
「そしたら、オレと結婚してください」
思いがけない申し出に、葉月は目を大きく見開いた。
「……私で、いいの……?」
「葉月さん以外は嫌です」
声を震わせて尋ねる葉月に、朔也が安心させるように笑いかける。
また感情が溢れて、葉月はぼろぼろと涙をこぼした。
「絶対幸せにします」
「……ありがとう。待ってるね」
葉月が泣きながら微笑むと、朔也が頷く。
二人ともそれ以上は何も言えず、互いを見つめることしかできなかった。
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