スーパーじいちゃん(第1巻)

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スーパーじいちゃん(第1巻)理論物理学的サイエンスフィクション

物語のあらすじ
この物語は、広大な宇宙の我々の世界とは別の次元の別の宇宙の我々の世界とそっくりな惑星の物語です。ただ、偶然にも同じ様な名称が出て来ても、我々の世界のものとは異なります。くれぐれも誤解の無いようにご理解ください。
地球と言う惑星の島国(日本)の一都市に住む老人が主役になります。この老人は軽度の認知症で事故で死に掛けます。丁度宇宙からの来訪者が老人を助け、合体融合し地球に住む事になります。宇宙人と合体融合した老人はスーパーマンとなり、地球の様々な問題を解決していきます。
 
(関西医大病院)

京阪電鉄滝井駅前に大学病院がある。以前、大学の校舎の一部が在った処に新しい病棟の建設が進んでいる。この南西部に現在の中心になる病棟が在る。竹蔵と言う老人が救急車で運ばれて来た。
竹蔵は夜中から胸に痛みを感じて苦しんでいた。朝まで耐えていたが、竹蔵の息子の雄一郎に抱えられるようにして近所の山本診療所で診察を受けて軽い心筋梗塞の所為であると診断され救急搬送されたのだ。CT検査の結果、昔心筋梗塞を起こした名残が映し出されて、これが原因だと診断され、そのまま入院する羽目になった。
特に手術する訳でも無く、投薬に依って何とかなると言われて結局二週間後そのまま退院する事になった。ただ、この入院で認知症が進んだ上に一人での歩行が困難になった為リハビリを目的とした老健施設へ転院する事になった。
老健入院中の竹蔵の言動は、かなり可笑しくなっていた。雄一郎はある程度の覚悟を迫られた。老健施設での状態は決して良い状況では無かった。竹蔵の認知症の状態は変わらなかったし、それよりも循環器系の症状が出て両足に浮腫が出た為、関連病院に再び救急搬送される羽目になり二週間の入院となる。しかし、ここでの入院で体調が改善され、一人での歩行が可能になり、退院出来ることになった。結局、自宅で家族に見守られながら生活することが竹蔵の為にも良いと家族や親戚が判断した。雄一郎と妻の仁美は、今まで通り家族で竹蔵の面倒を看る事になった。
 
(竹蔵死す)

ナレーション
《ちょっと待て! 竹蔵って、この物語の主人公ちゃうんか?》
〈せや!〉
《その主人公が、第1巻の最初に死んでまうんか?》
〈せやねん!〉
《せやねんって? それやったら話が終わってまうやんか?》
〈この物語は、主人公が死なな始まれへんねん〉
《ふ〜ん、そうなんか? まぁとにかく話を進めよう!》

 
大阪府守口市。大阪の中心部より北東部に位置し日本の大企業であるパナソニックの中央研究所や関連企業の在る事で知られている。古くは守口大根という牛蒡のような細長い大根で有名だったが現在では栽培されていない。
竹蔵はこの守口市の土居と呼ばれる古い下町に住んでいる。昔は田園風景が広がり竹蔵の息子たちは、田んぼや用水路で鮒や鯉を採って遊んだものである。だが今は、その面影も無い。
竹蔵の家は、京阪電鉄の土居駅の近くに在る。駅前に春日小学校があり、その隣に守口市立第3中学校が(現在は「春日小学校」と「旧滝井小学校」(当時は「さつき小学校」と言う)と「守口第三中学校」が統合されて「さつき学園」と呼ぶ)と隣接している。竹蔵の家はこの守口第三中学校の裏に在る。

竹蔵は初期の《認知症》である。

ナレーション
《認知症って? 話の最初に主人公が死ぬわ! その主人公が認知症って? つまり、頭がパーな訳やろっ!》
〈せや!〉
《なんちゅう、物語や!》
〈面白かったら、ええやん!〉
《それは、そうやけど? まぁ、ええか!もしかして、この本を書いてる奴も認知症と違うか?》
《完全な!とは言わんけど、多少は有るかも?》
《ええっ!本を書いてる奴も認知症やったら、ストーリー無茶苦茶に成るんとちゃうか?》
〈そんな本が有ってもええやんか?〉
《まあ、ワシには関係無いけど》
〈とにかく話を進めていこか?〉
《認知症のおっさんが書いた認知症のじいさんの物語かぁ!》
 

昔は《痴呆症》。現在では《認知症》と言う。《認知症》が世に知られていない時代、単に《気狂い》と陰口を叩かれ家族は肩身の狭い思いをしたようだ。だから、そんな家族は《認知症》の老人を家の中に閉じ込めて体裁を保つ努力をした。金持ちは屋内に座敷牢を造ったり、土蔵に閉じ込めたり、貧乏な農家では《楢山節考》のように老人を山奥に捨てるような行為も有ったようだ。人間や動物は生き物である。生き物は必ず死ぬ運命にある。生き物が死ぬ時、他の動物の糧になる事もあるだろう。事故で死ぬ事もあるだろう。バクテリアやウイルスによる病気で死ぬ事もあるだろう。だが現代の先進国で平和な世界でかつ医療技術が発達した結果、先のような原因で死ぬ事が少なくなると、寿命が永くなる。寿命が永くなると今まで存在しなかった病気が出てくる。
その一つが体内の正常な細胞が創り出せなくなり、寿命という壁によって徐々に死に向かうとき多くの人々が経験する《認知症》と呼ばれるものだ。無論、アルツハイマーと呼ばれ年齢に関係なく起きる《認知症》も存在する。
《認知症》と《物忘れ》との違いは、《物忘れ》は忘れた事を認識しているが《認知症》は忘れた事も憶えていない事である。隣の部屋に物を取りに行って、何を取りに行ったのか、思い出せないのは《物忘れ》である。人の顔は覚えているが、名前が思い出せないのも《物忘れ》である。人の顔を忘れてしまうのは、《認知症》である。
《認知症》の要因は現在では未だ解明されていない。ホンの未来では解っているのだが。細胞の遺伝子の寿命因子がある。寿命因子には時間が記録されており、再生細胞には再生回数が不再生細胞には時間が記録されている。それらの細胞の存在位置に依って発病症状が変わるのだ。

竹蔵は、初期の《認知症》だ。人と話しているとき、普通に見えるが、時々話がこんがらがる。いわゆる《マダラボケ》と言うやつである。《マダラボケ》とは《認知症》の症状が出たり出なかったりする状況を言う。竹蔵自身は当然自覚が無い。ただ時々、記憶の無いことを自覚している。但し、孫たちの前では正気に戻る。まるで孫たちが、竹蔵の《認知症》を治してくれるかのようだ。
竹蔵は出来る限り孫たちと過ごすように心がけている。しかし、孫の雄一と雄二は小学生で平日の昼間は学校に通っている。こんな時に限って《認知症》が発症する。竹蔵は自ら進んで会話する事が少ない。こんな事も《認知症》に成る原因かも知れない。
しかし、今更この性格が治る訳でもない。こんな事も周囲に《認知症》を分かりにくくしているようだ。
一人でいるとき竹蔵は夢の中で生きている。自分では一体何歳なのかも自覚は無い。今は記憶の中で子供の頃の遊び回った事だけが思い出される。そして時々86歳の老人に戻る。霧の中を浮かんでいるような気分だ。気怠いボンヤリとした日々の生活の中で子供の頃の記憶だけが繰り返し思い出される。身体の痛みも感じ無いし四肢に力が入らない事も気にはならない。
竹蔵には、時々思い出される歌が在る。

ど~この誰かは知らないけれど、誰もがみ~んな知っている。月光仮面のおじさんは正義の味方の強い人、疾風のように現れて、疾風のように去って行く、月光仮面は誰でしょう! 月光仮面は誰でしょう!
月光仮面の主題歌である。

口に出して歌う事は無いが、頭の中で繰り返しメロディーとともに思い出され、頭の中で歌うのだ。何故かは判らない。最初の妻の息子が小さい時に流行ったドラマの主題歌だと思う。日本人の心理の中に正義の味方で在りたいと言う欲望が、竹蔵にこの歌を思い出させるようだ。

『今、何時頃だろうか?』竹蔵は考えた。朝飯は食べた様な気もする。空腹感は無い。台所に後妻との間に産まれた息子の嫁(仁美)が居る。
「仁美さん、わしゃ朝飯は食べたかいな?」喋った後で息子の嫁の名前が仁美である事を思い出した。何故か自然に嫁の名前が口から出たのも不思議とは思わない。
「おじいちゃん、さっき食べたところよ!」仁美が応えた。

竹蔵の眼の前に庭が緑豊かに輝いて見える。庭の枇杷の木でセミが騒いでいる。最近の都会で聴く事の出来るのは《クマゼミ》だけだ。昔は《アブラゼミ》が多かった様な気がした。竹蔵はそんな事を考えながら、

「そうかいな」竹蔵もボンヤリ返事をした。1日に何回も同じ言葉で問いかける。仁美も心得たもので、ボケの始まった竹蔵に気軽に受け応えをする。仁美は竹蔵には大した負担も感じていない。竹蔵は、自分のことは殆ど自分で出来るし子供達の遊び相手になるので、助かっている事も多い。
竹蔵の息子と仁美との間には二人の子供が居る。長男の名前は雄一、次男は雄二と言う。小学校の5年生と3年生だ。
竹蔵は若い頃、電気技術者だった。今までは携帯電話でメールも出来たし、家の中の電気器具の修理も庭の手入れや料理も出来る。こんなに器用な老人でも認知症になるのかと家族は驚いている。流石に今はメールは出来ないようだ。もっとも、メールをやり取りする相手が居ない。
「おじいちゃん、洗濯物を干して下さる?」仁美が竹蔵に頼む。
「ホイホイ、任しとき!」竹蔵が気持ち良く応える。
「それじゃ、ここに置きますので宜しくお願いします」仁美は縁側に洗濯の終わったカゴを置いた。仁美は認知症に良いと思う頼る事を率先して行った。竹蔵も苦にする事も無く気軽に仁美の頼みごとを引き受ける。そんな毎日である。
嫁の仁美は子供たちを学校へ送り出した後、洗濯に取り掛かる。それが終わると夕食の買い物に出かけるのが日課だ。今日も同じ日課が繰り返される。竹蔵は庭に出て洗濯カゴから洗濯物を出し物干し竿に干している。この時間になると夏の日差しは、もうするどい。庭の物干し竿が光っている。緑の芝生が伸びて輝いている。ソロソロ芝生を刈らなければ。仁美が竹蔵の後ろ姿を見ながら。
「おじいちゃん、 スーパーに買い物に行くけど何か欲しい物がありますか?」
「そうじゃな?」と一瞬考えたが何も欲しい物が頭に浮かばない。他の認知症患者が、どの様な症状を出すかは判らないが、竹蔵は子供の頃の記憶だけが鮮明で、ふとした拍子に現実に戻るようだ。だから、仁美が頼みごとをすると、子供が母親の用事を手伝うような気持ちでその用事を気持ちよく引き受ける。そして、全く欲が無い。認知症は欲望が無くなる事が一番の原因でもあるのだが。
「なんも無いなぁ」と竹蔵は洗濯物を竿に掛けながら応えた。
「それじゃ、お留守番をお願いしますね!」仁美が買い物に出かけた。戸の閉まる音を聞いて、竹蔵はふと庭の手入れを思いついた。認知症は、何かのキッカケになる音や出来事に依って次の行動を起こす事が多い。竹蔵も扉の閉まる音で、一人になった事を自覚した。

洗濯物を干している途中で、気が別の方にいく。洗濯物を干す動作が止まる。竹蔵は、洗濯物を放り出し庭に面した自分の部屋に戻る。サンダルを脱ぎ捨てガラス戸を閉め、何かしなければならない。何だったか、一心に考える。

竹蔵は若い頃から、家族が留守の時に役立つ行為をする。どうも帰宅した家族を驚かそうと掃除や不具合な物の修理をするようだ。この時も仁美の外出が竹蔵の行動のキッカケになった。竹蔵の部屋は1階の一番奥で庭に面した処に在る。
ふと庭を見ると枇杷の木が眼に入った。夏の日差しに照らされて深緑の葉がキラキラ光る。竹蔵は、縁側にしゃがんで空を見上げた。思いついたように頷く。ガラス戸を再び開けて庭に出た。サンダルに足を入れようとするが、思うように足が入らない。足の小指がサンダルのカバー部分に引っ掛かり危うく転びそうになる。何とか転けずにサンダルを履き納屋を目指す。歩き方がぎこちない。竹蔵は庭木の剪定を始める事にしたのだ。小さな庭だが、生垣に囲まれ芝生を一面に張っている。今時、生垣を施した家など都会で見る事は、殆ど無い。何故なら、維持する為の費用が嵩むのと手入れに時間が掛かるからだ。植木職人に頼むと、ちょっとした事で数万円のお金が出て行く。竹蔵が気に入って購入した家だが、今では殆ど息子の雄一郎が手入れをしている。戦後間も無い頃に購入した家も今では古びた感は否めない。勿論、戦後のドタバタ時代に建築された家だが古材を使いながらも、綺麗に建てられている。ただ、経年による傷みは毎年のように発生する。その度に補修とリフォームが行われ、外見は、あまり変化は見られないが、家の中は現代の家のように便利な電化製品に囲まれている。しかし、息子の雄一郎からすれば、毎年補修やメンテナンスに掛かる時間から、新しい家に建て直したいと考えているようだ。

庭の隅に松の木と枇杷の木があり夏の日差しを遮り木陰を提供している。息子の雄一郎が子供達の為に芝生を張ったのだが、親の希望通りには行かないようだ。最初のうちは子供達も芝生の上を素足で走り回って遊んだが、部屋に戻る時に足を洗ったり雑巾で拭いたりするのが面倒になり、今では滅多に庭で遊ばなくなった。ただし、初夏の枇杷の実を採る時だけは積極的に友達を連れて来て賑やかに枇杷狩りを楽しむ。それこそ今時、都会で果物採りが出来る家など余り無い。日本人は家に実のなる木を植えるのを嫌う傾向がある。これは、土地の養分を吸い取り実に取られる為、土地が痩せると考えるからだ。単純に考えると誰しもそう思うが、自然とはそう単純ではない。野菜や果物が人間のやる肥料だけで育つのなら自然界の野山の果樹が存在するわけがない。
そもそも人間は穀物や野菜や果物は人間の為に存在しているように考えている。だが、よく考えてみると、地球の支配者となった人類は、一番最後に発生した種族である。つまり、動物の新種として発生する為の環境が揃ったからの結果に他ならない。環境が一部でも崩れた時、人類は生き残れるのだろうか?
と深く論じてもストーリーが進まないので、話はこのくらいにして。

枇杷の木は暫く放っておくと上に伸びてハシゴを使っても届かない処に枇杷の実がなる。竹蔵の孫たちも初夏に枇杷の実を採るのを楽しみにしている。これも古川家の毎年の恒例行事だ。夏場の成長の止まっている(竹蔵はそう思っている)時期に高い処の枝を切って、来年の春に出来るだけ低い位置の枝に実を成らせようと考えた。だが、本来枇杷の木の剪定は9月ごろから行うのが良いとされている。春の果実の収穫後に剪定を行う事もあるが、この場合は次の年の収穫量が減ると言われている。竹蔵が認知症で無ければ当然知っていることであり、季節外の剪定など論外だが、今の竹蔵は孫たちへの想いだけで行動しているようだ。老人の多くは竹蔵と同じく、孫を可愛いがる。孫の為なら努力を惜しまない。

竹蔵は納屋の中から脚立を出そうとするが結構重たく感じる。竹蔵はこんなに重かったかな?と思いつつ他の収納物にガラガラ当てながら何とか引っ張り出す。脚立は伸ばせばハシゴになるタイプで、普通のハシゴよりも脚の部分が拡がっている分、安定感はあるが長さが決まっている分、高さの調節は出来ない。

今年の春に枇杷の実を採った時、天辺の実は高枝バサミでも届かなかった為に諦めた。​
「鳥にお裾分けじゃ!」とは言ってはみたものの結構な量の実があり、竹蔵の負け惜しみだった。仁美の外出がキッカケで、この事が思い出されて枇杷の木の剪定を考えたのだ。枇杷の木は、10メートルに成長している。枝の一部は道路上にも出ている。鳥が啄ばむと実が落ちる。道路上に落ちる枇杷の実の量は半端な数ではない。今年も、それを掃除する為に道路掃除を連日行った。
竹蔵は、力の入らない四肢に鞭打って脚立を立て自分自身では慎重に一段ずつ上がって行った。恐らく他人が見ていると危なっかしい行為に見えた筈だ。残念な事に、この時は誰も見て居なかった。もっとも誰かが居たなら竹蔵は、こんな事はしなかっただろう。兎に角、危なっかしい状態で枝切り鋏を片手に持って脚立を登った。この後の出来事は火を見るよりも明らかだ。読者の皆さんの想像通り竹蔵は脚立の上に立ち枇杷の木の太い枝に身を任せ更に高い枝を切ろうと手を伸ばした。木を登るだけでも危険な事だが、更に枝切り鋏で枝を切ることは若者でも簡単では無い。
竹蔵は高い枝を切る為に両足で太い枝に跨がり両手で枝切り鋏を持って背をのばした。四肢に力の入らない老人に出来る事では無かった。そして竹蔵は不思議な光景を見た。空に向かって両手の枝切り鋏をのばして枝を切ろうとした時、青い空が緑の芝生に変わったり、再び青い空にとグルグル変化した。まるでスローモーションの映画を観るように、長い長い時間を掛けて画面の変化が続き、目の前に真っ青な空が広がった。白い雲が青空から落ちて来るように見えた。そして真っ青な空が真っ暗になった。そう、竹蔵は枇杷の木から転落して後頭部を庭石にぶつけ人生を終えようとしているのだ。
2メートルほどの高さから落下して老人の弱った首の骨に全体重が掛かった。首の骨が砕け神経が瞬時に押し潰された。ほとんど、苦しみの無い死である。

ゼウスは、成層圏から事の成り行きを観ていた。もっとも、ゼウスの眼前で繰り広げられたドラマは、数千万人の人間たちの人生の一瞬なのだが。しかし、その一瞬の時間はゼウスにとっては十分な時間でもある。ただ、ゼウスの興味を惹いたのは、その一瞬の時間に人生の終わりを迎えたのが竹蔵ただ一人だった。
ゼウスは瞬時に、死に掛けた老人の身体に飛び込んだ。そして。
『お前の名は?』
ゼウスは死に掛けている老人に話し掛けた。死に掛けた人間にとって、もう時間の概念は無い。話し掛けられたら、本能的に応えるのも人間の習性である。『竹蔵』という言葉を考えた。そして、意識が消えた。

『竹蔵!』誰かが話し掛けた。
『竹蔵!』再び、誰かの声が聞こえた。 
『誰じゃいなぁ?』
竹蔵は聞き覚えのない声に応えた。何か違和感がある、声が人間のものとは思えない。電子音を人間の言葉にしたような感じがする。竹蔵は答えたものの自分では声を出した様には思えなかった。頭の中で話し掛けられて頭の中で応えた感じだ。これはきっと夢の中の出来事だ。
『夢の中なら、何でも出来るなぁ』と竹蔵は考えた。
『竹蔵、お前は今、死にかけている、解るか?』
また誰かが話し掛けた。声が人間的では無い感じから相手は死神のように思える。何故だか竹蔵には、そう思えた。しかし夢の中なら死神も恐くないだろう。ボンヤリした意識の中で応えた。
『わしに何の用かいな?』
『お前は木の上から落ちたのだ、そして今死に掛かっている』
言葉の内容から竹蔵は自分の置かれている状況を理解した。
『そうか、庭木の剪定をしていてハシゴから落ちたんだな』
しかし、何処も痛くないし!
『死ぬ時はこんなものかなぁ』と思った。
昔、死ぬ瞬間には走馬灯のように自分の人生が思い出されると人から聞いた記憶がある。その事を思い出して死神に聞こうとしたとき死神が先に話し掛けた。
『死んだ人間は、そのような事を生きている人間に伝える術は無い!』
竹蔵は考えただけで、死神に考えを知られたようだ。そう言えばさっきから口に出して話していない事に気が付いた。そして何故か頭がハッキリしてきた。
先程まで朦朧として頭に霧が掛ったようだったのが晴天の青空の下で遠くの山々が見渡せるような気がする。この時、ゼウスは竹蔵の身体の修復をしていた。砕けた頚椎を元に戻し傷付いた神経を修復した。ついでに、老化による細胞の破壊を止め、全身に広がっていた異常細胞を正常細胞に戻した。勿論、異常細胞とは、一般に言うガン細胞の事である。ガン細胞と言っても、良性と悪性の二種類があるが、竹蔵の年齢とストレスを感じない性格は、ガン細胞の増殖を抑えている。
『死神さん、 わしゃこれからどうなるんかいなぁ?』
『お前は、どうしたいのか?』
『どうせ死ぬんだったら、このままでもいいと思うが。ただ、家族が帰宅した時、わしの屍体を見つけたら、さぞかし驚くだろうと思う?』
『そうだろうな、さぞかし驚くだろうな!』とゼウス。
『死ぬのは恐くないし、いつ死んでも可笑しくない歳だ。わしはどうでも良いが出来れば家族に見守られて死ぬ方がいいなぁ』妙にハッキリした具体的な考えが出た。
『それでは、一度生き返ってみるか?』この時、竹蔵の身体は、既に健康体に戻っている。脳は認知症で痩せた脳のままである。
『そんな事が出来るのか?』
竹蔵は、以前孫の雄一たちと一緒に観た映画を思い出した。その時の映画の題名が “吸血鬼ドラキュラ” だった。元々は普通の人間が悪魔と契約をして永遠の命を得るストーリーだが。日の光と十字架とニンニクを嫌い人間の生血を飲まなければ生きて行けないと言うストーリーだ。竹蔵は映画のストーリーを思い出して自分がドラキュラになったシーンを想像したようだ。
『ところで、その死神と言うのはやめて貰えないか? 私は死神ではない。そもそも死神など、この世に存在しない。もしも死神が存在するのなら、それは人間自身のことだ!』
『えっ、 あんたは死神じゃないのか?』
『違う、それにお前が吸血鬼になる事も無い!』
『それじゃ、あんたは誰なんじゃ?』
『そうだなぁ?地球人は、宇宙人と言うのが一般的だ』
ゼウスは、以前地球で「神」と呼ばれた事もあったのだが、その事を竹蔵に言ったところで仕方がないので黙っていた。
『ひえっ!』
竹蔵は心底驚いた。何故なら神仏は信じていたが、この世で宇宙人など、お目に掛かった事も無い。竹蔵が生きて来た人生の中で外国人にも縁の無い生活だったからだ。勿論、欧米との戦争の知識もある。アメリカやヨーロッパの知識も多少はあるが、竹蔵の生活には全く縁の無い世界だ。それがいきなり宇宙人と話をするなど幽霊やオバケと話をする以上の驚きだった。
『うっ!宇宙人ってタコみたいな生き物なんかいな?』
竹蔵は映画で観た"宇宙戦争"や何処かで見た火星人の姿を思い出したのだ。
『はははっ、 面白い事を言うなぁ!』
『わしゃ外国人とも話をしたことが無いんじゃ!それがいきなり宇宙人と言われても? オマケに日本語で話をする宇宙人なんて聞いた事も無い!』
『私には、お前たちのような生身の身体は無い。遥か昔にはお前たち地球人と同じような身体を持っていた。しかし永遠の知識を持ち維持する為には身体は邪魔なのだ。だから今は地球人のような身体は無い!』
『身体が無いんなら、何処に居るんじゃ?』
『今、お前の身体の中に居る!』
『ひえっ!』竹蔵は再び驚いた。
『わしの身体の何処に居るんじゃ』
『強いて言えば、頭の中かなぁ・・・』
『わしの頭は乗っ取られたんかいなぁ?』
『そうとも言えるが、解りやすく言えば一つの身体を共有する形だ!』
『そんなら、わしはどうなるんじゃ?』
『何も変わりはない、それよりも私が同居する事で壊れた身体を治す事が出来る。つまり病気にもならないし怪我もしない』竹蔵は合点がいった。
『つまり、お前さんがわしの身体の中に居る間は、わしゃ生きていられるが、あんたが離れた途端にわしゃ死ぬと言う事じゃな?』
『そう言う事になる』とゼウスは言ったが本当は離れた途端に死ぬ事は無い。離れた時から老化が進むだけだが、特に詳しくは説明はしなかった。同化(ハビス人が生物に取り憑いている事)している間は、生物の細胞レベルのコントロールが可能な為、怪我の修復や病原菌の退治が可能である。ゼウスは細かいことは説明する必要は無いと判断したので竹蔵に言わなかった。また、そうした方が良いと考えたのだ。
会話が続いている間も竹蔵の身体の中で変化は続いている。首の骨が元の状態に戻り、神経が再生され細胞レベルの変化は劇的に進む。認知症で萎縮した脳細胞を復活させ新しい脳細胞とゼウスの光細胞が融合し身体全体の神経内をゼウスの光細胞が走る。全身の細胞は生まれたばかりの元気な細胞に変化し竹蔵の身体が一瞬若者の身体に変化した。そして、一瞬後再び元の老人の身体に戻った。この時の竹蔵の身体は、見かけは今まで通り老人のままだが、細胞レベルでは青年のそれに匹敵している。ただ意識レベルは老人のままである。増殖させた脳細胞には未だ記録が無い。つまり、竹蔵は未だ認知症老人のままである。だが、これ以上は進行する事は無い。
記憶は大脳皮質の各部位を電気刺激で行われる。脳の機能が場所によって分業されている。体性感覚野(体からの感覚情報を受取る部分)と運動野(体を動かす指令を出す部分)の2か所があり、その場所ごとに手足・口・目等の感覚や運動が分業で行われる。物を見る「視覚野」、音を聞く「聴覚野」、動作の指令を出す「運動野」、物を考える「前頭葉」など、脳は分業をしながら働いている。これらを経由して取り込まれた電気信号(情報)が、脳のニューロンネットワークにファイルされ記憶の領域が作られる。人は脳を使って運動したり、感じたり、泣いたり笑ったり、今後の生き方を考え行動している。記憶が保管されなかったら、どれも不可能となる。何をどうすれば何が出来るかは記憶に頼っている。何かを考える場合も、基となる記憶がなければどうする事も出来ない。新しく創成された記憶細胞には未だこれが無い。これからの経験がそれを可能にする。もっとも、竹蔵の記憶細胞は殆んどが無事であり、一部のみ再生されたのであって、ゼウスは論理的に接続するだけでよかった。竹蔵の認知症は、悪意の記憶がない。子供の記憶が殆んどを占めている。これからの新しい記憶は善意の記憶が主体になるだろう。
 

 
竹蔵は目を開いた。真夏の青い空が眼に入り、夏の陽射しが目に入る。芝生に仰向けに寝ていた。何か夢をみていたような気がするが妙に頭がスッキリとしている。今まで霧の中を歩いていたような日常からイキナリ遥か遠くまで見通せる山の頂上に来た様な気分だ。この世の中で解らない事は何も無い様な気がした。ムクッと起き上がり、枇杷の木の下でキョロキョロ周りを見た。
「夢だったんかいなぁ?」とつぶやく。
『夢ではない!』と声がした。竹蔵はキョロキョロと周囲を見回す。
『夢では無い!』と更にハッキリと聴こえる。
「ほんまに夢じゃ無かったんかいな?」竹蔵は声に出して話した。
『そうだ』頭の中で答えが返る。同時に頭の中の宇宙人といつも一緒だと竹蔵自身は一瞬恐怖した。しかし、よく考えてみると、一度死んでいるのだから今更恐怖しても仕方がない。頭の中に常に相談相手が居るのだから口に出して話しかける必要も無い。竹蔵が言葉を考えるだけで宇宙人に伝わる。
『お前様は、わしの頭の中を読めるのか?』
『脳の記憶を読むことは出来ない。だが考えは判る』
『それじゃ、脳の中を読めるんじゃないか?』
『竹蔵の過去の記憶を読む事は不可能だ』
『わしゃ、昔の事は憶えているぞ!』竹蔵は、認知症が原因で記憶が曖昧になって記憶が読み取れないものと考えたのだ。
『人間の記憶情報は読み取る事は出来ない。竹蔵が考えている時に考えを読む事は可能だ。と言っても今の竹蔵には理解できないだろう!』
『お前様が言っている事はようわからん!』
『分かり易く言えば、脳の中は解らないが、竹蔵が考えている事は解るという意味だ!』竹蔵には記憶が記録であり、考える事はイメージや言語をテレビ画像のように頭の中で描いている事の違いが理解出来ていない。ゼウスは、今竹蔵に理解させることは無理だと思っている。だが、理解出来ずとも説明することは必要だとも考えた。
そんなこんなでゼウスと竹蔵の会話が行われた。竹蔵は芝生の上で座ったままだ。夏の日差しが眩しい。
「よっこらしょっと!」竹蔵は立ち上がる。身体中に力がみなぎるのが分かった。暫く、自分の身体の動きを確認するように手足を上げたり下げたり、身体を捻ったりした。
「身体が動くぞ!」どんなに身体を動かしても痛む部分が無い。庭を走り回り、ふと脚立の側の枝切り鋏を見つけた。竹蔵は、それを見て剪定作業中であることを思い出した。そして中断していた枇杷の木の剪定に取り掛かった。ゼウスは、少しだけ力を貸した。
《竹蔵の顔が見ものだな!》ゼウスは、ほくそ笑んだ。もしも顔が見れればの話だが。
竹蔵が脚立に手を掛けて登り始めると、突然、体重が感じられなくなった。
「わっ!」
脚立を登ると言うよりも手に力を入れただけで、空へ飛び上がる様な気がした。
『身体が浮く!』
恐る恐る手で枇杷の木を掴み身体が空へ飛び出さないように木の高みへ登った。木の上で剪定バサミを忘れた事に気が付いた。下を見ると脚立の側に剪定バサミが落ちている。
「あ〜あ、忘れ物じゃ!」
竹蔵は木の上から飛び降りても大丈夫な気がした。実際2mぐらいの高さを飛び降りた。ふわりと身体がスローモーションのように脚立の側に着地した。
「何と? これがあんたの力か?」
『まあな!』とゼウス。
以前の竹蔵であれば、骨折しなくとも立ち上がれなかっただろう。それがまるで地球の重力が無いかのようだ。竹蔵は剪定バサミを持って脚立に左手を掛けて木の上に向かって力を入れたつもりだった。脚立に足を乗せていないのに身体が枇杷の木の上まで飛び上がった。大きな枇杷の葉が顔を叩く。思わず枇杷の葉ごと枝をつかむ。木の枝に掴まらなかったら空まで飛び出していただろう。ゼウスのクスクス笑いが聴こえた気がする。
『これが宇宙人と同居する事なんだ、空も飛べそうじゃな?』と竹蔵。竹蔵はやんわり手を枝から放す。足元が宙に浮いている。下に脚立の天板が見えるので、そ〜と足を置いてみる。足の裏が何かに触れていないと不安だ。陸上の動物は鳥を除いて空中に身体を浮かせる事は無い。スカイダイビングで気を失う人間の気持ちが解る。足が脚立に触れていても、体重が掛かっていないので、不安感は拭えない。そのままの形で枝切りを始めた。足は頼りないので左手で木の枝をつかみ、身体を引き寄せたり押して移動したりして枇杷の木の周囲を文字通りフワフワ飛びながら高所の枝を切っていった。宇宙船の中の無重力の状態と同じ様な感覚である。10分もするとフワフワ空中に浮いている感覚にも慣れ楽しくなってきた。枝を切るたびに、枇杷の枝が下に落ちる。10メートル以上の高さの枇杷の木が7、8メートルの高さになる。足元には枇杷の木の枝で埋まっている。
結局、脚立は足を乗せるだけで身体が空へ飛び出さないように枇杷の木に足を絡ませるだけで剪定作業を終えた。地面に降りたところに、仁美が買い物から帰って来た。竹蔵が脚立の側で剪定バサミを持っているのを見て仁美は思わず叫んだ。
「おじいちゃん、危ないから止めて下さい!」仁美は、竹蔵が今にも脚立を使って枝切りを始めると勘違いしたのだ。
「今、剪定を終わったところじゃよ」脚立の周りには切り落とした枝が山のようになっていた。。
「ええっ! おじいちゃん危ない事は止めて下さい!」仁美は、無事な竹蔵を見て胸を撫で下ろした。
「よかったわ、 怪我しなくて」本当は死に掛けたのだが、と竹蔵は考えたが。
「大丈夫じゃよ、まだまだ若い者には負けない自信はあるからのぉ」と言葉ではそう言った。体力で若者に勝てるとは思っていない。まだまだ大丈夫だと言うアピール。
しかし、この後、誰にも負ける事のない能力が備わっている事が判るのだが。
「ダメですよ、危険な事は。おじいちゃんには、まだまだ元気でいて貰わなくっちゃ」仁美は竹蔵が怪我をして寝たっきりなるのを恐れたのだが、それを口に出す程、愚かではなかった。しかし竹蔵には耳で聞いたように仁美の思考が判った。
「大丈夫じゃよ、寝たっきりにはならんから」
仁美は自分が竹蔵が寝たっきりになる恐れを口に出したと勘違いし、自分の手で自分の口を塞いだ。竹蔵自身は、それを自然に理解した。そしてそれ以上何も言わなかった。
「それよりも夕飯のメニューは、なんかいなぁ?」
仁美は、カレーライスであることを伝え、そそくさと台所へ戻った。カレーは造って一晩置くのが美味い事は誰でも知っている。早めに造って一旦常温に戻すだけで十分に美味しい。古川家では余り作り置きはしない。ただ、残ったカレーは次の日の昼食に仁美と竹蔵で食べる事が多かった。
「カレーか? わしゃカレーライスが大好きじゃ!」竹蔵が声に出して独り言のように言った。
『私は食べると言う行為はしない!』とゼウス。
『あんたは、食べないのか?』
『身体も口も無いし、そもそも食べると言う不効率な事は必要無い!』
『そんなもんかね? わしゃ食べる事が大好きじゃ!美味いぞう!』
竹蔵はゼウスと会話をしつつ道具の片付けを始めた。ヨレヨレの老人が脚立と剪定鋏を持った。竹蔵は何の疑問も考えずに行動している。竹蔵が剪定バサミと脚立を軽々と持って納屋に入るのを仁美は見逃した。若者なら造作も無い行為が竹蔵には難しい事は仁美も知っている。この時の竹蔵の動作を見逃した事が暫くの間、竹蔵の変化に気が付かなかった理由でもある。切り落とした枝を梱包用の紐で束ね、手で持てる程度のサイズに纏めた。
竹蔵は、納屋の戸を閉めて洗面所に行き、手を洗いながら自分の顔を眺めた。改めて長い間自分の顔をしっかりと見ていない事に気が付いた。鏡の中の自分の顔は皺だらけの老人だった。自覚はしていたものの改めて自分の顔を鏡で見ると、年老いた醜い老人の顔がそこにはあった。顔を背けたくなる。
「これが、わしの顔かいなぁ?」
他人事のように口に出た言葉に自分自身で驚いた。認知症の症状がみられるようになった頃から自分の顔をしっかり観た記憶がない。
『そうだ!』と頭の中で声がした。続けて。
『醜い老人の顔じゃ!』
自虐ともとれる言葉だ。竹蔵はそう言いながら昔の事を思い出している。ここ十数年間の記憶が曖昧なだけに、若い頃の記憶の方が鮮明に思い起こされる。突然、
『若返る事も可能だ』とゼウスが言った。
竹蔵は、ゼウスの言っている意味が解らなかった。ゼウスは、それを察して身体に変化を加えた。竹蔵が鏡の中の顔を観ていると、左右の頰の筋肉が痙攣するような感じで頬が上がって行く。同時に目尻が上がり瞼が上に引っ張られる。顔全体が引きつるようだ。思わず両手で顔を抑える。抑えた両手の皮膚のタルミや皺が無くなり薄黒いシミが消えて行く。下着で見えないが胸の筋肉も盛り上がり、太腿がみるみるうちに太くなる。背骨が背筋の力で伸びる。身長が10cm程伸びた。そこには、数十年前の竹蔵の姿が在った。先程までの醜い老人の姿は何処にも無い。恐らく30歳半ばだろう。竹蔵の人生で一番精力的な時代の顔と肉体が、そこに在った。
「わわわっ!」自分で考えて自分で驚く不思議な光景だった。こんな処を誰かに見られたら大変だと竹蔵は思った。
「早く元に戻してくれっ!」竹蔵は思わず叫んだ。
「おじいちゃん、どうかしましたか?」仁美が竹蔵の声に驚いて、台所から声をかけた。洗面所は壁を隔てた裏に在る。
鏡の中の自分の姿がみるみる内に元の老人に戻る。嫁が此処に来るのではないかと焦る竹蔵。実際10数秒の時間が長く感じられた。
「大丈夫じゃよ、なんでも無い!」竹蔵は自分の顔が元の老人に戻って行くのを見ながら、ホッとして台所の仁美に応えた。そして、少し残念な気もした。
「ただいま!」丁度そんな時に孫の雄一と雄二が帰宅した。
「うわー、今日はカレーだ!」
「じいちゃん、ただいま!」
「おう! お帰り!」一瞬、雄一たちが首を傾げた。いつもの竹蔵と違うことに気がついたのだ。
二人は、二階の自分たちの部屋に行きランドセルを置いて台所に行った。この年代の子供は常に空腹を感じている。真っ先に台所に来るのは仁美が料理中のオカズのつまみ食いが目的だ。台所からはカレーの芳しい匂いが漂う。
雄二が冷蔵庫の扉を開ける。これは、世界中の子供の習慣だろう。お腹を空かせた子供は帰宅後、必ず冷蔵庫を開け食べ物を探す。これは殆んど本能的と言っていいだろう。現代人の殆んどが帰宅後に行う行動になっている。この行為が電気料金を引き上げているのだが。
竹蔵の子供の頃は当然だが、成人になって初めて冷蔵庫が登場した。それも今のような電気で冷却する方式では無い。毎日自転車の後部のリヤカーに角氷を大量に積んで売りに来る《氷屋》から一斤の氷を購入して木製の箱で造った冷蔵庫に入れ食品を冷やす方式だ。《氷屋》は声を掛けられて初めて大きな氷専用のノコギリで注文のサイズに氷切り出し売るのだ。この時の氷を切るときの《シャッ!シャッ!》という音が夏の風物詩だった。竹蔵は木屑を周囲に詰めた冷蔵庫の氷入れの容器を持って氷を買いに行った事を思い出した。
今のこの時期も夏。真っ青な青空と白い雲、《アブラゼミ》や《ニイニイゼミ》の鳴き声が記憶に残っている。
認知症が治り(本人は意識していない)、記憶がよりハッキリと甦える。すると部屋のエアコンに気がついた。今までエアコンの存在など意識した事が無い事に気がついた。勿論、竹蔵の健康を気遣ってのことだ。涼しい風が竹蔵の頭をスッキリさせる。今まで霞の掛かった世界で生きて来た竹蔵にとって周囲の総てが新鮮に思える。
洗面所からは台所の雄一たちと仁美の会話が聞こえる。竹蔵の部屋は、足の悪い竹蔵のことを考えて一階の一番奥の和室である。台所は廊下を挟んで向かい側に在るので、そこでの声はよく通る。

「今日のじいちゃん、何かあったの?」雄一が仁美に聞いた。
「何もないわよ!」と仁美。
「ふーん」
「雄二! 冷蔵庫を開けないで!」
雄二と雄一が料理をしている仁美にまとわりつく。
「今日の夕飯は何だったかいなぁ?」竹蔵は取り繕うように仁美に話しかけた。
「もう、おじいちゃんったら、 さっきカレーライスだと言ったでしょう!」
仁美はいつもの竹蔵との会話に安堵した。竹蔵は自室に戻り改めて鏡を見た。そして、先程の自分の顔を思い出した。思い返すとやはり昔の若い頃の顔は我ながら男前だと思う。そして昔を思い出した。若かった頃を。人間は事ある毎に昔を思い出す。今の竹蔵は特に記憶が鮮明に思い出される。これもゼウスのおかげだが、竹蔵は自覚していない。
『もう一度、戻そうか?』と声がした。一瞬、竹蔵はゼウスが何を言っているのか分からなかったが、さっき見せた若い頃の自分のことだと思い出した。竹蔵が何度も昔の事を思い出すのでゼウスが気を効かせて言ったのだと理解した。
『いやいや、確かに若かった頃は活動的だったし、もう一度やり直してみたいと思う事もあったが、当時のワシの《若さは愚かさ》でもあった。だから、本当に戻りたいとは思わん』
竹蔵が言ったのは、本当の意味で《愚かな人間》だったという意味ではなく、《若さ》ゆえの知識不足から根拠の無い《自信》と《冒険心》を指したのだ。もっとも若者は、《失敗》から多くを学ぶ。老人になると《失敗》を恐れる。それはやり直す時間が無いからだ。若者は自分が老人になるとは誰も考えない。竹蔵もそうだった。しかし、今老人になって思い返すと若い時代の如何に短かったか事か。それを考えると若者に戻る事が、怖い気もするのだ。
『いつでも、戻れるから言ってくれ!心配する必要はない。知識は今のままだ!』
ゼウスは竹蔵の本心を読み取った。若者に戻る事が知識の喪失に繋がると一瞬考えたのだ。身体が青年期に戻っても、知識まで青年に戻って、人生をやり直すなんて恐怖でしかない。
『いつでも戻れるなら、今はこのままで良い、 それよりも、この老人のままやれる事がどれだけあるか試してみたい』竹蔵は、力が漲るのが判った。
『ハハハハハ、驚くぞっ!』とゼウスの電子音のような声が返ってくる。
『見掛けが老人だろうと若者だろうと、今のお前にとっては同じ事だ、私から見れば、ほんの一瞬の違いでしかない!』
ゼウスにとって人間の4~50年は瞬きする程の時間でしかない。
『貴殿の名前は何というのだ?』と竹蔵。
『私の名前はゼウスと言う』
『そうかゼウスと言うのか、これからは名前で呼ぶ事にするが良いかのぉ?』
『ゼウスと呼んでくれ!』
『あんたは、いったい何歳なんじゃ?』
『何歳とはどれだけの期間を言うのか? ところでお前は何歳だ?』
ゼウスは、人間の歴史と時間感覚は知っていた。ただ、竹蔵の知識の質と量を知りたい為に聞いたのだ。ゼウスといえども竹蔵が考えなければ、持っている知識は読み取れない。つまり、知る為の会話である。
『わしゃ86歳だ』
『86歳とは、どの位の時間だ?』
『1歳は、地球が太陽の周りを一周する時間だ。つまりじゃ、この地球が太陽の周りを86回周った時間がわしの歳じゃ』
ゼウスは竹蔵から飛び出した。そして地球を飛び出し、この惑星を改めて観た。地球という惑星に比べて比較的大きな衛星が回っている。距離的にも衛星の重力は地球の生態系に影響を与えるだろう。遠くに恒星が見える。引き締まった若い恒星だ。光に多くのエネルギーが含まれている。この惑星に十分な大気が無ければ生物は生まれなかっただろう。衛星と地球の動きを確認した。ゼウスは、太陽系全体を観た。ゼウスが初めて太陽系に来て、隅々まで今まで調査する事は無かった。地球の生命体以外に興味を持つ事が無かったからだ。当時の地球人は科学的な知識も無く、進化段階も低かった。この為、詳しい調査を必要としなかった。暫くしてゼウスは竹蔵に戻る。そしてゼウスが応えた。
『見た! この星の大きさや天体の動きを観た。僅かな時間だ!』
『見たとは?』と竹蔵。
ゼウスは、竹蔵との会話で改めて太陽系を観察したのだ。今まで何度も地球人と同化した経験を持つが、過去の人間たちは科学の概念が無かったので詳しい調査をしていなかった。もっとも、ゼウスにとっては大した問題では無いが。
『今、ここに居ても、地球の動きや時間の概念が解る』
彼は、宇宙の法則を熟知している。宇宙の中心部から何万年も掛けて地球に到達したのだから。
『私は地球の時間で、約140万年生きてきた』
『ひえっ、140万年じゃと?』竹蔵は、指を折って数えた。余り指で数えても意味は無かったが。
『そうだ、宇宙の時間から言っても140万年は、ほんの僅かな時間でしか無い』
竹蔵は、宇宙の広さと時間の概念の無意味を痛感した。確か地球が出来てからも四十数億年だと聞いた記憶がある。確かにそれから比べても140万年は決して長くは無い。しかし人間や人間以外の動物や植物にとって、遥か彼方の歴史的時間だ。中国の歴史は四千年だとも聞いたが、我々人類の歴史を辿っても140万年など想像もつかない。
『もっとも、この先どれだけ生きて居られるかは不明だが?』
『ゼウスさんは一人か?』竹蔵は意味もなく最大の疑問をぶつけた。が、欲しい答えは返って来なかった。
『その内、判る』とだけゼウスが言った。
『まあ、わしには関係無いし知ったところで状況が変わる訳でも無いし、それよりも今のわしには何が出来るんじゃ!』
『そうだなぁ、殆ど出来ない事は無い!人間の世界に於いては』ゼウスは最後に条件をつけた。人間の世界に於いてはと。竹蔵は最後の言葉が頭に残った。
 しかし本来なら死んで当然だったのに、少なくとも今は生きているし、何時でも若者に戻れる事は人生のやり直しも出来ると言うことだからワクワクしない筈が無かった。普通であれば命を失う可能性のある事にも挑戦する事が出来る。

「ただいま」と玄関から声がした。息子の雄一郎が帰宅したようだ。雄一郎は、竹蔵の後妻との間に出来た二人息子の長男である。先妻とは死別で先妻との間にも、一男一女の子供が居る。その時の子供も今では64歳になっている。後妻の泰子も既に他界している。竹蔵はつくづく女房運が悪い。本来なら妻が生き残り、男の自分があの世に行くべきなのだが。
 

 
その日の夕食時、竹蔵は孫達との話も上の空で夕食のカレーライスを平らげ、そそくさと自室に戻った。雄一郎は竹蔵の様子がいつもと違う事に気が付いた。
「今日、何かあったのか?」と雄一郎が妻の仁美に尋ねた。
「昼間、私が買い物に出かけて帰って来たら、おじいちゃんが庭木の手入れをしていたんです」
「おいおい、庭木の手入れってあの枇杷の木か?」
「そうなのよ、もっとも終わった後だったけど」
「もしかして」と言いつつ雄一郎は庭への戸を開けて枇杷の木を見た。
「おい、天辺の木が無くなっている!」
「そうなのよ!」
「あんな高い処を、どうやって切ったんだ?」
「脚立を使ってたわよ」
「あんな高い処、俺でもやれないぞ! もしかして親父の奴、落っこちたんじゃ無いのか?」
「それは無いわよ!」
「あんな高い処から落ちたら誰だって死んじゃうわよ」本当は落ちて一回死んだのだが。
「気を付けてくれよ、親父の奴もう歳なんだから、おまけに最近ボケが始まっているようだし」
「判っているわよ、でも巷で言う痴呆老人のように手が掛かる事は無いのよ。子供たちの面倒も良く見てくれているし結構助かっているわ!」
実際、雄一や雄二も竹蔵には懐いている。雄一たちの知らない時代の話を竹蔵は面白おかしく話すので何度も同じ話を聞きたがる。聞くたびに少々話が変わるのもご愛嬌だ。また、竹蔵にとっても昔の記憶を取り戻す良い機会でもあるのだ。それが認知症の進行を防ぐ事に繋がっているようだ。もっとも、ゼウスが取りついたお蔭で認知症は完治しているのだが、竹蔵本人も気が付いていない。雄一郎は、竹蔵の部屋へ訪れた。
「親父!いいか?」雄一郎は竹蔵の部屋のドアを開けた。
「どうした」と竹蔵。
雄一郎が竹蔵の部屋に来る事は滅多に無い。雄一郎にとっては昔の竹蔵の律儀で真面目な性格をよく分っているし、今も親子の間柄は昔の厳しい父親の頃と変わらない、今でも時々叱咤激励される時もあるからだ。
「親父! 今日、枇杷の木の剪定をしたんだって?」
「あゝ、今年の春に枇杷の実を採った時、上の方の実を取れなかったんで、来年は下の方に大きな実を付けさせようと思ってのぉ」
「気を付けてくれよ、落ちて死なれたら俺が困るから」
「それもいいかなぁ」と竹蔵は続けて。
「病気で寝たっきりでお前に迷惑を掛けるよりも」
竹蔵は、そう言いながら本当は死んでいたのだが、と言いそうになった。その時の話をしても誰も信じないだろうし、そう言いながら昼間の事を思い出して含み笑いをしていた。
「笑い事じゃないよ、コロッと死ねるとは限らないし、そのまま寝たっきりになる可能性もあるから、間違ってもそんな考えはしないでくれよ!」
竹蔵は雄一郎の話で、自分の軽率さを恥じた。
「済まん済まん。雄一たちに来年は楽に枇杷の実を採れるようにしたかったんだ!」
「有難うな親父! でも危険な事はもう止めてくれ! 親父に何か在ったらお袋に申し訳ないから」
「判った判った、もうせんから」と竹蔵は亡き妻の泰子の事を思い出した。
『お前の妻の名前か?』突然ゼウスが話しかけた。竹蔵は亡き妻の顔を思い浮かべる。ゼウスは、竹蔵のイメージを見た。
「そうじゃ、わしの家内の名前じゃ!」突然、竹蔵が見えない誰かと話し始めたので雄一郎はキョトンとして周りを見回した。
「親父、 誰と話をしているんだ?」竹蔵こそ驚いた。息子の前でイキナリ頭の中のゼウスと会話をしたのに気が付いたからだ。
「済まん済まん、最近耳鳴りがしてお前の話を聞き違えたようだ」雄一郎は、竹蔵が本当に認知症が進んでいると思い込んだ。
「違う違う、呆けてなんぞおらん」竹蔵は雄一郎の声に出さない言葉を読み取って応えてしまった。勿論、ゼウスを介してだが。
「大丈夫か?親父!」と話しかける雄一郎に、竹蔵は更にミスを重ねた事に気が付いた。
「いや、大丈夫と思う」と竹蔵は答えた。竹蔵は頭の中で “気を付けねば” と自分に言い聞かせた。そしてゼウスに忠告した。
『誰かと話をしている時に話しかけないようにしてくれ!』とゼウスにクギを刺す。
「とにかく、危険な事はしないでください」と雄一郎は言い残して竹蔵の部屋を後にした。そして、居間に戻って妻の仁美に話し始めた。
「一応、注意したけど、一度医者に連れて行った方がいいかなぁ?」
「お父さん、何処か悪いの?」
「イヤ、そう言う訳じゃ無いんだが、俺と話している時に突然別の誰かと話し出したんだ」「ええ、何それ?」
「親父も自分で気がついて、話をはぐらかしたんだが、なんか変だったなぁ」
「それじゃ、明日にでもお父さんを病院に連れて行ってよ!」
「明日は朝から会議があるし、近いうちに連れて行くよ!」
「出来るだけ早くしてくださいよ!」
仁美も雄一郎も、本当に心配になってきた。竹蔵は竹蔵で、頭の中のゼウスとの会話を周りの人間に知られないようにする事を考えていた。
その日、竹蔵は早目に風呂に入った。今日1日不思議な事ばかりだった。湯船に浸かりながらゼウスと話した。
「あんたは、わしにどんな力をくれたかのぉ?」
『恐らく、これから起こる事は人類全体に影響するかも知れない。これは、私が決める事ではない。竹蔵自身で決める事だ』
「決めるたって、ワシ自身何が出来るのか解らんのじゃ決めようが無い」
『これから、少しづつ判って来る。それからどうすべきか決めれば良い』ゼウスは竹蔵自身に決めさせる事にしたようだ。

「そろそろお風呂に入りなさい!」仁美がテレビにかじりついている雄一と雄二に言った。
「じいちゃんが入っているから、身体をしっかり洗ってもらいなさい!」雄一郎が二人を促した。
「雄二! お風呂に行こう!」
「うん、兄ちゃん」
二人がドタバタと風呂場に行く。

「そりゃそうじゃ! 当分、死にそうも無いんじゃから。いろいろ試してからでも遅くは無いなぁ」竹蔵がゼウスに言う。

孫の雄一と雄二が竹蔵と一緒に風呂に入ろうとガラス戸の向こうで服を脱いでいる。その時、竹蔵の話し声を聞いていた。
「おじいちゃん、誰と話してるんだろう?」雄一と雄二は、顔を見合わせて風呂場の戸を開けた。勿論、竹蔵は一人だ。
「あゝ、雄一と雄二か、 入いっといで!」竹蔵は二人に話を聞かれたと判った。そして、怪訝な顔をした二人に言った。
「じいちゃんはなぁ! 今、宇宙人と話をしていたんじゃ!」竹蔵の頭の中で。
『そんな事を言っても大丈夫か?』とゼウスは竹蔵に問い掛けた。竹蔵は頭の中でゼウスに応えた。
『大丈夫じゃ、二人はまだ子供じゃから。例え誰かに話しても信じては貰えんじゃろ!』
『それでは、二人が嘘つきになってしまわないか?』
竹蔵はゼウスの思いやりを感じ取った。そして。
「二人とも、この話しは誰にも内緒じゃ!判ったなぁ?」と雄一と雄二に固く口止めをした。「うん、判ったよ」二人はお互いの顔を見て言った。そして雄一が竹蔵に向かって。
「宇宙人って何処に居るの?」当然の質問である。
「良いか、 実はなぁじいちゃんの頭の中に居るんじゃ!」
「へえ、 頭の中にいるの?」
「そうじゃ、今日昼間じいちゃんが枇杷の木を切っていたら、空の上から目に見えない宇宙人が降ってきてなぁ。じいちゃんの頭の中に入っちゃったんじゃ!」これは嘘ではない。ただ、誰に言っても信じられない話である。しかし、雄一と雄二は素直に信じたようだ。
「判ったよ、 じいちゃんの話しは誰にも言わないよ!」
サンタクロースの物語を信じている二人には、竹蔵の話しを素直に信じた。ただ、竹蔵の頭の中の宇宙人と話をしてみたいと考えているのが竹蔵には直ぐに判った。
「今度、会わせてやる。ただし、二人が良い子にしていたらじゃが?」
「うん、判ったよ、良い子にしているから絶対に会わせてよ?」
「勿論じゃ、じいちゃんが嘘を言ったことがあるか?」
「ないよ!」と二人。
「絶対にだよ!」
「よしよし、約束じゃ!」
竹蔵は、雄一たちの身体を洗っている時、子供の身体の美しさを感じる。キメの細かい皮膚、若々しい動きをする関節と骨格を感じた。そして、自分の身体を見て見掛けこそ老体だが若返った身体の力強さを考えると顔がほころぶ。洗い終わって、二人は湯船の中で遊んでいる。竹蔵は、久しぶりに幸福と言う言葉を思い出した。自分で自分の身体を洗う感覚も変化している。自分が認知症だったときの記憶が殆んど無いのだ。今まで何千回も風呂に入って自分の身体を洗ったのに記憶がない。ボンヤリと生きて来た事に後悔させられる。そして、これからどう生きて行くのか考えた。雄一と雄二は、湯船でひと息遊んで風呂を出た。
「お母さん、出たよ!」
「ハイハイ、今行きます」と言って仁美がバスタオルを持って雄一達のカラダを拭いた。
「おじいちゃんとどんなお話しをしたの?」仁美は竹蔵の様子を雄一と雄二から聞き出したかった。竹蔵は雄一達に何でも話す習慣があるからだ。
「ふふふ、内緒、内緒」と雄一と雄二が目を合わせて言った。
「えっ、 お母さんにも教えてよ!」身体を拭き終えた二人は雄一郎の居る居間に駆け出した。夏場は風呂から上って、暫くの間は素っ裸のまま居間で冷たい飲み物を飲む習慣だ。テレビを見ながら雄一郎はそれとなく雄一に話し掛けた。
「おじいちゃんと何を話した?」いつも竹蔵との話なんかに興味を示さない父の顔を見て、雄一は不思議に思った。
「どうしたの、 お母さんも同じことを聞いたよ?」
「うん、実はおじいちゃんの様子がいつもと違うんだ。おじいちゃんはお前たちに何でも、お話しするだろう。だからお母さんもお前たちに同じ事を聞いたんだ!」
「いつもとおんなじだったよ!」
「頭が痛いとか、カラダの何処かが痛いとか言って無かったか?」
「ううん、言って無かったよ!」
「そうか、身体には異常が無いんだな」と最悪の状況で無い事に安心した。
「それじゃ、おじいちゃんとどんな話をした?」
「いつもと同んなじだよ!」雄一郎の問い掛けに雄一は、きっと宇宙人の話を聞き出そうとしていると思った。
「宇宙人の話しなんかしないよ」
「宇宙人?」雄一は、ウッカリ内緒だと言われている事を話してしまった事に気が付いた。
「嘘、嘘、何でも、無いよ!」大人は子供から内緒話を聞き出すのが上手である。雄一は、気を付けないとと思った。そしてテレビを見ながら話をはぐらかそうと考えた。雄一郎も、これ以上の事は雄一から無理に聞き出そうとはしなかった。父竹蔵と孫である雄一と雄二との仲を乱す事になると考えたからだ。ジュースを飲み終えた二人に。
「歯を磨いて、サッサと寝なさい!」二人は、父との話がこれ以上追求されないようにと洗面所に走っていった。雄一は、雄二の歯ブラシに練り歯磨きを付けながら。
「お父さんは、おじいちゃんの事を聞き出したかったみたい」
「うん、そうみたい」雄二も同じように感じとった。
「絶対、内緒だよ!」
「うん、内緒だよ!」雄一と雄二は、お互いの目を見てうなずきあった。歯磨きを終えた二人は自分たちの部屋に戻り二段ベッドにそれぞれ入った。二段ベッドの上が雄一で下が雄二の場所である。
「お兄ちゃん!」
「何?」
「おじいちゃんの宇宙人って、どんな宇宙人だろうね?」
「頭の中に入ってるんだから、目に見えない程小さいと思うから、僕たちに見えるかどうか判らないと思う。今度、じいちゃんに聞いてみよう!」
二人は布団の中で今日の竹蔵との話を思い返した。そして数分で眠りについた。竹蔵は竹蔵でサッサと自分の部屋に戻った。居間では雄一郎と仁美が話し合っていた。
「雄一は、おじいちゃんと宇宙人の話しをしたと言っていたそうだ?」
「えー、 宇宙人!何それ?」
「詳しくは聞けなかったけど、恐らくテレビ番組か映画の話だと思う」
「そうだろうね、 今まで、おじいちゃんと戦時中の話とか戦国武将の話しは聞いた事があるけど、宇宙人の話は初めてね!」
「そうだろう! 親父がSFの話をしたのは初めてだ! もっとも、こんな話が出来るならボケは、進んで無いと思うけど、身体の方も問題は無いようだし心配は要らないと思うよ!」
「そう! でも一度お医者さんに診てもらっといた方が良くは無い?」
「そうだなぁ、暇を見つけて親父を医者に連れて行くよ」
「あなた、そうして! 何も無ければ安心出来るし」
「判った、仁美もそれまで親父のことに注意していてくれ」
「勿論よ、大事なあなたのお父様だもの」
自室に戻った竹蔵は、布団の中でゼウスと話し合っていた。この頃になると近くの人間の会話が、なんとなく聴き取れる様だ。竹蔵は凄い事だと思った。何故なら竹蔵は耳が遠く、かなり大きな声で話して貰わないと聞き取れ無かったからだ。それが今では、自分の部屋に居ながら居間にいる二人の会話を聴き取る事ができる。そうかと言って、周りの雑音が無秩序に流れ込んで来る訳でもない。どうも、特定の場所や人物の声や音を選択出来るらしい。実際にこのような事ができる人間は居ない。ゼウスに聞いても詳しいことは、教えてくれない。つまり、"経験して身体で覚えろ!" と言うことらしい。
 

 
『息子夫婦はわしの身体の心配をしている様だ。孫たちも、わしの事を大事に思ってくれている様だし・・・』
『お前は実に幸せな人間だ。だからこそ、今の幸せを壊さないように心掛ける必要がある』『そうじゃな、家族に災いが掛からないように考えて行動する必要があるなぁ・・・!』漠然と竹蔵が言う。
『自宅で新しい能力を確かめるのは危険だ』とゼウスが続ける。
『いつ、家族に観られるかも知れないし、この家が壊れて仕舞う事も考えられる』
『ええっ、 この家が壊れる?』竹蔵は驚いて頭の中で叫んだ。
『そうだ、 使い方を誤ると地球さえどうなるか、 私のエネルギー源は恒星から得られる。つまり、お前たちが太陽と呼んでいる星からエネルギーを貰っている。その量はお前たち人類が開発した原爆の数千倍に当たる』
『ひえっ! わしの頭の中に原爆の数千倍のエネルギーが入ってるのか?』
竹蔵は暫くの間、呆然とした。もっとも、原爆の数千倍と言われても現実には全く理解は出来ていないのだが。竹蔵自身は、戦後歴史の本に載っていた。アメリカで開発されて広島と長崎に落とされたとされるリトルボーイとかなんとか言う原子爆弾の写真を思い出して、あれが竹蔵の頭の中に入っている状態を想像したのだ。
『ハハハ、 エネルギーに大きさは関係無い、 大きさや重さは物質である時の密度と重力が影響するがエネルギーに大きさや重さは関係無いと考えた方が良い。今多量のエネルギーを持っている訳では無い、必要な時に必要な量を太陽から戴くのだ。しかし、私にも自分でどれだけのエネルギーを取り込めるのか? コントロール出来るのか? 判らないことも多い』
『へえっ、 140万年も生きて来たお前さんにも解らん事があるんじゃな?』
『そうだ、解らない事の方が多いと言える。それでは、竹蔵は自分がどれだけ力が出せるか知っているのか?』
『いやぁ、判らん、そうじゃなぁ、わしも自分の事はわからんし試してみないと判らんなぁ?』
竹蔵はゼウスに対して、やっと人間的な親近感を覚えた。ただ、自分の頭の中に原爆の数千倍のエネルギーが在ると言われてもピンと来なかった。いつか、自分の頭が爆発するのではないかと考えてしまう。
『ハハハ、エネルギーは爆発しない。ただ存在するだけだ。物質は変化する時にエネルギーを放出して爆発する可能性はあるがね!』
『そうなのか?』
『お前たちの世界にガスが在るだろう!』
『在るよ!』
『ガスは気体物質だ。ガスを圧縮すると液体になる、この世界では、これ以上圧縮出来ないとされているのはわかるな? これが燃えるとき熱エネルギーに変わる、熱エネルギーつまり火に重さは無い、これを私は取り込んでいるのだ』と言われて竹蔵は漠然と解ったような気がした。実際には熱エネルギーにも質量が在るのだが、難しい話しを今の竹蔵に言っても仕方がない。ゼウスはそれで良いと考えた。
『もっと、教えて欲しい事があるんじゃが?』
『何か? 私が知っている事で許せる範囲であれば教える。但し、知る事は、その知識を有効に使う場合に限ってと言う条件が付くが?』
『有効かどうかは判らんが、わしの連れ合いが数年前に死んだんじゃが、人間は死んだらどうなるんじゃろ?』
『連れ合いとは誰の事を言うのか?』
『妻の事だ』
『私も含めて生きるものにとって、一番最初で最後に行き着く疑問だな?』
『一番最初の疑問なんかいな?』
『そうだ、考える事の出来る生き物は仲間が死ぬ時、そう疑問する。そして考えても解らない。だから死を恐れ「何か」に頼るのだ。そこで宗教が生まれる』
『何かとは?』
『お前たち地球人が神とか仏とか言う者だ』
『神さんは居るのかのぉ?』ここで竹蔵は、人類史上究極の質問をした事に気が付いていない。
『神さんとは?』と逆にゼウスに質問で返された。
そして竹蔵自身、神について何も知らない事に気が付いた。ゼウス自身、竹蔵の知識を読み取ってあやふやな質問である事に気が付いていたからだ。そして、日本人の神に対する知識を再確認した。
『お前たちの宗教観から考える神は存在しない。人間に幸福を与えるものを神と呼ぶなら存在しない。地球人の上位に位置する生物を指すなら存在すると言える』続けて
『先の質問に答えよう、人間が死んだら肉体が滅びる事で精神エネルギーが解放される。精神エネルギーの受入先が無ければ、エネルギーは分散されて周りの物体に吸収される。周りの物体とは動物や植物などの生物や物質を指す』
『難しいのぉ、 それじゃ地球や宇宙を創造した神は存在するのか?』
『お前たちの言う神の位置付けに矛盾がある。宇宙を創造したものを神と言うなら、神は存在する。何故なら、宇宙が存在するからだ!』
『ヘェ〜神さんは居るのかのぉ?』
『これは三段論法だ、お前たち地球人が考えた論理的証明法で答えただけだ』
『三段論法?』
『宇宙を創造したのが神であると仮定した時、宇宙は実際には存在するから、神は存在する。と答えただけだ。この論理には最初の仮定に誤りがあれば、その答えも誤りになる欠点がある』
『要するに神は存在するのか?』と竹蔵。
『最初の定義に誤りが無ければ、存在する。但し、その存在は人間の幸福など考えないだろう。仮に私が神だと名乗ればお前は私を神だと思っただろう!』
竹蔵は改めてゼウスの事を考えた。そして、彼がその気になれば人類を滅ぼす死神にも似た存在にも竹蔵が神や仏と呼ぶ存在にもなれる事に気が付いた。そして、畏怖した。
『怖がる必要は無い。我々はお前の共同生活者だ』竹蔵はここでも彼の言葉の意味を聞き逃した、彼は我々と言った事に。この事は後々にわかるのだが。
『そうか、宇宙を創造したのが神なら、宇宙が在るから神は居る。と言う訳だ。なんだ、そうか・・』
ゼウスは黙っていた。竹蔵が勝手に誤解するのは竹蔵自身の問題だから。ゼウスが嘘を言った訳ではない。ゼウスが嘘を言う理由が無いからだ。人間は自分や家族を守る為に嘘を言う。ゼウスは竹蔵の知識の中から、それを読み取っていた。
『奇跡も偶然の産物だ。人間だけに幸せを与える神など存在しない。もしも、お前たちの考える神が居たら、動物も植物もバクテリアも人間さえも同列に考えるだろう。小さな隕石が一つ地球に落ちるだけで全ての生物は滅ぶだろう! 神に心が在っても、その心が痛む事は無い』
竹蔵は、改めて宇宙の大きさと人間の小ささを考えた。そして、
『お前さんもわしらと同じ生物か?』
『そうだ、同じ小さな生物だ』
『なんで、ワシを助けた?』
『面白いからだ。私も人類と同じように生きている。だから、楽しい事が好きだ!』
『なんじゃ、道楽でワシを助けたのか?』
『そうとも言える。助けない方が良かったのか? 竹蔵は子犬や子猫が死に掛っていたら助けないのか?』ゼウスは竹蔵の質問に正直に答えた。
『勿論助ける!』
『それと同じだ』
『その事は感謝している。まぁこの際、どうでもいいか?』
" ワシらは仔犬や仔猫と同じか? " とも考えたが、彼から見ればそんなものか、とも考えて納得してしまった。竹蔵は、これ以上話しをしても解らない事ばかりで、宇宙を知った所で竹蔵の人生に大きな影響は無いように思えた。しかし、この出来事が人類にとって大きな影響が出る事には竹蔵自身気がついていない。ゼウスが地球に来た意味を知れば。
竹蔵は時計を見た。もう深夜の1時を回っていた。
『こんな時間か、 そろそろ寝るか?』と言って、竹蔵は夏布団を被った。外は気温が高いが竹蔵の部屋にはエアコンで28℃に設定してある。ただし、深夜の1時にはタイマーで停まるようにはなっている。これも家族の思いやりだ。すでにエアコンは停まっているが、室温は未だ快適な状態で保たれている。
 

 
次の日、竹蔵は朝6時に目が覚めた。いつもは5時には目が覚めるのだが、昨夜のゼウスとの会話で、遅くまで起きていた所為もあって1時間も長寝をしてしまった。しかし、今朝起きると若い頃のように身体には力が漲っている。竹蔵は、長年膝の痛みと四肢に力の入らない生活が当たり前になっていた。ところが今日は、肩の凝りも無く膝の痛みも無かった。頭は冴えわたり、昨日の疲れも残っていない。呆けていた頃でも、朝起きる時、腰や膝の痛みがあったのを思い出す。その頃と比べても、今朝の快適な目覚めは数十年ぶりだと思う。
『お早う、 起きているかね?』
竹蔵はゼウスに話しかけた。ゼウスの存在は全く感じられなかった。
『勿論、起きている。そもそも私は寝る必要が無い、君達は身体を持っているから睡眠と言う行為が必要なのだ』ゼウスは応えた。
『ふーん、そんなもんかね』
『身体は、一定期間使用すると休ませる必要がある。無理に使い続けると心身が破壊される。私にとって、睡眠時間は、思考の無駄になるのだ。我々は、それを嫌って身体を捨て去ったとも言える』
ゼウスは、そうは言ったものの彼らにも、やむを得ず睡眠に似た状況に追い込まれる事がある。それはゼウスの仲間が銀河間で身動きが取れずにエネルギー不足で立ち往生している事だが。その仲間を助ける為に掛ける時間も数万年単位という気の長い話である。
竹蔵は、人間の身体を維持する事は、本当にゼウスの言う通りだと思った。身体が在るがゆえに食べて、寝て、排泄して、運動しなければならない。身体の健康を保たなければ、何一つできないのが人間だ。年齢を重ねても認知症になれば、何の役目も果たすことが出来ない。認知症も身体が在るがゆえに起きる。精神も身体に縛られているのだ。
『そう言えば、人生の3分の1は眠っていると何処かで聞いた事がある』
『そうだ、人類は一日24時間の内、普通は8時間程眠っているようだ。勿体無い時間では無いのか?』 
ゼウスから見れば人生そのものが短いのに更にその三分の一も活動しない時間を無駄と考えない人類の思考回路が不思議で堪らなかった。無限に近い寿命の彼でも三分の一の時間を無駄にすることは考えられ無いのだ。
『そうでも無い! 寝る時間は楽しみの一つでもあるんじゃ!』竹蔵は、そう言って夢の中の別の人生を語った。ゼウスは竹蔵の言っている意味の一部は理解出来た気がした。寝ている竹蔵の思考を探っていたからだ。
『人間は夢の中でもう一つの人生を生きているようだな?』
但し、自分で思うような人生ではないけれど、夢をコントロール出来れば、もっと良い夢を見ることができるのに。とゼウスは思った。
『ところで、今日から何をしようか?』と竹蔵。
ゼウスは、竹蔵が新しい自分の能力を活用する為の訓練を考えている。竹蔵が寝ている間は竹蔵の影響を受けずに行動出来る。一晩と言う時間はゼウスにとってホンの一瞬であり、思考する時間としては無限の時間でもあった。それ程、ゼウスの思考速度は速いのだ。何しろ光のエネルギーの速度で思考するのだから。人間の思考する一時間は彼にとって1秒にも満たない。竹蔵が寝ている時間は、竹蔵の身体から飛び出して周辺を探索していた。最初は竹蔵の家の周辺を、既に殆どの人間たちは就寝している。彼は人間たちの脳波を感じ取る。脳波は電磁波である。光も電磁波だ。目に見えるものだけが光ではない。宇宙は光に満ちている。電磁波を征する者は宇宙を征するのだ。
 
(ゼウスの秘密)
 
ゼウスは何処に居てもエネルギーを感じ取り電磁波と光が在れば生きる事が出来る。只、銀河系と銀河系の間は殆どエネルギーが無い。遠くの銀河系のエネルギーでは彼らが生きて移動するだけのエネルギーは得られない。だからこそ、仲間を助ける為の技術開発を促す為に地球にやって来たのだ。ゼウスの多くの仲間が、銀河間で立ち往生している。彼と彼の仲間は光のエネルギーである。光の速度で移動出来るが、銀河間は余りにも遠かった。そして得られる光のエネルギーは、ほんの僅かしか無い。
ゼウスが銀河中心部に居る時、微弱な助けを求めるインパルスが届いた。彼らを助ける為には、多量の光のエネルギーを届けるしか無い。その為には宇宙船を建造して彼等を救助して回るしか無かった。しかし、彼ら光エネルギーの存在に、その方法は採れなかった。
一度、銀河系内の仲間達と恒星を銀河系から飛ばす方法も考えたが、数百万もの恒星が必要となり銀河内のバランスを崩し星系内の生物達の絶滅に繋がる為、その方法は断念した。また、銀河系外に飛び出して助けを求めている仲間は四方八方に散らばっており、その数は数億人に登る為、効率的な救助方法は、銀河内の生物の科学を発達させ、光エネルギーを効率的に届ける機器を創るしか無かったのだ。つまり、助けを求めているのは彼自身だったのである。

読者も、もうお分かりだと思うが、どんなに優れた生物でも一人では生きられない。まして、同じ人間同士殺し合うなど自分で自分の首を絞めているようなものである。もしも、地球人類が戦争を止め、その資金や人材を宇宙開発に向けていたなら、人類は既に月を手に入れていただろう。月の低重力は月面開拓を容易にさせ、無尽蔵の資源が地球の環境を破壊せずに手に入れることが可能になる。
 

 
『竹蔵に出来る事は多い』とゼウス。竹蔵は「ふ~ん」と聞き流す。
『ところで、ゼウスさんの名前を何処かで聞いたような気がするなぁ?』暫く考えた挙句。
『そうじゃ、確か西洋の神さんの名前だ!』
『同じような名前は、何処にでもある』ゼウスは、素っ気なく答えた。昔地球に来た時に名乗った名前がゼウスだ。正確な発音は異なるが地球人には、そう聞こえたようだ。彼は竹蔵には昔の事を言う必要は無いと判断したのだ。
『ところで、これから、わしゃどうすれば』と言いかけた時、ゼウスが言った。
『まず、新しい身体に慣れる必要がある』
『新しいっと言っても、変わりばえはしないがのぅ』
『それは、竹蔵が意識していないからだ』
『どう、意識すればいいのか教えてくだされ!』
『先ず、身体の表面の総ての場所を意識する事から始める』竹蔵には、最初意味が解らなかった。身体の表面を意識するなど
『眼を閉じて、掌を空に向けて見よ! 何か見えないか?』
ゼウスの言われるままに竹蔵は掌を空に向けた。暫くすると眼を閉じているにもかかわらず青い空が見えて来た。
『こりゃ、 どう言う事じゃ、 眼を瞑っているのに空が見えた』
『人間は眼で見ているのではない、脳が見ているのだ、例え目の前にある物でも脳が見ることを拒否すれば見えなくなる。反対に眼に見えない物でも見ようとすれば見える様になる』
『ふーん、そうなんじゃ、 目に障害を持っている者も訓練すれば見えるようになるんかいなぁ』
『可能だ。但し、脳に障害を持っている者は不可能だ。産まれた時から脳が見る事を訓練していなければ、見ることは出来ない』
『良くは判らんが、眼が無くても見る事が出来るし、眼が有っても見ることが出来ない事もある。と言う事じゃなぁ?』
『そうだ、眼も耳も口も鼻も皮膚が変化した物だ。分かり易く言えば手の平に眼を創る事も可能だ』
『さっきワシが掌で見たのも眼が出来たからか?』竹蔵は自分の掌を恐る恐る見た、自分の掌に目が出来たのかと思ったからだ。
『大丈夫だ、竹蔵の手に眼は無い、 先程は手を介して脳で見たのだ、 眼から入る光も手に受ける光も同じだ。手から入った光の情報も眼から入る情報のように脳に伝える事が出来れば同じように見る事が可能だ。勿論、竹蔵の表皮から受ける情報を脳が見る事が出来れば、イチイチ振り向く必要は無い。髪の毛の一本一本が同じ役目を果たす』
『凄いのぅ、ワシは、その訓練をすれば良いのか?』
『竹蔵は私が補助するから、直ぐにでも可能だ。それよりも、皮膚だけでなく、内臓に至るまで総てを意識する事が出来れば、病気にもならない。例え怪我をしても直ぐに修復出来る』
『なんか、機械の修理をするみたいじゃな?』
『治療と言えば良いのか?』
竹蔵は、ゼウスの言葉を信じて全神経を自分の身体に集中した。最初は、ボンヤリと掌や足の裏から触れている皮膚の感触を感じ取っていった。その内、顔の皮膚に受ける光や風を感じ、眼を閉じているにもかかわらず周囲の明るさが鮮明に見えて来た。次の瞬間、前だけで無く上下左右後ろの情景がハッキリと見えた。上下前後左右の情景が竹蔵の脳に入って来たのだ。
『凄いのぅ、眼を閉じているのに周囲が見える。ハハハハ面白い面白い。これは愉快じゃ!』
ゼウスは竹蔵の素直さに感嘆した。ゼウスは過去に沢山の人間を見て来たが、竹蔵程素直に自分を受け入れた人間は居なかった。実は、ゼウスも知らない事だが、認知症の初期状態が竹蔵の素直さに結び付いていたのだ。竹蔵が突然、庭に面するガラス戸を開けた。眼を閉じたまま、そして、夏の朝日の直射日光を身体全体にうけて、光エネルギーを吸収し始めた。他の人間が竹蔵の姿を見ていたら、一瞬真っ黒になったのに気が付いただろう。しかし、幸いな事に誰もその姿を観ていなかった。ゼウスも竹蔵の瞬間的な変化を感じ取った。イキナリ竹蔵から光エネルギーの流入が始まったからだ。それは、竹蔵の身体に受ける光エネルギーが無駄なく100%に成った証明である。その為、竹蔵の身体が真っ黒になったのだ。
『気持ちいいのぉ、風が空気が光がワシの身体に入って来るようじゃ』
竹蔵は、暫くウットリとしていた。余りに長い間、竹蔵が惚けているのにゼウスが心配して忠告した。
『誰かに見られるとまずいぞ!』
『大丈夫じゃ、誰も観ていないのが判る』
ゼウスは、竹蔵が早くも能力の開花を始めたのに感嘆した。この人間を選んだのは正解だ。それでも、竹蔵に部屋に戻るように促した。竹蔵も渋々同意して部屋に戻る事にした。
『世界がこんなにも明るかったとは知らなんだ』竹蔵は自分の能力の開花を明るさとして表現したのだ。
『どうだった』
『凄いの一言じゃ、 見えるんじゃ、世界の総てが見える様じゃ』
『竹蔵の力は、こんなものではない、 これから本当の力が手に入る。但し、間違った使い方をしなければ!』
ゼウスは、竹蔵に釘を刺すのも忘れなかった。台所から仁美の呼ぶ声がした。「お父さん、食事の準備が出来ましたよ」
「ホイホイ、今行く」
いつもの竹蔵の返事。仁美は、この声を聞くと、いつもの変わらない生活を認識する。竹蔵も仁美の声で瞬時に元の"じいちゃん"に戻る。ゼウスは、驚くと同時に微笑んだ。実際、ゼウスに顔は無い。つまり、微笑むような感情になったのだ。竹蔵にも、それが判った。
食卓では、雄一郎と仁美が待っていた。そこへ孫の雄一と雄二が二階から降りてきた。
「さっさと顔と手を洗いなさい」仁美は二人に言ったのだが。
「ハイよっ!」と竹蔵が答えた。それを聞いて仁美は。
「お父さんったら、 雄一達に言ったんですよ!」
「そうか、わしは洗わんでいいんじゃ!」
「いいえ、駄目ですよ! おじいちゃんも洗ってくださいね!」
「ホイホイ」と言って洗面所へ雄一達の後に続いた。
「ママに叱れたぞぃ!」と竹蔵は雄一と雄二に言った。後ろから仁美の声が聞こえた。
「叱っていませんよ! 雄一と雄二も早くしないと学校に遅れますよ!」
「はーい」と雄二
「じいちゃん、今日学校から帰ったら魚を取りに行こうよ?」
「ママが良いと言ったらなぁ?」
「ダメですよ!」と即座に後ろから仁美の声がした。そして続けて
「川は危険だから、おじいちゃんも駄目ですよ!」としっかりと釘を刺された。竹蔵は、小さな声で
「今日は、ママの機嫌が悪いから、別の日にしよう!」竹蔵は雄一達に耳打ちした。すかさず「聞こえてますよ、 別の日も駄目です。パパと一緒だったらいいけど」
「じいちゃん、頼りないから駄目だって」竹蔵は、雄一達に、おどけて言った。
「おじいちゃんは、足腰が弱っているでしょ、 おじいちゃんも危険だからです」
「やっぱり、機嫌が悪いようじゃ!」
「機嫌は悪くありません!」仁美は、少し大きな声で言った。
「ヤッパリ」と言いながら竹蔵は、雄一に目配せをした。
「もう、 雄一と雄二、早く食べて学校に行きなさい、 おじいちゃんも早くして下さい」仁美は、子供達の前では竹蔵の事を「おじいちゃん」と呼び、夫と三人の時は「お父さん」と呼ぶ。日本では当たり前だが、ゼウスには奇妙と言うより戸惑う事である。そして竹蔵に聞いた。
『仁美が竹蔵の事を【おじいちゃん】と呼んだり【お父さん】と呼んだりするのは何故か?』竹蔵は暫く考えた挙句、
『分からん、 どちらも間違っていないし、その時の気分じゃないかな?』
どうも、竹蔵自身考えた事も無かったので、そう答えた。本当の日本語は非常に難しい。新しい言葉も毎年生まれて来るし、間違った使い方の言葉も流行すれば、それが普通に使われる。とくにテレビや有名人が使用すると言葉の意味が変わってしまう事が多いようだ。
竹蔵も時々、テレビを見ていて嘆かわしいと思う事も多い。特にテレビのアナウンサーが言葉の使い方を間違えると腹立たしく思う事も多い。そして、その影響は、子供達に短時間で広がる。それ程、日本語は語彙数が多く、正直完璧に使いこなせる日本人等存在しないのでは無いかと思っている。特に外国語を勉強した人は、この問題に苦しむ事になる。
『日本語の難しいことは、その時の立場や、場所、時間や相手によって言葉を変える必要があるんじゃ』
ゼウスは、今まで言語の事で苦労したことはない。人間と同化する事で基本的には、その人間の言葉を習得出来るからだ。以前、西洋人と同化した時も、言葉を習得するのに苦労は無かった。先ず文字数が少なく組み合わせだけで単語が決まり、前後の単語の接続条件で多少の意味が変わるだけである。
ところが、日本人は意識せずに単語の意味を変えて使ったり、固有の物や人や場所さえも言葉が変わったり、一つの言葉に複数の読み方をする。又、発音が一つのなのに文字が何十種類もある場合もあり、流石のゼウスも、こんがらがって仕舞う。動物は総て言語を持っている。
その言語の構造と語彙数で生物の進化の程度や将来性を見極める事が出来る。ところが、この惑星の中で同じ様な人類の中で、何故か宇宙中で最高度に複雑な言語を有している日本人と言う存在は不思議で仕方が無い。ゼウスは日本人だけは地球人では無いと考えた。身体つきも生活習慣も似ていると言われる中国人や韓国人とも全く異なる思考回路を持っている。
ゼウスは、益々日本人に興味を持った。竹蔵や仁美や雄一郎を見ているだけでも、そう思うのに他の日本人も調べれば、もっと楽しめるのでは無いかと考えている。
竹蔵は、黙々と食事をしている。いつもは、雄一達とおしゃべりしながら食事をするのに、今日に限って一言も喋っていない。ただ、微かにブツブツ言っているように見える。
「おじいちゃん」何度か仁美に話し掛けられて、ようやく竹蔵も気が付いた。
「どうしたの、何か変ですよ」
「お父さん、どっか悪いんじゃ無いか?」
息子の雄一郎が心配そうに尋ねた。雄一もいつもと違う竹蔵に心配顔を見せている。竹蔵は、皆んなの顔を見て笑顔で言った。
「実は、今宇宙人と話しをしていたんじゃ」
「えっ」と雄一と雄二が同時に言った。
「勿論、冗談じゃよ!」
「なーんだ、冗談かぁ」と雄一
「本当だったら面白いのに?」と続ける。
仁美は、安堵したが、雄一郎は父竹蔵が冗談など言える性格では無い事を知っていた。内心では、本当に心配になってきた。ただ、先日まで心配していた認知症の症状が変化したのではと考えるようにもなっている。
 
(交通事故)
 
雄一たちの部屋は二階に在る。食事を終えた二人は自分たちの部屋で学校へ行く準備を始めた。もうすぐ夏休みだ。時間割に合わせて教科書とノートをランドセルに入れる。上履きと給食の配膳係りの白のエプロンを袋に入れてランドセルにぶら下げる。最近のランドセルは、ひと昔前のランドセルの半分以下の重量になっている。それでも教科書やノートの重量は馬鹿にならない。5〜6年生なら背筋を真っ直ぐにする働きが有るが。1〜2年生にとっては身体が後ろに反り返る程の重量になる。但し、ランドセルは子供が後に転倒した時、身体を守る役目を果たすとも言われるが効果のほどは判らない。
最近では、欧米の女性の間でオシャレなリュックサックとして扱われて輸出されているようだ。
外国の某有名人がリュックサックのようにランドセルを背負った写真をネットで公開したからだ。インターネットは、瞬時に情報を世界中に拡散させる。良い事も悪い事も。
雄二はランドセルに教科書を入れながら。
「にいちゃん、じいちゃんの話しが本当だったら面白いのにね?」
「そんな事が出来たら、面白いなぁ」雄一は期待を込めて言った。
「にいちゃんも今日は給食当番の日?l」
「うん、雄二もか?」
「うん」
「雄一行こうか?」
「にいちゃん待ってよ」雄一の後を追って雄二が階段を走り降りた。
「階段は走らない!」仁美が二人に注意した。
「車に気を付けてね?」
小学生の登校は集団登校が一般的だ。これは登校時の事故を防ぐ為でもある。家の前で登校する集団を待っている。雄一達の家の前が登校する通りである為、玄関先で待つだけで良いのだ。通りから外れている家の子供は、登校道まで出て待たなければならない。晴れの日は良いが雨の日や冬の寒い日に路上で待つのは嫌なので、皆の通る時間ギリギリに家を出る。従って大方は遅れ気味になり、登校する集団の後を追いかける事になる。
今日は良い天気だ。その分、夏の暑さもこたえる。雄一達は自宅から守口第三中学校の前を通り、工事中の春日小学校の前を通る。そのまま、京阪電鉄の高架下を潜り府道に向かう。真っすぐ行けば土居の商店街に入り日陰が暑さを和らげるが、登校時には守口寄りの一方通行を列になって登校する。友人たちとの話は、夏休みの過ごし方についてが中心だ。通学路の要所要所にボランティアの大人が黄色い旗を持って子供達の安全を見守っている。

雄一たちが通っている小学校の正門は府道を渡った処に在る。正門の正面に横断歩道があり、ここでも生徒達の登校時の安全を大人達が見守っている。雄一達は、学校の向い側の信号が青に変わるのを待っていた。車道の信号が赤に成り、横断歩道の信号が青に成った瞬間、大きな車のブレーキ音と共に黒い車が雄一たちの歩道の方へ横向きになって突っ込んで来た。あっという間の出来事だった。
雄一と雄二は最前列に並んでいた為、横向きの車の運転していた男の驚いた顔が眼に入った。そして、車は信号機に当たって、雄一たちを跳ね飛ばして大破した。
雄一の眼には、青空に白い雲が焼きついた。

学校側に居た大人達や事故を目撃して停車した他の車のドライバー達が急いで救助に駆けつけた。幸いな事に激突した車は信号機をヘシ折り止まった為、車の下敷きになる人間は居なかったが最前列に居た雄一たち数人が後列の生徒たちと共に弾き飛ばされた。生徒たちを守ろうとした大人1人と共に5~6メートル飛ばされて歩道に横たわる。事故に巻き込まれなかった生徒たちや大人たちも、一瞬何が起こったのか理解できなかった。現場はパニックに陥った。助かった子供達は泣き叫ぶ。周囲の大人達もオロオロして、何をすれば良いのか分からない状況だ。
誰かがいち早く救急車を呼んだ。10分ほどで救急車が到着した。しかし、怪我人が多すぎて救急車があちこちから来たため、現場は更に騒然となった。
無事だった子供達や校門で生徒のチェックをしていた生活指導の教師が校内の教師達を呼んで救助に参加した。駆けつけた教師達は事故現場の惨状を見るも冷静に対処する。
教師たちは、生徒の名札を確認しながら即座に各家庭に連絡した。7ヶ所の病院に分散して入院した為、保護者たちは右往左往する事になる。最初、教師もパニックになっているし生徒の保護者もパニックになっている。生徒の名前と学年は確認したが、何処の病院に誰が搬送されたかは判らなかった。

数十分後、古川家の電話が鳴る。
「もしもし、古川ですが?」仁美が電話に出た。電話の向こう側が騒がしい。
「もしもし、雄一君と雄二君のお宅ですか?」仁美は電話の声の主が雄一の担任の東野先生だと分かった。
「そうです。雄一に何かあったのですか?」仁美は直感的に思った。
「雄一君と雄二君が交通事故に巻き込まれ現在関西医大病院に運ばれました。他にも数人が別の病院に運ばれています。お母様は出来るだけ早く病院に行っていただけますか?」東野は、それだけを言って電話を切ってしまった。大変な事故である事は仁美にも分かった。仁美は電話の受話器を持ったまま頭が真っ白になった。電話対応のただならぬ様子を感じた竹蔵が部屋から出てきた。
「お父さん」と言って仁美はその場に崩れるように座り込んだ。
「どうした?」
『子供達が事故に遭ったらしい!』とゼウス。ゼウスは電話を聴いていた。
『電話の状況から、未だ命には別状が無い様だが早く行った方が良い』
竹蔵は雄一郎に電話するように促す。ゼウスは、竹蔵から飛び出し上空から雄一と雄二の脳波位置を捜索する。この時、竹蔵には軽い衝撃が有った。ほんの一瞬だった。
『大丈夫だ! 二人の脳波は、しっかりしている。だが急ぐ必要はある』ゼウスは瞬時に判断する。
雄一郎の携帯に仁美が連絡した。
「雄一郎さん、雄一と雄二が交通事故で大けがしたんです。直ぐに病院に来てください。私どうしていいか分からないんです。お願い、早く来て!」
「怪我の状態は判っているのか」雄一郎は自分の心臓が縮上がるのが解った。
「二人の詳しい事は判らないので、私は先に行っています」仁美の言葉で最悪の姿が浮かんだ。
「直ぐに行く! 病院は何処だ?」
「関西医大です!」
「判った。あの辺なら、そうだろうな!」電話を切るなり仁美は、竹蔵に。
「お父さん、留守をお願いします」と言って二人のパジャマや下着を準備する。竹蔵は、当然一緒に行くつもりだ。
「わしも一緒に行くぞ!」
仁美は竹蔵の言葉を無視して日本タクシーに電話をした。日本タクシーの予約センターである。古川家には車が無い。何処の家庭にも自家用車の一台くらいあるのが普通だが、雄一郎は数年前に乗っていたスポーツカーを友人に売った。経済的な事を考えてだが、大阪という地域では、車が無い事は決して不便ではない。車で出掛けると駐車場探しをしなければならないからだ。日本は鉄道網が世界一発達している国であり、各駅からは必ずバスが放射状に出ている。
余程の田舎でない限り日本の国では車が無くても不便ではない。公共交通機関が網の目のように繋がっているのだ。ましてや大都会の大阪では自家用車が無くても全く不便を感じない。必要な時はタクシーやレンタカーがある。雄一郎は、車の無い生活に抵抗無く慣れた。
仁美と竹蔵は、玄関前でタクシーを待った。関西医大病院は歩いても14〜15分だが、今は気持ちが急いて荷物を持って歩ける状態ではない。数分でタクシーが来た。
雄一郎は、同僚や上司に息子の事故の件を伝えて急いで会社を出た。雄一郎の勤務する会社は地下鉄御堂筋線の本町駅にある。本町から淀屋橋まで一駅だが淀屋橋から京阪線に乗り換え、いつもなら普通(各駅停車)で土居駅まで帰る。しかし、今日は準急か急行で守口駅まで行ってから関西医大病院までタクシーで戻るか、各駅停車の普通で戻るか、若しくは京橋駅からタクシーで直接病院へ向かうか迷っている。
息子たちの怪我の状態を心配しつつ、早く病院に行く方法を考えている内に準急に乗ってしまった。結局守口駅まで行く事になった。京橋駅から守口駅までノンストップだ。雄一郎は車内から滝井駅の関西医大病院を通り過ぎるのを見ていた。出来れば、電車から飛び降りたい気持ちだった。守口駅からタクシーで病院まで行く事にする。
雄一郎が会社を出た頃、仁美と竹蔵は既に病院に着いていた。雄一郎はタクシーの清算を済ませ、受付で救急窓口の場所を聴いて、外科処置室に行く。
関西医大病院は、京阪電鉄土井駅の隣の滝井駅に在る。雄一と雄二は、ここに搬送されている。関西医大病院は滝井駅の他に同じ京阪電鉄の香里園駅と枚方市駅にも在る。ここ滝井駅の西側に病棟が広がる。救急搬送口は一番古い病棟の東側にあり、以前はこの古い病棟が新館と呼ばれていた。何故なら、現在最新の病棟が在る位置に以前は大学の建物があり、旧館と呼ばれていたからだ。今この地に新病棟が建設中である。

(十数分前)

救急車が2台救急搬送口に到着した。既に医師と看護師が入口で待機していた。救急隊員がストレッチャーで1人目を搬送する。
「もう一人居ますので、宜しく! こちらの患者の方が重症と思われます!」雄一が最初に運び込まれた。雄二が、もう1台の救急車から運び込まれる。関西医大病院程の大きな病院でも救急搬送が可能な人数は3~4人が限度である。兄弟が運び込まれた後、救急車は取って返した。まだ軽傷の患者がいるからだ。
雄一と雄二はストレッチャーで3階の救急処置室に運び込まれた。それぞれに医師と看護師が付き怪我の状態が調べられる。

仁美と竹蔵は、急いで救急窓口に行き3階の処置室へ急いだ。処置室の前には、雄二の同級生の母親が手術の終わるのを待っていた。その母親は仁美の顔を見るなり、お互いに手を取り合って励まし合った。そして、竹蔵の顔を見て。
「おじいちゃん、 どうしましょ?」
「大丈夫じゃ、 雄一と雄二は強い子だから」竹蔵は根拠の無い慰め方をした。ゼウスは竹蔵に
『大丈夫だ、助けられる。死にはしない』
『なんで、そんな事が言えるんじゃ!』ゼウスが既に調べていた。ゼウスは雄一と雄二の脳波を検索して、容態は知っていたのだ。
『私が助けるからだ、少し離れるぞ!』
ゼウスは竹蔵の身体から飛び出て、処置室の扉を通り抜け雄一と雄二の身体を確認した。先ずゼウスは雄一の身体に飛び込んだ。ゼウスは雄一の身体と同化しダメージを瞬時に調査分析した。特に頭部のダメージが大きい。子供は体格の割に頭部の重量が大きい為、身体事故を起こした時に頭部に衝撃が集中する傾向がある。ゼウスは、雄一の全身の細胞に再生処理を施す。脳内の出血を静脈に戻し血管の修復を行う。腕と膝の骨折の修復をし血管やリンパ管を元に戻す。これらの作業は殆んど瞬時に行われた。
子供は十分な栄養摂取と運動をすれば短時間で元に戻るだろう。ゼウスは雄一から雄二に転移同化した。雄二の方はダメージは少ない。恐らく兄の雄一が本能的に庇ったか、当たり処が良かったのだろう。雄二も出血があるが、兄の雄一と同じく短時間で元に戻せるだろう。頭から多量の出血をしていた雄一がムクッと起き上がった。そして、キョロキョロと周りを見回した。
「ここ何処?」雄一が声を発した。
驚いたのは医師や看護師たちである。起き上がった雄一を急いで押さえつけて。傷口を確認しながら驚いている雄一に優しく言った。
「雄一君は、自動車事故に遭ったんだよ、これから精密検査をするから、静かに横になっていてね!」
可愛い顔をした女性の看護師が優しく言った。それよりも医師が面食らっている。どう見ても重症であることは、運び込まれた時に確認している。救急車の中で既に救急隊員による容態確認が為されている。その情報を医師が身体を見て確認し、これからCTによる検査を行う寸前だったのだ。それがイキナリ起き上がったのだから驚くのは当然だ。
「これは、いったいどうなっているんだ?」と若い医師。押さえつけられた雄一も驚いている。
「先生!見て下さい。傷口が!・・・傷口が無くなりました」女性看護師が大きな眼を更に大きくして叫ぶ。
「そんな筈は無いだろう!」と若い医師が先程確認した負傷箇所を見る。
「何なんだ!この子供は?」

偶然だが、弟の雄二も隣りで寝ている。もしも、別の病院に運び込まれたら、仁美たちは別の病院に行ったり来たりしなければならなかったのだが。
「ここ何処?」
隣りで寝ていた雄二がムクッと起き上がった。またも病院の医療スタッフが驚いた。一度成らず二度までも兄弟二人が意識を戻しただけで無く、怪我の跡も無くなっていたのだ。看護師が驚いて処置室から飛び出してナースステーションに向かった。そこへ仁美が看護師に詰め寄って、状況を尋ねた。看護師は。
「古川君のご家族ですか?」
「そうです。雄一と雄二に何か?」
「お二人の怪我が突然治りました。とても不思議な事が起こりました。何がなんだか?」
看護師が止めるのも聴かずに仁美と竹蔵は処置室に飛び込んだ。そして二人の顔を見た仁美は驚きと伴に元気な二人の息子を見て胸を撫で下ろした。
「雄一、雄二、大丈夫? 痛い処は無いの?」竹蔵は状況が分かっているので落ち着いたものだ。なんせ、自分も死に掛かって生き返ったのだから。
「うん、何処も痛く無いよ!」雄二も同じ様に応えた。
「何なんだ、この兄弟は?」と再び若い医者は、出血跡も残ってい無い二人の傷口を探した。
「さっき見た時は大きな傷が有ったのに、無くなっている!」ほとんど叫び声に近い。
実際に運ばれて来たストレッチャーには、多量の血痕が残っているし、治療台にも血溜まりがある。なのに傷口が無くなっていた。
「特異体質かも知れないなぁ?」
若い医者は、瞬時に研究対象になると考えた。ゼウスが竹蔵の身体に戻って来た。
『凄いなぁ、 死んだ人間も生き返らせる事が出来るのか?』竹蔵は、ゼウスに尋ねた。
『それは、状況に依る。脳が生きている事が必要だ。身体組織が崩壊を始めれば、生き返らせる事は不可能だ!』
竹蔵とゼウスが会話をしている最中に4人目が運び込まれて来た。雄一の怪我と比べて軽傷である事は、誰の目にも分かる。
『要するに、死んで直ぐなら生き返らせる可能性があると言う事だな?』
『そうだ!』
『それじゃ、他の生徒達も助けてやってくれ!』
『それは出来ない、そんな事をすればキリが無い。地球上は人で溢れることになる』とゼウスは続けて。
『基本的には、運命に従うしかない。お前たちは特別だ。竹蔵自身、これから人助けをするだろうが、基本的には運命には従う方が良いと思う』と釘を刺した。実際、世界中で1日に何十万人も死んでいるし何十万人も新しい命が産まれている。総ての事故や事件に関わったら自然の摂理が崩壊するのは竹蔵にも判っている。しかし、そこは竹蔵も人間である。
目の前で死に掛かっている人間を見過ごすことは出来ないだろう。ゼウスは、それも判っていた。雄一たちが立ち上がり家族で取り囲んでいる時に4人目の怪我人が運び込まれて来た。医療スタッフは新しい怪我人の処置に取り掛かり、雄一と雄二に係わっている暇も無くなり、二人はレントゲンだけ受けることになった。
結局その後、病院での検査でも異常は見つからず、一応帰って良い事になった。ただ、少しでも異常が有った場合、即刻入院してくれとの約束をして雄一と雄二は帰宅を許された。雄一郎が病院に駆けつけたのは、そんな時である。
「雄一、雄二、大丈夫か?」と二人に声をかけ身体中を触りまくった。
「大丈夫だよ!」と二人は答え。
「早く帰ろうよ、何だか急にお腹が空いた」
「僕も!」
雄二も空腹を訴えた。そう言えば、事故のせいで昼食を食べていなかった。その上、多量の出血で身体が造血作用を活発に働かせ栄養を求めているのだ。育ち盛りの雄一達にとって空腹は拷問に等しい。息子達の元気な顔を見て雄一郎は、夕食を奮発することにした。
そこへ新聞社やテレビ局のスタッフが押し寄せた。普通交通事故くらいでマスコミが大勢来る事は無い。今回の事故は被害者が子供たちで大勢の被害者が出たからだ。マスコミ関係者は各病院を探し出し報道合戦を繰り広げていた。そこで奇跡的な回復を見せた二人の子供の情報が流れ、マスコミ関係者が押し寄せて来たのだ。雄一たちが病院から出た所でレポーターがマイクを雄一に向けた。
「ぼくたちが車と激突して、怪我一つしなかったんだって、本当?」
カメラマンが雄一に焦点を合わせた、ライトを向け点灯する。まぶしい光が雄一の眼を刺した。
「君たち、子供が怯えているじゃ無いか? それで無くても事故がトラウマになる可能性もあるから遠慮してくれ!」
雄一郎は、マスコミの取材陣に強く言った。マスコミの反応は冷酷な言葉で返された。
「本当に車に当たったのか? 嘘じゃないのか?」
マスコミのしつこさに、穏やかな雄一郎も切れ掛かった。
『何とかならんかいなぁ?』と竹蔵はゼウスに相談する。
『ああ言う電子機器は、電磁波に弱い。少し彼等を困らせよう!』
ゼウスが言うなり針の先程の指向性の高エネルギー電磁波をビデオカメラのLSIに放射した。電磁波は物質にいろいろな現象を起こさせる。高エネルギー電磁波は電導体に誘導起電力を与え電導体に高電圧を起こさせる。つまり、瞬間的にビデオカメラの中に強力な電池が造られたのである。高電圧電池は接触している電導体に放電を始める。当然、高電圧に対処されていない物質は高電圧に耐えられない。放電に依る発熱は瞬間的に数千度の高温に達し金属をも溶解させる。
突然、マスコミのビデオカメラから火が吹いた。カメラに向かって喋っていたレポーターが騒ぎ出す。
「おい!燃えているぞ!」カメラマンが肩に担いだビデオカメラからの熱気を感じて、慌ててビデオカメラを降ろす。
「アッチッチ!」カメラマンがビデオカメラを降ろす際に、ウッカリ右手に火傷を負ったのだ。投げ捨てれば良かったのだが職業柄それが出来なかった。肩から降ろす際に右手でカメラを持ち直した時に火傷をしたようだ。火薬が弾けるような火花がビデオカメラの中央部から吹き出している。スタッフは、オロオロするだけで燃えるカメラを見ているだけだった。
「これじゃ、取材は無理ね?」女性レポーターは、諦めたように言った。
隣で見ていた竹蔵の顔がニヤついた。勿論、ゼウスに頼んでやった事だが、そのドサクサに紛れて雄一郎は息子たちと逃げ出した。
取材陣もカメラが故障してはインタビューしても絵が撮れない。インタビューを切り上げてブツブツ言いながら退散を始めた。

雄一郎たちは病院の正面玄関からタクシーに乗り一旦家に戻ることにした。交通事故による病院の治療費の精算は厄介である。被害者は一旦自費精算を求められる。病院にすれば取りっぱぐれが一番の問題になるからだ。実際に病院が抱える未精算金額は膨大なものが在る。
被害者は自動車事故の場合、加害者の保険で支払われると簡単に考える。しかし、交通事故にもいろいろな状況から加害割合が計算され割合に応じて加害者と被害者で分割して支払われる。今回の雄一たちの事故は車の運転者側の責任が100%になると思われるが、運転者が事故を起こした原因が別に在る場合、運転者側にも言い分が発生する。つまり、複数の車が関係する事故の場合、其々の車の因果関係が被害費用の加被害比率により分割負担する事になる。これには保険会社の損害に繋がる為、保険会社は徹底的に調査する。おまけに保険に加入していない車や不適格者による事故の場合は、保険会社は支払いを拒むことになる。こうなると被害者は踏んだり蹴ったりである。

夕方5時頃になって外食のために家族揃って家を出た。土居駅前には回転寿司屋が無い。隣の滝井駅前に在るので家族揃って隣駅までブラブラしながら歩いた。
雄一郎たちは、駅前の寿司屋で、喜びを噛み締めていた。但し、亡くなった人は居なかったものの、重傷を負った子供たちが居る手前、大はしゃぎをするのは、はばかられた。
子供は回転寿司が好きだ。液晶画面で自分の好きな物を頼めるからだ。以前、家族で普通のカウンター越しに板前が居る寿司屋に連れて行って貰った事があるが、雄一が好きなシーチキンやコーンの寿司は無かったし、デザート類も無かった。大人の板前に直接注文する事もしずらかった。
その点チェーン店の回転寿司屋は子供向けのメニューに力を入れている。家族連れを狙ったメニューが売り上げを伸ばすからだが、実は子供向けメニューの多くは原価が安い。利益率が高いのだ。大人は原価の高い物を注文したがる傾向があるが、子供は、そんな事は考えない。
「それにしても、雄一たちが怪我も無く退院出来たのは奇跡だな」
「車の運転していた人の顔をみたよ!」
「車の?」雄一郎は、続けて雄一に問いただした。
「雄一は、横断歩道のどの辺に居たんだ?」
「一番前だと思う、雄二が隣に居たから確かだよ」
「それじゃ、車に直接ぶつかったと言う事か?」
「眼、瞑っちゃったから、覚えて無いけど、僕の後ろや雄二の横にも沢山友達が居たから、逃げられ無かったよ」
「それで?」
「気が付いたら病院に居た、お医者さん達が沢山居たよ!」
「そこで眼が覚めたのか?」
「ううん、最初は起きようとしても起きられなかったんだけど、光ったものが飛んできて僕に言ったんだ」
「光ったもの、 何処から?」
「僕も同じだよ」と雄二が言った。
「最初は真っ暗だったんだ、前か上からだったと思う」
「それで、その光がどうしたんだ?」
「頭の中に入って来て、喋った」
「光が喋った?」
「うん喋ったよ!」
「僕も!」と雄二。
「何を喋った?」
「動かないで」と言った。
「それから」
「それだけ」と雄一。
「それだけ」と雄一郎が再度尋ねた。
「それだけ」と雄一は答えて、大好きな海老の握り寿司を頬張った。
「雄二も同じか?」
「同じだよ」
「夢じゃないの?」と仁美が言った。
「二人が同時に同じ夢を見たとは思えないが?」
「まあまあ、とにかく二人が元気なんじゃから」と竹蔵が無理やり会話を終わらせた。ゼウスは。
『大丈夫だ、二人は夢の中の出来事だと思っている』とゼウスが竹蔵に言う。
雄一郎は、息子二人を見ながら寿司を食べていた。内心、不思議な出来事とは思っているが、二人が無事ならどうでも良いと思った。竹蔵は雄一郎の大雑把な性格に安堵して寿司を口に放り込む。
『結構、美味いな!』とゼウス。
『お前さんにも、この味が判るのか?』竹蔵の味覚がゼウスに情報として伝わるのだ。
『今まで、こんな感覚を意識しなかったが、今は何故か意識してしまう』
この時のゼウスの感覚が彼と彼の仲間に大きな変革をもたらす事は、この時、流石のゼウスにも解らなかった。食事と言う行為は、ハビス人が肉体を放棄した瞬間から無縁のものになっている。
ゼウスも140万年前の記憶が蘇る。ゼウスのエネルギー源は、恒星からが90%以上だ。ただ竹蔵と同化してからゼウスの光細胞が変化している。ゼウスの光細胞と竹蔵の細胞が一部だが融合している。しかし、ゼウス自身は、未だ自覚していない。竹蔵の古い細胞はそのままだが新陳代謝に依って新しく創られる細胞はゼウスの光細胞と融合する形で形作られる。これは人間の進化がゼウスの光細胞に依って促進させられた結果なのだが。ハビス人と地球人との同化が大きな変化をもたらし始めている。
食事を終えて5人は店を出て土居駅方面に向かった。関西医大病院から土居に向かうには京阪電鉄で一駅である。ただ、この一駅が世界一近距離の一駅なのだ。特に土居駅から滝井駅に向かう大阪方面行きはカーブの内側になる為、各駅停車の普通電車が土居駅を出発して先頭車両が滝井駅の端っこに着いた時、最後部の車両は未だ土居駅に在る程の近距離である。
雄一郎は歩いて自宅に戻る事にした。勿論、5人分の電車賃が勿体無い事も有るが、竹蔵の膝の具合が良さそうな事と目と鼻の先程の距離を電車を使用する必要がないと判断したからである。関西医大病院の最寄の滝井駅から土居駅までは、大阪の幹線道路の内環状を跨ぐ陸橋を越えるだけである。雄一と雄二は楽しそうにしている。ついさっき交通事故で死に掛けていたとは誰も信じないだろう!
「にいちゃん! 僕アイスクリームが食べたい!」
「僕もだよ! お父さんに頼んでみるよ」
雄二と雄一の会話を聞いていた雄一郎は、
「いいぞ! お父さんも食べたかったからコンビニで買おう」
5人は陸橋を越え土居駅前のセブンイレブンで雄一たちのアイスクリームを買って自宅に戻った。
今日は朝から目まぐるしい1日だった。雄一郎と仁美は精神的な疲れを感じている。結果的には息子たちに何事も無くハッピーエンドになった。
子供達は部屋に戻り二人で遊んでいるようだ。父竹蔵も自室で休んでいる。雄一郎と仁美はソファーでグッタリした。
「本当に何事も無く良かった」雄一郎は心底思った。
「はい、本当に良かったわ! あなた、二人をお風呂に入れてくださる! そして今日は早く寝てください!」
「分かった」
雄一郎は台所の給湯器の風呂のボタンを押した。古川家では、最後に入った者が風呂を洗って湯船は水で満たしておく。これは、20年ほど前の阪神淡路大震災の経験からである。震災で先ず必要なのが飲料水である。
常に湯船に水を満たしておけば、いざという時に飲料水に困ることはない。従って、風呂を沸かす時は追焚きをするだけで良いのだ。もっとも、震災以降に風呂の水が緊急利用されることは、幸いにも無かった。
日本の風呂は世界一ハイテクである。自動的に湯船に適温の湯を満たし、コンピュータが知らせてくれるのだ。世界一とは言ったが、世界で自宅や風呂屋で毎日湯船に入る習慣のある国があるとは聞いたことが無い。この技術は日本だからこその技術とも言える。特に最近の風呂は、温水ミスト装置でミスト・サウナ室や洗濯物の乾燥室にもなり、床暖房設備も付いているものもある。竹蔵の家には、そこまでの設備にはなっていないが自動で湯を入れたり、音声で情報を知らせる仕組みにはなっている。
暫くして、優しい女性の声で風呂が沸いた事を知らせてきた。雄一郎は、二階の雄一と雄二の部屋に行き。
「久しぶりにお父さんと風呂に入ろうか?」
「わーい、お父さんとお風呂っ! お父さんとお風呂!」
雄二が、はしゃいで飛び回っていた。雄一郎は、久しぶりに二人と一緒に風呂に入る事にした。今まで、仕事にカマかけて妻や父竹蔵に任せっきりにしていた事を反省したのだ。今回の事故がそうさせたのだが、皆が言うように、雄一たちの怪我の事は他人以上に不思議な現象だと考えている。医者が言うように出血の名残があり、傷痕が無いのは、どう考えても不思議である。
雄一郎は二人の身体を隅々までチェックして、怪我の痕跡が無い事を再確認してやっと安心した。そして、いつも竹蔵にばかり入浴を任せていた事に反省もした。
「お〜い! 出るぞ〜」
「は〜い!」仁美が三人の新しい下着を持って風呂場に来る。
ひとりになった雄一郎は、じっくり考えたが、これと言って原因は思い浮かばなかった。ご先祖にこれといった特殊能力者が居たとも聞いていないし、これまで子供たちが特殊な能力を見せた事も無かった。医者が嘘を言う事も考えられない。何度か考えた末、考えることを諦めた。

仁美も二人に新しい下着を着せる時に、二人の身体の隅々までチェックしてからパジャマを着せた。ただ、不思議な事に二人の服には多量の血痕が残っていた。もう赤茶けたシミになっているが、恐らく他の子供の血痕だろうと考えるしかなかった。
「じいちゃん、出たよっ!」と雄二が竹蔵の居る居間に駆け込んだ。
「そっかそっか、よしよしいい子じゃ!」と言いながら、竹蔵も雄二の身体を見回した。
『傷跡などない』ゼウスが無駄な行為である事を告げた。
『お前の時と同じだ』
「よしよし、いい子じゃから。じいちゃんと冷たいアイスクリームを食べよう!」
「わーい、にいちゃんも一緒に?」
「勿論じゃ、雄一もこっちに来なさい。チョコレートの掛かったやつじゃ!」と言いつつ冷蔵庫からアイスクリームを二本取り出した。
「あれっ、 じいちゃんのは?」
「じいちゃんも、お風呂から上がってから食べるんじゃ!」と言いながら二人に一本づつ手渡した。二人の孫が美味しそうにアイスクリームを食べる姿を見て竹蔵は心に誓った。自分の命に替えても二人の命を守る事を。
 
(竹蔵空を飛ぶ)
 
その日の夜、家族が寝静まったのを見計らって、竹蔵はガラス戸を開け庭に出た。小さな庭だが枇杷の木の周りに芝生が植えてあり孫達が走り回れるようになっている。
『本当に空を飛べるんかいのぅ?』竹蔵は半信半疑である。
『勿論』ゼウスの言葉は力強い。
竹蔵には、鳥や飛行機のように推進力(空気を後方に押し出して羽根が生む浮力で飛ぶ)はない。ゼウスは竹蔵の身体全体の重力を地球の引力から切り離し、地球上での重力をゼロまたはマイナスにする事で空中に浮かぶのである。ただ、推進力は進行方向の空間を切り裂いて後方に移動させる為、竹蔵の身体はまともに空気抵抗を受けることになる。この点は翼で空を飛ぶ鳥や飛行機と同じ結果になる。もっとも、詳しい説明は竹蔵にはしていない。
竹蔵は芝生の上に立ち素足で感触を楽しむように小さく足踏みをして周囲に気を配りつつ空を見上げた。夏の夜空に星が瞬いている。
『羽根もエンジンも無い、おまけに腕力も無い老人が、どうやって空を飛ぶ事が出来るのか? 映画のスーパーマンのように腕を伸ばして飛ぶ事を念じれば良いのか? 』竹蔵は枇杷の木の剪定作業を思い出した。
『飛びたい方向を向いて考えれば良い』
『それだけ?』と言いながらも
『それだけだ!』
『なんとまぁ、簡単じゃな!』
実際、竹蔵が飛ぶ訳ではない。ゼウスが飛ばせるのだ!竹蔵が意思表示するだけで、ゼウスが飛ばすのである。竹蔵が望まなくても必要とあらば、ゼウスは飛ばすのだ。そして、竹蔵は考えた。夜空に向かって飛ぶ事を考えた。竹蔵の身体が空へ飛び出した。
竹蔵は、スーパーマンが空を飛ぶスタイルを真似た。夏の生温い風を顔に受ける。夜の空はすぐに涼しい風に代わり、そして冷たく変化した。夏と言えども上空に行くほど気温が低くなるのが判る。ただ、竹蔵には違和感があった。それが何なのか判らない。
『どうだ、 簡単だろっ!』ゼウスが言う。
『こりゃ凄い!』
竹蔵は空を飛ぶ事は、何か努力をする必要があると考えていた。少なくとも空を飛ぶ事で体力を消費するとか、交換条件があると考えるのが普通である。ところが、何の努力もする必要がない。ゼウスが全てやってくれる。少し物足りない気がする。
『心配するな! 努力は必要になる』
とゼウスは言うが、竹蔵には意味が解らない。風を切って上昇する竹蔵は、何の努力もしていない。そう考えるだけだ。先ほどの違和感は、まだ残っている。それが何なのか未だわからない。
『自分の行きたい方向を考えるだけで良い』
竹蔵は、いつか雄一たちと観に行ったピーターパンの映画を思い出した。ピーターパンも、同じような感じで飛んでいた。竹蔵は自分がピーターパンになった気持ちになった。
『ピーターパンとは、誰だ?』
『映画の中の主人公だ。人間は昔から空を飛ぶのを夢見て飛行機を創ったのじゃ。しかし、機械に頼らず空を飛ぶ事は出来なかった。それをワシは今経験している。夢の様じゃ!』
ゼウスは解る気がした、人間は昔から速く走ったり、空を飛んだり、水中を無限に速く泳ぐ事を夢見て科学を発達させて来た。ゼウスの民族も昔は地球人と同じ様に科学を発達させていた。
しかし、それが道徳文化の退廃を進めた。その事に気が付いた彼らは、物理科学の発達よりも精神科学の進化に切り替えたのだ。ただ、この進化の切り替えには後戻りが出来なかった。本当なら物理科学の進歩と精神科学の両立こそが最良の方法だったのだが、生物の進化の難しさが良く判る。少なくともゼウスは、自分たちの進化に過ちを感じている。
『少し遠出をしてみようかいな?』
竹蔵は、夜の街を下に見ながら飛び続けた。京阪電鉄の線路を下に見ながら京橋方面に向かった。竹蔵の家から京橋方面は南西に当たり大阪湾に向かう事になる。京橋駅手前から青白く大阪城が見える。空から見える大阪城は、決して大きくは感じない。竹蔵は速度を上げ街の灯りの切れ目を目指した。
真っ暗な海上に来た時、かすかに海藻の匂いがした。顔に当たる空気の温度が下がったようだ。竹蔵は分からなかったが、彼は今地上1000メートルを飛んでいる。通常、地表の温度より10度気温が低いと言われるが、昼間に暖められた地上の上昇気流によって、顔に当たる空気の温度が目まぐるしく変化する。
竹蔵は海上に来て、先ほどの疑問が解けた気がした。飛んでいる時の違和感が。真っ暗な海面を見て、上下左右の感覚がない事に気がついた。ジェット戦闘機の操縦士が陥入るブラックアウトとかホワイトアウトとかいうものでも無い。
「無重力だ!」竹蔵は思わず口に出した。
『その通りだ! お前の身体は、地球の引力と切り離されている』
『このフワフワした感覚は無重力だったのか?』
『そうだ!』
竹蔵は、胃から食べた物が出て来そうな感覚がしていた。人間の生体機能は地球の重力下を基本に動いている。足の裏が地面にしっかりと踏みしめてバランスを取ることも、食べ物や飲み物が口から胃に落ちてくるのも重力があることが前提なのだ。その重力が無いと言う事は生体機能が正常に働かなくなるのは、当然で在る。
『竹蔵の身体は宇宙空間に居るのと同じ状態と考えて欲しい』
『そうか? どうりで身体が膨らんだような感じがするんじゃ!』
人間の身体は骨格が地球の重力を支え、その周りに筋肉が付随して骨格や内臓を動かし皮膚がそれらを包んで支えている。それら全てが地球の重力を受けて地球に引き寄せられている。つまり、骨格から垂れ下がっている状態なのだ。ところが、竹蔵の今の状態は骨格を中心に内臓や皮膚が接触しているだけの状態なのだ。この状態を竹蔵は膨らんだようだと表現したのだ。重力の負荷が無くなると人間の身体は、楽になるのだが反面重力の負荷が骨格や筋肉を鍛えているとも言える。水中に長時間身体をつけていると陸上に上がった時に身体が重たく感じる状態も重力の所為なのだ。又、食事から排便までの消化器官の動きは重力が無ければ正常に働かなくなる。人間の生理機能は全て重力が在る事に依って機能しているのだ。
『慣れればどうと言う事はない!』とゼウスは言う。
『そうかのう?』
竹蔵は、理由は判らないし納得はいかなかった。確かに重力が無い状態は身体に負担が無い分楽だが、こみ上げる気持ち悪さは防げそうも無かった。

海に出て神戸方面に海岸線をなぞるように飛んだ。日本の夜の街は美しい。汚れた物や見たく無い物を暗闇が隠し街の光だけが夜空の星と競うように瞬いている。竹蔵は、ぼんやり地上の光の波を眺めていた。竹蔵は、何も考えていない。地上の光の美しさに見とれている。初めて空を生身で飛んだのだ。何処までも疲れずに無限に飛ぶことが可能なのだ。このまま地球を一周する事も出来る。いつか映画で観たスーパーマンのように。暫く飛んで、ふと考えた。
『ここは何処じゃ?』
竹蔵は、闇雲に飛んで自分の今居る場所が判らなくなっていた。ゼウスに聞いても竹蔵の家の位置は正確には判らない。一瞬、広いジャングルに、たった一人で放り出された人間のように不安と孤独感に包まれた。心臓が強く締め付けられるように思えた。ゼウスは、竹蔵の心理状況を的確に把握している。ゼウスが宇宙を旅している時でさえ、このような心境に陥った事は無い。彼の仲間が島宇宙間で受けている心境と同じように思えた。ただ、ここは地球上の日本という小さな地域だ。ゼウスにとっては、何という事も無い。ゼウスには無限の時間とエネルギーがある。ただ急いで帰る必要は竹蔵にはあるのだ。広い宇宙と比べれば、探し出すのは難しく無い。ゼウスには大体の位置は判るが。ゼウスも竹蔵から離れた時、竹蔵の脳波を探し出して竹蔵の居る場所を特定する。ゼウスには地球の細かい地図を知らないだけである。
竹蔵と一緒に居ながら、街の名前で位置を特定する事は出来ない。何故なら地球の地理に詳しくないからだ。一度、雄一と雄二に同化したので雄一と雄二の脳波を頼りに探す方法はあるが、今は二人とも寝ている。起きている時の脳波と異なるので二人の位置を特定する事は出来ない。
『困ったのぉ、迷子になってしもうた!』
雄一か雄二の眼が覚めれば何とかなるが、それまで空を飛んでいる訳にもいかない。竹蔵はホトホト困ってしまった。ゼウスがおおよその位置まで竹蔵を誘導したが、夜の空から見る景色は何処も同じ様に見える。
竹蔵は、下の街の景色を眺めて思った。家から真上に上がって、クルッと身体を一回転するだけで位置が判らなくなる事に気が付いた。ましてや、一旦上空に上がって闇雲に飛んでしまったので、海の位置や山の位置でおおよその東西南北は判るが、家の一軒一軒は、殆んど判別出来ない。ましてや今は夜で地形も山や海も何処が何処やら全く判らない。竹蔵は冷や汗が出て来た。地上を生きて来た人間には、見知った景色は何処にも無かった。
過去人間は生身で空を飛んだ経験が無い。最近でこそハングライダーやパラグライダーなる僅かな道具だけで空を飛ぶ事も可能になったが、まだまだ一部の人たちが経験しているだけだ。竹蔵のような老人が生身で空を飛ぶ経験など在るはずもない。当然、空高くから街の景色を観る経験などある筈もない。つまり空からの景色に馴染んでいないのだ。
竹蔵は頭に日本地図を思い浮かべた。そして、近畿地方を拡大していく。更に自宅の位置を思い浮かべる。
『おおよそ解るようだな?』とゼウス。
『家の周辺の地図が思い浮かばないんじゃ!』
竹蔵は小学生のころに見た地図を思い浮かべている。しかし、自宅周辺になると地図が出てこない。自宅周辺の風景はハッキリ思い浮かべることは出来るのだが、思い浮かぶのは地上で見た風景だけだ。
『とにかく、その周辺まで行けば、どうにかなるじゃろう!』
竹蔵は、眼下の光の景色を見て、大阪の灯りを確認した。大阪は神戸と違い灯りの大きさが違うので、すぐに判る。竹蔵は大阪の灯りを目指した。夜風が冷たく眼が覚める。大阪駅周辺は高層ビルが建ち並びすぐに判る。
暫く迷った挙句、見覚えのある景色を発見した。大阪城とその近くにある京阪電車の線路である。竹蔵の家は京阪電鉄の土居駅に在る。従って線路に沿って飛べば探し出すことができる。未だ今は暗いが夏の朝は早い。余りノンビリと飛んでいると早朝に働き出す人間に見られる恐れがある。竹蔵は急いで自宅を探す。
京阪電鉄は、京橋駅から高架で複々線となる。京都方面2線、大阪方面2線の合計4線路である。複々線は寝屋川市駅の手前まで続くが、その先は複線になる。
竹蔵は見覚えのある京橋駅から京都に向かって飛んだ。京阪電鉄は昔地べたを走っていた事を思い出した。京阪京橋駅は今でこそ環状線の上に駅が在るが、昔は環状線の下を潜る形で駅があったのを思い出した。40年も前の話である。
あの頃から日本の近代化への発展は、日本の政策に間違いが無かった証明でもある。竹蔵は政治家の一挙手一投足を観ていたがマスコミが大騒ぎしても結局、日本の政策に大きな間違いが無かったと考えている。途中、時々国民の気まぐれで別の政党に変わる事もあったが、そんな時に限って大きな失策が起きたように思う。
土居駅が見えてきた。駅の東側に工事中の旧春日小学校が見える。自分の家が見えた時、ホッとした。自分の家の庭に着地した時、東の空が明るくなり始めた。
『やれやれ、やっと帰り着いたか?』
『地球の地理は複雑だ、細か過ぎる』とゼウスは言った。
『何か方法を考えないと、毎回これでは自宅を探すだけで何時間も掛かるぞ!』
『何か方法を考えてみる事にする』
竹蔵は、そうは言ったものの考えは出なかった。部屋に戻って布団に入ったのは4時を回っていた。自分の部屋は暑かったが、空の上は快適な涼しさだった。ものの数分で竹蔵は寝入ってしまった。この日ゼウスは竹蔵と一緒に寝た。本当は寝る必要も実際に寝ることも無いのだが、人間の寝るという行為を実施してみようと考えたのだ。
睡眠とは、眠る事である。睡眠は地球に住む動物が地球の自転周期に合わせて意識を喪失する生理的な状態のことである。寝る事は身体の動きが止まり、外的刺激に対する反応が低下して意識も失われる。だが簡単に目覚める状態のことを言う。人は通常、昼間に活動し夜間に睡眠をとる。動物は夜間に活動し昼間に睡眠をとるものも多い。
睡眠は、心身の休息、身体の細胞レベルでの修復、また記憶の再構成など高次脳機能にも深く関わっている。脳下垂体前葉は、睡眠中に2~3時間の間隔で成長ホルモンを分泌する。ホルモンの放出間隔は睡眠によって変化しないが、放出量は多くなる。したがって、子供の成長や創傷治癒、肌の新陳代謝は睡眠時に特に促進される。これにより、ストレスが解消され精神的安定が保たれる。
ゼウスの光細胞と竹蔵の細胞の融合は、ゆっくりと進行している。融合した細胞は老化現象が起こらない。つまり、融合した細胞は眠る必要は無いのだが、竹蔵の生活習慣は変わらない為、引きずられる形で睡眠が行われる。これは竹蔵が気持ち良いとされる習慣である為、ゼウスも受け入れている。
 

 
朝、雄一の声で竹蔵は起こされた。眼を開くと眼の前に雄一の可愛い顔が在った。
「あうん、もう朝か?」
竹蔵は、首を左右に曲げて身体の調子を確かめた。身体は至極調子がいい。これもゼウスと同化しているからだと分かっている。見掛けは老人だが体調は青年と同じである。いや、それ以上だと思った。
「雄一! 身体の具合はどうじゃ?」
「何とも無いよ!」
「そうか、何とも無いか?」
竹蔵は、改めてゼウスの存在に感謝した。自分の命が助かっただけでも有り難いことなのに、孫二人の命までも救ってくれた事は、感謝しきれない想いである。
『感謝など必要無い。私こそ竹蔵に感謝する事になるだろう!』
『先のことはわからんが、わしゃあんたに礼を言っとくよ!』
竹蔵は雄一との会話の途中なので、ゼウスの話を詳しく考えなかった。
「もう朝ご飯は食べたよ、じいちゃんの分も出来ているから、早く起きてよ!」
「今何時だ?」
「もうすぐ8時だよ!」
「僕、学校に行くよ!」
「昨日の事故の後なのに、もう行くのか? 2~3日休んだら良いのに」
「ママが、怪我していないんだから行きなさいって!」
「そうか、それじゃ気を付けて行きなさい」
「はーい」と言い残して雄一と雄二は、竹蔵の部屋を後にした。
竹蔵は、未だ少し寝足りない気分だったが、体調はすこぶる良い。起き上がり両手を天井に向かって伸ばして大欠伸をした。布団を畳んで、押入れに入れて洗面所に向かう。雄一郎は既に出勤している。雄一たちも登校したようだ。
「お父さん、 朝食が出来ているので早くして下さいね」
仁美が食器を洗いながら竹蔵に言った。昨日の事故の知らせを聞いた時の仁美の驚きと悲しみの顔を見ているだけに、今日の仁美は天使のように見える。親よりも子が先に逝く事は、どこの家族においても経験したくない事だ。
「最高の朝食だな」と竹蔵はボソッと独り言を洩らした。竹蔵は幸福を感じている。
「いつもと同じですよ」仁美が竹蔵の独り言に応えた。二人は日常会話をする事で子供の元気を喜んだ。いつもの朝である。
食事を終えて自室に戻った竹蔵は、昨夜深夜の問題を解決する方法を考えた。しかし、竹蔵の持っている知識では、解決策が見つからなかった。ゼウスも協力したが、彼の言う方法はとんでも無い方法ばかりだった。家の屋根の上に光エネルギーの玉を取り付けるとか、 空に向かって光エネルギーの放出機器を庭に設置するとか、目立つ方法ばかりで、周りの住人が驚くような事しか提案出来なかった。結局、雄一たちが帰宅するまで、何の解決策も思い浮かばなかった。
 

 
「ただいま!」「ただいま!」雄一たちが帰宅した。
「じいちゃん! 今日、学校に行ったらテレビ局の人達が大勢来てたよ!」
「そうじゃ、大きな事故や事件が在った時、マスコミが関係者を追い回すんじゃった」竹蔵は、テレビで良くそんなシーンを見ていて知っていたが、いざ自分達がその対象になってみると、忘れていた事を思い出した。実は、雄一たちが入院して治療を受けた時、三社のテレビ局の三台のテレビカメラが、殆ど同時に故障した事で、彼らは雄一たちに何か在ると疑問を持ったのだ。最新機種ではないが、同時に三台のテレビカメラが故障する可能性は、ほぼゼロに近い。彼らは協定を結んで竹蔵の家族を調べることにしたようだ。
他の子供達にも死者は出なかったが、入院して大怪我であったにもかかわらず一瞬にして怪我が治り、帰宅していた雄一たちに注目したのだ。マスコミが少し強引に取材をしようとしたところ、突然に3台のテレビカメラが故障したのだ。カメラマンとレポーターが話し合って、二人の子供には何か在ると勘ぐったのである。その点は彼らの直感の鋭さに敬服した。
テレビ局の報道陣は、今日の朝、雄一たちを学校の前で待ち構えていた。事故現場の映像を交えて登校してくる生徒たちにレポーターがマイクを向けて取材合戦を行ったのを夕方のテレビニュースで報じていた。そんな事とは知らない雄一郎の家族は平安な日々を過ごそうとしていた。ただ、竹蔵とゼウスは、彼らの企みを察知していた。
『マスコミは、絶対に此処にも来るぞ!』
『悪い事をしたようだ?』ゼウスは、竹蔵に詫びた。
『いいや、お前さんは知らなかっただけじゃ、地球のメディアは、報道合戦で標的を探しているんじゃ!』
『安心して生活が出来なくなるのか?』
『いいや、他に大きな事件や事故でも起これば、そちらに飛びつくから暫く大人しくしていれば、その内に飽きるじゃろう!」
『ネタとは?』
『情報じゃ』
『日本語は難しい』
『業界用語と言って、それぞれの業界で使われる専門用語の事じゃ、わしもようは知らんがのう』
『日本だけの言葉なのか?』
『わしゃ外国の事は知らんが何処の国も同じだと思うが?』
『その業界の連中が来たら、どうすれば良いのか?』
『放っておけば良いじゃろう、 ほら噂をすれば何とやら、感じるじゃろう?』竹蔵が路上に停まっている車を指した。
『ああ、此処からは直接見えない位置に停まっている車か?』
『そうじゃ』この時、竹蔵は部屋の中からマスコミ関係者の車を空中から観るように見えていた。ゼウスには当然見えてはいたが、人間の職業まで判断できる知識は未だ無かった。竹蔵が長年の感で判断したのだ。
『そうじゃ、わしにいい考えがある。その前に車の電気系統にイタズラしておこう!』
竹蔵の眼には空からワゴン車を観ている。ワゴン車のボディーが拡大されていく。天井の金属板をすり抜けるように透過して車体下部のエンジンが観える。運転席下部に制御ボックスを見つけた。
竹蔵はゼウスの力を使って、車のIC基盤に光エネルギーを、ほんの少し流した。するとたちまち車は動かなくなった。最近の車は全てコンピュータ制御の為、簡単に壊す事が可能である。ゼウスは光エネルギーであり電磁波である。電磁波に影響される物は全てコントロール出来る。人間も電気信号で動いている。人間の脳から電気信号を身体の隅々に送って筋肉を動かす。この電気信号が途絶えた時、脳死と判断される。竹蔵は未だ、ゼウスの持つ力を理解していない。いや、全てを理解することは不可能だろう。
竹蔵が外へ出た。テレビ局の車の側に来るとテレビクルーが飛び出してきてマイクを向けた。そして雄一たちの家族かと聞いて来た。
「お孫さんの事について、お聞きしたいのですが?」
「こんな住宅街の狭い道路に駐車していると駐禁で罰金を取られるぞ、早くどかさないと、ホレッ警察が来たぞ!」
竹蔵は前以て警察に通報しておいたのだ。誘拐事件に車が使用されるのは常識である。従って、不審な車が長時間駐停車していると通報されても仕方がない。竹蔵は、それを利用したのだ。マスコミの車はエンジンを掛けようと努力したが無駄だった。警察の車両がマスコミの車の前に停車。直ぐさま警官の職務質問を受け退去指示が出されたが、車の故障で身動き出来ない状態が続いた。ドライバーがJAFに連絡して20分後やっと牽引されて退散した。テレビクルーは、結局京阪電車で帰る羽目になった。様々な機器を担いで。
「なんだか、タヌキに化かされたみたいだな?」
「あの家族、普通の親子5人暮らしの家庭だぜ」
「余り関わらない方が良さそうに思うが?」
「我々にとって疫病神かも?」このテレビクルーの一人の女性アナウンサーが後に竹蔵に助けられる羽目になるのだが、この時は未だ知る由も無い。
 
(ガラケイとスマホ)
 
マスコミが退散した後、竹蔵は家に戻って雄一に迷子になった時の対処法をそれとなく相談してみた。子供に迷子になった時の対処法を聞くなんてと思うが、今の子供は竹蔵より遥かに情報に詳しい。竹蔵はインターネットやパソコンに関しては、チンプンカンプンである。
今時の子供は、学校の授業でタブレットコンピューターを使っている。最新のスマートフォンを使いこなす。竹蔵の携帯電話は、電話とメールしか出来ない、俗に言う《ガラケイ》と呼ぶものでGPS機能も付いていない。現在持っているガラケイでも電話を掛けるのが精一杯である。メールなど使った事も無い。もっともメールをする相手が居ないせいもあるが。
「じいちゃん、 方法は有るよ、 だけどガラケイじゃ無理だよ」
「ガラケイって、なんじゃ?」
「じいちゃんの使っている携帯電話の事だよ!」
「携帯電話って、皆同じじゃないのか?」
「違うよ、ガラケイとスマホは全然機能が違うんだよ」
「わしのはガラケイと言うのか、 それならスマホに変えれば迷子にならないのか?」
「そうだよ、じいちゃんが何処に居ても居場所を探すことも出来るし、じいちゃん自身、何処に居るのか判るんだよ」
「へえっ、 何処に居てもか?」
「だけど、アプリを使いこなさないと駄目だけど」
「雄一は、使えるのか?」
「ある程度はね、学校で使っているパソコンはiPadだからスマホのiPhoneだったら仕組みは同じだから教えられるけど」雄一は自慢げに話した。
「つまり、そのiPhoneとか言うのを買えばいいんじゃなぁ」
「そうだよ、パパとママが持っているのと同じやつだよ」
「それじゃ早速、雄一郎に話して買う事にしよう」
「じいちゃん、 とってもいい方法が有るよ、今パパが使ってるiPhoneは、5Sと言うんだ、でも、新機種の6とか6プラスと言うのが出ているからパパが6か6プラスを買って、じいちゃんはパパのお古を貰えばいいんだよ」(この時、まだiPhone 6が最新機種である)
「雄一郎のお古をわしが使うのか? 電話も出来るのか?」
「新しいのと機能は殆ど変わらないよ」
「判った、そうしよう」
「僕もパパに言っておくよ」
「雄一がパパに何を言うんだ」
「じいちゃんにスマホを持たせておけば安心だよって」
「じいちゃんがスマホを持ったら、雄一郎に居場所が筒抜けになると言う事じゃなぁ?」竹蔵は、それはそれで、問題になりそうだと思った。
「じいちゃんが、そのスマホを持っていたら、雄一郎は何時でもじいちゃんの居場所を知る事が出来る訳じゃな!」
「大丈夫だよ、 iPhoneを探すと言う機能を切っておけば誰にも探せ無いよ!」
「雄一は、何でも良く知っているなぁ」
「今は、これくらい常識だよ」と雄一は自慢げに応えた。
人間は、教える立場を好む。それを人は優越感と呼ぶ。優越感は人の能力を伸ばす。これの反対に劣等感が在る。劣等感も前向きに考える人間にとっては努力する為のエネルギーになる。ただ、多くの人間は劣等感をマイナス・エネルギーにするものだ。それが嫉妬である。少なくとも今の雄一に劣等感には縁が無いようだ。

ゼウスは、地球人の中で日本人が一番好きに成った。夕方、雄一郎が帰宅して、雄一が学校での出来事を話した。
「マスコミは、相手の生活を考えてくれないから無視しなさい!」
「うん、でも付いて来たらどうするの?」
「お父さんが、追い払うから大丈夫だよ、 なぁ雄一郎!」竹蔵が雄一郎に向かって言った。
「じいちゃんも付いているし、雄一達は何も心配要らないから、勉強に集中しなさい!」
「うん、分かったよ、 でも、じいちゃん頼りないからなぁ!」
「そんな事は無いぞ、さっきも!」と言い掛けて、うっかりマスコミの連中を退散させた事を喋り掛けた。勿論、家族には内緒の事だった。
「さっきの事って?」
「うんにゃ、何でも無い!」竹蔵は話し過ぎた。話を反らす必要を感じた。
「そう言えば、さっき外が騒がしかったわね!」
「お父さん、 何かやったんじゃ無いのか?」雄一郎に問われて、竹蔵は仕方無く答えた。
「マスコミの連中が車で待ち構えていたんじゃ、それで不審車両が居ると警察に通報したんじゃ!」竹蔵は借りて来た猫みたいになった。
「なるほど、まぁ良い考えとは思う」雄一郎は、竹蔵がやった方法は問題だが、トラブルを避ける方法としては良い方法だと思った。
「そうじゃろう!」と竹蔵が同意を得たと思って得意げに言う。。
「恨みをかうと余計ややこしく成るから、おじいちゃんは今後は控えて下さいよ!」竹蔵は、その一言でしゅんとなった。
『竹蔵、この家では雄一郎が一番偉いのか?』ゼウスが聞いた。
『日本には「老いては子に従え」と言う諺がある。つまり、若い力や行動力のある者に老人も従った方が良い、と言う意味じゃ』
『成る程、それは良い考え方だが、知識量は老人の方が多いだろう!』
『確かに積み重ねた知識は多いが、役に立たない過去の古い知識も多いし、新しい知識は覚え難くなっているから結局は、諺通りに生きる方が無難と言う事じゃ』
『地球人は、活きる術を諺に集約して代々伝えるのだな。とても良い考え方だ』
ゼウスは、自分達の歴史を思い返した。遥か昔、自分達の歴史で肉体を持っていた時代。知識や情報は全てコンピュータに記録していた。しかし、その知識が活かされる事は殆ど無かった。ただ、累積記録されるだけだった。その膨大な情報を使うのはコンピュータだけだ。その内、コンピュータによる情報操作が始まり、人間がコンピュータの指示によって動くようになる。コンピュータは電子頭脳に進化し、人間がコンピュータに依存するようになるのは人類が進化する過程の必然なのだ。
これを実現したのはハビス人の英断だった。これが発端になり人間自身の進化が研究された。人間自身に情報を記録するには無限に生きる必要がある、そして人間の肉体は物理的に情報を記憶するには脳密度が薄すぎる。そのうえ肉体は物理的に老化し破壊される。例え医学が進歩して肉体の老化を食い止める事が出来ても精神は肉体に依存して制限される為、精神の崩壊は止められない。それならば精神エネルギーだけの存在になれば、永久に存在出来、知識の累積や友への情報提供が容易に行えると考えたのだ。
彼らは、肉体の細胞を機能面から素粒子レベルの光細胞を合成し肉体のDNAを、この光細胞で創りあげた。物質は原子レベルで同じ物を作ると同じ物質になる。解説すると原子レベルで全く同じ人間を作ると同一人間が二人出来る事になる。物質を遠くに伝送する時、物質を原子分解してその情報と全く同じ原子レベルで合成する事で伝送が可能になる。これを素粒子レベルに縮小して再構成する事で従来の肉体を放棄する事に成功したのだ。これにより彼らは光エネルギー生命体となった。そして彼らは宇宙空間へ無限の旅に出たのだった。銀河系の中は光エネルギーで溢れていた、彼等は無限の知識欲と光エネルギーを吸収した。そして、一部の仲間は銀河系の外に飛び出した。
しかし、隣の銀河までの距離は余りにも遠かった。銀河間を移動する過程で十分なエネルギーの吸収は出来無かったのだ。生存できるギリギリの光エネルギーは遠くの銀河系から届くが移動出来る程のエネルギーは届かなかった。彼等は光速以上の速度で移動する事は出来ない。ゼウスは銀河間で立ち往生している仲間を助ける使命を背負って地球にやって来た。しかし、地球の科学は未だそこまで発達していない。ゼウスは地球の科学の進化を助けて銀河系の外まで仲間を救助するための装置を創る為にやって来た。
 

 
夕食時、竹蔵は雄一郎に話を切り出した。
「雄一郎、わしゃスマホが欲しいんじゃが? 一緒に買いに行ってくれんかのぅ?」
「親父がスマホを?」
「そうじゃ、 いかんかのぅ?」
「勿論、駄目と言う訳では無いけど、問題は使いこなせるのか? どうか?」
そこへ雄一が、助け舟を出した。
「パパが新しいiPhone6を買って、今使っているやつを、じいちゃんにやればいいんじゃないの?」
雄一は竹蔵にウインクしてみせた。雄一郎は、暫く考えた挙句、自分も新しいiPhone6が欲しい事もあり、竹蔵に自分のスマホを渡す事にした。
「親父、それじゃ明日手続きをするから、今使っている携帯電話を渡してくれ、電話帳のデータを移してくるから!」
「わしの携帯を渡したらいいんじゃな?」
「明日の夜には、代わりに俺のスマホを渡すから!」
「それじゃ、頼むよ、今渡しておくよ!」
「私だけ、5sのまま?」仁美が不満を漏らした。
「ママのも新しいのに替えて、僕ママのを貰うってのは、どうかな?」
雄一が舌を出して抜け目なく提案した。流石に雄一郎は、それは許さなかった。
「雄一が、来年六年生になったら、ママのを貰いなさい。それまで我慢しなさい!」
実は、電話会社との契約が2月に更新されるので、切り替えに丁度良いのが来年の2月なのだ。しかし、雄一郎も出来れば早く新しいiPhone6が欲しかったので、竹蔵をダシに使って新しいスマホに切り替える事が出来る。渡りに船である。
 
(竹蔵再び夜空へ)
 
その日の夜、竹蔵は再び空へ飛び出した。大阪の夏は、蒸し暑いので有名である。ゼウスは考察した。日本人は、意外にも日本の事を知らない。日本という国の湿度が高く、世界的にも稀有な環境にあり、この稀に見る特殊な環境が世界的にも特殊な考え方を持つ人種を誕生させた事を。
日本の湿度の高さは、いろいろな問題とそれらの解決策を産む。日本の湿度が高いのは、夏の太平洋からの風と冬の大陸からの風であり、日本海と太平洋に挟まれた位置にあるからだ。海は温まり難く冷えにくい性質がある。夏の太平洋の高温は、海水の気化が長期間続き、その水蒸気は常に日本に流れてくる。その巨大な自然現象が台風である。水蒸気は日本列島の山岳地域に当って雨となり降り注ぐ。冬は大陸からの風が日本海の水蒸気を冷やして雪となり日本海側の豪雪として降り注ぐ。つまり、日本は一年中水が供給される環境にあるのだ。そして、日本列島の山岳地域が、それを可能にしている。山岳地域に降った雨や雪は、数十年掛けて地下水となり平野地域に供給される。これが高湿度の環境を生むのだ。
世界一水の豊かな国が日本である。日本では美味しい水は無料である。外国では水は有料だ。それは飲料水が簡単に手に入らないからだ。従ってミネラルウォーターが売られている。そのミネラルウォーターが、水の豊かな日本で売られている。ゼウスは日本人は不思議な人たちだと考えている。
日本の水の豊かさが植物を育てる。だが、残念な事に日本は人口比率のわりに平野部の面積が少ない。昔はこれが貧困の理由である。しかし、日本人は豊かさを求める為に技術開発に力を注いだ。これが現代の日本を形造ったのである。

今夜は昨夜の失敗を繰り返さないよう土居駅前の高いマンションと隣接する工事中の春日小学校を基準にして真っ直ぐに生駒山を目指した。この高さは、まだ夏の生暖かさを感じる。竹蔵は少し高度を上げて飛ぶことにした。少し高度を上げるだけで涼しい風になる。生駒山はスカイツリーよりほんの少しだけ高い642mで大阪平野に面して屏風のように奈良県との境に連なっている為、間違いようがない。山の向こう側が奈良県でこちら側が大阪だ。山頂には遊園地があり、その周辺には電波塔が林立する。
竹蔵は最初出来るだけスピードを上げて飛んだ。しかし竹蔵は生身の人間である。初めこそ格好良くスーパーマンのようにポーズを付けて飛んでいたが、向かい風で呼吸困難に陥った。飛ぶ方向に顔を向けると風が顔にまともに当たり老人の弛んだ顔の皮膚が風によってはためく。鼻や口から猛烈な風が入り呼吸が出来ない。顔を下に向けて飛んでも、呼吸は相変わらず困難だ。頭に受ける風は冷たく頭の毛が全部抜けそうだ。仕方無く速度を落とす。
『とてもじゃ無いが、速く空を飛ぶのは無理だ!』
『人間の身体は脆弱だなあ!』ゼウスの嘲笑が聴こえた気がした。
竹蔵は生身の人間の弱さを実感した。映画で観たスーパーマンのようには飛べない事を痛感したのだ。実際の速度は測る物が無いため解らないが、恐らく時速100kmにも満たないだろう。ゼウスに聞くと、大気中でも空気抵抗を無視すれば音速の数十倍で飛ぶ事も可能だという。しかし、竹蔵の生身の身体が、それには耐えられない。
勿論、宇宙空間にも行けるが、それは即竹蔵の死を意味する。ロケットのような容器に入るか、宇宙服を着用すれば出来ない事は無いが、そんな物が普通の老人の手に入れる事は不可能だ。
生駒山には、数分で到着。夜の樹々の間を飛ぶのは気持ちがいい。竹蔵は鳥の気持ちが分かったような気がする。
『鳥の気持ち?』ゼウスが聞く。
『鳥は空や木々の隙間を飛ぶ時、こんな気持ちじゃないかなあ? と考えただけだ』
『鳥が考える事は、食べ物の事だけだ!』
『そんなことは分かっとるよ!』ゼウスには冗談が通じないようだ。
『冗談ぐらい判る。嘘の事だろう!』
『やっぱり、分かっとらんな?』
竹蔵は暫く生駒山周辺を飛んで回った。夏の夜とはいえ地上1000m付近を生身の人間が空を飛ぶと、かなりの体温が奪われる。十数分も飛んでいると竹蔵は寒さで震えだした。
これはいかんと気が付いた時には遅かりしである。
『ソロソロ帰るぞ〜!』
『どうした?』
『風に当たっていると寒うなった。家に帰って風呂に入りたい!』
竹蔵は一目散に引き揚げた。今回は1時間も飛んでいない。当初、目標にしていたマンションを探そうとしたが、遠すぎるのと寒さで身体が震え正常な判断が出来ない。仕方なく淀川の在る方向へ一旦飛んで京阪線の線路を見つける事にした。
京阪線は大阪と京都を繋ぐ鉄道で竹蔵の居る生駒山から北又は北西に向かえば必ず見つける事が出来るのだ。京阪線を見つければ線路に沿って左方向に飛べば大阪方面になり、途中で目標の守口駅を見つける事が出来る。土居駅は守口駅の隣である。北西に向かって飛ぶと直ぐ鉄道が見えた。竹蔵の知識では、昔片町線と呼んでいた鉄道である。現在では学研都市線とか呼んでいたなぁと考えつつ暫く飛ぶと月の光が反射した淀川の流れが目に入った。京阪線は淀川の東側を走っている。
京阪線の線路を見つけた時には上下の歯がカチカチと音を立てていた。竹蔵は奥歯を噛み締めて寒さを我慢した。線路が複々線なのを確かめると萱島駅の西側(大阪寄り)だと考えた。
京阪線は、萱島駅から北側京都側は複線で南側大阪側は複々線である。ちなみに複線とは、上下線で線路が二本の事で複々線は上下線で四本の線路である。線路の上空を飛び守口駅を発見した時には、竹蔵はおしっこが漏れそうになっていた。寒さが尿意を催したようだ。
「こりゃいかん! オシッコが漏れそうじゃ!」思わず声に出てしまった。若返った身体でも寒さと尿意には勝てそうもない。
土居駅は守口駅から徒歩でも10分程である。目標のマンションを右手に見ながら、ようやく自宅に戻れた。さすがに深夜に空を見上げる人間はいない。運良く目撃者は居なかった。しかし、あれほど用心して出発したにもかかわらず自宅へ戻るのが、これ程難しいとは考えてもみなかった。人間が夜空を飛ぶ事の難しさを改めて実感した。そして夏でも空を飛ぶ事で体温を奪われ寒さに震える事を知った。寒さ対策と人に見つからない服装を考える必要性を感じたのだった。
竹蔵は庭に降り立ち、急いで自室に入り、家族を起こさないように風呂に入った。オシッコは風呂場で済ませた。トイレに行っている余裕が無かったのだ。男は放尿が済むと身体が震える状態が起きることがある。竹蔵自身、時々経験する事だが、歳を重ねるとこの時に失神する事があるという。放尿による安心感がそうさせるのか判らないが、竹蔵は気を付けている。もっとも、認知症の時のことは覚えていないが。
幸いなことに、慌ただしいせいか今日は風呂のお湯が抜かれていなかった。オマケに夏の気候がお湯の温度を保ち続けてくれている。
熱い湯船に浸かって、生き返る思いだった。人間にとって寒さとひもじさは耐えることが難しい。竹蔵が久しく忘れていた感覚である。人類は寒さとひもじさからの回避を目的に進化して来たと言っても良い。給湯器の追い焚きのスイッチを押して湯の温度を上げる。
温かいお湯が出てくる。竹蔵は右手で出て来るお湯を掻き回し冷えた身体が早く暖まるようにした。湯船の中でウトウトしてしまう。時々顔が湯に浸かり溺れそうになる。こんな時、死ぬ時は風呂の中が良いと真剣に考えた事がある。十分に温まって風呂を出る。今度は夏の夜の暑さが汗を引かせない。自室に戻った時、今度はエアコンのスイッチを入れる羽目になった。適度に冷えてから布団に入る。今日もイロイロな発見があった。竹蔵は布団の中で、あれこれ考えている内に寝入ってしまった。
             
(竹蔵iPhone5sを持つ)
 
朝、今日も竹蔵の目覚めは遅かった。認知症の時には昼寝が多かったせいか、夜何時に寝ても朝の目覚めは早かった。だがゼウスと同化してからは疲れは残らないが、朝の目覚めは遅くなっている。雄一郎も雄一と雄二もすでに会社と学校に行った後だ。洗濯機の音と居間からテレビの音声が聞こえて来る。嫁の仁美が洗濯をしながら合間にテレビのニュース番組を見ている。
「おはよう!」
竹蔵は、ボンヤリした顔で仁美に声を掛けた。
「あっ! お父さん、おはようございます! すぐに朝食の準備をします。トーストでいいですか?」
「何でも、いいよ!」
「お父さん! 昨夜、お風呂を使われました?」
どうやら、昨夜の最後に風呂を使った仁美が今日掃除をする予定だった。残り湯で洗濯するのだが、残り湯の温度が高いので不審に思ったようだ。
「夜中に暑くて汗をかいたんで、風呂に入ったんじゃよ!」
「体調は大丈夫ですか?」
「ホイホイ、大丈夫じゃよ!」
仁美は竹蔵のいつもの習慣と異なる事は、常に注意している。家族の健康を考えるのも主婦の役割だと考えているからだ。竹蔵の「ホイホイ」と言う返事は仁美に安心感を与える。竹蔵独特の言い回しなのだが昔から機嫌の良い時はこの返事をする。仁美は、この返事で家事に専念する事が出来るのだ。だが今日の竹蔵は、一日中昨夜の問題の解決策を考えていた。その姿は、普段の竹蔵ではない。鋭い眼つきで考え事をしているようだ。
「大丈夫かしら?」
仁美は竹蔵の認知症の進行を危惧したのだ。竹蔵の様子がおかしいと思って、時折、竹蔵の部屋を覗く。竹蔵は庭を眺めながらブツブツ何かを言っている。仁美は首を傾げ、更に心配になる。昨日まで、子供たちの事故やら何やらで竹蔵に気を掛ける暇が無かったが、改めて竹蔵の言動を見ていると心配になる。

夜、雄一郎が竹蔵の部屋に来て、iPhone5sを渡してくれた。竹蔵用の新しいアカウントを設定して、竹蔵の住所録のコピーやインストールされたアプリはそのままにしてくれたという。
だが竹蔵は雄一郎の言っている事の半分も理解出来ていなかった。今迄の携帯は電話とメールの仕方だけを覚えれば良かったが、スマホはそういう訳にはいかない。
そこで先ず孫の雄一にスマホを渡し使い方を覚えて貰い。後で雄一から教えて貰う事になった。竹蔵も電話は家族にしか使わないし、また電話をする機会も少ない。
竹蔵のガラケイ(今までの携帯電話の事でガラパゴスケイタイの意)は、そのまま雄一の物になる。雄一は、二つの携帯電話を持って自分の部屋に行き、あれこれとスマホの機能を試して、後で竹蔵に教える事になっている。
ゼウスは、瞬時に機能的な事は覚えた。だが竹蔵は、そうはいかない。竹蔵は体力的には成人男子の機能を取り戻しているが、能力は人間である。ゼウスの補佐が無ければただの老人でしか無いのだ。スマホの機能を覚えるのは若返ったとはいえ、それなりに時間がかかる。そもそもパソコンの知識が無い上にスマホを触った事も無いのだから時間がかかるのは仕方がない。
 

 
日曜日。雄一にいろいろなスマホの使い方を教えて貰う事になった。先ずはグーグルの地図と自分の位置を確認する方法。雄一によると、地図アプリにも沢山の種類があり、最も一般的なグーグルマップとグーグルアースを使うことにした。連絡表と言う電話帳の役目をするアプリに自分の住所を登録する。これを使うと迷子になった時に自宅の位置とスマホを持っている竹蔵の位置が表示されるのだ。住所の登録を正確に入力しないと地図の表示が正確にされない。住所の表示も日本と外国とでは画面が変わる。編集画面にすると住所の一番下に国名が表示される。通常はこの位置に日本と表示される。当然、外国の住所を入力する時、その国名を指定する。
雄一は、住所の入力方法と表示のさせ方を竹蔵に説明する。竹蔵も頭脳が若返っている分、理解力は早い。雄一も不思議に思いながら自宅の住所を入力した。竹蔵も「フムフム」と頷きながら聞いている。竹蔵も雄一の指導を受けながら同じ様に操作した。実際に同じ様に操作しないと覚えられないからだ。
入力が終わると実際に行き先として連絡表の自宅住所を表示させる。その住所をタップする。これだけで地図アプリが起動され地図が表示され、自宅の家に赤いピンが刺さる。次に画面上の中央左に表示されてる右折れ矢印をタップするとスマホの位置から自宅までの道筋が表示されるのだ。
地上を車で移動する時の最短距離が表示される。詳細を表示するなら画面を拡大(iPhoneの画面に人差し指と親指を接し広げる仕草をする)すればよい。竹蔵は自宅に立った赤いピンの位置とスマホの青い点が重なるように飛ぶだけで良いのだ。赤いピンと青い点が重なった所が竹蔵の家の真上になるらしい。だが、今は赤いピンは青い光点の位置と重なっている。
「凄い携帯電話じゃのぅ、これじゃ何処に居ても迷わんなぁ」
画面をグーグルアースに切り替えると、そこには自分の家を中心に一軒一軒の家が飛行機から観るように表示されていた。そして、地図を縮小して行くと大阪の街の隅々が手に取る様に見える。
「こんな物が、在るんなら日本中何処でも迷わずに行けるなぁ」
「じいちゃん、 日本だけじゃないよ。世界中を見る事が出来るんだよ」と言いながら表示している地図を親指と人指し指で挟むような仕草をして見せた。すると日本を中心に東アジアの広域表示に変わっていった。雄一は更に画面の左端から右に掛けて、人指し指を本のページをめくるように画面をなぞって見せた。すると画面が左から右に流れて東南アジア、インド、中東、アフリカ、そしてアメリカ本土が表示されて行く。
アメリカの東海岸の地図を今度は親指と人指し指で開くような動作をする。すると、そこには有名なニューヨークのビルの林立が表示された。更に拡大して行くと一台一台の車まで見えるではないか? 竹蔵はたまげてしまった。ゼウスも驚きの表現を隠さなかった。
『これが有れば、世界の何処にでも迷わず行ける。これは役に立つ機械だな!』
ゼウスは地球に来た時、科学の進歩状況を人工衛星や宇宙船の有無や動力源などを調べてまわった。人工衛星がスマホの機能を高めている。だが、人工衛星の周辺には塵が沢山漂っている。ゼウスにとっては、なんでも無い物だが地球人の人工衛星や宇宙船にとっては、非常に危険な物ばかりだ。こんな物を放置している人類は、精神的な矛盾を抱えた生物だと考えた。
ただ、国と言う単位毎に科学的進化に大きな差がある事も判っている。そして、その進化度にも大きな差が生じているようだ。特に人種と言われる肌の色の違いや地域の違いによっても進化度に差が生じている。移動手段が技術的に低いならば、進化度の差が生じるのは仕方がないが、地表上を高速で移動出来る飛行機なる物が存在しているならもっと科学的レベルが標準化していても不思議では無いのだが、ゼウスが観た処、地表上には飛行機が数千機飛んでいる。
気体の抵抗力を利用している為、決して安定した乗り物では無いが、事故を起こす飛行機は非常に少ないように見えた。ただ一部の地域では、この乗り物を戦争に利用しているようだ。その中で一番平和的で標準的な技術を国民全員が利用している国が竹蔵の住んでいる日本と言う地域だ。
『今夜はスマホを使って、遠くまで行って帰ってみようと思う!』
『しかし、高速で飛ぶには、このままでは息苦しい、何か良い方法を探してみようと思う』
竹蔵はゼウスと相談して孫の雄一にアイデアを出して貰うことにした。86歳の老人と140万歳の宇宙人がたった11歳の子供に相談する様は、何か変! 
雄一は竹蔵の顔を見ている。地図アプリの説明の途中で竹蔵が無言になったからだが、竹蔵が頭の中の宇宙人と会話をしている様子を不思議そうに見つめている。ゼウスと話し終わった竹蔵は、自分を見つめている雄一に気が付いて。
「雄一、 例えばじゃ、車で走っている時に窓から顔を出すと風で呼吸が出来なくなるじゃろ、 こんな時、どうしたら楽に呼吸が出来るじゃろか?」
「じいちゃん、そんなの簡単だよ、バイク用のヘルメットを被れば良いんだよ」
「なる程、そう言う手が有ったか?」
実に簡単な方法だが、何故か思い浮かば無かった。竹蔵はガスマスクのような装置を考えていたし、ゼウスは、小型の宇宙船のような物を考えていた。知識はより高度な技術で問題を解決しようとして邪魔をする典型的な例である。

竹蔵は車の運転をしない。昔は車の免許証を持っていたし一時期タクシーのドライバーをしていた事もあった。若い頃、退職金でプリンス(現在の日産に吸収合併)のスカイラインを購入した程の車好きだった。60歳半ばで運転するのを止めた。それから25年。今では車の運転は息子の雄一郎に任せている。ましてバイクの事など思い付きもしなかった。
竹蔵自身、若い頃バイクに乗っていた。にも関わらずヘルメットの事を思い出せなかった。オマケにあれを被っていると顔も見え無いし一石二鳥だと思った。確か雄一郎が若い頃使っていたヘルメットが納屋に仕舞っていたのを思い出した。皆が寝静まった後で、取りに行く事にする。
「雄一は、頭がいいな!じいちゃん、そんな事も思い付かなかったよ」竹蔵は素直に雄一を褒めちぎった。
「どうして、そんな事を聞くの?」
「いや、チョット疑問に思ったので聞いてみたんじゃ」
「ついでに教えてくれんか、 バイクに乗っている連中が着ている服は何処に売ってるんじゃ?」
「革ジャンの事」
「革ジャンと言うのか?」
「バイク用なら革の繋ぎがあるよ」
「なんじゃ、その革の繋ぎとか言う奴は?」
「革ジャンは牛革で作ったジャンパーの事で、繋ぎはそのジャンパーとズボンを縫い合わせた物だよ」
「なんでそんなもんを縫い合わせるんじゃ?」
「以前テレビ番組でやってたけど、確かバイクは危険だから運転する人の身体を守る為に考え出したらしいよ。縫い合わせると風も入って来ないので寒さに強いって言うのもあると思う、夏場は暑くて誰も着ないけどね!」
「そうか、雄一はよく知ってるな!ところでその革の繋ぎは何処で売っているのか知ってるか?」
「バイクショップかカー用品店に行けばあると思うけど、じいちゃんが着るの?」と聞いたが、どう考えても竹蔵爺さんが革の繋ぎを着ている姿は想像出来ない。
「いいや、友人の息子にプレゼントしようと思ってな」
「ふーん、直ぐそこの国道沿いに確か有ったよ」
雄一は国道と言ったが、実際には府道である。昔、国道1号線だったが阪神高速が枚方市と繋がった時から、そちらが国道1号線となった。だが今だに地元の人間は府道に変更された旧1号線を国道と呼んでいる。若い人間も、その呼び名を使っている。
「そうか判った」竹蔵はスマホの使い方を続けて聞く。
「雄一や、教えてくれんかいのぅ? じいちゃんは知っている場所だと、どちらが北か、南か、は大体分かるが、じいちゃんが知らん場所で、例えば建物の中で、どちらが北か南か知る方法はあるんかいのぅ?」
「じいちゃん、それも簡単だよ、スマホには磁石のアプリも有るよ」
「えー、スマホって電話じゃろ、 何で磁石が付いているんじゃ?」
「じいちゃん、スマホにはGPSと言うのが入っていて、人工衛星からの情報がインターネットや電話会社から届けられるようになっているんだよ。僕も詳しい仕組みは判らないけど、スマホさえ在ればインターネットでパソコンと同じ事が出来るんだよ! スマホに専用のアプリを入れれば、今現在世界中で飛んでいる飛行機を探す事も、宇宙の人工衛星を探す事も出来るんだよ!」
「ひえー、本当にタマゲタ、そんな事が出来るのか?」
竹蔵は、技術の発展に完全に置いて行かれていることを知った。そして、今の子供たちの新しい知識の量に驚いた。
『人類の進化度には、矛盾が大きいな』とゼウスが、続けて。
『これだけ平和的利用価値の高い技術を持ちながら、何故人類は戦争をしたがるのか? 理解出来ない、 それもこんな小さな惑星の中で!』
『殆どが資源の奪い合いによる、領地の争奪戦じゃ!』
『資源とは、何を指して言うのだ?』
『多くは、石油と金属と食料を生産する領地じゃ!』と竹蔵。
『面白い事を言う。石油は燃料だろ? 燃料とはエネルギーの事を言う筈だ。エネルギーなら地球には無尽蔵にある。金属も地中には地球人が何万年も使用出来る量が存在する。食料に至っては生産方法を変えれば無限に生産出来る環境が整っている。何故、それを利用せずに奪い合うのだ?』とゼウスが問う。
『未だ、地球人には知恵が無いんじゃ!』と竹蔵は悲しそうに答えた。
『面白過ぎる、スマホみたいな技術の塊が開発出来て、生きる為の基本的な食料やエネルギーの生産に技術を利用せずに人間同士殺しあうのか? 愚か過ぎて、笑えて仕舞う』
ゼウスが失笑する。勿論ゼウスに顔は無いが、竹蔵はゼウスに人間的な面を感じた。
『そうか、あんたが言う矛盾とは、そう言う事じゃな?』
戦争で殺し合い破壊する技術は激しい競争をし進歩しているが人間が生きて行く為の食料生産技術や生活を豊かにする為の技術開発は遥かに遅れている。と言うか殆ど進化していない。
一見するとバイオテクノロジーとか農薬技術や遺伝子操作などの言葉が飛び交っているが、これも人類の生活を考えているのではなく、あくまでも大砲やミサイルの実弾を食料に置き換えて戦う経済戦争である。結局、ソビエト連邦はアメリカとの経済戦争に敗れ崩壊した。
どんなに武器を進化させようとしても経済力の大きさが勝敗を分けるのだ。それならば直接戦力を充実させる事に努力するよりも平和裡に経済を充実させる方が良い事は子供でも理解出来る。破壊と恨みしか生み出さない戦力増強は経済を疲弊させるだけである。
それならば国民の生活を充実させ尚且つ経済力を増強させる民生科学の発達に努力する方が、結果的に勝利者になるのだから日本の目指す方向は間違いではないと言える。
『そうだ!』とゼウス。
『そうか、その矛盾を取り除けば地球は平和になるのか?』
竹蔵は、ゼウスの言う意味を理解した。地球上の科学と努力を平和と進化の為に活用すれば、現在の戦争の原因そのものが解決する事が可能であると言う事だ。
『殺し合うのが好きで無ければな?』
『殺し合いが好きな筈は無いじゃろ!』
『それは、どうかな?人類は闘争本能で発展して来た動物ではないか? 平和を望むのは同じ人種だけであって、他の民族間の争いは経済的利益に結びつけているでは無いか?』
『意味も無く、人を殺したい衝動は無いか?』
『ワシには無い!』
『もしも、愛する家族を殺されたら竹蔵はどうする?』
『そいつを殺したいと思うじゃろなぁ!』
『それを報復と言う。これが憎しみの連鎖を産むのだ。これが長い期間続けばその内、何故殺し合っているのかさえ判らなくなる。今の地球は、その状態だ!』
『考えて見れば愚かな事じゃな!』
『お前たち日本人は、それを上手に断ち切っているでは無いか?』
『断ち切ると言うより忘れたんじゃな』
『そう、忘れる事が断ち切る事なのだ。子孫に伝え無ければ断ち切れる。子に親の恨みを伝える事こそ、子にとって不幸な事なのだ!』
今、ゼウスは地球上の紛争の決定的解決策を竹蔵に教えたのだ。資源開発に人類が協力して昔の恨みを子孫に伝えない。これこそが、究極の平和をもたらすのである。
『難しい話は、これ位にして、今夜の準備をしよう!』
気がつくと雄一と雄二が不思議な顔をしている。竹蔵が黙ったままゼウスとの会話に集中していたからだ。二人から竹蔵を見ると焦点の合わない眼でボンヤリしている姿はかなり変である。それに気が付いた竹蔵は、
「すまんすまん、チョット考え事をしてしまった、それで磁石のアプリって、どれじゃ?」
竹蔵は、中断していた東西南北を見極めるアプリの事を思い出した。
「《Night Sky》がいいと思うよ、無料だし」と言って、竹蔵のスマホにアプリをダウンロードした。そして、スマホを縦にかざしてアプリを起動して竹蔵に見せた。
「ここにNと表示されているでしょ。だからこっちが北だよ、そしてスマホを反対側に向けて見るとSって見えるでしょ。だからこっちが南なんだ!」
「そうか、Nが見えれば北に向かってるんだな、 Sに向かえば南か、便利なものじゃ」スマホを横にして、テレビを観るように、画面を東西南北の各方向に向けて見せた、「それにしても、昼間なのに星空も見えるが、どうなっておるんじゃ?」
「それはコンピュータ・グラフィックスだよ!」
「よく分からんが、それじゃ、今この位置にこの星座があるということか?」
「そうだよ!」
「凄いなぁ、 何処まで技術が進むんじゃろ?」
竹蔵は今回スマホを持つまで、技術の進化状況に接していなかった為に心底驚いた。もっともゼウスと会うまで、ただの認知症老人でスマホどころでは無かったのだが。
 

 
夕方、竹蔵は雄一と雄二を連れて散歩に出た。夕方と言っても夏の陽は未だ高い。竹蔵は夜空の寒さを知っているので、太陽の暖かさが心地良いと感じる。寒さは人間の心に《ひもじさ》や《貧しさ》を感じさせる。竹蔵の子供の頃、日本全体が貧しかった。竹蔵の家は当時では裕福だったが、それは周囲の家と比べての話である。現代の一般家庭のように電化製品に囲まれて美味しい食べ物が好きな時に好きなだけ食べられる生活は何処にも無かった。家の敷地は広くて使用人も沢山居たが、平成の今の方が豊かな生活であると断言できる。テレビでは格差社会の問題点をコメンテーターが叫んでいるが、昔の方が格差社会だったと思う。昔は今で言う人権が認められていない世界が沢山在ったのだから。
そんな世界を知っている竹蔵にとって、現代は本当に幸福な時代だと思っている。そんな事を考えながら孫の手を握り散歩をしている。

今日の散歩は空を飛ぶ為の風と寒さを防ぐライダースーツを買うのが目的だ。国道(本当は府道だが)を三人でブラブラしながらカー用品店に向かった。カー用品点は、当然国道(本当は府道だが)沿いにある。徒歩で来る客はほとんど居ない。そもそも車のメンテナンスや装備品の購入を目的に営業している店舗だから、普通は郊外の不便な処に在る。カー用品店は広い敷地に沢山の車が駐車していた。
広い店内を三人であれこれ見ながら目的のライダースーツが展示してある処に来た。店員が見ても、とてもライダースーツに縁の無い老人と子供に、誰も声を掛け無かった。仕方なく竹蔵が店員に声を掛けた。店員は愛想よく、
「何かお探しですか?」と聞いてきた。
「この繋ぎのライダースーツは、幾らじゃ?」
「何方かへのプレゼントですか」
「ワシが着るんじゃ!」店員は竹蔵を見て、
「えっ、おじいちゃんが着るんですか?」
「そうじゃ、ワシが着たら可笑しいかのぉ?」
「イエ、そう言う訳ではありませんが、バイクは何をお持ちですか?」
「バイクなんぞ持っておらん、 バイクを持って無けりゃ、このスーツとか言うのは売ってくれんのか?」竹蔵は “むっ” として若い店員に言い返した。
「イエイエ、そう言う事ではありませんが、試着してみますか?」
「そう言ってくれれば、話しが早いんじゃ!」
竹蔵と店員がライダースーツを持って試着室に向かった。来客の中には不思議そうな顔を見せる人間も居た。現代では中高年のライダーグループも沢山ある為、それ程目立つ存在では無い筈だが、どう見てもバイクに縁の無さそうな老人が試着室にライダースーツを持って入った為、好奇心で試着姿をスマホで撮ろうと構える者も居た。竹蔵は、繋ぎ服の着難さを痛感した。
首元から股下までジッパーを降ろして開いたジッパー部分から両足を突っ込む形だったからだ、まるでテレビで観た宇宙服のようだ。オマケにかなり大きい。竹蔵が履くと裾を三重に折り曲げ無ければ足が出て来ない上、上着部分を背後から着る為、店員の助けが無ければとても着れた物では無かった。
やっと試着した姿はまるで猿が人間の洋服を着た様な感じだった。身体の中央部はダブダブで両手は指先がやっと見える程度だ。
ライダースーツは、膝と肘の部分がジャバラのような構造になっている。これはバイクに跨った状態の形状をしている為だ、長時間バイクに跨っていても疲れにくい形状に出来ている。ゆえに立ち上がって歩行するには少々骨が折れる。ライダーブーツを履く時には、ジャケットの足元を引き上げなければ入らなかった。
それでも、竹蔵は納得して買う事にした。店員は笑いを噛み殺して商品を包んで竹蔵に渡した。雄一と雄二も店員の考えている事は手に取るように分かる。二人は、恥ずかしさを我慢して店員の視線を避けていた。帰り道、雄一が堪え切れずに言った。
「じいちゃん、それ大き過ぎない?」当然の質問である。それでも竹蔵は、
「これで良いんじゃよ!」
雄一は、どう見てもじいちゃんには大き過ぎる様に思えた。竹蔵が大丈夫と言うからには、ちゃんとした考えがあるんだろうと思った。家に帰る途中、国道沿いのファミリーレストランを見つけた。
「じいちゃん、僕チョコレートパフェが食べたい!」雄二がファミレスの看板を見つけて叫んだ。
「じいちゃん、僕も食べたいよ!」と雄一も。竹蔵も、そのつもりで二人を誘い出したのだが、竹蔵は二人に恥ずかしい思いをさせた詫びのつもりでチョコレートパフェをご馳走する。
二人にとってチョコレートパフェは久しぶりで、滅多に食べられないスイーツだ。決して貧しい生活をしている訳では無いが、ファミレスでの食材に中国食品が使われているかも知れない為、仁美が二人を連れて行かないのだ。それは数年前テレビ番組で農薬の使い過ぎや土地の重金属汚染や腐った肉の使いまわしが報じられ、家族の身の危険を感じての事だった。
外食産業は価格を下げるため中国食品を多用している事は有名だ。この為、ファミレスに行く機会が少なくなり、チョコレートパフェを食べる機会が減ったのである。従って、雄一たちがチョコレートパフェの食べる機会が減ったのは、中国の所為である。
ファミレスに入ると、客席はほぼ一杯である。入り口でウエイトレスに声を掛けられる。
「何人様でしょうか? 全席禁煙でございます」と言いつつ空いたばかりの窓際の席に案内された。
ウエイトレスが氷水の入ったコップを置きながらメニューを広げて、ひとりひとりの前に差し出す。雄二は、それも見ずに。
「僕、チョコレートパフェ!」と言って自分に渡されたメニューを畳んでウエイトレスに返す。雄一も同じチョコレートパフェを頼む。そうすると、ウエイトレスがデザートのメニュー開いて。
「チョコレート・・何ちゃらカンチャラですね?」と言いながらメニューを開けて、それらしい物を指差した。雄一たちも、それを確認して注文をする。竹蔵もそれを見て心の中で。
『何故、チョコレートパフェと呼ばんのじゃろ?』と考えていた。店はオシャレな名前のつもりで新しいネーミングをしているのだろうが、他にチョコレートパフェの名前が無いのならチョコレートパフェにすれば良いんじゃないかと考えている。いつの時代になっても子供たちの大好物の名前は《チョコレートパフェ》なのだから。
竹蔵は何も頼まなかった。暫くして注文したチョコレートパフェが届くと二人の顔が変わる。
二人が美味しそうに食べているのを見ながら、本当に元気になって良かったと改めて事故当時を思い出した。事故の情報が入った時、まさに冷水を浴びせられた気がした。もう少し遅かったらゼウスが居ても助けられ無かったかも知れない。そう考えると二度と、そんな事が起こらないようにするつもりである。

帰宅後、夕食を済ませ雄一達と風呂に入り、二人の身体を洗いながら、しっかりとスマホの使い方を覚えようと心に刻んだ。
竹蔵の頭脳は、今では若者に負けない程やる気に溢れていた。風呂から上がった竹蔵は二人の身体を拭き冷蔵庫から冷たい飲み物を与え、自分もヨーグルトを持って自室に戻った。
 
(夏の夜空は寒くて苦しい?)
 
『お前さんに頼みが在るんじゃ』竹蔵はゼウスに話しかけた。
『解っている、身体を若い頃に戻すのだろう!』
ゼウスには、当然解っていた。ライダースーツを買った時、恐らく竹蔵の若かりし頃の姿を想像してサイズを合わせたのだろうと考えていた。家族が寝静まったのを脳波で感じた竹蔵は、ゼウスに頼んで身体を40歳の頃に戻してもらった。もっと若くても良かったのだが、今の竹蔵にとってギャップが大き過ぎるのに抵抗があったのだ。
購入したライダースーツは、若い頃の竹蔵の体型にピッタリ収まった。竹蔵は鏡で自分の姿を見てニンマリとした。そこには、自分でも惚れ惚れする程の引き締まった男が映っていた。そして納屋から持ち出しておいたヘルメットを被り、そおっと庭に出た。
勿論、周囲の確認も怠らなかった。逞しい若者が、そこには居た。竹蔵は空を見上げて軽く地面を蹴る。身体から重力が消えた。竹蔵は風を切って空を飛んだ。夜は距離感が判らない。身体に感じる空気の冷たさで高度をイメージする。以前の経験から、少し涼しいと感じる処で水平に飛ぶ。竹蔵は、以前も今も同じ感覚を感じている。
『なぁゼウスさんや、 いつも思うんじゃが飛んでいる時と地上に居る時の身体の具合が違うんだが、どうしてじゃろ?』
『言っている意味が判らない、私はお前の思考は解るが、無思考感覚は判らない、つまり頭の中で言葉として考えている事は理解できるが言葉では無い感覚は解らないのだ』ゼウスは、竹蔵の漠然とした感覚の事を言っているのだ。
『ワシの身体の状態が全部解るんじゃないのか?』
『解らない事の方が多い、 竹蔵の身体の痛みや心の痛みを同じ様に感じていたら、私の苦しみになってしまう、竹蔵自身が頭で考えて、やりたい事を手伝うだけだ』
『そりゃそうじゃ、人間の様に痛みや苦しみを感じていたら、まともな考えは出来ないからなぁ』
竹蔵は夏の夜の爽やかな風をヘルメット越しに感じていた。そして、昨夜のような息苦しさが無いことも実感した。ただ手と足は寒さを感じる。ライダースーツを買って着たのはいいが手袋とブーツを買うのを忘れたのに気が付いた。
『地上に居る時、自分の身体の重さを感じるが空の上に来ると、何と言うか、 内臓が口から出そうな感じがするんじゃ』
『ハハハハ、当然だ、地上に居る時は重力が掛かっているからだ、でなければ竹蔵は歩く事が出来ない、空を飛ぶ時、地球からの引力を切り離し、地球に対しては反発力を返している』竹蔵は何と無く意味を理解したが本当の意味は理解していない。
『竹蔵自身が、一つの星になったと考えた方が分かり易い、竹蔵の皮膚が地表になる』
『ワシは星なのか?』
『そうだ、そして地球の引力に反発させている』この時、竹蔵は深く意味を理解していなかった。これは大きな意味を持つのだが。
『今日は最高スピードで飛んでみよう』と頭で考えて再び生駒山を目指した。
猛烈な風をヘルメットに感じて、それでも時速200km程を越えると顔を進行方向に向けて居られなくなった。顔を下に向けると多少楽になるが時速300kmを越えると首が身体にめり込む様な風の抵抗を頭に受ける。手足が寒い。
「これ以上無理じゃ!」
竹蔵は声に出して言った。そして飛んでみて判った事がある。ライダースーツは確かに体温を奪う風から竹蔵を守ってくれるが、それはライダースーツの前から風を受けた時であって、頭から風を受けた時には首の隙間から入る風には効果が無かった。いや効果は無くは無いが細い首の隙間から入る風は、出口が無い為に竹蔵の身体は革ジャンの風船の様になるのだ。従って竹蔵は風を胸から受けるように飛ぶ姿勢になってしまう。オマケにヘルメットの風を切る音が凄く、耳が痛いほどだ。竹蔵は人類で初めて身体ひとつで空を飛ぶ存在なのだ。人類が初めて経験する時、想像もつかない出来事が起きるものである。

ふと気が付くと生駒山が目前に迫っていた。危うく電波塔にぶつかるところだった。十分な高度をとっていたつもりだったが、姿勢の変化を考えているうちに高度が下がっていたようだ。スピードを緩め生駒山の周辺を華麗に飛び回った。地上には未だ沢山の人々が見える。それでも、誰も夜空を見上げる者は居ない。そう言えば、自分も滅多に空を見上げる事が無かったのを思い出した。上空で大きな音でもしない限り、地上の動物は進行方向か左右に気を配る位で、空を見上げることは殆ど無い。人間や動物たちは平面の世界に生きているのだ。
竹蔵は、生駒山の木々の間を鳥の様に飛び回った。この爽快さは飛行機では味わえない。何時間でも飛んでいたい気分だ。竹蔵は暫く気持ち良く飛び回って、ふと思いついた。今度は何処まで高く飛べるか試してみる事にした。竹蔵は人間の思考は3次元だと言われるが、それは嘘だと思っている。竹蔵が今まで生きて来て、意識して来た空間は部屋の天井までの高さであって、それ以上は鳥の世界だと思っている。だから、道路を歩いていても、前後左右は注意するが、上から落ちて来る物に対する注意は皆無である。今夜、空を飛ぶ事で初めて上下の空間を意識したのだ。もっとも、今の竹蔵には空間の上下の認識はない。それは無重力の世界を飛んでいるからだ。これが誤りだった。
竹蔵は勢い良く星空に向かった。
『上空には、お前たち人類が呼吸に必要な酸素が少ない!』
ゼウスが忠告した時、既に遅かった。今まで1000メートル付近しか飛んでいなかったので、気が付かなかったが高度が上がるにつれて酸素量と気温が低下する。竹蔵も理解をしているつもりだったが、実際に経験しなければ、本当の知識にならないものである。
ヘルメットの隙間から冷たい空気が頰を刺す。冷たい空気は爽やかさを感じるが、それが空気の薄さを判らなくさせる。竹蔵は一所懸命に冷たい空気を吸い込むが必要な酸素は得られなかった。生駒山を遥か下に見て意識が薄れて行くのを竹蔵は知った。
竹蔵は頭痛と寒さで身体を折り曲げるようにして、地表に向かって落下して行った。ゼウスが助け無ければ地上に激突するところだ。ゼウスは意識の朦朧とした竹蔵に強制的に暖かい空気を与えた。瞬間的に竹蔵は眼を覚ました。
『これじゃ、空を飛ぶどころじゃ無いなぁ、人間って、こんなにも弱かったんかいなぁ?』
竹蔵は、生駒山の頂上に降り立ち、暫く呼吸と体温が戻るのを待った。夏の季節でも上空3000mを超えると気温は氷点下になる。その上、飛ぶ事は氷点下の風を受け続ける事と同じなのだ。竹蔵は空を見上げ、鳥が如何に寒さと息苦しさに強いかが分かった。下から見上げる鳥類の凄さを思い知ったのだ。
まして、自分の羽ばたきで飛ぶのだから、竹蔵は鳥への尊敬の念で溢れた。今日も又新しい課題が出来た。手袋とブーツの必要性もあるが高空での呼吸は大問題である。まさか毎回酸素ボンベを持って飛ぶ訳にも行かないし、そんな資金も無い。とにかく帰宅して問題解決の努力をしようと考えた。
生駒山は何度も来ているので、もうスマホが無くても帰る自信はあったが、今日はスマホを使って目的地に行く練習だ。竹蔵は雄一に教えられた通り、スマホの住所録を出し自宅の住所をタップした。赤色のピンが自宅の家の屋根に突き立った。画面の左上の曲がった矢印をタップすると現在地から自宅までの道路上の道筋が青色で表示される。竹蔵は空を飛んで帰るので、道路の上空をなぞる必要は無いが、車での走行距離と時間が表示されるので、大凡の目安となる。
実に便利なものだ。現在地から自宅まで約18kmで24分と表示されている。勿論これは自動車での距離と時間である。
『便利だな?』とゼウス。
『わしもそう思う、若い連中が何処に居てもスマホの画面を見ているのも理解出来る』
竹蔵はスマホの赤いピンの方向を確かめながらまっすぐに飛んだ。スマホの位置を示す青い光点が赤いピンに近づいていく。スマホの画面の自宅のピンの立った位置と青い点が重なった。下を見ると自宅の真上だ。
『便利なもんじゃ、これが有れば道に迷いようが無い』
『良く出来ている。しかし、何処でも使えるとは限らない』とゼウス。竹蔵は周辺の様子を探りながら降下した。
『どうしてじゃ?』
『今に解る』
『やれやれ、人間の身体とは自然界では、生きて行けない程、弱かったんじゃなぁ?』
竹蔵は、自然界で素手で勝てる動物は殆ど居ないと思った。鳥さえも、あんなに空気の薄くて寒い高空を力強く羽ばたいて長距離を飛ぶ。例え人間に翼が有っても空を飛ぶ事は不可能だと思った。
『素手では、犬にも勝てない。だからこそ知能が高い事で克服しているのだ。反対に腕力が強ければ知能は発達しない。人間は力に頼ると知能に頼らなくなるからだ』
生物の世界では、恵まれた環境は努力を必要としない故に知能が発達しない。逆に厳しい環境で生き残る為には努力を必要とする。で無ければ死あるのみだ。人間はそうして生き残り発展して来たのだ。自宅の庭に降り立ち、もの音を立てないように庭に面した竹蔵の部屋のガラス戸を開けた。
竹蔵は、冷えた身体を風呂に入って温めようと考えた。寝ている家族を起こさないように。風呂場は台所に面している。仁美が物音に気が付いて起きて来た。
「お父さん、 お風呂に又入るんですか?」
「ああ、起こしてしまったようじゃ、済まんのう、身体が冷えて、もう一度風呂に入ろうかと思ってなぁ」
仁美は、竹蔵が夏風邪をひいたのでは、と考えた。
「寒気がするのですか?」
「大丈夫! 大丈夫!扇風機をつけたまま寝て、冷えた様なんじゃ」
「そうですか? 何かありましたら呼んでくださいね?」
仁美は、そう言って寝室に戻った。竹蔵は、台所に在る風呂のスイッチを押した。風呂の給湯器のスイッチは台所の給湯器も兼ねており、風呂のスイッチを押すと「お風呂を沸かします」と女性の声で、スイッチが入った事を教えてくれる。
今時の風呂は全て自動でお湯を湯船に張ってくれる。昔の様に水を入れ過ぎる事も無いし沸かし過ぎる事も無い。適温のお湯が適量自動的に湯船に張る事が出来る。お湯が冷えれば自動的に適温まで追い炊きしてくれる。楽な世の中になったものだと竹蔵は思った。昔の鹿児島での生活を思い出した。竹蔵自身が風呂の準備をした経験は無いが、母親が風呂の準備をしているのを見た記憶がある。あの頃は、男尊女卑が当たり前で、女性は自宅では土間でも裸足だったのを思い出した。下駄を履けるのは外出する時だけである。

竹蔵は湯船に身体を沈める。適温のお湯が心も温めるようだ。竹蔵は入浴が大好きだ。唯一の贅沢である。竹蔵は朝晩湯に浸かる。入浴は三つの大きな効果がある。一つは身体を清潔に保つ事である。歳をとると自分自身の身体を制御出来なくなる。関節が痛み根気が無くなる。直ぐに疲れるなどの老化現象から介護者が居なければ不潔に成りがちとなる。だからこそ、入浴が一番の楽しみになるのだ。
もう一つは、液体に浸かる事により関節に負担が無くなり関節痛や筋肉痛などの老化による症状が改善される事だ。最後に身体を温める事による新陳代謝の促進である。そして、何よりも竹蔵が思う事は暖かい湯船に浸かっている時の幸せ感である。
例え食べ物を減らしてでも湯に浸かる事の方が重要だと考えている。人間は寒さとひもじさには勝てないものだ。特に食べられない空腹感は寒さを強調させる。ただ、現代の日本では、食べられない人間は非常に少ない。特に生活保護制度や年金生活が完璧では無いが諸外国より充実している日本では、餓死する事は通常ありえない。竹蔵の生活では孫たちにたまに小遣いをやるぐらいの年金は頂いている。そうすれば、次に幸福と感じる欲望になる。それが入浴なのだ。
竹蔵は先程震える程の寒さを経験して来た。湯船に入っていると冷えた身体に温かさが染み込むようだ。十分に温まって湯船から出て頭からシャワーを浴び石鹸で身体を洗った。
入浴後、風呂の電源を落として、寝床に入った。そして、人間の弱さを考えた。寒さは防寒服で何とかなるが、呼吸だけは幾ら考えても解決方法は思い付かなかった。その内、温まった身体は眠気を誘い、気が付くと朝になっていた。
 
(空気バリアー)
 
雄二が起こしに来た。雄二は竹蔵の布団の上に乗り、起きろと体重を掛けて来た。以前の竹蔵ならば、とても耐えられない程の体重に感じただろうが、今の竹蔵にとっては心地よい重さに感じていた。朝日がカーテン越しに眼を射るようだ。
「じいちゃん、 朝ごはんだよ!」
「よしよし、起きるとするか」竹蔵は、雄二に促されて起き上がった。庭に面したカーテンを開けると朝日が庭の緑に反射して眩しく輝いていた。
「もう顔は洗ったのか?」
「もうとっくに洗ったよ。じいちゃんだけだよ、まだなのは」
「そっかそっか、 今行くよ」と竹蔵は洗面所に向かった。雄一たちは、ランドセルを背負って登校姿だ。
「行ってきます」二人は玄関から飛び出して行った。その後ろ姿を見送りながら、
「気を付けて行くんじゃぞ!」竹蔵は歯ブラシに練り歯磨きを付けながら手を振った。
「判ったよ、行ってきます」
と言って、雄一と雄二は手を繋いで出て行った。竹蔵は顔を洗いながら、昨夜の呼吸の問題の解決策を考えた。しかし幾ら考えても良い考えが出てこない。
『雄一が帰ったら相談してみよう』竹蔵はゼウスに話し掛けた。竹蔵はゼウスとの会話をしながらダイニングに向かう。テーブルには温かいご飯と味噌汁が用意されていた。
『そうだなぁ、 あの子は頭が良く物知りだから良い考えが在るかも知れない』いつしかゼウスも孫の雄一に期待を寄せている。140万年も生きて来た超生命体がたった11歳の子供に頼っている。不思議な関係が出来上がりつつあった。
「お父さん、 お味噌汁が冷えますよ」と仁美が言う。竹蔵はゼウスとの会話に集中していて "ハッ" とした。
「昨日はどうしたんですか?」もちろん深夜に入浴をした事だ。
「お腹を出して寝ていたら冷えてしまったんじゃろう。風呂に入らんと眠れなくなってのぅ」
夏の夜は暑い。それなのにお腹を出したままとは言え、寝汗をかく事は有っても冷える事は考えられ無かった。仁美は竹蔵の身体を心配した。竹蔵は、それを察して、
「大丈夫じゃ、 寝る前に冷たい物を飲み過ぎた所為じゃろ!」何が大丈夫なのか分からないが。
「そうですか、 飲み物や食べ物には気を付けて下さい。夏場は食中毒も起きやすいですから」
上手く誤魔化したと竹蔵は思ったが仁美は雄一郎に報告するだろう。竹蔵は良い嫁だと改めて思った。食事を終えた竹蔵は、改めて呼吸の対策を考えたが、酸素ボンベを持って行く事しか考えられ無かった。食事を終えた竹蔵は、自分の部屋に戻る。ゼウスとの会話に集中している為、周りの事が見えていない。そんな姿を見て仁美は益々心配になって来た。
『なぁゼウスさんよ、 地球の空気はどうして在るんじゃ』
『重力と引力が在るからだ』と言ってゼウス自身が気付いた。
『竹蔵、 とても良い質問だった。解決策が見つかった!』
『どういう方法かのぅ?』
『空を飛ぶ時、竹蔵の身体は一つの天体になる。つまり、竹蔵の身体は地球と同じと考えて引力を地球よりも強くすれば竹蔵の身体の周りに空気を付ける事が可能だ!』
『そうか、空気の服を着るようなものか! それなら呼吸が出来るなぁ』
『試してみよう』とゼウス。立ち上がった竹蔵を空中に浮かせて竹蔵の引力を増やした。竹蔵の身体の周りに5cm位の空気の層が出来上がったが、竹蔵には見えなかった。何しろ空気は眼に見えないのだから。
『これじゃ分からんなぁ?』
『大丈夫だ、空気の層は存在する』
『それなら今晩試してみよう!』
竹蔵は夜になるのが待ち遠しかった。実は、この方法が竹蔵の行動範囲を無限に拡げる結果に繋がるのだ。
 

 
午後、雄一達が帰宅した時、竹蔵は未だ部屋に籠っていた。ゼウスと共に空気バリアーが重力の強さに比例する事や空気バリアーの厚さが呼吸出来る時間との関係を何度も試していた。長時間高空に滞在するにはかなり厚く空気バリアーを創る必要があるのと呼吸を静かに行う事で時間が大幅に変化する事が判った。竹蔵は空気バリアーを創る度に時間を測った。勿論、この時は竹蔵の身体は空中に浮いている。雄一が帰宅したのを察知して中断し畳の上に着地した瞬間に雄一達が竹蔵の部屋に入って来た。危うくバレなくて良かったと竹蔵は胸を撫で下ろした。
「お帰り!」
「じいちゃん、ただいま」雄二も飛び込んで来て竹蔵に抱きついた。
「じいちゃん、今日は何して遊ぼうか?」
竹蔵は、孫たちと遊ぶのが楽しくて仕方がない。若い頃なら恐らくうっとおしいと思っただろうが、今は違う。これほど人間に好かれる事の快感は今までに感じた事が無かった。
人は人に好かれる事で優しくなれるのだ。人に好かれない、ましてや嫌われる人生など想像も出来ない。たった二人の理解者でも人生を生きて来て良かったと思わせるだけの事はある。眼に入れても痛くないと言う言葉は決して嘘ではない。
「ママには内緒でチョコレートパフェを食べに行こうか?」
「おじいちゃん、 余り雄一たちを甘やかさないで下さい」
「ほらっ、 怒られた」
「大丈夫だよ、甘やかされていないから」雄二が返事をした。竹蔵は苦笑した。大人では決して言えない言葉を子供は創り出す。
「大丈夫じゃ、 たまにはいいじゃろ!」
「昨日も行ったんじゃ無かったかしら?」
「そうじゃったかな、 忘れてしもうた」
「お腹が痛くなっても知りませんよ」と言いながら仁美は台所に戻った。
「今日は晩御飯はなんかいな?」
「僕、カレーがいい!」
「僕はオムライス」雄一と雄二は、其々好きな物を並べ立てた。
「駄目です、今日はお魚です」
「え〜」二人は口を揃えて言った。
「お魚は身体にいいし、頭が良くなるんです」
「僕、頭がいいから、別のオカズにしてっ!」
雄二の凝った返事に竹蔵は再び苦笑した。実際二人とも成績はトップクラスである。竹蔵と遊んでいる以外は良く勉強をしている。兄の雄一がしっかりしているせいもある。最近では少年による犯罪も多く、特別な事が無い限り外で遊ぶ事が少ない。竹蔵が子供の頃は、日が暮れるまで外で遊んだものだが、最近の子供は可哀想だと思った。
「雄二は、お魚が嫌いか?」
「嫌いじゃ無いけど、骨が在るから食べにくいよぅ!」
「よしよし、じいちゃんが骨を取ってやる、そしたら食べ易いだろう」
「おじいちゃん、甘やかさないで下さい」再び釘を刺された。三人は小さな声で骨取りを約束した。
「仁美さん、三人で散歩して来るよ」
「車に注意して、早めに帰って下さいね。それと余り沢山食べさせないで下さい。夕御飯が食べられなくなるから」
仁美の言葉に三人は眼で合図を送った。雄一たちは玄関で運動靴を履いて竹蔵を催促している。
「じいちゃん! 早く行こうよ!」
「ヨシヨシ、直ぐ行くからなぁ!」
竹蔵は二人を追い掛けるように行く。三人は工事中の学校の横を通り商店街へ。
「早く学校が出来るといいね」
雄二が待ちどうしそうに言う。今の臨時に通う学校は遠いからだが、それ以外にも設備が新しくなるからだ。スイミング・プールも以前は校庭横に在ったが、新校舎では屋内プールになるそうだ。竹蔵たちは、国道沿いのファミレスに向かった。
竹蔵の家を見張っている男がいた。男は竹蔵たちの後ろをつけて来る。尾行である。男の行動はプロである。勿論マスコミ関係の人間だろう。
竹蔵たちは気が付いていないがゼウスは瞬時に気が付いていた。もっとも、家を出る以前から知っていたのだが、気をつける程の危険性は無いと判断しているからだ。
ファミレスの近くに行くと突然雄二が走り出した。レストランのドアを開けながら雄一を呼ぶ。
「早く早く、お兄ちゃん!」
雄一も竹蔵の手を引っ張りながら後を追う。賢いと言っても未だ未だ子供だなぁと竹蔵は思った。ウエイトレスに案内されて窓際の席に着く。雄一と雄二は当然パフェである。竹蔵はパフェが来るまでアレコレ学校での話を聞いた。未だ時々マスコミがやって来て事故の事や入院している友達の事を聞き回っているようだ。その時、遠くから竹蔵たちをビデオ撮影している人間をゼウスと竹蔵は感知した。先程の男だ。
『性懲りもなく、シツコイ奴らじゃ!』
『又、カメラを使えなくするか?』
『いや、あんまり壊すのは可哀想じゃ。ビデオ映像だけを消す方法は在るかいのぅ』
『いや、それは難しい、壊すのは簡単だが』
『それじゃ放っておこう、見られて困る事も無いし』
二人がパフェを食べ終わって、ブラブラ帰宅する。未だマスコミの連中は諦めていないようだ。
 

 
深夜、家族が寝静まったのを確認して、竹蔵はジャケットとヘルメットを被り、庭に出た。  竹蔵の出で立ちは真っ黒である。もしも動かなければ闇に紛れて見定める事は難しいだろう。竹蔵は真っ暗な空を見上げて飛ぶ事を考えた。竹蔵の身体がロープに吊るされたように音も無く夜空に引き上げられた。
マスコミの連中は、気が付かなかったようだ。ただ黒い影のような物が頭上を飛び去ったように感じただけだった。
「何か飛ばなかったか?」1人のテレビクルーが他のひとりに聞いたが、竹蔵の家を見ているだけで空には注意していなかった。
「ソロソロ帰ろうぜ、爺さん達も寝てしまった様だし、特に犯罪者でも無い家族を見張っていても仕方がないぜ!」
「確かに俺もそう思う。しかしうちのチーフが言うからには一応仕事だし、これも給料の内だ!」
「帰ったって分かりゃしないぜ!」
「駄目だ、俺はチーフの言う事には従う。彼女は特別な感が在る。結果が出ようが出まいが仕事は仕事だ。帰るんなら一人で帰れ!」
「冗談だよ、帰れったって終電も終わった今、車無しで帰れるかよ?」
「兎に角、ビデオカメラだけはスタンバイしておけよ!」
「解りました構えてますよ、夜の撮影なら高感度カメラにしておいた方が良かったんじゃないですか?」
「お前準備して来なかったのか?」
「昼間の撮影だけだと思ったもんで」
「馬鹿野郎、カメラマンが機材を持って来なくてどうするんだ」どちらにしても彼らの努力が実る事は無かった。一番肝心な場面を見逃したのだから。
 

 
竹蔵は目標の生駒山に向かっていた。空気バリアーを纏って飛ぶ感覚は今までと全然違う。どんなにスピードを上げても風の抵抗はおろか音も聞こえない。家の中で静かに寝ているようだ。空気バリアーには、二通りの展開方法がある。一つは、完全に固有空間にする方法である。外部空間と内部空間の間には見えないガラスで区切るように完全独立させる。この方式は、海中や宇宙空間を移動する時に採用する。
もう一つは大気圏内を移動する時に用いられる、身体の周囲に柔らかく空気を引き付けておく方法である。これは纏った本人の身体が移動する時、空気層は当然着いてくるが、一番外側の空気層にはベアリング効果が起きるようにする。外部空気層と内部空気層の中間の空気層は竹蔵の移動速度に少しづつズレる変化が生じるのだ。このズレが摩擦の発生を防ぐ役目を果たす。つまり空気が空気と空気の隙間を流れて摩擦を軽減するのである。竹蔵の周囲の空気が固定され、外部の空気の流れが音速で流れた時、衝撃波が発生するが、この隙間に音速の半分の速さの空気の流れが在れば、衝撃波は発生しない。音速の2倍の速度で移動する時、音速の⒈5倍の空気の流れと音速の1倍の空気の流れと音速の半分の速度の空気の流れが在れば、それぞれの空気の流れの差は音速の半分しか無い為、衝撃波が起こらないのである。つまり、竹蔵の身体の周りに4層の空気の流れを形成させる事で、空気中をスムーズに移動(飛行)する事が可能になる。ゼウスは必要に応じて空気層の数を制御する事が出来る。
この方式の良い点は大気圏内を高速移動する時に衝撃波が発生しない事と竹蔵の周囲の空気を循環更新させる事で、常に新しい空気を供給させる事が可能になる。
前者の方式だと衝撃波が発生して周囲に影響を与える上に空気を循環更新する事が不可能だ。もっとも、竹蔵にこの違いの区別は無い。ゼウスが必要と思われる方法を選択している。
この時、ゼウスが選んだバリアーの方式は、当然後者の空気ベアリング効果のバリアーである。一番内側の空気層から一番外側の空気層まで50層ほどに分割し、ひとつひとつの隣り合う空気層の速度差は秒速10メートルも無い為、それぞれの層の間で摩擦熱も衝撃波も生じない。ゼウスにはこれが可能なのだ。竹蔵は意識すること無く空を飛ぶ事が出来る。
数分で生駒山に到着した。竹蔵は過去に飛行機に乗って海外旅行をした経験がある。その時でさえジェット旅客機が飛んでいる時、エンジンの騒音が空を飛んでいる自覚をさせてくれる。ところが空気バリアーは、全くの無音だった。
眼を瞑ると自分の心臓の鼓動さえ聞こえるようだ。眼を開けていて初めて飛んでいると自覚が出来る。山の頂上で一旦空気バリアーを纏い直した。気のせいかバリアー内の空気が薄くなったような気がしたからだ。勿論気のせいなんだが、一旦バリアーを解いて再びバリアーを展開すると冷たい新鮮な空気に満たされる。竹蔵は深呼吸した。
『もっと高く飛べるかな?』
『勿論だ。宇宙へでも可能だ!』
『それじゃあ、行こうか?』
竹蔵は簡単に考えた。普通、人が宇宙に行くには、それなりに準備が必要だ。宇宙飛行士の生命が掛かっているからだが、第一に呼吸する為の空気、第二に食糧と飲料水、これは呼吸する為の空気の次に重要だ。第三に排便と排尿装置。人間は食べる事と出す事は同じレベルで重要である。
ただ、人間は古今東西「排便排尿」に関しては、大っぴらに公言をしない。恥ずかしい行為として認識しているようだ。歴史的に昔から生活する空間「家」の一番綺麗に環境を整える空間は「リビング」「寝室」「客間」「外観」となりこの次に料理をする「台所」そして最後に「トイレ」となる。
今、世界の各国で1番最後まで「トイレ」が充実されていないが、そう言う意味では日本の「洗浄機能付きトイレ」は革命的と言わざるを得ない。つまり、順序から言える事は、日本が世界中で一番近代的生活が出来る国家と言えるのだ。開発途上国では台所は家の隅っこで、暗い狭い空間でまともに料理も出来ない状態の処が多い。
近代的と言われる西欧諸国でさえ台所の環境は決して良いとは言えない国が多い。しかし、アメリカやカナダやオーストラリアなどでは台所を広くし、女性の意見を採り入れて近代的である。しかし、残念ながらトイレに関しては日本の洗浄機能付きトイレのような発想は出来なかったようだ。
ところで宇宙空間で便意を催した時、竹蔵はどうするのだろう? 食べる事は我慢出来ても、これは我慢出来ない。
『竹蔵はどうするんだろう?』
ゼウスは一瞬考えたが、竹蔵が何も考えていないので、このまま宇宙へ行く事にする。生駒山を下に観て上昇する。竹蔵にはテレビ画面を観ている感覚だ。竹蔵から見ると宙ぶらりんの足の下に小さくなった生駒山が在る。それが一気に小さくなると同時に地球の丸みが感じられ地平線の向こうに空気層の白い光の層と太陽の光が指輪のダイヤモンドの光のように昇ってくる。地球の空気層の接する当たりが空色から濃紺に、そして上を見ると真っ黒な宇宙空間に月が黄金色に輝いている。竹蔵は只々見とれている。初めて見る光景だから。
竹蔵はリラックスしている。暖かい空気に包まれて、音速の数十倍の速度で飛んでも、竹蔵の周囲は何も動かない。静寂が支配している。リラックスしている竹蔵の姿が面白い。背を丸め足は膝を曲げて腕も肘を曲げて手を膝に置く。典型的な湯ぶねに浸かっている姿だ。竹蔵にとって、この姿勢が長時間耐えられる姿のようだ。もっともライダースーツがこの姿を維持しているからだ。
自宅から生駒山までも何ら寒さや息苦しさも感じなかったが、宇宙空間にいても寒さも感じず呼吸も普段通りだ。空気のバリアーは、地上に居るかのように竹蔵の身体を守ってくれる。暫くすると自分を包んでいる空気バリアーが淡い光を発する。
ゼウスの説明では光では無く空気の密度の差による光線の屈折率の変化によるものだそうだ。丁度、水中に空気を閉じ込めた時に起きる現象と同じだと言う。竹蔵は空中に止まって下を観た。地球全体が丸く見える。竹蔵が上がってきた日本は真っ暗で、地球は三日月のように昼側が見える。
ここは一般的に成層圏と呼ばれる領域である。宇宙と地球の狭間である。当然、人間が呼吸出来る空気は無い。人間が生存出来る場所では無いのだ。空気ボンベでも無ければ生きていることは出来ない。竹蔵の身体が白銀に光っている。地表上に薄く空気の層が見える。竹蔵は地球の美しさと空気の在る生存圏の薄さを見て、人類が奇跡的な条件で生きている事を知った。
『今日は、良い結果が残せたようだ』ゼウスが言う。
『良い結果どころでは無い!この方法を使えば水中も飛べる。南極も北極も寒さを感じないで空を飛べる』
竹蔵は空気バリアーの本質を捉えているが、秘められたその力を知るのはこれからだ。
『地球の何処へでも、直ぐに行けるし空気を十分に持って来れば宇宙空間も飛べる』
『その通りじゃ! 本物のスーパーマンになった気分じゃ!』
竹蔵は孫たちと観た映画のワンシーンを思い出しながら言った。スーパーマンは、格好良かったなぁと考えつつ、自分の容姿と比べて見劣りするの事に気が付いて、奴は映画の世界じゃ!ワシは本物じゃ!と訳の判らない自慢をした。ゼウスのクスクス笑いが聴こえたような気がした。
『何度も聞く名前だがスーパーマンは、映画の中の話だろう?』
『そうだが、人類が想像する理想に近い者じゃから、つい比較して仕舞うんじゃ。いいじゃないか?』
『スーパーマンの事は知らないが、今の竹蔵の方が優れていると思うぞ!』
竹蔵は、そう言われてニンマリした。もっとも、ゼウスの助けが無ければただの老人だが。
『それじゃ帰るとするかいのぅ』
竹蔵はスマホを取り出して自宅を確認しようと自分の住所をタップした。自宅の表示はされたが、自分の位置は表示されなかった。
『当然だ、ここは宇宙空間だ。スマホとやらは地表の電波で位置を表示しているのだろ?」
『そうじゃった。スマホは地上に居てこそ役に立つ道具じゃな?』
仕方なく竹蔵は今来たおおよその方向を見て自由落下から加速して降りて行った。ただ、見た目は若者が皮の繋ぎに真っ黒なヘルメット姿で格好悪くは無いが意識は86歳の老人である。湯舟に浸かった格好で空を飛ぶ姿はとてもスーパーマンと比較出来ない。
ゼウスは既にバリアーの質を変化させている。ここが空気の無い空間だからだ。自宅と思われる方向に向かって、その姿は隕石の落下に似ていた。周りの空気と竹蔵が纏っている空気バリアーが悲鳴を上げて摩擦熱で発光していた。空気バリアーは、音も熱も竹蔵に伝える事は無かった。流石に激しく光りだして竹蔵も気が付く。空気の薄い空中でバリアーを解くことは死を意味する。竹蔵にも、それくらいの知識はあるしゼウスがその様な行動は採ら無い。
地上付近まで、そのまま落下するに任せた。地上から見ると流れ星に見える。流星が横に見える分には願いを叶える縁起物であるが、この流星が地上の自分に向かって来るとなると話は違う。当然、この流星は竹蔵の家に向かっている。当然、竹蔵の家を見張っている人間の眼に入る。竹蔵の家を見張っていたテレビクルーたちだ。
「うわー隕石がこちらに向かって落ちて来る。早く逃げよう!」
温度は低温は赤く、高温になるほど白くなる。摩擦熱は抵抗力が大きいほど高熱になる。空気の摩擦熱は空気密度に比例する。上空より気圧の高い、地上に近いの方が高温となる。そして、流星の尾が見えれば、自分に向かって来るのでは無い為、危険は無いが、いつまでも円形のままに観えるのは、こちらに向かった来る証である。つまり流星が激突するコース上である。
空気が白熱して燃える。真っ白な火球がバリアーの十数倍の大きさに見える。テレビクルーの乗る車の周囲は真昼のように照らし出されている。隕石は真上から光を発して車に向かって来る。ドライバーはエンジンを掛け急いで逃げ出した。空気の密度が高くなれば成る程、摩擦熱が高くなり高温となる。白い発光現象は高温を意味する。カメラマンはカメラを手放さない。これから起こるであろう衝撃を覚悟してテレビカメラを上空に向けながら車は国道に出てひた走った。
「落ちる! 落ちる! もう駄目だっ!」
カメラを構えていた男が叫んだ。車の窓からカメラだけを上に向けて、頭を引っ込めた。亀のように首を身体に引き込むように両肩を上げた。彼は激突まで1秒も無いと思った。
「車を止めろ!」カメラマンが叫んだ。
運転手は急いで車を止め、これから起きる激突音とその後に生じるであろう衝撃波を待った。
しかし、激突音と衝撃波のどちらも起きることは無かった。二人はお互いの顔を暫く見合った。
「何!」
「どうなってるんだ!」
「戻ってみよう!」
カメラマンの意見にドライバーがエンジンを掛け "Uターン" をして急いで戻ったが何の痕跡も無かった。当然である。
竹蔵は地上3000m当たりで空気バリアーを解き、パラシュートで降りるような速度でユックリと直接自宅の庭に降り立った。眩しい光が一瞬にして消えた後の暗闇は真っ黒なライダースーツの竹蔵の姿を見定める事は出来なかっただろう! またしても竹蔵は運の強さを発揮した。
『危ない危ない、 危うく見つかる処だった。奴らが逃げ出さなければ見つかっていた』
『今後、気を付けて行動する必要がある』とゼウス。
竹蔵は直ぐさま自室に入り、マスコミの眼を逃れた。今後は自宅に戻る時、周辺に気を配り人に目撃されていない事を確認した後、庭に降りる事にした。ツキの無かったのが、一晩中寝ずに見張っていたテレビクルーだった。最高のチャンスを逃したのだから。
 

 
昨夜の出来事は朝のニュースに報道された。遠くから大勢の人間が目撃しスマホで撮影していた。ただ、竹蔵の住む住宅地の人間は皆が寝入っていたので、ニュースを見て初めて知って驚いた。
「お母さん、 ニュースで、この近くで隕石が落下したって放送しているよ」雄一がテレビを見ながら台所に立つ仁美に言った。
「怖いわね、隕石なんて落ちたら大変な事になるわ! でも、昨夜は何の音も聞こえ無かったけど?」
「うん、テレビでも近所にテレビ局の関係者が居たけど隕石が落ちたような処は無かったって言ってるよ」
「ウチの家が映っている」
「まあ、何てしつっこい人達なんでしょ!」
この報道に依ってマスコミ関係者の存在を近所の人達に知られる事になり、返って非難を浴びる結果になったのに彼らは気付かなかった。少なくとも昼間に堂々と活動する事は控え無ければならなくなったようだ。近所の五月蝿いおばさん達の抗議電話が殺到した結果だ。その後、隕石説は無くなったがUFO説で暫くテレビ番組で賑わった。
 
(関西中央テレビ局)
 
「あの街には何かある。昨日の隕石騒動も偶然とは思えない」と昨日のクルーの一人、ADの宮本猛が言う。昨日のビデオのチェックと今後の調査方針を決定する為に会議を開いている。会議と言っているが、只の雑談にしか見えない。昨夜のテレビクルーの宮本と飯島が中心に報告を兼ねて話を進めている。久美子は、宮本の話を聞きながら、確信を持った。
「何かある!」と。
人間と言う動物は、長年ひとつの職業に精通していると独特の感が働くようになるものだ。その感が働く者ほど、その業界での成功者となる。一般的に頭が良いと言われる人間は、知識を多く記憶している人間を指す事が一般的だが、重要なことは役に立たない知識を多く記憶することよりも役立つクオリティーの高い知識を持ち利用することが出来る人間が本当に頭が切れると言うのである。
特に証明されていない事を明らかにしようとする時、決定する為の要因は長年培われた《感》である。久美子には、この《感》がある。
「そうや、俺もカメラを回し続けたが空中でフッと光が消えた。ビデオにも残っている。隕石なら必ず落下している筈だ。それが途中で消えてしまった。在り得ない」昨日のカメラマンの飯島誠が言った。宮本が続けて、
「UFOかも知れない? もしかしてあの家族は宇宙人かも?」
家族はともかく、竹蔵の身体の中には宇宙人が居るのだから、言っている事は当たっているが、言っている本人たちは言葉ほど信じていない。殆んど冗談半分である。
「しかし、この映像のお陰で、あの街には、堂々と行けなくなったわね」ディレクターの野添久美子が続ける。
「兎に角、あの家族の周辺で変な事ばかり起きているのは確かだ」
久美子が二人のスタッフの意見に同意した。そしてホワイトボードに、これまでの経過を書き示した。ホワイトボードには事故の状況から始まって重症と思われた子供が全くの無傷で入院直後に退院した事。担当医師に確認したが正式には守秘義務の為に公開してくれ無かったが、看護士達の噂では死に掛けていた子供二人が瞬間的に怪我の痕跡も残こさず治癒したと言う。
その状況を撮影していた局三社のビデオカメラが殆ど同時に火を吹いて壊れた事。次に、その子供の家を監視してしていると隕石が落下したが被害は皆無だった事。これらの事を指差して説明を始めた。
「交通事故自体は、不幸な事だが特に不思議なものではない。ここにまとめた事象については、たった一つの家庭が中心で起こっている。第一に子供の驚異的な回復力。次にそのシーンを撮影していた三台のカメラの同時故障。そして、その家庭付近で隕石の落下事件。これらの事件が全て古川家が中心に起こっている」と久美子。
「あの家で可笑しいのは子供ですぜ!」
「私もそう思う、だけど子供だけが可笑しいとは限らない。だって子供の怪我が瞬間的に治った事を家族が変に思っていない。つまり家族はその事を当然と考えている。と言う事になる」
「つまり、スーパーチルドレン?」
「スーパーファミリーかも知れない?」
「普通、特殊な能力が有れば、それをネタに芸能界に入ってビジネスにするのが一般的だ。現代は目立ちたがり屋が多い。少しでも目立つ能力が有れば金になるから売り込んでくるもんだ。それが無いのは反って本物臭いなぁ」
彼らは人間が特殊な能力を持っていると芸能界やマスコミに関係してお金にするものと思っている。もっとも、彼等マスコミ関係者は本当に超能力や霊感能力を信じてはい無い。在ろうが無かろうがネタに成れば良いのである。
「とにかく、密着する事が必要だと思う」
「今、あの街で目立つ行為は無理だ!」
「とにかく、方法を考えて報告してくれる?」久美子は二人に命令して、皆口々に了解して解散した。
 

 
そんな事とは、知らない竹蔵の家族もテレビニュースからマスコミの攻勢をそれなりに予想していた。と言っても、これといって対策を立てる程の緊迫感は無かった。実際本当の超能力者は竹蔵なんだが、家族は何も知らない。
今日も竹蔵はゼウスの力を借り訓練を続けていた。竹蔵は楽しくて仕方なかった。今までボンヤリと生きて来て、目的もなく他人に頼られる事も無く、ただ死ぬのを待っているだけの生活だったのが、認知症が治り(家族や近隣の人間はそう思っていない)鳥のように空を自由に飛べる。
竹蔵は、この能力を利用して人助けをしようと考えていた。ゼウスも地球が平和になり技術開発が順調に進めば、仲間を救う事になる。と考えている。
 
(スーパーブラックマン現る)
 
消防車のサイレンが鳴り響く。大阪市都島区内の高層マンションの上部三分の一の辺りで火災が起きた。このマンションは周囲のマンション群の中央部に位置し、其々のマンションの間には樹木を配置して緑地帯が幅広く存在する。
その為、住人には好評だ。このマンション群は、一時期化粧品やバイオテクノロジーで有名を馳せた企業の工場跡地に建設された○○パークシティーと呼ばれている。ここには通常の長方形の建物と歯車の形をした高層マンションの2種類がある。今回の火災は歯車型の高層マンションで起こった。このマンションは内部階層に特徴があり、住民には気に入られているようだ。ただ、今回の火災はこの特徴が仇になっている。初めて火事になって高層ビル用のハシゴ車がマンションの近くまで入れなかった。火事は、未だ広がっていないが、火災現場の上の住人は煙の為に逃げ出せない状況である。火事と共にエレベーターが停止し、非常階段には煙が充満して、自分の部屋に閉じこもった人たちも多い。
火災現場の階下の住人は時間を掛けて階段を降りて行った。最上階に逃げ出した人は、ヘリコプターでの救助を待っている。だが、建築年度の古さから屋上にはヘリコプターの着陸スペースが確保されていない。最近建設された隣接地の旧製紙工場跡地のマンションには最新式のヘリコプター駐機場が確保されているが、この建物には無い。救助ヘリコプターはホバリングして救助しなければならない。そしてヘリコプターに乗れる人数は余りにも少なく、先を争う姿も見受けられた。
炎は辺りを不気味に照らし、火事を観る為に集まった群衆は消火活動の邪魔になるのも構わず増える一方である。誰も自分が邪魔な存在とは考えていない。

野添久美子は、連日の会議続きで今日は早くから寝入っていた。心地よい眠りの最中に火災報知器の騒音で目が覚めた。
「何よ~、何処が火事なのよ?」
ベッドから這い出てベランダのガラス戸を開ける。ガラス戸を開けた途端、一気に騒音が流れ込んだ。火災報知器の音は玄関ドア側からの音だったが、ベランダのガラス戸を開けると消防車のサイレンや火事場の野次馬の騒音で一杯だった。
ベランダに出て下を見ると群衆が自分のマンションを指差し見上げているのが見える。気がつくと二階下から猛烈な熱風が吹き上がって来るのが判った。
「火事だわ!」と思わず叫んでいた。
二つ下の階のベランダから炎が吹き出ているのが見えた。熱気が久美子の顔を舐めるように吹き付けた。急いで玄関ドアを開けると猛烈な煙が部屋に吹き込んで来た。
階段が煙突の役目をして煙が久美子の部屋に吹き込み、先ほど開けたベランダのガラス戸から吹き出ていく。思わず玄関ドアを閉じたが部屋の中は煙で充満し呼吸するのも苦しかった。急いで浴室でタオルを水に浸し口と鼻を塞いだ。呼吸は多少楽に成ったが、眼に入る煙は視界を遮る上に目にしみる。
ドアを開けて出ようとしたが非常階段まで逃げるのは難しそうだった。廊下に充満している煙には一酸化炭素が含まれているように思えた。一酸化炭素は、一度吸い込むだけで意識不明に成る事は、過去の事件でも知っていた。
玄関ドアを閉めた為、ドアから入る煙は少なくなったが、ベランダから顔を出し下に居る消防士達に救助を求めようとしたが、高さがそれを阻んだ。
久美子は、当然ハシゴ車が来て助けられると思っていたが、グリーン・ゾーン(緑地帯)が大型のハシゴ車の進入を阻んでいる。普段から、自分の判断力には自信があったが、この時程、自分の知識と判断力の至らなさを呪った。
ベランダから上空を見るとヘリコプターが何機も旋回しているのが見える。どう見てもベランダからの救出は無理である。再び玄関ドアから屋上に逃げようとしたが、吹き込む煙は勢いを増し逃げ出す事は出来なかった。
 

 
「じいちゃん! じいちゃん火事だよ!テレビで放送しているよ!」
雄二が竹蔵を呼んだ。竹蔵は自室でゼウスと話していたが、雄二の声で居間に向かった。テレビにはヘリコプターからの映像も放送され、高層マンションの為、思うように消火活動が進んでいない状況をコメントしていた。
空からの映像は高層マンションの中央付近の部屋から炎と黒煙が吹き出ている。ハシゴ車から放水はしているが角度が悪い所為か十分に火元に水が届いているようには見えない。
「屋上に居る人達、助けられるんだろうか?」
「多すぎてヘリコプターで助けるのに時間が掛かりそう!」
「未だ上の階には火が移っていないようだが、時間の問題だなぁ」
テレビの放送では、番組を中断して火事の模様を放送し続けている。場所は大阪の都島だと言っている。竹蔵はスーパーマンの出番だと考えた。ここから火事の現場まで、恐らく数分で行ける。家族がテレビに釘付けになっている間に自室に戻った。ライダースーツに着替えヘルメットを被る直前、竹蔵の顔が変化した。
当然、若い頃の自分である。ライダースーツは竹蔵の身体にフィットしている。竹蔵は静かに庭の硝子戸を開けた。竹蔵の姿は誰が見てもかなり怪しい! 夏のクソ暑い夜に黒ヘルで黒色の皮のライダースーツを着た男が真っ暗な部屋から出て来るのだから。どんなに善意に解釈しても警察に通報する状況である。竹蔵は庭に出て周囲から誰にも見られていないのを確認して、空に飛び出した。真っ黒な姿の竹蔵は夜の暗さが見え難くしている。
竹蔵はウキウキ気分である。映画で観た「スーパーマン」と同じ人助けが出来るかも知れない。と考えているからだ。だが、格好悪い目に遭うのは嫌だ。とも考えている。行ったものの、どうやって火を消せば良いのか?人命救助が出来なかったら、空を飛んで行ったものの、恥ずかしい思いをする羽目になるのも嫌だし、途中でアレコレ考えると帰りたくなってきた。
竹蔵は都島区のおおよその位置は判っている。大体の方向に向かって飛べば火事の炎で判るだろうと考えたのだ。距離は直線で2~3km。目と鼻の先である。行くか帰るか?考えているうちに、十数秒で都島の火事現場に着いた。周りはヘリコプターが救助と報道の為に十数機が舞っている。
『大丈夫だ! お前の出番は十分に在る。火事の現場に行くぞ!』
ゼウスが励ます。竹蔵は人助けを考えている。だがよく考えてみると火事の現場に助けを求める人間が居なければ、どうすれば良いのか考えていなかった。そもそも、火事を消すには水が必要だ。考えれば考える程、何をどうすれば良いのか判らなくなってきた。

火事の現場では、取り残されている人間が多勢居るのが判ったからだ。建物の中の人間の位置を竹蔵の脳に送った。送られた画像には、建物が透き通ったレントゲン画像のように見える。火元の部屋には誰も居ない。一番危険な位置に居るのは2階上の部屋の女性だ。周辺を確認して行くと多くの人間が取り残されているのが見える。ひとりひとり助けていては時間が掛かり過ぎる。ゼウスは竹蔵に火事現場の部屋に入るように促した。
『分かった!』と竹蔵。
竹蔵は思い切って、ヘリコプター群の中に突っ込んだ。数機のヘリコプターの操縦士が驚いて眼をむく。
「うわ〜! なんだ?」操縦士が目の前を落ちていった人間の姿を認めた。
「どうしたんだ?」カメラを抱えて撮影していたカメラマンが顔を上げて操縦士の顔を見た。
「あれっ!」操縦士が顎で下を指した。どう見ても人間だ。真っ黒なスーツを身に纏い黒いヘルメットを被って火事の現場に落ちて行った。見物人は始めヘリコプターの乗員の誰かが落ちたと考えた。しかし、落下したと思われた人間が炎の吹き出す部屋の前でフワリと空中に停止した。当然、火事現場の群衆は空を見上げ一斉に指差している。
「何だアレは?」カメラマンは、急いで人間と思われる黒い物体にピントを合わせる。
「人が空中に浮いている?」
「スーパーマンだ!」火災現場をスマホで撮影している野次馬たちも竹蔵にカメラを向けた。
「でも、ヘルメットを被っているぞ!」
火事見物の群衆も救いを求めている人間たちの事を忘れ茫然と空を見上げている。消防士達も群衆の声につられて、消火活動を忘れてしまった。
火事現場に到着した竹蔵は、見物人や消防士たちを見回す。全ての視線が竹蔵に向けられている。
『どうやって消せば良いのか?』
竹蔵の問いに、ゼウスが含み笑いをしたように感じた。
『中に飛び込めばいい!』
『炎の中に飛び込むのか?』
『大丈夫だ! エネルギーを吸収するから直ぐに火は消える』
『つまり、お前さんが食べる訳じゃな?』
『そう言う訳だ!』
竹蔵は火元の部屋へ飛び込んだ。
「わ〜っ! 火の中に飛び込んだぞ〜!」
ベランダから吹き出る炎は、さながら火炎放射器である。その火炎に向かって飛び込む事は、自殺に等しい。
群衆も消防士達もその瞬間を見ていた。久美子も火事現場の二階上から目撃していた。最初、空から眼の前に黒ずくめのヘルメット姿の男が落ちてきて、直ぐ下の火事現場の部屋の前の空中に浮いて止まったのを見ていた。
「わっ! 」
最初、久美子は上の階から人が落下したと思ったのだ。その黒い人影は火災現場の部屋の前で空中に止まったのを見て、再び驚いた。
そして、イキナリ炎の吹き出す部屋に飛び込んだ。そして次の瞬間に炎が消えた。噴出した煙は未だ残っているが熱気は無い。初めから火事など無かったかの様に。ただ少しの白い煙と煤けた壁が名残りを見せていた。火が一瞬で消えたのを久美子は観ていた。
あれだけ激しく吹き出していた炎が一瞬にして消え去った。それも、水を掛けて消火したように見えなかった。不思議な火の消え方だった。久美子が尚も階下を見ていると火災現場の部屋から黒ずくめの男が出てきた。勿論、空中にだ。
『ゼウスさんや! あんたにとって火は食べ物かね?』
『そうだ!太陽光線より炎はエネルギー量が大きい。そしてとても美味しいのだ!』
『それじゃ火事は、あんたにとってレストランと同じじゃな?』
『ラーメン屋だな!』
竹蔵は暫く考えて、この火事がラーメン屋ならレストランならビル1棟全焼した時だな? と考えた。
『ところで、この後どうしようか?』と竹蔵。余りにも呆気なく火事が消えてしまったので手持ち無沙汰だ。竹蔵は、炎の中から格好良く若い女性を助けるシーンを想像していたのだが助ける美人の女性が居ない。
『これから、この姿で人助けを続けるのか?』ゼウスも物足りなさを隠さない。
『そのつもりだが?』と竹蔵。
『もう全員助かっている!」とゼウス。
『それじゃ! 観客が沢山居るのだから、この際正義の味方のスーパーマンでアピールしてはどうかな?』
ゼウスは、そうする事で、今後堂々と世界中を飛び回れると考えた。
『そうじゃな! それも良いかも知れんな?』
竹蔵は、そう言いながらベランダから外へ出る。久美子は上から見ている。ゼウスが竹蔵にベランダの女性の存在を知らせる。
『丁度よい人材が上に居る』
久美子は男がベランダから飛び出したのを見ていた。その男はユックリ上昇して、久美子が居るベランダの前で止まった。竹蔵の心臓の鼓動が早まる。ゼウスが竹蔵の異常を知る。
『どうした?』
『判らん!』
竹蔵自身理解出来ない。目の前の女性はとびっきりの美女だ。年齢は40前後か? 竹蔵が永らく忘れていた感覚である。竹蔵は自分が老人であることを自覚している。こんな老人に興味を持つ異性は居ない事が判っている。今更女性に興味を持ったところで恥を掻くだけである。しかし、今は若返っているし、ヘルメットで顔も見えないだろうと考えた。竹蔵は芝居掛かって言う。
「お嬢さん、下までお送りしましょうか?」と。
しかし、言った尻から後悔が付き纏う。この女性が怖がったりして騒げば、大恥をかく事になる。多勢の人間が見ているのが判る。竹蔵の心臓が早まる。
久美子は思わず両手を差し出した。男はフワリと久美子のベランダの前に来て、同じく両手を差し出し久美子の手を握った。久美子が男の手に触れた瞬間、自分の身体から重力が無くなるのを感じた。素足で踏みしめていたベランダのコンクリートから感覚が無くなり浮き上がるのを感じた。久美子の身体が水平になり男が後方に下がると久美子の身体も男と共にベランダの外に漂い出た。
竹蔵は女性の手を握ろうと触れた途端、女性の手が竹蔵の手にくっ付くように感じた。
『接触が外れると引力が切れるので女性の身体全体を引力圏に引き入れる』ゼウスの言葉を竹蔵は即座に理解した。
「凄い、何これ!身体が! 私、空中に浮いている!落ちる!」
久美子は、今まで超能力とか霊能力とか言う超常現象は信じていなかった。マスコミ関係者が取り扱うこれらの番組は、あくまでも視聴率の確保が目的であり、全ては他局との競争目的だ。
過去、超能力を見世物にする企画は全てマジック(手品)の技術で解明出来るものばかりだった。しかし、今経験している現象は超能力以外何物でも無い。何よりも超能力を信じていない自分が実際に経験するこの現象は科学的に証明出来ない。嫌、科学的に証明出来るのかも知れないが自分の持っている知識では到底説明出来ない。
久美子は自分の足が身体と平行に浮いているのを確かめた。
「大丈夫だよ!」
久美子の驚いた言葉に男が応えた。久美子はヘルメット越しの男の顔を観ようと両手を引き寄せた。しかし、男はそれ以上、近寄せないように両手を伸ばしたまま地上に降りて行く。男の身体が下に見える。その後を追うように久美子の身体が降りてゆく。まるで世界から重力が消え去ったかのように。実際に重力が消えて居るのだが。
男は地上に降り立った。男は両手を挙げて久美子の手に触れている。群衆は二人から遠く離れた位置から取り囲んでいる。久美子の身体が男の前に降りる。誰も火事には興味を失ったようだ。ほぼ全員がスマホで撮影している。
久美子の手を男が放した瞬間に久美子の身体に重力が戻った。久美子は自分の体重が数キロ増えたような感じがして、一瞬目眩がした。全身に掛かる重力。前のめりに成った。
男が久美子の身体を抱き寄せて支えた。その時、再び重力が消えた。久美子は思わず気を失った振りをした。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
竹蔵は久美子を立たせ倒れない事を確認して手を放した。久美子は仕方無く正気を戻した振りをして両足で立った。男の手が離れると同時に身体全体に重力が掛かる。夢の世界から一気に現実に引き戻されるような感じである。
人間の脳は重力を感じ上下左右前後を認識して初めて正常な判断が出来る。無重力空間の中では脳は正常に思考出来ない。ジェット戦闘機のパイロットが長時間の訓練と継続した訓練が必要なのは、特殊な環境下、つまり戦闘機の不規則な軌道で生まれる重力の変化に対して人間の高度な判断力を維持する為には訓練を継続しなければ維持できないからである。
久美子は男の手を掴んでいたかった。彼女が追いかけようとした時、男は再びユックリと空に浮き上がった。それまで呆気に取られて観ていた群衆はスマホやデジカメで動画や写真を撮り続ける。久美子は男が空を飛ぶ能力の一端を垣間見た気がした。この男は重力を操る事が出来るのだと、少なくとも、そんな機械は聞いた事が無いし、もしかして超能力者だと思った。今まで、霊魂や超常現象や超能力者の事は馬鹿にしていたし、100%信じていなかった。それが今、眼の前で見たし自分の身体で体験したのだ、沢山の群衆も証人である。
久美子はハッと思い出した。自分はマスメディアの最先端の職業人だと自覚している。このチャンスを活かさないでテレビ局のディレクターは務まらない。この瞬間、朝のニュースのタイトルが決まった。《真っ黒なヘルメットに真っ黒なライダースーツを着たスーパーブラックマン現る!》
一瞬ダサイかなとも思ったが、アメリカ映画のスーパーマンとは、明らかに異なり身なりは人間的だ。身体も久美子と同じくらいか、少し小さいかも知れない。だからスーパーマンと言う言葉は使いたく無かった。
見上げると久美子を助けた男は、上空のヘリコプターの群れの隙間をゆっくりと上昇して行く。映画のスーパーマンのように仰々しくはないが、周りのヘリコプターを寄せ付けない重々しさを感じさせた。ユックリ周囲の人間たちに、その姿を見せつけるかのように空を飛んで行く。実際には、ゼウスと竹蔵とで、周囲のヘリコプターを巻き込まないように注意しながら上昇していただけだが、それが返って《格好良く》眼に映ったようだ。
十分にヘリコプターの集団と離れたと判断したのか、夜空の闇に消え去るかと思って見ていると真っ黒なその男が銀色の光に包まれたように見えた。そして銀色の光と共に男は宇宙空間まで信じられない速度で消え去った。そのスピードは地球上のどの飛行機やロケットやミサイルよりも速いように見えた。久美子はジェット戦闘機が音速の壁を越える瞬間の映像を見た事が有るが、男の消え去ったスピードはその何倍も速いように見えた。
後で聞いた話だが、報道各社のヘリコプターは、謎の男を撮影しようと上昇して来る男にヘリコプターを近づけようとしたが、全く操縦が出来ない状態に陥ったそうだ。操縦士はヘリコプターが動かないのではなく、見えない壁が在るようだったと報告している。
男が消え去った空を群衆はいつまでも見ていた。我に返った久美子は、上を観て火事現場の階を探したが闇に紛れて煤けているだろうベランダも見えなかった。火事で停電しているのも見え難くしていた。消防士たちは現場検証を始めていた。久美子はマスコミ魂を発揮して一人の消防士を捕まえて問いただした。
「火が瞬間的に消えたけど、現場はどうなっているの?」
「関係者以外には話せません!」
「私は火事現場の直ぐ上の階に住んでいる者です。何時自分の部屋に帰れるかは知る権利が有ります」と口を閉ざそうとした若い消防士に詰め寄った。若い消防士は仕方なく耳打ちする様に。
「直ぐに帰れると思いますよ!」と言った。すかさず久美子は畳み込むように。
「直ぐにたって、又火が出るかも知れないでしょう?」
「それが、不思議な事に鎮火してから一週間ぐらい経った感じなんです。とにかく、不思議過ぎて我々も困っているのです」
「そんな馬鹿な、さっきまで猛烈な火災で私の部屋も煤だらけよ!」
「そうなんです、火災のあった部屋より他の部屋の方が温度が高いんです。火災の有った部屋は冷蔵庫の中のように冷え冷えしているんです!」
久美子は男が火を消すだけで無く、火災のエネルギーを全部吸いとったのでは無いかと考えた。実際、その通りでゼウスにとって火事のエネルギーは、美味しい御馳走だった。本当は、もっと燃え続けてエネルギーを吸い取り続ける方が良いのだが、竹蔵は急いで帰宅する必要がある為、急いでエネルギーを吸収したのだ。
火災を消した後の出来事は全て竹蔵とゼウスが相談して、野次馬たちにアピールしたのだ。最後に銀色の光に包まれるシーンは勿論空気バリアーだが周囲のヘリコプターが照明用にしているサーチライトの光を利用して反射させた。ゼウスにとって光の性質を操作させるのは簡単である。特に最近のサーチライトは白色LEDライトを使用している為、銀色の反射は容易だった。そして、その反射光を利用しつつ宇宙空間まで飛び去る姿を見せる演出は予想以上のインパクトを人間たちに植え付ける事が出来た。

当初、竹蔵が思い悩んだ事など吹っ飛んでしまった。ゼウスも今では子供のように喜んでいる。人間からすれば、神のような存在なのに竹蔵と同化してから殆んど人間と変わらない考え方をするようになっている。これも同化の影響なのだがゼウス本人は気が付いていない。
竹蔵は高空から一目散に自宅へ戻って、周りを確認しつつ自室に戻って再び居間にいる家族の後ろに立った。雄一郎達も火事現場の生放送を見ていて、謎の男の話を聞いていた。まさか、自分の父親が当人だとは思いもしないだろう。テレビでは、その不思議な男の事で予定の番組は中断して、謎の男の臨時番組になっていた。そして、火事現場の群衆が撮影したビデオが数十件流された。火事が消えてから1時間も経つと100件以上の動画がYouTubeにUPLOADされていた。この放送は一晩中続き誰もが各テレビ局の放送を見続けていた。
 

 
素足の久美子は消防士の案内で自宅に戻った。そこに携帯電話が鳴った。会社からの呼び出し電話だ。久美子も先ほどの事件を頭の中で整理している。着の身着のままで深夜にも関わらず、タクシーで会社に駆けつける。会議室に入ると幹部連中が集まっていた。さながら政府の危機管理室のようだ。深夜の会議にも関わらず、ほぼ重要な人物は集合していた。
当然、話は先程の火事の現場に現れた男の件である。誰も火事の現場から空を飛ぶ怪人に救出された人間が目の前に居る久美子であることに気が付いていない。出席している者たちが、隣同士まとまり無く話が続いている。
「皆んなも見たと思うが実はあの黒づくめの男について集まって貰った。人間が何の装備も無しに空を飛ぶことは不可能だ。しかし、あの男は飛んだ!」
「男か女か分かりませんが?」
「勿論、その通りだ。しかし今はそんな事はどうでもいい。仮にでいい。今後あの男についての情報を集める。そして特集番組を組む。何か質問は?」
久美子が手を挙げた。久美子が立ち上がり周りを見渡した。会議に出席している全員が久美子に注目した。
「実は、私があの不思議な男に救われた女です」と報告すると幹部連は驚いて投稿ビデオを確認して久美子の顔と見比べた。
テレビ局には既に視聴者から沢山のビデオがメールに添付されて送られている。その上、テレビ局では情報をいち早くブログに掲載する人間のブログアドレス情報を持っている。
今はマスコミ各社も情報の入手先はインターネットである。中東の戦争でさえリアルタイムに動画がアップロードされているのだ。一時期戦争カメラマンが流行った時もあったが、今では世界中の殆んどの人間に行き渡ったスマホが世界中からYouTube やブログにアップロードされる。
マスコミは検索エンジンに欲しい情報の語彙を各国の言語で入力するだけでよい。世界中の国家の情報局も同じである。一時期アメリカの「CIA」やイギリスの「MI5」「MI6 」「スコットランドヤード」はインターネットの「e-mail」を全て覗き見していたと言われている。
今では世界中の国家の情報局も同じようにしている。ただ、現在の世界中を飛び回れるデータ量は、半端無く巨大化している。従って現在では、この超巨大化したビッグデータから必要なデータだけを取り出すことが重要になっている。「クラウド」は、その中心になっている。
無料でやりとりしているメールは、全て情報収集が目的である。チーフ・プロデューサーの秋野が久美子に訪ねた。
「それで彼と何を話した?」
「彼の素性は、 男前か?」次々浴びせられる質問に久美子は閉口した。
「とにかく、顔も見ていないし話もしていません」と久美子が言うと、秋野は力無く椅子に座った。久美子は。
「ただし」と言って秋野の眼を自分に向けさせて、もう一度。
「ただし、物凄い事が判りました」と続けた。会議に出席している一同が久美子に注目した。
「私が手を伸ばして、彼の手を握った瞬間、重力が消えました」
「それは、どう言う事かね?」
「彼の手を握った瞬間に身体が浮き上がるのを感じました。まるで、そう水中に漂うみたいに」
「ふーん、気の所為では無かったのか?」と一人の上役が言う。
「ビデオを確認して下されば解ります。ビデオが在ればいいのですが?」
スタッフが沢山の投稿ビデオを確認した結果、幾つかのビデオに男と久美子が離れているにも関わらず空中に浮いているのが映っていた。そのビデオを見て、他に判った事が無いか質問攻めになった。
「他に気が付いた事は無いかね?」秋野が他を制して。
「彼が出火した階下の部屋に飛び込んで、ほんの数秒で火が消えました。一瞬です。それと不思議なのが熱さが無くなりました」久美子が訴えるように言う。
「そりゃ、火が消えれば熱さはなくなるだろう!」出席者の一人が言う。
「いえ、どんな火事でも消火された後は、燃えた後の熱気は残ります。ところが、初めから火事が有ったような形跡が無いのです。それより、周辺の気温より涼しく感じました」久美子は当時の事を目の当たりにするかのように、遠い目で思い出していた。
「すると、その男が火事の熱そのものを吸い取ったと言う事になるのか?」
「そんな感じです!」
火事の炎のエネルギーを吸い取って火事を瞬間に消した事や地上に降りて行く状態や降りてから気を失う振りをして男に心を読まれた事などを話した。
そして幹部連から、この男の事を調べる任務を命ぜられた。久美子も当然そうするつもりだし、もっと男の事を知りたかったので渡りに船と二つ返事で引き受けた。
結局、久美子は一睡も出来ずに会社で朝を迎えた。そして、自分の部屋に鍵を掛けていない事や部屋の中がどうなったのか、心配ではあったが、昨夜の出来事が余りにも突飛過ぎて夢の中の世界の様な気がして、未だに現実に戻れなくなっていた。
現実しか見て来なかった女が一転して夢の中の世界に入り込み戻れなくなってしまった。もっとも、その女とは40歳を目前にした自分だ。久美子はその恋する少女である。
 

 
テレビ局は24時間営業である。朝日が昇る。空腹を感じた久美子は残っていた出演者用の弁当を食べながら、繰り返し昨夜の男の事を鮮明に思い出そうとした。久美子は少しでも忘れている事が無いか、一秒毎に記憶を精査した。
男の仕草、握った手の感触、ヘルメット越しの顔、数時間前の事なのに記憶がぼやけている。頭を振って記憶を鮮明にしようとするが何ひとつハッキリしない。
人間の脳は、強烈な刺激を受けると他の記憶は曖昧になる。その曖昧な記憶を鮮明にしようとすると脳は新しい記憶を創り出す。この新しい記憶を人間は事実として受け入れてしまうのだ。久美子にとって、初めて男を意識したと言っても良い。それ程の大きな衝撃的な経験だった。
他の社員が出社を始めた。そして、昨夜の件を知ると久美子の周りに人垣が出来た。久美子は何度も同じ事を聞かれたが、全く気にはならなかった。そして聞かれる度に彼の事を思い出しウットリとした表情になるのが自分でも分かった。ヘルメット越しの彼の顔を想像して更に妄想が拡がった。
「チーフ、チーフ!」
何度も呼ばれて、同じチームの連中が集まって居るのに気が付いた。上司に命令されて久美子の専任のチームとして動く様に指示されて久美子の下に集まった。放送業界では、ディレクターの事を呼ぶ場合様々な呼称を使う。
これはメディアによって変わる。一般的には番組全体の指揮をするチーフディレクターはチーフDとか単純にチーフと呼ぶ。スタッフロールには「演出」と書かれる事が多い。番組によってはゼネラルディレクターが居る場合はゼネラルディレクターが「演出」になり、チーフディレクターは「チーフディレクター」と表記される。取材専門のディレクターは、取材ディレクターといい、スタジオ(フロアー)において副調整室に居るディレクターからの指示をインカムやカンペを用いて出演者やスタッフに伝達するフロアーディレクター(FD)やNHKではプログラムディレクター(PD)と言う、またフジテレビではPDをチーフディレクターと言う意味で使用する事もある。現場では短縮して「ディー」と呼ぶ事が多い。最近のバラエティー番組では、プロデューサーがチーフDを兼ねているケースも多い。
久美子は取材ディレクターになるが、仲間うちでは「チーフ」で通っている。
「昨夜の事は、皆んな知っている通り。これから私達は彼を追い、何処に住んでいるのか、 何処から来たのか、 何をしに日本へ来たのか?」と言いつつ。
「何処から来たのか」と更に繰り返し。
「あの男は、 嫌、男かどうかも判らない、 少なくとも地球の人間に、あの様な事は不可能だと思う」久美子は自分が男だと思い込んだ事に腹が立って来た。但し、少なくとも人類の味方であることは確かだ。
「とにかく、彼に関係すると思われる情報は全て漏れなく報告する様に!」と言って解散させた。
「あの〜?」先日、守口の不思議な家族の調査を命じられたスタッフが、恐る恐る声をかけた。
「守口の不思議なあの一家は、どうしますか?」と聞かれ、久美子が一番疑わなくてはならない人間が居る事を思い出したのだ。
「あ〜!、私とした事が~、 なんて馬鹿なの!良く考えたら、あの家族が少なくとも関係して居る可能性が一番高い事に気が付かないなんて」
あの自動車事故からの不思議な事が始まったように思える。黒づくめの男は、あの家族の関係者である可能性が一番高いのにも気付いた。
「あの家族を徹底的に洗うのよ!」と続けて、
「特に父親を調べてっ! 何処で産まれて、学歴や、何処で仕事をしているのか? 好きな食べ物や嫌いな食べ物も全て調べ上げるのよ!」
久美子は年齢的にも、あの父親が一番疑わしい。昨夜の対象の男に近いと判断したのだ。本当は、認知症の86歳の老人なのだが。少なくとも一歩づつ近づいているのは確かだ。

一方、そんな事とは夢にも思っていない竹蔵と家族は朝のニュースの話題に興じ、雄一たちも学校で、その話題で持ちきりだった。朝のニュースの中で久美子が言ったスーパーブラックマンの一言が日本中に拡がった。子供たちはスーパーブラックマンゴッコをして遊び、インターネットにもスーパーブラックマンの名前が飛び交った。
久美子は自分が命名した名前が全国に認知されたのには満足した。しかし自分が経験して判った彼の能力の事は他社には極秘にさせた。何としても他社より情報を集め特集番組を組みたいと考えている。守口のあの家族の事や彼が来るであろう事件や事故の情報もいち早く伝わる様に手配した。
 
​(竹蔵月へ行く)​
 
月は何時でも、そこに在る。人類は夜、その存在を意識する。人類の肉体と精神構造は太陽と月によって影響される。人類だけではない。地球上の全ての生物は、太陽と月に依って産まれ育ち死んで逝くのだ。太陽と月の引力は、地球の重力に大きな影響を与え生理機能の周期を決定する。地球の四季は太陽に依って決定され、月に依って生体周期が決定される。太陽と月の周期に従う限り地球人であり。この呪縛から逃れた時、地球人は宇宙人になれるのだ。

竹蔵は今夜も訓練の為、夜の空に飛び出そうと構えていた。しかし、付近の人間の脳波を探るとマスコミ関係者が居るのが解る。久美子のスタッフである。竹蔵の家からは直接見えない位置に車が国道側に向けて停車している。勿論、スーパーブラックマンを探しているのだが、男たちは、こんな処に居る筈が無いとも考えている。
「ネット動画を見ただけだが、あれだけの能力が有れば、俺なら世界征服をしているぜ!」
「アホか? 空を飛べるだけで世界征服なんか出来るか?」
「それにしても、空を飛べるなんていいなぁ~、女の子なんて選り取り見取りだぜ~」
「お前が、空を飛んだら《空飛ぶスーパー痴漢》だぜ!」
「それって受ける~」
「世の中の女の子が逃げ回る羽目になる!」
「お嬢さん自宅までお送りしましょう! なんてね〜」
車の中で張り込みをしている男達の会話である。まさか彼等が探している男が86歳の老人であるとは夢にも思わないだろう。
竹蔵はステテコ姿に上は半袖のTシャツだ。履物はサンダルで京阪線の駅に向かう。この辺りは道路が狭い為、殆んどが一方通行だ。だから、一本通りを誤ると戻って来るのに遠回りしなければならない。従って歩行者を追跡するのに車は使えない。
「おい! 爺さんが出て来たぞ! どうする?」
「爺さんなんか追い掛けても仕方がない、ほっとけ! 目的は父親だ!」
「見ろよ! サンダル履きで出掛けるスーパーマンなんか居ないぜ!」
「しかし、何だって今頃の時間に出歩くんだっ?」
「コンビニでも行くんじゃ無いか?」
車中での会話は、直接目の前で聴いているように竹蔵の耳に入る。竹蔵はサンダルの音を立てて歩く。土井駅の横の高架下を潜り抜け駅前商店街に入る。この商店街は夕方8時頃から締め始め9時頃には、ほぼ全ての店舗は閉店している。深夜の商店街を抜け国道を渡り、淀川の堤防を目指す。
夜、数人の散歩やジョギングをする人達とすれ違う。さすがにこの時間帯に散歩する人間は少ない。今、竹蔵の身体は見掛けは老人だが体力は若者と同じだ。ゼウスが細胞を作り直したお陰である。しかし、運動不足までは解決出来ない。淀川の堤防を登った時には疲れ果てていた。
『ゼウスさんや! 身体が若返っているのに、こんなに疲れるのはなぜかいな?』
『若者でも運動不足なら疲れるのは当たり前では無いのか?』
『そりゃそうだが、若い頃はこれぐらいでへたばった事は無いんじゃが?』
『いつも、そうなのか? 運動不足でもか?』この一言で竹蔵は思い当たった。
『運動不足か? そりゃそうだわ。ここ数十年運動なんかした事が無い! ゼウスさんの力でも運動不足までは解決出来んじゃろな!』
『竹蔵は竹蔵のままだ。細胞レベルの改造は出来ても身長を伸ばしたり男を女にする事は出来ない』本当は出来なくはないのだが、面倒臭いのだ。
竹蔵はヒィヒィ言いながら堤防を越えて河川敷に降り立った。川面を超えてきた風が涼しい。淀川の河川敷は大阪から京都まで運動公園として開発されている。サイクリングロードやテニスコートや野球場まで広く開放されている。
昔、淀川の本流横には《ワンド》と呼ばれる大小の池が在った。そしてワンドの横には葦が群生していた。昔はプールの整備がされていなかった学校の生徒が淀川で泳いでいたものだ。台風の度に水が増水し堤防の上ギリギリまで川面が来た事もある。竹蔵も昔は河川敷で飼われていた牛が流されるのを見た記憶がある。淀川に来る度にその事を思い出す。
真っ暗な河川敷に立つと堤防を越えて見える街の灯りが美しい。平和な日本のこの時代に生きて幸せを実感する。
『行こうかいな?』竹蔵はゼウスに言った。所々に人の気配がするが竹蔵に注意を向ける者は居ないようだ。川の周辺には葦の林が在る。竹蔵はそこまで行って空に飛び出した。

今日は、十分な空気バリアーを身に纏っている。下を見ると既に淀川は見えない。夜の街の灯りが繋がって見える。成層圏まで来ると日本全体が列島の形の灯りとなって見える。竹蔵には美しい龍のように見えた。他の国々は、何処がどの国なのか判らない。所々大都市だけが明るく輝いている。雲が掛かっている所に時々光るものが見える。雷の光だ。
竹蔵は宇宙空間に飛び出した。竹蔵の周りには竹蔵の身体を中心に球形のボールの様に空気が張り付いている。誰かが観ていたら銀色のボールが宇宙空間を飛び回っているように見えただろう。そしてそれが月に向かって飛んでいく。
宇宙空間を移動する時、先ず地球の重力を断ち切って地球の遠心力と反発力で飛び出す。波動エネルギーを進行方向の反対側に放射し加速する。地球と月との距離では一瞬の加速で良い。後は月に近づくと月の引力を捉えて再加速する。
ゼウスのように光細胞だけであれば波動エネルギーだけで宇宙空間を光の速度で移動が可能であるが、肉体を持つ竹蔵は、まだ数十分の一の速度でしか移動出来ない。加速にも時間が掛り惑星の遠心力や反発力を利用して行う。竹蔵は、ゆっくりと小さくなって行く地球を見ていた。濃紺の球体に雲の色彩が美しい。
ゼウスによると、この銀河の中でも10本の指に入ると言う美しさだそうだ。もっとも10本と言う言い回しは地球で覚えたものだが。竹蔵は生まれて初めて観る光景に眼を奪われた。
昔、「地球は青かった」とか言った宇宙飛行士の言葉を思い出した。全くその通りだと思う。いや、言葉ではこの美しさを言い表すことなど出来ない。言葉で伝える事など不可能な程の感動を覚えた。知らない間に竹蔵の眼から涙がこぼれた。
竹蔵は感動すると供にこの地球を平和にしようと心に誓った。そして雄一と雄二にこの美しさを見せてやりたいとも思った。濃紺の真珠が小さくなる。竹蔵はこの感動を絶対に忘れまいと誓った。
そして前方に眼をやると黄色く岩だらけの月が大きく見えてきた。濃紺の地球と比べると何と味気ない景色かと思った。地球から見た月は幻想的だと思ったこともあるが、宇宙から見た地球と比べると月は只の岩石にしか見えなかった。月は近づけば近づくほど見る物は無い。砂漠に隕石の跡があるだけで、竹蔵には何の感動も感じさせなかった。それでも地球に一番近い天体なのだ。
『竹蔵、月は地球ほど美しくは無いが、資源は手付かずで地球にとって最も役立つ天体になるぞ!』
『そうじゃなぁ、その内ここの資源は取り合いになりそうだな?』
『竹蔵は知らないだろうが、月は年々地球から離れているのだ。その内、地球の軌道が変わり生物に大きな影響があるだろう!』
『その時、地球はどうなるのじゃ?』
『大丈夫だ、何億年も先の話だから。このまま何もなければの話だが』竹蔵の正面に月面が近づいて来る。
竹蔵は人が飛ぶ時の形は映画のスーパーマンのように手を頭の方向に伸ばして顔は手の方向に向けて飛ぶものだと思っていた。つまり、うつ伏せの形である。マッサージを受ける時の形になるが、これが結構無理な体勢なのだ。先ず首が痛くなる。それに比べると今の竹蔵の格好は決して格好良いとは言えない。改めて自分の格好を解説すると、少し猫背の形でリクライニングの椅子に腰かけている形だ、膝も少し曲げ両手は何故か肘を曲げ前方に突き出している。
プールで浮き袋に入って浮いている状態と同じだ。無重力の宇宙空間でリラックスした状態とは、このような形になる。そんな格好で音速の何百倍ものスピードで月に向かって飛んでいる。漫画のパーマン2号のお猿さんと全く同じだ。竹蔵も何だか可笑しくなって来た。この格好は他人に見せられない。
月面には大気が無い。従って、地球での大気圏突入と言われるような物理的現象は起こらない。宇宙空間から惑星や衛星に着陸する時、最大の障害は大気である。大気の密度は引力に比例して高くなる。勿論、大気の種類によっても変化するが、密度の高い大気は進入角度が浅ければ、表面張力で弾き返され、再び宇宙空間に戻る事になる。進入角度が深ければ、大気との摩擦係数が多くなり摩擦熱で燃え尽きる事になる。人類が初めて宇宙空間に達した時、最大の問題として立ちはだかった。もっとも、この大気の抵抗力が我々人類を守っているのだ。宇宙からの放射線や隕石の衝突は月面のクレーターを見れば解る。

月面は、砂漠よりも味気なかった。生物の居ない世界は変化が無い。大気が在れば、もしかしてと言う可能性や希望が持てるが、月にはその希望が無いのだ。大小のクレーターが大きく見える。
『あそこに降りよう』
竹蔵はクレーターの外れに降りる事にした。ゆっくりと降下して月面上に降り立った。降り立つと言っても竹蔵が直接足で立つ訳ではない。竹蔵が纏う空気バリアーが月面に接したという事である。
月面はテレビで見た様な灰色の砂漠だが太陽光線の反射で地球からは黄色く見えたり蒼白く見えたりする。月は自転と公転が同期しており、地球の重力に引かれて共通重心の周りを公転している。常に惑星《地球》と衛星《月》とが同じ面を向けて回転する現象である。すなわち自転周期と公転周期が等しくなっている現象である。衛星《月》は自転周期と公転周期が同じ(約27.32日)になっているので、常に地球に同じ面を向けている。理屈で解説するとこうなるのだが、要するに地球の周りを回る人工衛星と同じなのだ。人工衛星は自転などしていない。つまり、衛星《月》の重心が球体の中心部よりも外側に在り地球の重力と周回速度が均衡している為である。ただ、このバランスも崩れつつある。

竹蔵のバリアーが月面に接した衝撃でパウダーのような土埃が舞い上がりユックリと落ちていく。月面の景色はこれといって見る物も無い。
『月はつまらないなぁ、見る物が何も無いし何処を見ても同じじゃ!』
『そうでもない』
『なんでじゃ?』
『竹蔵は、感じていないだろが、 宇宙空間は放射線が飛び交っている。その中には生命体の通信情報も沢山ある。それを読み解くのには月の方が環境が良い。とても楽しいぞ!』
『地球からのものか?』 
『それもある、しかし多くは他の生命体からのものだ!』
『宇宙には、地球以外の人間が沢山居るのか?』
『勿論だ、お前と私が居る、当然、他にも沢山存在する。既に滅び去った人類も多い』
『全滅した人類も在るのか?』
『今、居る人類よりも遥かに多い。私が知っている限りは』
『お前さんは140万年生きてきたと言っていたな?』
『そうだ』
『それじゃ、140万年の間に沢山の人類が死んだのか?』
『その通りだ』
『それじゃ、我々地球人も絶滅する可能性が有るのか?』
『知りたいか?』
『今のところ、100%滅ぶ!』
『100%、 それじゃ必ず絶滅すると言う事か?』
『残念ながら、100%だ』
『助かる方法は無いのか?』
『勿論在る!』
『その方法は?』
『二つ在る』
『二つも在るのか、 それじゃ教えてくれ!』
『滅ぶ原因が解れば、助かる方法は、自ずから解る』
『それでは、滅ぶ原因は、何か?』
『今までの最大の可能性は隕石落下や天体の衝突だ、もしも月程の天体が衝突したらどうする?』
『逃げる事は出来ないのか?』
『何処へ?』
『そうじゃなぁ、 無いなぁ、それじゃ、その天体を破壊する』
『どうやって?』ゼウスの逆質問。
『今の地球上の技術では、不可能じゃな』と竹蔵。
『あちこちの惑星上で、隣の天体つまり生存可能な惑星か衛星を見つけ、移り住む技術を持つまでに99.9%滅んでいる、だから宇宙人が来襲する可能性も99.9%無い!』
『そうか、宇宙人が地球に来る可能性は物凄く低いんじゃな?』と言いつつ、
『だが、あんたが居る!』
『私は、その残りの0.1%だ!』
『それじゃ、計算上は他の宇宙人は来ない計算になる』とゼウス。《計算上は》と言って黙ってしまった。竹蔵は、それ以上追求はしなかったが、内心はゼウスが何か隠しているように思えた。確かにゼウスの言う事は論理的だし、今、地球に隕石が落ちて来たら止めようが無いのも確かである。実際、恐竜の絶滅記録が化石に残っているし、人類の歴史は恐竜の歴史と比べても遥かに短い。この短い歴史の間にたまたま巨大隕石の落下が無かっただけなのだ。竹蔵は、ゼウスの力を借りて、なんとか人類が生き残れるように出来ないか、考えたが今のところは、その危険性も無さそうに思えた。
『竹蔵、このまま地球に帰っても面白く無いだろう、月を一回りしてから帰ろうか?』
『そうじゃなぁ!』
竹蔵は月面から離れ月の地平線(月平線?)に向かって飛んだ。クレーターの淵が山脈のように見える。青く見えていた地球が後方の地平線に消えて行く。竹蔵を包んだ銀色の球体が猛烈なスピードで月面上を飛ぶ。地表を見ても殆ど見定める事が出来ない。前方を見ると向かってくる山並みがやっと見定める事が可能な程度だ。山脈やクレーターの淵が眼下を過ぎ去る。
スピードが上がると益々地平線が丸くなる。竹蔵を包む空気の球体が上昇する。山並みさえ地平線となって月面の球体に紛れ込む。そして地平線の向こうに再び青い地球が登ってくる。月を半周したのだ。数分と掛かっていない。空気抵抗が無い分スピードは地球の大気圏内での速度の数十倍に達する。
「何で、こんなに早く一周できるんじゃ?」と竹蔵。
「未だ半周しただけだ。一番大きな条件の違いは、大気の存在だ。大気の抵抗力は浮力を生む為には必要だが、推進する為には最大の抵抗になる。月には、それが無い!」
「半周? そうか、後ろに見えていた地球が前から見えて来るから半周か。それに
「そうか! 地球でも大気圏外で飛べば地球一周も速くなると言う訳じゃ!」
ICBM(大陸間弾道弾)や宇宙ロケットなどは一旦宇宙空間に出るから高速で移動出来るのだが、竹蔵にその知識は無かった。

現在、月と地球との距離は、約384,400kmで地球が出来た約46億年前には約20,000km ~ 
24,000km程しか離れていなかった。当然、月が地球に与える影響は非常に大きく海面の高さは満潮と干潮の差は1000m近く有ったとされる。月は地球から年々離れて続けて現在の距離になったのだ。今も年に3cmづつ離れ続けている。地球と月の大きさを解りやすくすると地球がピンポン球の大きさとすると月はパチンコ玉の大きさになる。

竹蔵は目の前の地球に向かう。真っ暗な宇宙空間に濃紺の地球が浮き出たように見える。宇宙空間には多くの星々が在るが地球の美しさが全ての星々の輝きを消してしまう。球体に包まれた竹蔵は地球に向かう。いや《帰る!》だ。
竹蔵は真っ直ぐ地球を見つめている。約385,000kmを十数分で飛ぶ。目の前に美しい地球がある。地球を見ると何故か心が安らぐ。竹蔵は今まで地球を宇宙空間から見たことも無かった。それなのに地球を見ると懐かしい気持ちで一杯になる。いつまで見ていても飽きない。
『ゼウスさん、わしは、あんたに助けてもらって本当に良かったと感謝している』
『どうしたのだ?』
『勿論、命を助けてくれた事は当然じゃが、それよりも宇宙を見せてくれた事や地球の為に役立つ力を与えてくれた事に感謝しておる』
『どう致しまして、と言っておくが、私も竹蔵に助けてもらいたい事があるのだ!』
『わしがゼウスさんを助ける、そんな事があるのか?』
『今は未だ言えないし、私を助ける事は出来ない。その時が来たら言う、それまでは、私が竹蔵を助けるだけだ!』
竹蔵は予想もしていない言葉にキョトンとなった。だが今はゼウスに感謝して、自分のやれる事を一所懸命頑張ろうと考えた。考え事をしている間に地球は目の前一杯に広がっている。行く時よりも帰りは早いように感じた。ただ少し息苦しさを感じた。
『今度来る時は、空気の量を増やすようにした方が良いようだ!』
『そうか、これからは十分な量の空気を持って行くようにしよう』地球が眼前に迫ってくる。
『竹蔵、見よ、地球は美しいが、この周りはゴミだらけだ、地球人は自分の家の前にゴミを散らかしっぱなしだ!』
『何の事じゃ?』
『気が付かないか? 人工衛星の破片やゴミが数万個も地球の周りを飛び交っている。宇宙船に当たれば宇宙船は破壊されるだろう!』
『えっ! そうなのか? そう言えば外国人は自分の家は綺麗にするが公共の場はゴミだらけだと聞いた事があるなぁ』
『日本人は違うのか?』
『全員が綺麗好きとは言わんが、日本では子供の頃から掃除をするんじゃぁ! 掃除をする習慣があるとゴミ散らかさなくなるんじゃ!』
『つまり、外国では自ら掃除をする習慣がないので、掃除をしないのか?』
『そうゆう風に聴いた。例えば、欧米の学校では勉強をする処だから掃除は掃除をする労働者の仕事であり子供は掃除をさせる為に学校に行かせる訳ではない。と誰かが言っていたなぁ』
『日本では違うのか?』
『日本は昔から整理整頓掃除は自分でする事を教師からも親からも教えられる。教育は読み書き算盤だけではない。と言う事じゃ!』
『算盤とは?』
『中国で考え出された昔の計算装置じゃ! つまり、勉強とは机上だけではなく、生活の全てが勉強だと考えているのが日本じゃ!』
『その通りだ! 人間は経験しなければ出来なくなるし行動も起こせなくなる。頭で考えても行動しなければ、出来なくなる。仁美を見ていると日本人の行動力が良く解る』
『うちの仁美がどうしたんじゃ?』ゼウスの口(ちなみにゼウスに口は無い)から嫁の仁美の名前が出たのに驚いた。
『竹蔵は何もしないが、仁美は掃除洗濯食事を全て一人でやっている。トイレや風呂の掃除も全てだ。外国もそうでは無いのか?』
『違うようじゃな少なくとも先進国は』
『このままでは、宇宙にロケットも飛ばせなくなるし、その内地球人の頭の上に落ちて来るぞ!』
『そうじゃ! そうじゃ!人間はなんて愚かなんだろう、その内後悔する羽目になりそうじゃなぁ!』
竹蔵は、そう言いながら周囲のデブリ(ゴミ)を探した。デブリも多いが人工衛星も多い、自ら電磁波を出しているものは感知し易いが、デブリはこちらから電磁波を出して反射したものを感知するしかない、ゼウスは竹蔵にその方法を教えた。つまり、レーダーである。ただどのデブリも高速で動いている為、流石のゼウスも避ける事は出来無い。
ゼウス自身がデブリに衝突することは無いが、竹蔵の身体は、そうはいかない。生身の身体に当たれば即死するし、いちいち避けていたら、キリが無い。空気バリアーを強化して撥ね返すしかないのだ。
『人類は宇宙開拓の前にゴミ掃除の技術を開発する必要がある。でなければ宇宙に飛び出す事など夢のまた夢だ』
デブリは、先進国の責任である。何故ならデブリの全てがロケットや人工衛星の残骸だからだ。中には人工衛星を破壊する人工衛星もある。中国が実験した人工衛星破壊衛星などは、一瞬にして2万個ものデブリを発生させる結果になった。だから地球の周りはゴミだらけなのだ。
『今まで人類は沢山の宇宙船やロケットを飛ばしてきたが、この危険なデブリと衝突する危険性を考えていなかったのか?』ゼウスは呆れたように言った。
『先進国では大きなデブリは、軌道を計算して把握しているようだが。前回地球に来た時にはこんな物は一つも無かったのだが?』
ゼウスは短期間で目覚ましい発展を遂げた人類を称賛すると共に大きな問題を抱えている矛盾を眼にした。
『このままでは、ゴミに殺される羽目になりそうじゃ!』
二人が話している間にも、竹蔵の直ぐ側をデブリが音も無く高速で飛び過ぎて行く。宇宙空間は音の無い世界だ。地球には空気のバリアーが在るから人類は守られているのが良く判る。竹蔵は成層圏を過ぎゆっくりと日本を目指した、日本の形が見えて来る。深夜だと言うのに都市部はネオンや道路の照明と行き交う車のヘッドライトで明るい。ここから見ると日本は《龍》のように見える。雄一の社会科の日本地図を頭に描いて、近畿地方の大阪を目指した。
『もうスマホの電源を入れても大丈夫だ!』ゼウスがスマホの電磁波を受けて言った。
『そうじゃった、これが無いと又迷子になって仕舞う』
竹蔵は、スマホの電源を入れて自分の住所をタップした。画面上に地図が表れて自宅に赤いピンが立つ。そして、出発した淀川の河川敷に向かった。高度3000メートル近くで空気バリアーを解除する。竹蔵には《ポン》と言う音が聴こえた。バリアー内と外気の気圧差によって一気に冷たい空気が流れ込んだ。地上の爽やかな空気が顔に当たる。月の景色と地球を比較して、改めて地球の美しさを実感した。この新鮮な空気は何物にも代えがたい宝物である。竹蔵は淀川の河原にフワリと着地した。
夏の夜の叢(くさむら)は虫の音と草いきれで何とも言えない感動を受ける。竹蔵は今まで只の叢に感動した事は無い。ほんの短時間宇宙に滞在しただけで、地球の自然の素晴らしさを実感できるのだ。地面に足を着けた途端に地球の重力を感じた、自分の身体が何十倍もの重さに感じる。
『地球は美しいが、重力は厳しいなぁ』
『これが在るから地球は美しいのだ。重力が無ければ空気も水も地球上には捉えられない。そして、人類も誕生しなかった』
『解っているよ、わしも宇宙に行かなかったら地球の素晴らしさを実感できなかったし、地球の重力も含めて総ての条件が人類の生存を支えているのが判ったよ!』
竹蔵は、重力を感じながら一歩づつ地を踏みしめ、河川敷から土手を登った。淀川の土手を登り切った処で一息ついた。
『やれやれ、空を飛べるスーパーマンも淀川の土手を登るのはキツイなぁ』
ゼウスのクスクス笑いが聞こえた気がした。淀川の堤防から自宅までの距離は約1km程、空を飛べば直ぐの距離だが、竹蔵は20分掛けてゆっくりと歩いた。途中の国道で信号待ちをしている時、近くの自販機で冷たいお茶を買って一気に飲み干した。冷たいお茶がカラッカラの喉に染み渡った。思わず、
『美味い!』と叫んでしまう。
東の空が白んで来た。夏の短い夜が終わろうとしている。京阪線の高架下を潜ると竹蔵は周囲の人の脳波を調べながら自分の家に向かった。そして庭からそっと自室に戻って布団に入った。
 
(漁船の遭難)
 
翌朝のテレビニュースは、特に変わった事件や事故は無かった。昨夜のゼウスとの話を思い出した。人類の危うさが理解できた。よく考えると人類がここまで生き延び発展して来たのは、奇跡的な偶然でしか無かったのだ。朝方まで宇宙旅行をしていたので、午前中は朝食の時に起きただけで、再び寝てしまった。
午後から外は雨模様、朝の天気予報では雨は夕方からの予報だった。
最近の天気予報は殆ど外れる事はない、気象衛星が気圧配置と気流を情報として送る一方、各地の計測装置からの情報をコンピュータで計算し予想するからだ。おまけに一般市民からローカルな天気情報が気象台にデータとしてメールが届く。それでも尚、近年の異常な温暖化の影響が天気予報を外させる。
今日はその1日だった。仁美は雄一達の傘を持って学校へ迎えに行った。別の場所で、この予報の外れが事故に結びついたのだが。
 

 
高知県海部郡海陽町に国道55号線が通っている。ここから少し高知県寄りに宍喰と言う町があり、この町の西側に漁港がある。古くからの漁港で漁師として65年を経た古田爺が居る。古田爺は、ほぼ毎日漁に出る。彼は少々の嵐でも恐れない。何故なら台風でなければ、潮の流れで和歌山と徳島の間に逃げ込めるからだ。
高知沖の黒潮の流れは沖縄、九州南から高知沖を日本列島に沿って関東沖まで北上している。東北沖の潮目まで流されず沈没さえしなければ助かる自信があるからだ。潮目は、北からの親潮と南からの黒潮のぶつかる所で、ここからアメリカまで一気に太平洋を横断する海流となる。この流れに入ると逃げ出す事はほぼ不可能になる。勿論、動力の無い船に限ってだが。
近年の温暖化による天候異変は、今までの知識が役に立たなかった。その日の天候予測が外れた上に、南からの黒潮の流れが高知沖からいきなり太平洋側に蛇行して南海トラフの外まで流されたのだ。古田爺の小さな船では、この流れに逆らって戻る力は無い。当然、徳島湾に入って避難することも出来ない。
外れた天候予測は最悪の条件になっている。つまり局所的暴風雨である。最近では都市部でも時々発生する局地豪雨と竜巻である。古田爺の船は竜巻に直撃されることはなかったが、動力の停止と浸水による半沈没状態では、助かる可能性は低い。
辛うじて仲間に「SOS」を発信出来ただけでも良しとしなければならない。海上保安庁が直ぐに助けてくれるとは限らない。電波を発信する通信機が壊れた上に黒潮の流れが大きく蛇行した為、古田爺の船が何処に流されたのか予測がつかない。助かる可能性は更に低くなる。
古田爺の遭難は仲間の漁船から漁協に連絡が行き海上保安庁に知らされた。

海上保安庁は、北海道の第一管区から沖縄の第十一管区まで日本列島を十一に分けて管理されている。高知沖は第五管区の管轄になる。第五管区海上保安本部は兵庫県神戸市中央区にある。当時、巡視船は和歌山沖を航行中であり連絡を受けて高知沖へ急行した。しかし、荒天の夜の海では捜索は困難を極めた。海上保安庁は海上自衛隊に救援を求めた。海上自衛隊は翌朝になってからUS-2を派遣すると言う。
US-2は、海上自衛隊が運用する救難飛行艇の事で製作は新明和工業だ。US-1Aの後継機体である。飛行艇の技術は世界一と言われ、第二次世界大戦時にすでに二式大艇と呼ばれる世界最大の飛行艇を運用していた実績がある。日本は海に囲まれた海洋国家であり、遭難と救助の実績も世界一である。US-2は、海面の波の高さが3メートルあっても離着水が可能と言われ、実際の離水時間は10数秒である。つまり、ほんの100メートル程で海上から空中に飛び上がることが可能なのだ。
 

 
夕方のニュースで漁船が遭難した報道があった。竹蔵も見ていたが、時化の海で仲間の漁船の捜索が打ち切られたと告げている。海上保安庁の巡視船も捜索しているが夜の暗闇が、それを阻んでいる。当然航空機による捜索は不可能で絶望視されているようだ。テレビでは、漁船の帰りを待つ家族の姿が報道されている。
「可哀想ね、何とかならないのかしら?」と仁美。
「海上保安庁が助けられなかったら絶望だろうな!」
雄一郎の言葉に横で聞いていた竹蔵は、早目に寝ると告げて自室に戻った。外は小雨が降っている。こんな雨の夜に出歩く物好きは居ない。竹蔵も雨の夜に傘をさして出る気分にはなれない。しかしテレビを見た遭難漁船の家族の悲痛な悲しみと不安が竹蔵を動かす。
『夜の海にひとりぼっちは辛いじゃろうな?』
竹蔵は想像してみた。夜の嵐の海にただ1人。考えただけで震えてしまう。竹蔵は押入れからスポーツバッグを取り出しライダースーツを身に付けた。同時に身体が若返る。そしてヘルメットを被り部屋の電気を消して庭から雨の大空に飛び出した。
勿論近くには関西中央テレビのテレビクルーが居たが、雨が竹蔵の姿を隠した。竹蔵は当然空気バリアーを身に纏い夜目にも鮮やかな雨の飛沫を振り撒きながら遭難現場に向かう。スマホに地図を表示し自分の位置を確かめながら音速を超える速度で飛んだ。大阪の街を下に見ながら、轟音を轟かせて飛び過ぎる竹蔵(スーパーブラックマン)を見た者は少なかった。
テレビで遭難現場は高知沖とされていたが、海上保安庁の巡視船が既に向かっているなら、先ず巡視船を見つけようと考えた。
大阪湾海上に出た竹蔵は、方向を四国南岸に変更、徳島市の灯りを目標にしそこからは海上保安庁の巡視船の通信電波を目標に飛ぶ。四国の南岸を離れた途端、突然スマホの画面にエラーが出た。
実は竹蔵は知らなかったのだが携帯電話の圏外に出た為にネットが使えなくなったのだ。最初「壊れたのか?」と思ったが他の画面は正常に表示される。恐らく原因は他にあると思った。竹蔵は電気技術者だったので故障かどうかは論理的に判断した。一旦戻ろうかとも考えたが一刻を争う為、論外だと判断。
おおよその位置は覚えているので、そのまま飛び続けた。この荒天の海で人間の脳波が見つかるとしたら遭難した漁船の乗組員か救助に来ている海上保安庁の巡視船の乗組員位だろうと考えた。予想した位置に来ると巡視船の乗務員の脳波を捉える。海保の巡視船は船員が多いため直ぐに分かった。決して大きくはないが、さすがの巡視船も木の葉のように揺れて居る。竹蔵は巡視船のフロント・デッキに降りようとしたが、嵐が簡単にそうさせてくれない。

ようやく竹蔵は巡視船のフロントデッキに降り立った。巡視船の操舵室から外を見ている人間が竹蔵の方を指差し何か叫んでいる。乗組員は驚いたが新聞やテレビの報道番組を見ていた船員がスーパーブラックマンと判り駆け寄って来た。竹蔵がスーパーブラックマンとして他人と話をするのは初めてである。イヤ、火事現場での女性と話した事を思い出した。
「スーパーブラックマンさんですか?」船長と思しき人が話し掛ける。何度か外で活動したのか、船長らしき人間はズブ濡れだった。恐らく雨に濡れるより海水を浴びたのだろう。竹蔵と話している今も海水を浴びている。竹蔵は空気バリアーを張っているので雨だろうが海水だろうが濡れる事は無い。本来なら船長の話も音声としてはバリアーを通さないが、ゼウスの力で船長の考えを読んで竹蔵は理解している。もっとも、竹蔵はそれを理解していないようだ。
船長が握手を求めて手を差し出すがバリアーに阻まられ、手が届かない。竹蔵は右手を上げて問題無いと表現した。そして、右手人差し指で操舵室を刺し示し、中に入るように促した。船長と船員が操舵室に入ったのを確認して、竹蔵は空気バリアーを縮め、彼等に続いて操舵室に入った。そしてようやくバリアーを解除して話し掛けた。
「遭難漁船のおおよその場所は分かりますか?」
「私が説明します」と言いながら海図を広げた場所に案内された。一等航海士は、海図を指し示しながら現在地を確認する。
「今年は海面温度が高い為に、海流に変化が起きています。高知沖から太平洋に突き出たように海流が湾曲しており、遭難漁船は、この位置から更に沖の方に流された形跡があります。これから、本船も流れに沿って沖に向かおうと考えていますが、明日の朝になれば海上自衛隊機が飛びますので、発見する可能性は高くなりますが、今晩のこの荒れでは、明日まで保つかどうか心配です」
「解りました。私にお任せ下さい」竹蔵は何時もの口調では無かった。若者言葉である。そして船長から海流と風向から漂流していると思われる位置を教えられ、竹蔵は見当をつけて飛び立った。竹蔵は格好をつけて後ろ向きに飛び立ったのだ。そして、映画のスーパーマンのように両手を前方に伸ばしてうつ伏せの形で飛んで行く。船員達が帽子を振っている。時化の海では巡視船でも、まるで木の葉のように見えた。船舶で漂流者を助けるのは非常に難しい。特に大きな船舶では遭難者をスクリューに巻き込んで仕舞う事も考えられる。実際、このような事故は数え上げればキリが無いくらいだ。竹蔵は遭難者が気を失っていない事を願った。
竹蔵は巡視船から見えなくなってから、ソファー座りの形に戻して、両手を頭の後ろで組んでリラックス・スタイルに変える。
『人前では格好良くしなければ、イメージが良くないからのう!』竹蔵はゼウスに言い訳している。
『判っている。正義の味方は大変だなぁ!』とゼウス。
『そうおもうじゃろぅ!気楽な格好の方が効率がいいんじゃ!』
ゼウスの笑い声が聴こえた気がした。竹蔵はそれを無視。周囲の脳波に注意した。もしも、気を失っていたり死亡していると脳波は感知出来ない。
『なかなか見つからないなぁ?』
予想周辺域を捜索して諦めかけた時、弱い脳波を捉えた。急いで、救助に向かい救命胴衣の赤色の点滅光を発見した。遭難者は10メートル以上のウネリの海面に投げ出されていた。漁船の姿は見えない。
竹蔵は大きなウネリに合わせて海面上1メートル位を維持して遭難者に近づいた。竹蔵の身体はうねる海面に合わせて、ビーチボールのように上下した。遭難者も海面上を同じように動いている。この為、お互いの距離は殆んど変化しない。
遭難者の前面に回ると殆ど失神寸前で有る事が判った。
「おおい、助けに来たぞ!眼を開けて手を出せ!」
何度か声を掛けるとやっと助けに来たことが解ったようだ。だが、竹蔵には遭難者は見えるが遭難者からは見えていないようだ。漆黒の嵐の海面では自分の手さえも見えなかった。
「おおい! 誰か助けてくれ!」
古田爺は叫んだ。例え直ぐ近くに船が来ていても自分を見つける事は出来ないだろうと思っている。それは長年漁師をしていた経験から分かることだ。暴風雨の音と暗闇は、例え手の届く所に居ても見つける事は難しい。下手をするとスクリューに巻き込まれてお仕舞いだと。
竹蔵は、自分から遭難者が見えている為、相手も見えていると勘違いをしていたのだ。遭難者は目の前、手を伸ばせば触れる位置に竹蔵が居るとは考えていない。海水が遭難者の顔に掛かり目を開けていられないせいもある。竹蔵は、それに気が付いた。スマホを取り出し電源を入れた。古田爺はいきなり目の前に眩しい明かりが灯った事に驚いた。
そして、目の前に黒いライダースーツの男が空中に浮いているのを見つけて更に驚いた。古田爺は言葉を発しようと思うが海水が顔に掛かり声を出す事が出来ない。古田爺は恐る恐る手を伸ばした。竹蔵がバリアーを一瞬解除して手を差し伸べた。竹蔵がシッカリと手を握ると古田爺の身体が海面から浮き上がった。普通、遭難者を船舶で助けた時、自分で這い上がる力は無い。救助する側も遭難者の身体を引き上げるのは困難である。ところが竹蔵の手を握るだけで身体は空中に浮き上がった。
「わわわわ〜!」古田爺は人生でこれ以上の驚きに出会った事は無い。今、目の前に海面が在る。今の今まで震えながら激しい波に揉まれていた自分が空中に浮いている。彼の経験から水中から陸上に上がった時に身体がズッシリ重くなるのを知っている。しかし、今は自分の体重を感じていない。それどころか、内臓さえお腹の中で浮き上がるような感じがする。イヤどちらが上か下かも分からなくなっている。
竹蔵は遭難者を自分の空気バリアー内に入れた。古田爺は何が何だか解らない。夏と言えども海水に長時間浸かっていると体温が奪われ思うように喋る事が出来ない。
「お前さんは一人だけか?」
「わし、一人だけです」古田爺はやっとのことで答えた。
「他に遭難した人間は居ないんだな!」
「はい、居ません!」と答えて古田爺は気を失った。溺れ死ぬ恐怖と疲れが無重力の世界に入った事で脳が思考を停止したのだ。
竹蔵は猛スピードで先程の巡視船に向かった。暫くして巡視船を探し当てデッキに舞い降りた。海上保安庁の乗組員が駆け寄り二人を迎える。古田爺の無事が判って歓声が上がった。通常、海での遭難者は低体温症になっていることが多い。人間の体温は約35~6℃だが例え熱帯の海でも海水温は30℃未満である。常時水中に人体が晒されている時、この温度差が体温を奪うことになる。水温が低くければ低いほど体温の低下は早まる。低体温症は冬の海だけで起きるとは限らないのだ。古田爺の場合、夏の海で早期に助けられたことで、特別な治療の必要は無さそうだ。古田爺は二人の乗組員に抱えられ医務室に運び込まれた。
「あのう〜良かったら温かいコーヒーでも如何ですか?」
船長が話し掛けた。船長は初めて会ったスーパーブラックマンの素顔を見たかったのだ。勿論、竹蔵には判る。
「イヤー、早く帰らんとヤバイんじゃ!」
竹蔵は最近の若者の言い回しを真似たつもりだったが、何時もの言い回しが混じる。船長は直ぐに気がついた。格好は若者だが、そこそこ歳はいっているように思えた。嵐の海上での一瞬の交流だった。
竹蔵は乗組員と船長に別れの挨拶をして飛び去った。勿論、格好良く決めて。

その後、巡視船からの連絡で海上保安庁から家族が待つ漁協事務所に連絡が届いた。スーパーブラックマンに助けられ無事に巡視船で港に向かっていると。この情報はマスコミ各社に伝えられ放送中の番組のニューステロップが流された。
当然、久美子のテレビ局にもスーパーブラックマンが救助した事が伝えられて守口の張り付きにも伝えられた。もしもスーパーブラックマンがこの家族の一員なら帰って来るところをカメラに収められるかも知れないからだ。当然、竹蔵には全てがお見通しだった。遥か上空でスーツとヘルメットを外し用意した袋に入れて、折畳み傘を差して車の前方にフワリと降り立った。車の二人は竹蔵の家に集中している為、気が付かない。竹蔵は車の横を通り過ぎる時、車の窓をコンコンと叩き二人が顔を向けたのを確認して。
「御苦労さん、 風邪を引かんようにな!」と言い残して、自分の家に向かった。
「おいっ、 今のはあそこの爺さんだよなぁ? 」「あゝ、確かそうだと思う」
「なんで、爺さんがこちらから来るんだ?」
「なんでか分かる訳が無い」
二人を尻目に庭から自室に静かに入る竹蔵。そこには雄一と雄二が居た。
「じいちゃん何処に行ってたの?」
竹蔵は驚いて、自分の口に人差し指を立てて。
「シー」と口止めした。雄一と雄二は、じいちゃんと寝ると言って竹蔵の部屋に入ったが竹蔵が居ないのでジッと待っていたようだ。ともあれ、仁美と雄一郎には、外出していた事は内緒で通せたようだ。
 
朝のニュース番組で昨夜の遭難漁船の報道があった。勿論、スーパーブラックマンの活躍である。ニュースでは、天気予報が外れた事による遭難である事。仲間の漁船も危険と判断して捜索を打ち切った事や海上保安庁の巡視船が捜索を続けていた処にスーパーブラックマンが応援に来て、遭難者を救助した事を報じていた。
そして締め括りにスーパーブラックマンに対する賞賛の声を国民とのインタビュー形式で報道を終えた。竹蔵は、放送を観ていて我ながら良くやった。そして更に努力しようと思った。竹蔵は生まれて初めて世の中の役に立った訳である。自分でも興奮している事が判る。
『竹蔵!どうやら、お互い役に立つ方法が見えて来たようだな!』
『そうじゃなぁ、他人に喜ばれる事が、こんなにも気持ちの良いものだとは思わなかった』
竹蔵とゼウスが話しているところへ。
「おじいちゃん、スーパーブラックマンって格好いいね!正義の味方だもんね。僕たちの学校でも、スーパーブラックマンの話だけで、イジメが無くなったよ」
「なんで、イジメが無くなったんじゃ?」
「よく判んないけど、皆んなが正義の味方ゴッコするから、イジメっ子は悪い奴になるから誰もやらなくなったんだ」
竹蔵は、聞いていて良くは判らなかったが、特に少年によるイジメが無くなったんなら、スーパーブラックマンは充分に役立っているようだ。
『人間とは、単純だな?』ゼウスは嘲笑気味に言う。それを聞いて竹蔵は、
『単純な方が、良い事も多いもんじゃ!』
 

 
久美子は朝から機嫌が悪かった。漁船の遭難事故の件である。久美子は捜索機を出させたかったのだ。当然スタッフも社用機のパイロットも全員断った。久美子は命を賭けても行くつもりだった。勿論、遭難者の報道だけが目的ではない。遭難者の救助が難しければ難しい程、スーパーブラックマンの出番に成ると思われるからだ。そこには久美子なりの確信が有った。例え久美子が二重遭難する事になっても彼が助けに来てくれると信じている。だから命を張ってでも行きたかったのだ。
しかしスタッフ全員とパイロットに断られては行く事が出来ない。上司とスタッフ達の言い分はもっともだが。久美子は彼が絶対に来ると信じていた。久美子はそこを強調した。果たして彼は久美子の予想通り遭難者を救助した。久美子は地団駄を踏んで悔しがった。スタッフも中止を命令した上司も久美子の怒りには黙るしか無かった。
暫くして、久美子の怒りは治まったものの取り付く島もない。彼女は次の作戦を考えていた。上司もスタッフも今後、久美子の指図に逆らおうとは考えていない。
 
(竹蔵バレる)
 
ある日、雄一と雄二は、かくれんぼをしていた。最初は、いつも雄一が鬼から始める。何故か雄二は鬼に成るのを嫌がる。恐らく役柄が嫌なのだろう。雄二の頭の中には(鬼=悪者)という図式があるからだ。雄一にはアイデアがある
鬼の役目を刑事にすれば、役柄の意味は180度変わってしまう。今度、雄二が鬼の役になる時、刑事に変えようと考えている。
「お兄ちゃん! 100まで数えてよ!」
雄二は、前から隠れる場所を考えていた。じいちゃんの部屋の押入れだ。今まで兄の雄一が入って探した事が無いのを知っていた。
「一、二、三、四、・・・・」
雄一が数え初めて雄二は一旦二階へ上がる振りをする。階段を音を立てて上り、途中から静かに引き返した。雄一に二階へ行ったと思わせる為の作戦である。雄二はこの作戦は絶対に成功すると思った。
そして、竹蔵の部屋に入り押入れに隠れた。雄二が押入れに入ると丁度良い黒い大きなバッグが有った。雄二は更にこの中に入ろうと考えた。雄一が100まで数えて探し始めた。
先ず定石通り二階に行ったが、雄二の作戦は読まれていた。あんなに大きな音を立てて二階へ行ったのではフェイントだと誰でも考える。これが大人だと裏の又裏を読むのだが子供の雄二ではフェイントのフェイントは、有り得ないので、雄二は一階に居ると雄一は考えた。
更に考えを予想するとじいちゃんの部屋しかなくなる。そして、じいちゃんの部屋の隠れ場所は押入れしか無いのだ。雄一は、そーとじいちゃんの部屋に入り、大きな声でイキナリ押入れを開けた。
「雄二メッケ!」しかし雄二は見当たらなかった。更に良く見ると黒い大きなバッグがモゾモゾと動いた。もう一度、
「雄二メッケ!」と言いつつバッグのチャックを開けて雄二を引っ張り出した。チャックは外から開けるように成っているので、無理して入った雄二は出るに出られなかったのだ。
「お兄ちゃん! ありがとう!」
雄二をバッグから出して改めて、バッグを見ると以前じいちゃんとカー用品店に行った時に買ったライダースーツがある。そして、黒いヘルメットが転がっていた。頭の良い雄一が最初に思い付いたのが、やはりスーパーブラックマンである。雄一は賢い子供だ。普通なら、86歳の年寄りとスーパーブラックマンと結び付ける事など考えられない。
先ず見掛けが違うスーパーブラックマンは、祖父よりも背が高く、どう見ても若々しい。だからこそ怪しいと睨んだ。そして、じいちゃんがスーパーブラックマンだったら最高に嬉しいとも思った。それに、このスーツは同じものだしヘルメットも全くの同じものだった。
テレビニュースで最新モデルのライダースーツである事とヘルメットは、二十年程昔のもので、現在は入手不可能なヘルメットである事を伝えていたからだ。じいちゃんとスーパーブラックマンが、どんなに体型や背の高さが変わろうと、じいちゃんしか当てはまらないと考えたのだ。
 

 
竹蔵は、今夜も訓練を兼ねて出て行こうと考えていた。しかし雄一と雄二が竹蔵の部屋に居座って出て行かない。竹蔵は少し焦った。雄一は竹蔵の心を見透かしている。ゼウスは、それを感じていた。
本来なら竹蔵自身が感じ取る必要が有るのだが、二人の孫は余りにも精神的に近過ぎて竹蔵には読めなかった。ゼウスは以前、雄一と雄二に同化して命を助けた事があり、二人の脳波を知っている。雄一は竹蔵の様子を見ていた。子供の目にも竹蔵がイライラしているのが判った。
「おじいちゃんでしょ!スーパーブラックマンは?」
竹蔵は、雄一の思い掛けない言葉に驚いた。普通なら同じ言葉を投げかけられても笑い飛ばすか、馬鹿げた勘違いで済ます筈だ。しかし、この時の竹蔵の反応は違った。
「何故、判った!」
「だって、同じスーツで同じヘルメットの組み合わせは他には無いと思ったから」
「しかし、彼は若者だろう、じいちゃんは86歳のヨボヨボの年寄りじゃよ」
「おじいちゃん、前よりも若返っているよ!」竹蔵は、雄一の言葉に思わず自分の顔を手で押さえ確かめる。
「じいちゃん、顔じゃ無くて、おしゃべりの仕方だよ。前はこんなに早く、おしゃべりしなかったのに、今は全然違うもん」
竹蔵は一番身近にいる雄一と雄二には嘘が通じない事を思い知った。赤ちゃんの頃から何時も一緒に居る二人が竹蔵の変化に気づかない筈がなかったのだ。「済まない、二人を子供だと思って、じいちゃん心の何処かで雄一と雄二を馬鹿にしていたようだ、実はなぁ」と竹蔵は二人に心から謝り、今までの経過を全て話した。その話を食い入るように、眼を輝かせて雄一と雄二は聞いていた。そして、
「じいちゃん、仕方無いよ、スーパーマンだって秘密を持っているし、でも僕たちに言っちゃっていいの?」
「じいちゃんはなぁ、 これから雄一と雄二には、全部話す事にしたんじゃ、だから誰にも秘密にしてくれ、約束じゃ!」
「うん、判ったよ!」
「僕も判ったよ!」と続けて雄二。
「その代わり、僕たちはスーパーブラックマンと友達で何時でも助けに来てくれると自慢していい?」
「勿論じゃ、じいちゃんはなぁ、 世界中で雄一と雄二が一番大事なんじゃ。二人の為なら、月へでも行くぞ」
「え〜、本当! 月へ行けるの?」
「本当じゃ、 じいちゃん二人に嘘はつかん。約束じゃ、 ほれ指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲〜ます。指切った!」二人は竹蔵と約束した。竹蔵も一番可愛い孫に話した事で気が楽になった。と同時に二人に何でも相談出来る事を喜んだ。
「じいちゃん! 今晩は飛んで行かないの?」
「飛んで行きたいんじゃが? じいちゃんを見張っているテレビ局の連中が、この近くに居て、飛び出せないんじゃ!」
「そうか、それで何時もあそこに車が停まっているんだ」
「雄一達も気が付いていたんじゃな!」
「ただ、顔は怖いけど何時も挨拶するよ。結構優しいおじさんだと思うけど、そうかスーパーブラックマンがじいちゃんかも知れないと疑ってるんだ」
「僕たち以外にも、疑っている人が居たんだ?」
「チョット待って、二人の内1人が近くのコンビニに買い物に行きそうだ。ひとりになった隙に、じいちゃんは飛び出す。いいか驚いたらいかんぞ。これから、じいちゃんは変身するからな!」
「変身だって、どんなに変身するのかな?」
雄一と雄二の見ている前で、竹蔵は変身を始めた。これがテレビドラマか映画なら既に変身するシーンを観客は観ている筈だが。本を読んでいる人達には、初めて変身するシーンを詳細に書く必要があると思い描こうと思ったが、既に沢山のCGやVFX等で子供の顔が大人の顔にユックリと変わって行く場面を観たことがあると思いますので、そのような変化を、想像して老人の竹蔵の顔が若い頃の竹蔵に変わって行くシーンを想像して下さい。
当然、雄一達は若い頃の竹蔵の顔を知らない。
「オー凄い。本当なんだ、変身って初めて見た!」
「本当にじいちゃんだったね。カッコいいな!」
孫二人に褒められ若い竹蔵はニンマリとした。
「だけど、じいちゃんが此処にいて、何故外の様子が判るの?」雄一が当然の質問をした。雄二が、
「じいちゃんはスーパーブラックマンだよ!なーんでも判るんだよ!」雄一が納得した。「へ〜すっごいな!」
二人の会話を聞きながら竹蔵はヘルメットを被り、庭に出た。
「戸を閉めて隙間から観ていなさい! じいちゃんが飛んだら戸を閉めて部屋から出ないようにして先に寝なさい」
「はーい」と言って、戸の隙間からスーパーブラックマンの飛び立つ姿を見ようと待ち構えている。竹蔵は車中に残っているテレビ局の人間の脳に竹蔵の家のイメージが消えるのを待った。
「じいちゃん、男前だったんだね。メチャメチャカッコイイなぁ!」
「僕たちのじいちゃんだよね、だけど誰にも言えないね?」
「うん、それが残念だ」
二人が見ていると竹蔵の身体の周りに白い幕のような物が見えた。空気バリアーなんだが二人は未だ知らない。それは、うっすらと光っている様にも見えた。
「兄ちゃん、 じいちゃん、神様になったのかなぁ?」
「判らないけど、僕たちのじいちゃんで正義の味方でスーパーブラックマンで〜、ほんでもって〜? 僕らのじいちゃんだ!」竹蔵の姿は一瞬で見えなくなった。飛ぶと言うよりも消えた様に見えた。二人は唖然としてお互いの顔を見た。
「兄ちゃん見えた?」
「いいや、見てなかった」
戸の隙間から出来るだけ空を見上げたが何も見えなかった。竹蔵は、テレビ局のスタッフの脳波を観ていた。人間の脳は考える時イメージ(画像)と音声(声には出さない)で考える。これをテレビ画面を見るように相手のイメージを観ることがテレパシーである。
従って、他人の脳波を観ている時、竹蔵は例え眼前で何かあっても見ていない事になる。地球人はテレパシーを超能力とし、他人の脳内を読み取る事が出来ると思っている。だが、決してそうでは無い、人間は文字で思考するのでは無く、イメージ(画像)と言葉(音声)で考える。
文字で考える人間は普通存在しないのだ。従って、思考している瞬間にテレパシーで思考を読み取る事は出来ても、思考していない時には、脳を読み取る事は出来ない。そして人間は一つの事柄を長時間思考するようには出来ていない。特に周囲から音や景色が見える状態では、一瞬のちには見える物に思考が移ったり、物音がすれば、次の瞬間に音に反応する。そして元の思考に戻る。脳は、これらの思考転移を短時間に繰り返している。つまり人間は脳を時間分割して多重思考(マルチ・シンキング・ジョブ)をしているのだ。人間は一つの事を10分と考え続ける事は出来ない。
ゼウスが人間の思考を音声画像化して見る時、その人間が眼で見ている物に集中している時は、見ている画像が表示され注視している部分だけにピントが合う画像となる。人間が思考している時は、音声で考える為に、当然音声となって聞こえる。眼は開いているが思考に集中している時は画像がボンヤリと見え音声が聞こえる状態となる。ごく稀に眼に見える物を写真のように記憶できる人間が存在する。このような人間に遭遇すると、何処までも鮮明な画像が観える。ただ、ゼウスの経験上このような人間は別の欠陥を抱えている事が多い。
 だからこそ、特別な機能が突出しているのだ。もしも、テレパシー能力を持った人間が存在するとしたら、その人間は気が狂うに違いない。近い将来人間の脳活動をディスプレー出来る機械が開発されるだろう。その時には脳活動をそのまま観るのではなく、不必要な部分を取り除く機能が必要になるだろう。
ともあれ、竹蔵は再び夜空に飛び出した。
 
(第二巻へつづく)

〈何とか、第一巻が終わったなぁ〉
《認知症のおっさんが書いたにしては上出来や!》
《なかなか、面白いやんけ! ストーリーは地味やけどな!》
〈ここまでは前振りや!第二巻は、もっと国際的なストーリーや〉
《認知症のおっさんに、そんなもんが書けんのんか?》
〈ワシも、それを心配してんねんけど、このナレーションを書いてる時、第二巻はほぼ完成してんねん!〉
《へー、大したもんや! ところで第二巻のストーリーは、どんなん?》
〈日本と北朝鮮と韓国と中国の話や!〉
《うわー、一気に国際的なストーリーやなぁ? ところで認知症のおっさんに、そんなもんが書けんのんか?》
〈ワシも、それが心配や! ってほぼ完成してんねん。チョット待ってくれたら大丈夫や〉



(あとがき)
 
筆者は、幽霊の話や宇宙人の存在を信じているし神の存在も信じている。実は筆者は、そのどれをも見た事が無いしそれらしき出会いも無い。ただ、過去の歴史を観ると論理的に、その存在を証明出来ると考えている。先ず幽霊の話だが、日本人の言うお岩さんの様な幽霊は信じていないし、西洋の化け物の様なものも当然信じていない。
だが、現在の科学レベルで解明出来ない精神エネルギーの様な存在は信じている。現在の科学レベルで解明出来ないから信じないと言う人間は地動説を信じなかった過去の宗教学者と同じだと私は思っている。現代の人間の科学が究極の進歩を遂げて宇宙の隅々まで達っしても尚、人間の科学によって証明できない事は存在するだろう。
まして、同じ惑星内で戦争をし、殺し合い、隣の惑星さえ開拓出来ていない人間達が「見たものしか信じない」とか「宇宙人の存在を信じない」「幽霊の存在を信じない」などと言う事は余りにも愚かであると思う。宇宙人の存在を信じない人間は、地球の存在を信じない事と同じだと私は考える。我々地球人は銀河系の片隅に存在している事は誰でも知っている。
現代の科学はそれを証明している。それならば、地球以外にも同じ様な惑星が存在するであろう事は、子供でも理解出来る。それなのに宇宙人の存在を否定することは、我々人類が地球と言う惑星に住んでいる事実さえ否定することに繋がる。人の中には自分の見たものしか信じないと言う人が居る。
そして、神の存在を信じない人も多い。しかし、そのどちらも見たと言う人も居れば、見たことも無いと言う人も居る。それらの人々に問う。
「あなたは宇宙を直接見たのか」
「銀河系を見たのか?」
「神様を見たのか?」
「幽霊を見たのか?」
「宇宙人を見たのか?」
「ブラックホールを見たのか?」と、宇宙を直接宇宙空間から観ていないのに宇宙の存在を信じるなら、見た事の無い幽霊を信じても良いのではないか。
神の存在を信じても良いのでは?この物語は、勿論空想の産物である。しかし、決して否定出来る話でも無い。筆者は、この物語の様な愉快な世界の存在を信じたい。

さて、《スーパーじいちゃん》ですが、この第1巻では竹蔵が《スーパーブラックマン》になるまでのストーリーです。この物語の基本コンセプトは、時代の中心世代を終えた老人とこれからの未来を背負って行く未だ中心世代に入る前の少年達が中心となって世界平和の為に努力する物語です。ただ、サイエンス・フィクションとは言えども何でも許せると言うものでは無いと筆者は考えている。この物語は理論物理学(論理物理学?)に準拠した物語として創られています。そして、外国の物語に多々在る暴力的、残虐的なものも除外しています。何故なら高度に進化した人類は必ず非暴力的な方法で問題を解決する手段を持っている筈であり、考え出す頭脳を持っているのです。ですから、多くの問題を抱えている現代において身近な事から国際問題まで平和的に問題を解決して行く事が可能だと筆者は考えています。
《スーパーじいちゃん 第ニ巻》では、北朝鮮、韓国、中国との国際問題を解決して行きます。是非、期待して下さい。

                  米永
 

 

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