生も死もない世界

ゆずっこ

10.私の中にいるもの

「おいしいよ?」

 テイラーの口からその一言が放たれた瞬間、ふたりをぞわりと鳥肌が襲った。
 グレーナが奥歯をかちかちと鳴らす。

「……テイラー……なのか?」

 かすれた声が彼女の喉から絞り出される。
 それに対し、テイラーは終始にこやかにな表情を浮かべている。

「うん! テラーだよ!」

 その姿はけなげである。
 表情はかわいらしい。
 しかし口元は真っ赤に染まり、手には何やら赤と白の混じった塊が握られていた。
 塊は赤黒い液体を垂れ流しながらテイラーの手にしなだれかかっている。
 テイラーは無邪気にその手に収まっているそれを差し出した。

「たべる?」
「そ、それは……なに?」

 震える声。
 グレーナは心の底ではそれがなにかわかっていた。
 でもわかりたくなかった。
 目の前にいるのはいたいけな子ども。
 いつも自分たちがかわいがっていた子ども。
 一緒にお風呂に入った子ども。
 一緒にご飯を食べた子ども。
 一緒に遊んだ子ども。
 家族。
 そう信じていたかった。
 そのいつも聞いていた声が答える。

「おにく!」

 そう言って差し出している左手はそのままに、右手でテイラーは手元にある肉を引きちぎった。
 みちみちと、繊維が断たれる音がグレーナの耳にも届く。
 グレーナは首を振った。
 喉からいやいやいや、と音が漏れ出る。
 目の前で愛する家族が肉叢にまたがり、あまつさえ自分にその肉を差し出している。
 しかもその肉の正体はここにいるはずだったのものであろう事は言われなくともわかる。
 よく見ればテイラー周りには白い、棒状のものが散乱していた。
 その端々に見える赤がさらに不気味さを演出する。
 グレーナはもう耐えられなかった。
 木の実をとってきただけ。
 だというのに彼女を待っていたのは凄惨な光景。
 テイラーがソラニンを食べていた。
 夢だと思いたくなった。
 夢であって欲しいと願った。
 夢だと信じようとした。
 夢で間違いないと思った。
 だから頬をつねった。
 それはもう力の限り。
 泪だけが虚しく零れた。
 痛かった。
 頬を伝う泪がひりひりと現実を伝えてくれた。
 グレーナの全身の力は抜けていった。
 何もかも、理解できなかった。
 ちらと視界の端にティフィンの頭が入ってきた。
 真っ赤な世界で白茶が揺れる。
 そうだまだティフィンがいた。
 せめてティフィンだけでも私が護らなくちゃいけない。
 そんな思いが彼女を駆け巡る。
 視線を完全にティフィンに向けた。
 ティフィンは小刻みに肩を震わせながら、体の横で拳をぎゅっと握っていた。
 ティフィンも怖いんだ。
 グレーナはそう思った。
 すると、ほんの少しだけ心が落ち着きを思い出したような気がした。
 ここにいるのは自分だけでないことを思い出したような気がした。
 ティフィンの肩にとんと触れる。
 その肩はやけに熱かった。

「ティフィン、私の後ろに入りな……。合図をするからそしたら一気に外に走るんだよ。いいな?」

 グレーナはできるだけ小声でそう告げた。
 せめてティフィンだけでもここから逃がさなくてはならない。
 そんな姉のような母親のような感情を抱いてティフィンを思った。
 しかし、とうのティフィンはというとそこから動こうとする気配がない。
 彼女がティフィンに目をやるとティフィンの顔も彼女を見た。
 それは異様と表現するのが適切だった。
 酷く血走った目、そこからは泪がぼろぼろと零れている。
 すっかりかわいらしさの消え去った強ばった表情。
 歯をがちがちと鳴らしながらよだれを垂れ流す口。
 しかしそこに現れている感情は恐怖とは異なるように感じた。
 恐怖もないとまでは言わない。
 しかしティフィンの心を占める感情はもっと別のものであるとグレーナは見た。
 そのティフィンがそっと手を出した。
 震えて弱々しい小さな手。
 血色もあまり良くない。
 ティフィンの口から細い声が漏れた。

「ちょう……だい……」
「なにを……だ……?」
「……はやく、ちょうだい……」

 もはや頭が回っていないように見えた。
 目の焦点も合っていない。
 波打つ視線はグレーナの背中あたりを彷徨っている。
 ティフィンの体が彼女へと雪崩かかってきた。

「はやく……はやく、はやく。ねぇ、ちょうだいよ。はやくはやくはやくはやくはやくはやく」
「いやっ!」

 そう叫んで彼女は耳を塞いでしゃがみ込んだ。
 狂ってる。
 この空間は狂っている。
 見たくも聞きたくも感じたくもない。
 だから遮断する。
 すべてを遠ざけたかった。
 漆黒に放り出された方がましとさえ思えた。
 そんな彼女の背中でごそごそと音が立つ。
 それが何かを確かめるのすら恐ろしかった。
 全身の毛穴という毛穴がぞわりと立ち上がるのを感じた。
 しばらくして音がやむ。
 背中にあった気持ちの悪い感覚も一緒に消えていく。
 すると今度はくちゃくちゃという咀嚼音が耳元で鳴った。

「いやっ……」

 自分の耳が小さな口についばまれ、噛み切られ、かみ砕かれている。
 そんな気がした。
 するとどんどん痛みが湧いてくる。
 痺れるような熱いような冷たいような。
 慌てて耳に手を当てる。
 すると耳は柔らかく、いつも通りの形をしていた。
 どれだけ撫で回そうとも欠けている部位など見当たらない。
 不思議に思ってティフィンを見るとその口からは背中のかごに入っていた木の実が覗いている。
 そこでようやくティフィンが食べているものが把握できた。
 ゆっくりと痛みも痺れも熱さも冷たさもすべてが引いていく。
 手で触れるとやはりいつも通りに彼女の耳があった。
 しかし、ティフィンの様子はというといつも通りとはかけ離れていた。
 異常なほどの速さで口にどんどんと木の実を運び入れていく。
 まるで何かに取り憑かれたかのように。
 何か大きなものに抗うように。
 彼女は手を伸ばした。

「ティフィン……? 私が、わかるか……?」

 絞り出された声は風前の灯火のようだった。
 それでも届けた声。
 その証拠にティフィンの口の端がぴくりと動いた。

「……逃げて」

 かき消されそうな声が返ってくる。
 逃げる。
 今彼女がするべきこと。
 自分の身を守るために必要なこと。
 しかし頭ではわかっていても心が拒む。
 果たして私は目の前の家族を捨て置いてここから逃げても良いだろうかと。
 何か得体の知れないことが起きている。
 その状況で捨て置くことが果たして家族と言えるだろうか。
 否。
 そんなことは間違っている。
 だって家族なんだから。
 その身を差しだしてでも家族を守ることこそ自分の役目だろう。
 頭の中は恐怖で歪んでいるというのに、それでも心は家族を想っていた。
 家族・・を。

「おいで、

 その言葉は心からの言葉だった。
 しかし頭は混乱を極めていた。
 言いたかった言葉と今、口から出てきた言葉がかけ離れていたから。
 気づけば体が動き始めている。
 肩からかごを下ろす。
 そして自らの服に手をかける。
 ゆっくりと脱ぎ始めた。
 へそが、胸が、脚が、尻が露わになる。
 頭がどれほど拒否しようと体が、心が止まらない。
 柔らかな肢体を覆うものがなくなると彼女はティフィンに向けて歩き出した。
 声すら発せない。
 何度叫んでも暴れても体には表れない。
 気持ち悪いほどの笑みが張り付いている。
 誰なんだ。
 私の中にいるのは誰なんだ。
 いや、私は誰なんだ。
 そんな思いに答えは出てこない。
 どれだけ焦っても、どれだけ藻掻いてもどうにも出来ない。
 そのまま彼女の体はティフィンの前で立ち止まった。

「めしあがれ」

 ティフィンの歯が彼女の腹に食いついた。

「生も死もない世界」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「SF」の人気作品

コメント

コメントを書く