生も死もない世界

ゆずっこ

6.光あふれて煙が舞って

「お疲れ様、ミスティ」

 ミスティが戸を開けた瞬間にその声は飛んできた。
 埃ひとつ見当たらないほど、美しく磨かれた光の差す部屋。
 綺麗に整頓された本棚が部屋を淑やかに彩る。
 部屋を満たしているのは頭が狂いそうなほどの香水の臭い。
 その中央に鎮座するのは病的なほど黄色い髪を後ろでひとつに結んでいる中年の人物。
 その頬は少し朱に染まっている。
 だが、彼はなれたように声の主の前へと歩み寄った。

「ありがとうございます」

 そう言って頭を垂れた。
 返した声に温度はない。
 そんな無機質な声を気にもとめずに声の主はバルバラの垂れた頭に手を乗せた。
 触れた・・・ではなく、乗せた・・・
 そのまま強くなで回す。
 乱雑に、愛情・・を込めて。

「はぁ、たまんないわぁ……。こうやって漂ってくる煙草の香り、ガサガサした髪の毛、あったかい体……。怪我は無かったかい、坊や」

 浮かべる表情は恍惚と、鼻の下を伸ばしながらさらに手に力を込める。
 髪を振り乱して、腕の血管を浮かせながら。
 それに対してミスティは微動だにしない。
 すると不意にミスティが垂れ下がる髪の隙間から目をちらりと覗かせた。
 まるで獲物を見やる鷹のような鋭さを込めて。
 瞬間、なでる手がピタリと止まる。

「……そろそろ気はすみましたか? タンジーさん」

 タンジーと呼ばれた人物は少し顎を引き、上機嫌だった顔を凍らせた。
 おずおずと右手を頭から離し、体の後ろへと引いていく。

「今回も任務は無事に完了しました。これ・・はいつも通り私の方で処理しておきます。では、失礼します」

 冷たい目を崩さずにミスティはタンジーに背を向けた。
 背中から何やら猫なで声が聞こえてくるが気にもとめない。
 歩調を崩さずに部屋の外へと出た。
 力強く扉を閉める。

「はぁ……。汚い……」

 小さな声を漏らしながら肩の力を抜いた。
 軽く頭を左右に振るとまた歩き出した。
 さっさと背中のを処分してジンのところに急ごう、そんな言葉を心で紡ぐ。
 背中のそれは変わらず静かだった。

◇◇◇◇◇

 彼がジンの店に到着したのはあれから30分後のことだった。
 入り口の戸を引くと元気よく鈴の音が鳴り響く。

「お疲れ様! ミスティ!」

 タンジーの発したものと全く同じ言葉が飛んでくる。
 しかしその声色は文字通り雲泥の差。
 ヘドロのように汚く、粘り気を多分に含んだのがタンジーの声ならば今聞こえてきた声はさながら澄みきって爽やかな泉のよう。
 自然とミスティの顔にも笑みがこぼれる。
 そんな彼にたたみかけるように言葉が継がれる。

「ほらそんなとこ突っ立てないでさっさと座んな。いつもの・・・・、できてるよ」
「あぁ、ありがとうジン」

 そう言ってミスティはバルバラの横に座った。

「お疲れっす……。今日もやられました……?」

 そう問うたバルバラの目は少し暗い色をしていた。
 それは単にタンジーが苦手なだけにしては過剰なようにも映る。
 しかし理由を知るミスティは微笑みかける。

「問題ない。さ、食うぞ」

 そんなミスティの前にことりと皿が置かれる。
 柔らかな湯気を立てるビーフシチュー。


「ほい、いつもの! これで疲れを癒やしな」

 そう言ってジンは顔の前で親指を立てた。
 彼女の親指が朝日に照らされて白みを帯びる。
 それを見ながらミスティは手を合わせる。

「いただきます」
「めしあがれ」

 さらに添えられたスプーンを手に取りそっとシチューにあてがう。
 するとゆっくりと沈んでいきふわりと香りが舞った。
 その香りをも一杯に添えて一気に口の中へ注ぎ込む。
 瞬間、ミスティの口内を香りが包み込む。
 まさしく至福の時。
 思わず目を閉じて空を仰ぐ。
 人のぬくもりが彼の頭をなでたような錯覚に陥る。

「ふふっ。どう?」
「……最高」

 その言葉を聞いてジンは小さく拳を握った。
 紅の髪が優しく遊ぶ。
 まるで水のように滑らかに、艶やかに。

 それから彼は黙々とご馳走を楽しんだ。
 誰も邪魔せぬ人生のオアシス。
 そんな時間は早く過ぎるもので、目の前の皿はあっという間に綺麗になった。
 彼は一息ついて煙草に火をつけた。
 そんな彼に興味津々な目をしてジンが話しかける。

「それでさ、今日はどんな仕事だったの?」
「あー……簡単に言うと人を送ってきた、かな?」
「ふーん……いつも思うけどさ、それって面白い?」

 ミスティが煙を吐き出した。

「つまらん」
「そうっすね、つまらんっすね」

 ミスティもバルバラも同じ感想を口にした。
 それを見てカウンターに頬杖をつきながらジンが問う。

「じゃあなんでそんな仕事してるの?」
「……義務、さが、しがらみ、束縛、人生……。この辺かな」
「そっか……。じゃあさ、ふたりともうちで働かない? 歓迎するよ?」

 彼女は話を聞いていなかったかのように、にこりとしながら提案した。
 それは本来彼らにとって願ってもない提案のはず。
 愛する店で、敬愛する人の元で仕事をしながらのんびりと暮らす。
 苦痛と闘うこともない。
 しかし彼らは頷くことは出来ない。
 彼らが生身の人間であるから。
 鳥かごに囚われた自由しか許されないから。
 手足の鎖をちぎることは彼らには出来なかった。

「すまない」

 それだけを静かに告げた。

「そっか」

 彼女もそれだけを返す。
 紫煙が室内を包む。
 その香りは甘いような苦いような。
 静かに消え行くそれは儚く叶わぬ夢のよう。
 彼らの見る夢は誰の掌の上か。
 彼らはそっと目をそらす。
 知っているけど知らぬよに。
 いつまで続くか。
 囚われの夢の世界は。

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