生も死もない世界

ゆずっこ

1.雨の中で

 闇夜を照らすは青白の雷。
 鳴り響くは雨の足音と靴の悲鳴。
 その中をひとりが駆け行く。
 息を切らしながら、胸に抱えるもの・・を落とさぬように。
 彼女が駆けるのは街の外れの暗い森。
 普段は誰も立ち入らぬそこは恐れの森と呼ばれていた。
 立ち入った者は生きては帰れぬと、人々は口々に囁き合う。
 怪物が出るという者もいれば、立ち入れば末代まで呪われるという者もいる。
 それが恐れの森と呼ばれる由縁。
 “決して立ち入ることなかれ、立ち入れば死が待つのみ”
 この地にはそんな伝承すらも残っている。
 だと言うのに彼女は駆ける。
 雨に打たれて、泥にまみれて。
 時々来た道を振り返りながら。
 行く先を照らすのは降り注ぐかのような雷のみ。
 それだけを頼りにある場所を目指す。
 走って、走って、がむしゃらに走って。
 その場所が実在することを願って。
 そしてついにたどり着く。
 この世界の果てに・・・・・・

「やっと……」

 彼女が髪をなびかせて見上げる先。
 そこには頂上の見えない、高くそびえる壁があった。
 闇夜にたたずむ絶壁。
 ざらざらした石の壁を雨粒が伝う。
 そこに彼女が手を添えると、とても冷たかった。
 懸命に走ってきた彼女を労う素振りは微塵も見せない。
 ただただ無機質な冷たさが残るのみだった。
 その冷たさを、胸に抱えるそれ・・に悟られぬよう、掌を指に包んでまた走り出す。
 この壁のどこかにあるはずのを探して。
 壁伝いに歩を進める。
 雷光を松明に、雨音を隠れ蓑にして。
 そんな雨音に紛れて時々聞こえてくる男たちの声。
 彼女は聞こえないふりをしてひたすらに前だけを見据える。
 その声の主に捕まれば最後、彼女も、胸の中のそれも無事では済まない。
 それは最悪の未来。
 ごく一部の者たちだけが思い描く地獄の始まりとなるだろう。
 彼女が走る理由は、その未来から人々を守りたいという正義感ではない。
 自分だけが逃れたいというわがままでもない。
 彼女の胸にあるもの、それは親心だった。
 胸に抱えるそれを産みだしたひとり、それが他ならぬ彼女なのだ。
 産みだしたことで得た親心。
 そして産みだしてから知った未来。
 そこから彼女が今この瞬間に至るまでに時間はいらなかった。
 我が子同然・・・・・のそれを今一度目に焼き付けながら扉を探してひたすらに行く。
 だが、一向に扉は現れない。
 300年前の文献が正しければこのあたりに扉が存在するはずだというのに。
 外の世界・・・・へと繋がる扉が。
 瞬きすら忘れて、すがるように見渡す先も続くのは濡れた石の壁。
 だんだんと彼女の頭の中を不安が覆う。
 文献は嘘を記したものではないかという疑念が心に立ちこめる。
 不意に怖くなった。
 結局今も奴ら・・に踊らされているだけなのではないかと。
 すると、途端に怒声がはっきり聞こえた気がした。
 奴らの声がいやに耳にまとわりつく気がした。
 それを振り払うために頭を振る。
 彼女の桜色の髪が黒の世界に舞った。
 その瞬間、彼女の視界が揺らいだ。

「えっ……?」

 そして次の瞬間には目の前まで地面が迫ってきていた。
 すんでのところで右腕が地面を掴む。

「っ……ふぅ……危なかった……」

 声を出したところでようやく視界の揺らぎが収まった。
 代わりに全身がひんやりとした。
 大粒の雨が背中を打つ。
 さっきの揺らぎは恐らく、長時間走り続けてきた疲れからきた目眩だったのだろうと結論づけた。
 幸いなことに抱えるそれを落とさずにすんだと、少しの安堵を浮かべる。
 決して表情には出さずに。
 そしてもう一度走り出すために石の壁に手をついた。
 滑らぬように体重をかけ、壁を支えにして脚に力を込める。
 それで彼女は立ち上がれる、はずだった。
 しかしそれは叶わなかった。
 体重をかけた壁。
 見るからに頑強なはずの壁が彼女のたいしたものではない体重ごときでへこんだのだ。
 彼女はふたたび平衡感覚を失いそうになって、体ごと壁にのしかかった。
 するとまた壁がへこんでいく。
 バランスを失った彼女は思わず全身を強く固い壁に打ち付けた。
 ガリッといういやな音とともに右肩が削れたのを感じた。
 何が起きたのか理解できぬまま件の壁に目をやると、微かに光が見えた。
 闇の先にある
 空洞から得られる情報はそれだけ。
 得体の知れない世界だけが広がっていた。
 そこで彼女の脳内回路が繋がった。

「そうか……隠し扉……!」

 彼女の目の前には子どもひとりがやっと通れそうな、小さな穴が空いていた。
 そこからわかる壁の厚さは1mほどある。
 そんな、小さな空洞の先に広がる世界は彼女にとって希望あふれる世界なはずである。
 通ることができたなら。
 しかし、どう見ても穴は子どもひとりが通るので精一杯。
 残念なことに彼女が通ることは到底かなわない。
 そんな彼女を声が焦らせる。

「おっ! 足跡! この先っす!」

 彼女は桜の葉のような緑の瞳をぐるぐる動かして何か手はないかと探った。
 体重をかけるとこの空洞は開いたのだからと手当たり次第に壁を押していく。
 しかし、石はピクリとも動かない。
 そんな彼女の元へ足音が徐々に近づいてくる。
 それはたたみかけるように彼女の耳を、頭を、心を締め付ける。
 扉を見つけた今、彼女に迷っている暇はない。
 何が待ち受けるのかわからない世界にそれ・・を放り出す覚悟を決めばならない。
 彼女は焦る頭で腹をくくった。

「元気で……ね……。無事でいるのよ。先に天国で待ってるから。じゃあね。私の愛しい子」

 彼女は泪の流れない瞳を拭って空洞を見据えた。
 そして胸に抱えたそれを壁の向こうに押し込む。
 旅立ちを歓迎するように雷が一筋走った。
 雷は、最後の最後に彼女に土産としてを見せてくれた。
 硬い入れ物に大切に包まれた、すやすやと眠る人の幼子。
 それが彼女たちが産みだしたもの・・・・・・・
 見た目には何の変哲もない可憐な存在。
 愛を持たぬはずの彼女すらも魅了する純粋無垢な姿。
 そんな幼子を彼女は空洞に押し込んだ。
 その先に待つ世界で、こんな硬い入れ物などではなく、幸せだけに包まれるようにと願いを込めて。
 彼女の手に押されて幼子はするりと壁の向こうへと落ちていく。
 彼女の手から離れたそれは彼女の視界から消えると、優しく地面に落ちる音を鳴らした。
 これでいいんだ。
 地獄を作り出すことを運命づけられた我が子にしてあげられるのはこれぐらいしかない。
 災禍の中心に我が子が立つだなんてそんなことさせてはならない。
 せめて奴らの手から遠ざけてやることしかできない。
 彼女は胸に手を当てて、そう言い聞かせる。
 そしてふたたび走り出す。
 できるだけここから離れた場所へ。
 追っ手にこの扉が見つからないように。
 遠く、遠くへ。
 走る彼女の頬に雫が伝う。
 泪のように。
 人らしく。
 それを拭うこともなく彼女は腕を振る。
 きしむ体にむち打って。
 しかしついには脚がもつれる。
 よろけて顔から地面に突っ込んだ。
 跳ねた泥水が体にまとわりつく。
 それを拭おうともせずに彼女は起き上がろうと手をつき、力を込める。
 だが、彼女の背中に冷たいものが突きつけられた。

「やっと追いついた……!」

 荒い呼吸で頭の上から響く叫び声。
 彼女が顔を向けるとそこには二人の男の姿があった。
 手前の若い男が背中に銃を突きつける。
 奥の初老の男は煙草に火をつけようとするも、雨のせいで火がつかず、苛立たしそうに煙草を放り投げて舌打ちをした。
 銃を突きつけている男は彼女に目を向けたまま誰かに連絡を取り始めた。

「こちらベータ班。対象確保」

 すると返答が来る。

『了解。胸部動力回路を破壊し、至急帰投せよ』
「了解」

 そう言って通信端末を胸にしまうと男は引き金を引いた。
 重たい音が森に響く。
 彼女の体が静かに泥に落ちていった。
 それを見下ろしながら若い男は背中の鞄から大きな黒い袋を取り出す。
 そして手早く彼女の体を袋に詰め込んだ。

「ミスティさん、終わったっすよ」

 若い男はそう言って立ち上がった。
 ミスティと呼ばれた初老の男は苦虫をかみつぶしたような顔をする。

「おう、さっさと帰るぞバルバラ。袋の中じゃアンドロイド・・・・・・さんがかわいそうだ」

 そして体を翻して足早に歩き始めた。
 バルバラも小走りについて行く。

「にしても、最近アンドロイドが自我を持つ事件多くないっすか? しかもほとんどがバハマ社製って。なんなんですかね? なんか怖いっすね」
「アンドロイドだって生きたいんだろ」

 ミスティは無表情にそう告げた。

「そっすねー。なんなら俺らの方がよっぽどアンドロイドしてるっすよね」

 バルバラの言葉にミスティは沈黙で答えた。
 雨音と足音だけがあたりに響く。
 彼らは知らない。
 この壁の向こうにが行ったのか。
 彼女がとった行動でこの先どんな運命に巻き込まれるのか。
 そして自らの運命を恨む未来が待ち受けることを。
 袋の中の彼女は揺れる中で我が子を思った。

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