101回目の関ヶ原 ~西軍勝つまでやり直す~
2回目
「っ!」
なんだここは。どこだ。自分は斬首されたのではなかったのか。
三成は混乱した頭で周囲を見渡した。ここは居城、佐和山城の自室だ。長年ここで政務を行ってきた。見間違えるはずはない。
そして目の前にいる頭巾を被った男は、病を患いながらも、最期まで自分のために魂を燃やしてくれた友人、大谷吉継。
ここが世に聞く冥府というところだろうか。想像とは随分違うようだが。
「あとは日本中の諸大名にこちらの味方をしてくれるよう書簡を送るのだ。忙しくなるぞ」
「…………」
「どうした? 何か気にかかることでもあったのか?」
「いや、私は斬首されて、お主も戦場で自刃したと聞いたのだが……」
「何を言っているのだ。縁起でもない」
「そうか……そう、だな……」
しかし、三成にはどうしてもあの記憶が嘘だとは思えなかった。関ヶ原での戦の熱も。小早川秀秋の寝返りで敗北した時の怒り。無力感。首を絶ち斬る刃の冷たさも。
無意識に撫でてしまった首筋から手を話す。
自分は、挙兵する直前に戻されたのだ。そうとしか考えられなかった。
なぜそんなことが起きたのか。それはわからない。わからないが、ありえないことが起きたことは確かだ。
この好機を、西軍が敗北すると知った今ならどうするだろうか。他の大名のように徳川家康に尻尾を振るだろうか。
否。断じて否。自分のやるべきことは豊臣家の憂いを無くし、豊臣の天下を安寧のものとすること。そのためなら、徳川家康の首だって獲ってみせる。
きっと、自分がここに戻ってきたのは、そのためなのだ。
天が豊臣の世を徳川の魔手から守れと、自分に命じているのだ。
となれば、まずは味方を増やしたい。幸いなことに、今自分の目の前には、我が生涯で最大の友、大谷吉継がいる。荒唐無稽な話ではあるが、彼なら信じてくれるのではないか。
一瞬だけ逡巡すると、
「……なあ、刑部。戯れ言だと思うかもしれないが、私の話を聞いてくれないか?」
三成は自分が体験した数ヶ月間のことを話した。毛利輝元や宇喜多秀家ら西国の大名と挙兵したこと。畿内を制圧して関ヶ原で徳川家康率いる東軍とぶつかったこと。崩壊した西軍と己の末路を。
長年奉行として豊臣家の運営を支えてきたこともあって、三成の報告は正確だった。
「……にわかに信じがたいな」
「……そうだな。私もそう思う。すまない、忘れてくれ」
三成が話を打ち切ろうとしたところで、吉継が割り込む。
「だが、わしは信じよう」
「刑部……!」
「わしの知る石田三成という男は、こういう時に冗談を言わぬ男だ。その男が、笑われるのも覚悟で話したのだ。誰が笑うものか」
「ありがとう……!」
豊臣政権きっての堅物に真っ向から礼を言われ、照れ臭さを隠すように話を反らせる。
「この話は、わし以外にしてはおるまいな?」
「ああ。こんな話を信じてくれる者など、刑部くらいのものだろうからな」
「いや、そうではない。この話を他の大名が聞いたらどう思うだろうか。負けるとわかっている戦いに、誰が好き好んで挑むというのだ」
刑部の言うことはもっともだ。刑部が信じてくれたのだから、他の者も、などと一瞬でも考えてしまった自分が恥ずかしい。
「わかった。気をつけよう」
「しかしなあ、まさか本当に金吾が徳川側に寝返るとはなぁ……」
金吾中納言こと小早川秀秋は、豊臣秀吉の親戚であり、一時は秀次に次ぐ後継者候補と目されていた。その秀秋でさえ徳川家康に味方をした、という事実は豊臣の没落をどうしようもなく思い知らせた。
そして、それと同時に徳川家康の老獪さは三成の想像の上を行っていた。頭数だけでも揃えれば、などと甘い考えをしていた己の愚かさに嫌気が差す。
「ん? 刑部、その口ぶりでは、まるで裏切ると知っていたようではないか」
「金吾の境遇を考えれば、な。秀頼様がお生まれになってから後継者候補でもなくなり、慶長の役で帰国したら減封と転封だ。奉行を勤めていた治部が何か言ったのでは、と勘ぐるのも無理からぬ話だし、元の領地に戻して加増までした内府殿に味方するのも、わからなくはない」
「しかし、だからと言って……」
小早川秀秋の裏切りは、三成にとって理解しがたかった。秀吉の血族なら、なおさら豊家繁栄のために尽くすべきではないか。
豊臣に苦難が訪れたというのなら、なおのこと支えるべきではないのか。
「治部。気持ちはわかるが、天下分け目の戦いの鍵となるのは、間違いなく金吾なのだ」
「あ、ああ」
前回の関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋の内応によって、連鎖的に朽木や赤座が寝返ることとなった。
もし小早川秀秋を寝返らせなければ。もし戦いに加えることができれば。その時は、徳川家康の野望も潰すことができるかもしれない。
「聞くところによると、戦が始まってもすぐには動かなかったのだろう?」
「ああ。私や宇喜多殿、刑部が交戦を始めても、動きを見せなかった」
ふむ、と吉継が考え込む。
「これは、あくまで可能性の話だが、金吾も迷っていたのではないか?」
吉継の言葉に、三成がハッとした。
「そうか、ではまだ……」
「説得の余地はあるかもしれん」
西軍敗北の歴史に一筋の光明が差した気がした。
なんだここは。どこだ。自分は斬首されたのではなかったのか。
三成は混乱した頭で周囲を見渡した。ここは居城、佐和山城の自室だ。長年ここで政務を行ってきた。見間違えるはずはない。
そして目の前にいる頭巾を被った男は、病を患いながらも、最期まで自分のために魂を燃やしてくれた友人、大谷吉継。
ここが世に聞く冥府というところだろうか。想像とは随分違うようだが。
「あとは日本中の諸大名にこちらの味方をしてくれるよう書簡を送るのだ。忙しくなるぞ」
「…………」
「どうした? 何か気にかかることでもあったのか?」
「いや、私は斬首されて、お主も戦場で自刃したと聞いたのだが……」
「何を言っているのだ。縁起でもない」
「そうか……そう、だな……」
しかし、三成にはどうしてもあの記憶が嘘だとは思えなかった。関ヶ原での戦の熱も。小早川秀秋の寝返りで敗北した時の怒り。無力感。首を絶ち斬る刃の冷たさも。
無意識に撫でてしまった首筋から手を話す。
自分は、挙兵する直前に戻されたのだ。そうとしか考えられなかった。
なぜそんなことが起きたのか。それはわからない。わからないが、ありえないことが起きたことは確かだ。
この好機を、西軍が敗北すると知った今ならどうするだろうか。他の大名のように徳川家康に尻尾を振るだろうか。
否。断じて否。自分のやるべきことは豊臣家の憂いを無くし、豊臣の天下を安寧のものとすること。そのためなら、徳川家康の首だって獲ってみせる。
きっと、自分がここに戻ってきたのは、そのためなのだ。
天が豊臣の世を徳川の魔手から守れと、自分に命じているのだ。
となれば、まずは味方を増やしたい。幸いなことに、今自分の目の前には、我が生涯で最大の友、大谷吉継がいる。荒唐無稽な話ではあるが、彼なら信じてくれるのではないか。
一瞬だけ逡巡すると、
「……なあ、刑部。戯れ言だと思うかもしれないが、私の話を聞いてくれないか?」
三成は自分が体験した数ヶ月間のことを話した。毛利輝元や宇喜多秀家ら西国の大名と挙兵したこと。畿内を制圧して関ヶ原で徳川家康率いる東軍とぶつかったこと。崩壊した西軍と己の末路を。
長年奉行として豊臣家の運営を支えてきたこともあって、三成の報告は正確だった。
「……にわかに信じがたいな」
「……そうだな。私もそう思う。すまない、忘れてくれ」
三成が話を打ち切ろうとしたところで、吉継が割り込む。
「だが、わしは信じよう」
「刑部……!」
「わしの知る石田三成という男は、こういう時に冗談を言わぬ男だ。その男が、笑われるのも覚悟で話したのだ。誰が笑うものか」
「ありがとう……!」
豊臣政権きっての堅物に真っ向から礼を言われ、照れ臭さを隠すように話を反らせる。
「この話は、わし以外にしてはおるまいな?」
「ああ。こんな話を信じてくれる者など、刑部くらいのものだろうからな」
「いや、そうではない。この話を他の大名が聞いたらどう思うだろうか。負けるとわかっている戦いに、誰が好き好んで挑むというのだ」
刑部の言うことはもっともだ。刑部が信じてくれたのだから、他の者も、などと一瞬でも考えてしまった自分が恥ずかしい。
「わかった。気をつけよう」
「しかしなあ、まさか本当に金吾が徳川側に寝返るとはなぁ……」
金吾中納言こと小早川秀秋は、豊臣秀吉の親戚であり、一時は秀次に次ぐ後継者候補と目されていた。その秀秋でさえ徳川家康に味方をした、という事実は豊臣の没落をどうしようもなく思い知らせた。
そして、それと同時に徳川家康の老獪さは三成の想像の上を行っていた。頭数だけでも揃えれば、などと甘い考えをしていた己の愚かさに嫌気が差す。
「ん? 刑部、その口ぶりでは、まるで裏切ると知っていたようではないか」
「金吾の境遇を考えれば、な。秀頼様がお生まれになってから後継者候補でもなくなり、慶長の役で帰国したら減封と転封だ。奉行を勤めていた治部が何か言ったのでは、と勘ぐるのも無理からぬ話だし、元の領地に戻して加増までした内府殿に味方するのも、わからなくはない」
「しかし、だからと言って……」
小早川秀秋の裏切りは、三成にとって理解しがたかった。秀吉の血族なら、なおさら豊家繁栄のために尽くすべきではないか。
豊臣に苦難が訪れたというのなら、なおのこと支えるべきではないのか。
「治部。気持ちはわかるが、天下分け目の戦いの鍵となるのは、間違いなく金吾なのだ」
「あ、ああ」
前回の関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋の内応によって、連鎖的に朽木や赤座が寝返ることとなった。
もし小早川秀秋を寝返らせなければ。もし戦いに加えることができれば。その時は、徳川家康の野望も潰すことができるかもしれない。
「聞くところによると、戦が始まってもすぐには動かなかったのだろう?」
「ああ。私や宇喜多殿、刑部が交戦を始めても、動きを見せなかった」
ふむ、と吉継が考え込む。
「これは、あくまで可能性の話だが、金吾も迷っていたのではないか?」
吉継の言葉に、三成がハッとした。
「そうか、ではまだ……」
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